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寝取られ令息と外見底辺令嬢

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 明日が婚約のための顔合わせの日だというのに、ジュネシスは憂鬱だ。
 理由は分かっている。
 愛してもいない相手、今後愛せるかどうかも分からない相手だからだ。


 本当に愛していた彼女は、手の届かない処へ行ってしまった。
 がっくりとしたジュネシスは、青白い顔のまま、日々の公務をこなした。

 世継ぎを儲けるのは、貴族の宿命である。
 それはジュネシスにも分かっている。
 でも、愛してもいない女を抱けるのか?

「アホか。隣に裸の女がいたら、ガバッと抱きつく。それが男だ」

 上司は言った。
 結婚生活二十年。三人の子どもに恵まれて、今も夫婦仲は良好の男。
 奥方とは、完全な政略結婚だったという。

「政略でもなんでも、結婚生活を続けたら、そのうち相手に情が湧く。情が湧いて子どもを作って、一緒に生活出来るなら、恋愛による結婚と変わらなくなるさ」

 上司の奥方は、ぽっちゃり型の女性だ。
 いつもニコニコと感じは良いが、美人という範疇にはないタイプである。
 ジュネシスが思う、理想のタイプの外見ではない。

「ウチの妻のようなタイプが一番良いんだぞ。温かくて柔らかい。……特に、まあその、なんだ。夜とか」

 情がわくのか。夜って何だ? 夕食?
 まさか、昼間から、シモの話じゃないよな。

 怪訝そうなジュネシスに、上司は訊く。

「だいたい、お前の好きなタイプってどんなの? こだわりどこよ。顔? 胸? 脚? 尻?」
「せ、性格とか、価値観が同じ、とか……」

 上司は両手を空に向かって広げて頭を振る。
 これだから、女慣れしてない奴はとか、ぶつぶつ言っている。

 本当は、もっと具体的に言いたい。

 クリっとした大きな瞳がいつも潤んでいて。
 できれば腰はほっそりと。
 胸は、あるのにこしたことはないけど、大きさは関係ない。

 動物や花が好きで、小さな子供と遊ぶのが好きで、妹みたいで、時には姉のようで……。
 しかし、そんなことを上司に言ったら、もっと馬鹿にされそうで、とても口には出せなかったのだ。

「とりあえず俺が見繕ってやるから、一度会ってみろ」




 ジュネシス・ドーマンは伯爵家の嫡男である。
 貴族学園を卒業し、今は文官として王宮に出仕している。
 広い領地を持ち、財政的には裕福な貴族である。

 この国では、十八歳で学園を卒業すると同時に、男子も女子も結婚することが多い。ジュネシスもそのつもりでいた。だいたい貴族は十歳頃には、互いの爵位や派閥を鑑みて、婚約することが多いのだ。

 ジュネシスも婚約者はいた。少し前までは。

 アナベラは、豊かに波打つ黒髪と、翡翠色の瞳を持つ美しい少女だった。
 政略的意味合いを持つ婚約とはいえ、ジュネシスは一目惚れした。
 親は資産家だが、まだ学園生だったジュネシスの小遣いはそう多くない。だから休みの日に商会などでアルバイトして、プレゼント代に充てていた。

「うわあ、ステキ! ありがとう」

 キラキラした目で喜ぶアナベラが好きだった。
 アナベラからのお返しは、男爵家の庭に咲く、小さな白い花だったり、アナベラが刺繍したという、ハンカチだったりした。彼女の刺繍はお世辞にも、出来が良いとは言えなかったが、その心が嬉しかった。
 
 だが、学園卒業直前に、アナベラは出奔した。

 それもジュネシスの弟と一緒に……。そう、二人は駆け落ちした。
 ジュネシスの知らないところで、二人は愛を育んでいたらしい。

 ジュネシスと違い、一歳下の弟ライルは、整った顔立ちと豊かな社交性を備え、女性からの受けが良かった。

 ジュネシスは絶望感に包まれた。
 弟とは仲が良かったと思っていた。
 ジュネシスの父、ドーマン伯爵は、ライルを勘当したのだが、ライルを可愛がっていた母が、母の持つ爵位と遠い地の領地を与え、二人は現在そこで暮らしている。


 アナベラが去ってから、ジュネシスの心は、何かが欠けてしまったようだ。
 何を食べても美味しいと感じない。
 好きだった読書や自然散策も、興味が持てなくなった。

 ましてやもう一度、結婚相手を探すなんて……。


「おい、お前の婚約者、見つけてきたぞ」

 上司がジュネシスに釣書きを手渡した。
 お相手は、子爵家の令嬢だった。
 どうでもいい。

 相手は誰でも良かった。
 伯爵家の嫡男としての責任感、それだけだった。


 翌週、自邸で婚約者になる女と、ジュネシスは初めて顔を合わせた。
 ずばぬけた美人が現れて、ジュネシスは一目で恋に落ち……。

 なんていうことは、全くなかった。

 そこに現れたのは、小柄で丸顔、地ネズミのような毛の色と瞳を持つ、鼻は低めの少女だった。
 クリっとした瞳ではあるが、顔の大きさと比して目立つわけでもない。
 ひらたく言えば、美人の範疇から、はずれている外見だった。

 嫌でもアナベラの華やかさと比べてしまう、ジュネシスだ。

「ユリカ・デュオン子爵令嬢だ」

 上司がジュネシスに女性の紹介をする。
 ユリカは綺麗な礼を見せた。
 子爵とはいえデュオン家は、ドーマン家よりも歴史がある。
 名門、と言っても良い。

「まあ、後は若い人同士に任せましょう」

 家令に促されるようにジュネシスは、ユリカを伴い庭園に向かう。
 歩き始めたジュネシスの耳元に、上司は囁く。

「将来が楽しみな女性だぞ」

 上司の口元がにやけているのを、ジュネシスは気付かないふりをした。
「楽しみ」とは、どうせ、下世話なことなんだろうと。

 歩きながらぼそりと、ジュネシスはユリカに言う。

「僕は、君を愛することが、出来るかどうか分からない」

 初対面の女性に言うセリフではない。
 ジュネシスとて分かっていた。
 ただ、心の空虚感を誰かに訴えたかったのだ。

「家同士の政略結婚だと、わたしは理解しております」

 表情を変えることなくユリカは答えた。
 茶色の瞳は、恐れも怒りもなく、ジュネシスを見ていた。

 しっかりしていると言うべきか。
 可愛げがないとも言えるだろう。

「そうか……」

 二人はそれ以降、特に会話することなく初顔合わせは終わった。
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