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 青年時代

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 王都セピアの夜は、激しい雨が降り注いでいた。
 アルティーク家では窓の戸締りを確認するメイドたちの姿が見られる。ごうごうと風が吹き、ときに横殴りの水滴が窓を叩く、土砂降りの雨……。

「不吉な夜は嵐がよく似合うわね」

 金髪碧眼の娘、ルージュはそうささやきながら、ゆっくりと赤い絨毯が敷かれた廊下を歩いていた。踏みしめる足元の隣につく執事であるシオンは、黙ってうなずく。
 ここはアルティーク伯爵家が所有する絢爛豪華な貴族の館。アルティーク伯爵家は広大な領地を持っており、使用人がそこらじゅうにいるのだが、令嬢のルージュは常に監視されているように感じていた。干渉されたり束縛されることが嫌いなルージュは、忠実な執事に対しても、
 
「シオン! ずっと私についていなくていいのよ」

 と注意をするほどだった。
 シオンは下を向いて、どんよりと肩を落とす。
 ルージュを守ることが生きがいなのに、お嬢様は俺の気持ちをわかってくれない、そう思うシオンはしょぼくれた。何もやる気が起きず、ただ立ち尽くすのみ。
 ルージュは、少し言い過ぎたかな、と反省をしつつ、
 
「ねぇ」

 と声をかける。と同時にフォローするつもりで、クスッと微笑む。
 
「ところでシオン、例の王宮で暴れた男の素性はわかったかしら?」
「はい! つかめました」
「そうですか、ではまた後で私の部屋に来てください。お話してほしいわ」
「わかりました」

 元気を取り戻したシオンは、踵を返して去っていった。
 その足取りは軽い。まるで子どものように駆けていく。
 スキップしちゃって、本当にわかりやすい男ね、と思うルージュは目を細めた。
 
「さて、こっちの大きな男は元気かしら?」

 そういったルージュは拳をつくると、コンコンコン、と重厚な扉を叩いた。

「お父様、ルージュです、開けてもよろしいでしょうか?」

 強まる雨音、ガタガタと窓をゆする風のなかで、
 
「入れ」

 と渋い声が響く。
 扉を開ければ、車椅子に座って本を読む男がいた。

“  アイゼン・アルティーク伯爵 ”

 黒い髭の生えたイケてるおじさん。歳は三十七歳、もしも五体満足なら王都セピアで一番の強さと、財と、かっこよさを誇っていただろう、とルージュは思っていた。
 と同時に、可哀想なアイゼン、とも。
 それは娘の気持ちというよりは、推しを大切にしたい。そんな気持ちのほうが強い。
 結局のところ、ルージュは転生者なのだ。
 前世、オーエル、のときの知識がルージュの頭と身体を支配している。よって、イケオジが大好きなのである。
 
「お父様っ、お体のほうはいかがですかぁ?」

 きゅぴるんっと現れたルージュは上目使いをする。
 アイゼンは頬を赤く染め、
 
「ん? 相変わらずだよ、足以外は元気いっぱいだ、ほれっ」

 といって読みかけの本を閉じると、ばさっと上半身を脱ぎだした。
 えっ? とルージュは狼狽えたが、イケオジのたくましい筋肉をガン見する。
 内心では、ぐへへ、エチエチやん、と思っていた。
 
「見てみろ、この上腕二頭筋を、ほれ」

 ムキっと両腕を曲げて力こぶをつくる父を見て、きゃっ、とルージュは頬を赤く染める。
 
「わぁ、お父様ぁ、また筋トレをしたのですか?」
「キントレ? ルージュ、また異世界の言葉を使ってからに、父さんにもわかる言葉で話しておくれよ」
「また、修行をしていたのですか?」

 おお、といったアイゼンは車椅子を蹴飛ばして、ムキムキの肉体を解放した。
 すると、突然、逆立ちを始める。
 下半身は細いが、上半身に筋肉が肥大化していた。
 アイゼンは、ひょいっと腕の力で飛び上がると胡座をかいて座った。
 
「ガハハハ、どうだ!」
「お父様……元気すぎっ!」
「がははは、父さんもまだまだ現役だよ。再婚しよかなって最近思うんだ」
「あの、お言葉ですが、お父様」
「ん? なんだルージュ」
「足の不自由な三十を超えた男など需要ありませんよぉ」

 うぉぉ、ルージュさえいればいい、といって泣きべそをかくアイゼン。
 よしよし、といってアイゼンの頭をなでるルージュは、そろそろ本題に入るべく、キリッと父親を睨みつけると、車椅子を引いて、無理矢理にアイゼンを座らせた。
 
「あのぉ、父さんの服を着させてくれないか、ルージュ……」
「ご自分で脱いだのですから、ご自分で着てくださいっ」

 はーい、なんていって服を着だすアイゼン。
 何だか可愛らしく思えて、ルージュは微笑んだ。
 
「ところで、お父様」
「なんだ?」
「例のロゼッタとノワール王子の婚礼ですが……」
「おう、王子と謁見できたか?」
「はい、ノワール様に会ってきました」
「どうだった? ロゼッタのことを気に入っていたか?」
「はい、何も問題はありません、このまま婚礼の儀を進めてもよろしいかと」

 うむうむ、とアイゼンは大仰に頷いた。
 
「えっと、こういうとき、異世界の言葉でなんと言うのだっけ? ヤキ、ユキ?」

 よき、とルージュは答えた。
 
「そうそう、よき、だルージュ! よきよき」
「……それにともない、私の婚約の話なのですが?」
「ん? ルージュは第二王子のラムスを婿にもらう予定だったな、なんだ不満か?」
「単刀直入に言えば、不満です」
「なぜ? アルティーク家にとっては、こんな素晴らしい縁談はないぞ。妹のロゼッタは第一王子のもとに嫁ぎ、姉のそなたには第二王子を婿にもらう」
「失礼ながらお父様、そうゆうのはもう古い考えだと思います」

 どういうことだ? とアイゼンは訊いた。
 
「王族、貴族という階級はいずれ廃止されます」
「はあ? なんだと?」
「革命が起きるのです。人類、みな平等の世界がきます。すべての人が教育され、すべての人が幸せになれるような、そんな世界がきます」

 そんなバカな、とアイゼンはぼやいた。
 
「ルージュよ、そなたは昔から飛んでもないことを申すが、父は呆れてものがいえんよ」
「……え?」
「それは綺麗事だ。革命といっても、今度は商人が国を牛耳るだけ」
「たしかに……では、どうしろと?」
「それを考えつくのが、ルージュ、そなたの役目であろう」
「……はあ」
「父さんは誇らしいぞ、ルージュは物心つく頃から大人のように話し、天才的な絵画を描く、いずれこの世界の謎をすべて解き明かしてしまうのではないか、とわしは思っておるのだぞ」
「買い被りすぎです、お父様……」
「そうか?」

 はい、とルージュは頷いた。
 
「私は、好きな人と暮らせればそれで幸せなのです」
「うむ、いい子だ」

 アイゼンは手を伸ばし、ルージュを抱き寄せた。
 父の温もりを感じたルージュは、目を閉じて考えた。
 
 私は何をやりたいのだろうか?
 
 私はこの世界で何ができる?
 
 ただ、絵を描いているだけ?
 
 本当にそれだけだろうか?

「私は……」

 とルージュが自問自答していた。
 アイゼンは微笑んで、さらに強くルージュを抱きしめた。
 
「すぐに答えはでなくていい、知らず知らずに道が開けることもある」

 はい、とルージュがいうと、アイゼンは娘の温もりから離れた。
 
「では、ロゼッタとそなたの婚礼の儀は予定通り進めよ」
「……わかりました」
「すまんな、ルージュ、アルティーク家を潰すわけにはいかんのだ。先祖代々受け継いでいた血を絶やすことがないように……わかるだろ? ルージュ」
「……はい。妹はお父様の子どもではない。そうですよね?」

 ああ、といってアイゼンは頷いた。
 
「ロゼッタはあくまでも捨て駒なのだ。ルージュがアルティークを継げるようにするための、な」
「私が?」
「うむ、妻エミリーはそなたを産んだ後、不妊症になった。よって、子が産めなかったのだ」
「やはり、そうでしたか……」
「ああ、それでここからが重要なのだが、この国はな、王族に娘を一人は嫁がせないといけない暗黙の了解があるのだ。それをしないと、まあ、簡単に言うと白い目で見られ仲間外れにされる」
「なるほど、そうすると一人っ子ではマズイですね」
「ああ、だがな、わしはどうしてもエミリー以外の女と子をつくる気にはなれなかった。男子のいないアルティーク家を嘆いて後妻を勧める者が大勢いたが、結局わしは亡き妻エミリーのことを思うと、な……どうしても無理なんだ……エミリー以外の女性を抱けない……」

 いや草、とルージュはささやいた。

「え? ルージュどうした?」
「お父様、お言葉ですが、そんな負傷した足で女性が抱けるのですか?」

 きょとんするアイゼンは、秒で頬を緩めた。
 
「ガハハハ、確かになっ! こんな車椅子のわしじゃあ、そもそも相手の女が嫌がるかもしれん」
「そうですよ、お父様ぁ、そんな身体でどうやって女性を喜ばせるのですか?」
「まったくだっ! ガハハハ、ルージュは本当に面白い」
「うふふ、ありがとうございます。それに、捨て子のロゼッタを養子にして王族に嫁がせる計画、とても賢明だと思います」
「だろ? たまたま領地に赤子を捨てた女がいてな、美しい女だったので、まあよしとした。子を宿せないエミリーも快く承諾してくれたし、なんの問題もなかった」
「うふふ、あとは魔性の妹を王族に嫁がせるだけですね」
「ガハハハ、何もかもお見通しだな、ルージュよ」
「はい」
「では、わしに代わって、アルティーク家のことをよろしくたのむ」

 はい、とルージュはいうと踵を返した。
 
「おやすみなさい、お父様」
「ああ、おやすみ、ルージュ」

 微笑んだアイゼンは、ふと床に落ちていた読みかけの本を見つめた。
 うーん、と腕を伸ばして拾おうとするが、なかなか掴むことができない。
 
「おーい、ルージュ~」

 と呼んだが、ルージュはすでに扉を開けて部屋から出ていったところだった。
 
「ぐっ、この足が憎い……」

 アイゼンは唇を噛むと、天井を仰いだ。
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