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 青年時代

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 ヴァンは、王都セピアの大通りにあるレストランの料理人として働いてる男だった。

──どうしてそんな男を監視するのか?

 とシオンは思った。
 
「お嬢様は戦力になるといったが、彼はただの料理人だぞ?」

 レストラン街の路地裏で、シオンは独りごちる。
 窓の外から厨房をのぞいていた。ヴァンが鍋を片手に鍋を振るっている。火のかかる鍋を見つめたシオンは、ふと過去のことを思いだす。
 火は、焚き火を連想させるのだ。
 静寂な闇のなか、深い山奥で焚かれる温かい炎……。
 それは修行時代、シオンは山のなかで暮らしていた。師匠が建てた古屋、ゆれる焚き火、焼ける獣の肉、もくもくと立ち昇る煙がきらめく星々と溶け合って眠りにつき……。

 朝陽を迎える。

 少年シオンは、繁みに隠れて魔物に狙いをつけていた。
 そして、一発で狩る。
 そんなことばかりをしていた幼少期だった。
 両親を失ったシオンは執事としてアルティーク家に迎えられたが、まだ八歳の子ども。できる仕事は掃除することしかなかったのだが、そんなある日、アイゼン伯爵から山で修行するように命じられた。
 連れていってくれたのは見知らぬ老人。最初は怖い人物だと思った。いや、今でも怒ると怖い。
 そんな老人は、じつは剣の達人で、シオンの師匠となった。
 そしてシオンは徹底的に鍛えられた。片腕のない少年は、谷に突き飛ばされたり、魔物に囲まれたりと、地獄を味わうことになるが、両親を亡くしている彼の心は逆境になればなるほど、熱く燃え上がった。その心は紅蓮の炎のように、業火に焼くように。

──もう二度と、大切な人が殺される光景は見たくない。

「いつかドラゴンを倒したいです、師匠」

 片腕の少年の声に対して、白い髭を触る老人は、うむ、と頷いた。

「では武器がいるな、片腕でも扱える武器が……」

 そう老人はいうと一振りのレイピアをシオンに渡した。とても軽くて細い剣だと少年は率直に思った。訝しんで、こんなもので強い魔物が倒せるのかよ、とも。
 老人は笑いながら、お手本を見せた。
 草場の繁みに身を隠し、わざと口笛を吹いた。その音はまるで小動物の泣く声。すると、ぴくりと反応した魔物が誘いだされる。ゆっくりと歩み寄って来て、そして……。
 グスッ!
 細長い金属、レイピアが魔物の胸を突いていた。
 つまり、そこには心臓があるわけで、一瞬でレイピアを抜くと、つぅー、と魔物の胸から鮮血が滴る。恐ろしく鋭い殺傷に、死神が降りてきて笑う。
 魔物はオークと呼ばれる邪鬼で、その牙を王都の一番に持っていって売れば、庶民一月分ほどの稼ぎになる。そこまで老人は説明すると、さあ、やってみろ、と銀色に輝くレイピアを少年シオンに渡すのだった。そのときの老人の笑顔を、青年になったシオンは今でも忘れない。いや、忘れることなどできやしない。
 
「師匠、あなたの教えは、いま、すごく役にたっていますよ」

 しばらくすると、ヴァンの仕事が終わった。
 お疲れ様でした、といった料理人は帽子をとり、白衣を脱ぐと店をでた。とぼとぼと歩くその姿は、いつものみすぼらしい彼に戻っていた。悲しみに満ちた丸くなった背中、絶望感を漂わせ、往来する人々のなかで歩くカップルをにらみつける。
 他人の幸せが、妬ましいのだろう。
 ふいにヴァンは店先の窓ガラスに映る自分の姿を見つめた。
 穴の空いたズボン、ぺらぺらのポケットが半分取れた黒いジャケットを着ている男。幸せという運命に見捨てられた不幸な男。そんな彼の姿は何だか笑っているカラスのように、シオンには見えた。

「クククク……」

 とヴァンは自嘲気味に笑った。
 癖のある赤毛の頭を掻きむしると歩きだす。向かう先は王都のなかの居住区。外壁の角に隠れるシオンは顔を出しながら、彼を追跡していた。
 時刻は夕方。
 頭上からカラスの歌が聞こえ、ヴァンは茜空を仰ぐ。
 人気のない路地裏、街の中心にある背の高い時計塔が鐘が鳴り、ゴーンゴーンと日没を告げている。沈むように溶けていく夕日の光り、のっぽの時計塔から落とされた黒い影がヴァンを覆う。
 すると、そのとき。
 ぞろぞろと聖騎士たちが現れ、ヴァンを取り囲んだ。
 
「なんだ……あんたら?」
 
 そう質問するヴァンはひどく狼狽えた。
 先日、王宮を襲撃したばかり。騎士たちは自分を罰を与えるため現れたに決まっている。血相を変えたヴァンは腰を低くすると、一気に駆けだした。
 しかし、聖騎士の鋭い剣が彼の目の前に振り下ろされ、一瞬にしてヴァンは膝から崩れ落ちる。とっさにジャケットの内側に入れた手には財布しか握れない。ブロンズダガーは家に置いてきてしまっていた。
 
 くそ、なんでこんなときに限って……と、彼は後悔している様子だったが、もはやそんなことを憂うべきではない。それよりも死を覚悟するほどの戦慄を抱くべきだった。やがて彼は、これから自分の身に起きることが、殺戮に満ちた死と直結するようなことが起きるのではないか? と、うすうすと感じられ、身が震え、ただ立ちすくんだ。
 
 これが俺の運命なのか?
 
 ヴァンは、そう言わんばかりの悲愴にくれた顔を浮かべ、残酷な運命からあがらう逃走本能から、とっさに口を滑らせる。
 
「だれかっ! 助けてくれーーー!

 ヴァンの魂の叫びを聞いた聖騎士たちは、ふふ、と苦笑した。
 わざわざ人気のない路地裏で待ち伏せをしていたので周辺には猫一匹いない。それに何よりもヴァンは勘違いをしている。助けを求めること自体が間違っている。
 聖騎士こそが正義なのだ。
 第三者から見れば、悪人はヴァンなのである。
 じっさいは違うが、これが現実だ。
 騎士団長ギルバードは、眉間に皺を寄せながら、
 
「連れていくぞ……」

 と、渋い声で部下を命令した。
 ヴァンはあっけなく身体を縄にかけられ連行されていく、その足取りは重く、まるで大きな亀を引っ張っているようだ。
 その光景をシオンは外壁の角から、ちらと顔だけ出して見ていた。
 と同時に、助けようかな、と思っていたが、自分の判断で動くのは、お嬢様から禁止されているので頭を悩ませていた。
  
「……くそっ、とにかくお嬢様に報告をしよう」

 シオンは夕焼けが燃える王都セピアを駆けていく。
 馬鹿馬鹿しいが、どうしようもなく笑いが込みあげる。
 また、お嬢様とともに行動ができるぞ……。
 そんなことを考えながら、風のように疾走していた。
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