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崩壊する世界の救済

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 芹菜は琉生の手を握る。
 琉生も強く握り返した。
 二人とも、掌は湿っていた。

 儀式の場には、直径が二畳分ほどの、札を納める方円が刻まれていた。
 彼方の地平線に、一筋の朱色が残り、その向こう青白い月の欠片が見えると、一族全員が集まり、座したまま頭を下げる。

 老女が二人の前に立つ。

「始めましょう」

 琉生は七枚の札の包みを解く。
 一点の曇りもない、真白い札である。

「最初は、七回、一つずつ音を出します。それから、神に捧げる曲を吹きます」

 老女が笛を吹き始める。
 途端に札が色を出す。
 方円に描かれた図形にも、同じ色が光る。

 札を持った芹菜が琉生の指示により札を置く。
 それが七回続くと、方円は七種類の色を、細い柱のように立ち昇らせた。

 老女は息を吐き、祈りの言葉を捧げる。

「この地を司る神よ。今一度、その神力を我らにあたえ給え。この札をわれらの誠として、受け取らしめ給え」

 老女が再び、笛を取る。
 琉生と芹菜は見つめ合い、頷き合った。

「はじまる……」

 ライナも老女の後方に座り、二人を見つめた。

 老女の演奏が始まり、琉生の指示は早くなる。
 指示を間違うことなく、秒単位で芹菜は札を置く。
 途中から、琉生には、音が帯のように見えてくる。
 帯は赤から紫、青や緑へと色調を変えて流れていく。

 この色のつながりは、学校で帰宅時間を告げる曲に似ている。
 琉生はそう思いながら、色を見極めていた。

 闇が濃くなっていく最中、方円の一部から、真っ赤な太い柱が天に昇った。

「一つ、解けた!」
 ライナが小さく叫ぶ。

 赤の次は橙色、そして黄色、緑、青、藍色の柱が、方円を囲むように天に向かっていく。
 急に風が強くなる。
 老女の額には、大きな粒の汗が浮かぶ。

 紫色に光る場所へ、芹菜が札を納めると、ひと際輝く紫色の柱が立ち昇る。
 地面は大きく揺れ、闇を切り裂くように、稲妻が走る。

「解除、できた!」

 ライナが叫んだ。

 七色の柱は一つになって、白金色に輝きながら上昇していく。
 そのプラチナの光の中から、月を凌駕するような大きさの眼が、この地に住まう全ての者と、召喚された二人の人間を見下ろした。

 老女は平伏し、祈りの文言を捧げる。

 琉生と芹菜には、「眼」からの声が届いた。

『外来の者よ、大儀であった。我を呼び出した功績をたたえ、そなたらの願いを一つ、叶えてしんぜよう』

 二人の願いは同じである。
 元の世界に帰りたい!

『さすれば、この札を持ち、我が身体に捧げるべし』

 芹菜の手の上に、ふわり落ちて来た一枚の札。
 白金色の表面に、七つの色が光る。

 芹菜は琉生の手を取って、力の限り札を投げた。

『受け取ったり!!』

 バリバリと木が裂ける音がした。
 幾筋もの雷光が二人を包んだ。

 琉生と芹菜の意識は、雷光に溶けた。


◇◇◇◇◇◇◇

「か、雷!」
 
 自分の声で、琉生は目覚めた。
 ぼんやりとした視界には、久しぶりに見る父の顔。

「琉生、ルイ!! 母さん! 琉生が」

 薬の匂い。白い天井。
 バタバタと向かって来る足音。

「羽生さん、意識が戻りました!」

 看護師さんがモニターを見て、バイタルチェックをしている。
 そのあとから白衣の男性。お医者さんだ。

 病院?
 僕は、病院にいるの?

 セリナさんは?
 デフナさん、ライナさん、おばあさん……

「良かった! 良かったよ、琉生」

 琉生は父の涙を、初めて見た。

 隣の病室からも、声が上がっていた。
 病室の入口には、『宗岡芹菜』の名札がかかっていた。
 救急車で搬送されてから三日間、琉生も芹菜も意識不明だったと、琉生はあとから聞いた。

 涙を流す父と母からは、桜よりも薄い、ピンク色が見えた。
 琉生の好きな色である。
 そして母の後ろから、そっと顔を覗かせた妹の礼奈は、ニコッと笑って琉生に何かを握らせた。

 琉生が手を開くと、そこには白金色の札が一枚、柔らかな光を放っていた。



◇◇二人のエピローグ


 芹菜が意識不明と聞き、病院に急ぐ二人の青年がいた。

 一人は芹菜の兄、宗岡茂貞むねおかしげさだである。

 芹菜の病室に近づくと、看護師や医師が早足で、行ったり来たりしている。
 茂貞は、息も荒く、芹菜の枕元に立つ。
 椅子に座って項垂れていた、芹菜の母が立ち上がる。

「お、お、お兄ちゃん……せ、芹菜が」

 茂貞は、母の肩を抱く。

「すまない、遅れて……」

 芹菜の母は涙を隠さない。

「もう、三日も、意識がなくて……」

 茂貞に遅れて、もう一人の青年も病室に入る。
 その姿を見た、芹菜の母は、目を開き、涙で濡れたまま、頭を何度も下げる。
 青年は、黙ったまま、顔を横に振った。

「しげ、ほら」

 青年は、背負っているリュックから、ボールを取り出す。
 土で汚れた野球の硬球である。

「渡して、やれよ」

 どこか、たどたどしい喋り方の青年は、茂貞の背中をそっと押した。

 茂貞はベッドサイドにしゃがみ、管がたくさん付いている、妹の手にボールを乗せた。

「遠回りしたけど、兄ちゃん、戻ってきたよ。
だから、戻って来いよ! お前も!」

 トクン

 芹菜の瞼が震えた。
 隣室では、大きな声が飛び交っている。

 トクン

 歓声が聞こえる。

 試合終了!
 観客席に駆け寄るチームメイト。

 兄ちゃん
 私
 そして……

 芹菜の瞼が開いた。

 掌に何か懐かしい感触。

「芹菜!」

 そして懐かしい声。
 忘れかけていた眼差し。

「お、お兄ちゃん? え、何? 夢?」

 茂貞の隣には、更に懐かしい顔が並んでいる。

「柴、﨑、ザキ先輩?」

 柴﨑と呼ばれた青年は、「こんにちは」と手話で言った。

 かつて、茂貞と柴﨑は、同じ少年野球のチームの主力選手だった。
 あとから入った芹菜を加え、三人はよく一緒に練習をした。

 中学時代、茂貞が起こした不祥事とは、彼が柴﨑を殴って、柴﨑の聴覚に重篤なダメージを与えた、ということである。
  しかし、その不祥事は冤罪とも言うべきものであった。茂貞が、何も言わなかったからだ。その後、芹菜の一家も柴﨑も、故郷を離れた。

「ザキと今、同じチームだよ。今日、試合に勝ったから、ウイニングボール、お前にあげようって、ザキが言って……」

  柴崎は、千葉の聴覚特別支援学校に進学し、誘われて再び野球部に入った。
  そこで野球本来の面白さと楽しさを実感し、卒業後も後輩の指導にあたっている。
  やりたいことも特になく、ふらふらしていた茂貞に、もう一度野球をやらないかと、柴﨑から連絡を取っていた。

  今日は、柴﨑の後輩たちが、普通科の野球部と練習試合を行った。
  相手校はいわゆる二軍の選手たちであったが、聴覚のハンディキャップを越えて、見事勝利を飾ったのである。

 
茂貞の目からも、涙が落ちた。

「芹菜……戻ってきてくれて、良かった」

 それは、私の科白だよ、と芹菜は言おうとしたのだが、言葉は出なかった。


 数日後、退院を控えた芹菜が、隣室に向かうと、琉生が荷物をまとめていた。
 芹菜を見ると、琉生は芹菜に抱きついた。

「セリナさんが、助けてくれたんだってね」

  あの事故の日。

  目撃した人の証言によれば、交差点を渡ろうとした少年の頭上に看板が落ちてきて、一人の少女が身を挺して、少年を救ったという。

「セリナさんがいなかったら、僕は今、ここにいない。
戻ってこれて、父さんや母さん、レナの顔を見て、僕、思ったんだ」

  琉生は芹菜の目を見つめて言った。

「どこにも居場所がないって思ってた。
でも、これから、時間がかかっても、僕、探すよ。僕が僕である場所を」

  あちらの世界の時よりも、少年は確実に大人っぽくなっていた。

――違うよ、ルイ君。助けてもらったのは、私の方だ!

  心の中で、芹菜は琉生に告げた。

  琉生の母が病室に来た。
  芹菜を認めると、深々とお辞儀をする。

「この度は……」
「ちょっ、やめてください。私の方こそ、入院費用まで出してもらって」
 しばらく、芹菜と琉生の母は、互いにお辞儀をしあった。

  病院の出口まで、芹菜は琉生を見送った。

「そうだ、ルイ君。私ね、もう一回、野球するかも!」

  琉生は芹菜の言葉に、大きな笑顔で頷いた。



 数年後。

 健聴者と聴障者が一緒にプレイする、草野球チームが話題となる。チームの主力は健聴者の投手と、聴障者の捕手。そして紅一点の遊撃手である。

  躍動感のあるチームフラッグのデザインは、中学生の少年が描いたものであるという。

 そのフラッグには、七つの菱形を囲むような、たくさんの手が描かれている。
 中学生の少年は、フラッグを振りに今日も球場へ向かっている。


  了
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