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プロローグ
しおりを挟むロックの歌声は、神だった。
激しいドラム、安定をもたらすベース。
それにロックのかき鳴らすギターが重なって、ごきげんなサウンドが響いている。
わーと歓声がわくライブハウスのなか、私は、ぽつんとひとりだけ立ち尽くしていた。
「かっこいい、かっこいい……」
と、まるで祈るように崇拝する言葉をつぶやきつづける。
私は、大人の男性に恋をしていた。
叶わぬ恋だと、頭ではわかっていたけど、心が、胸が、もうどうしようもないくらいに熱くなって、お腹の底がうずく。
ロックの歌声に、恋をしていた。
はじめて彼の動画配信を視聴したのは、中学三年生の冬だった。
そのころから私はずっと陰キャで、髪の毛が天パーなことを理由に虐められていた。だから私は、もうこの世から消えてしまいたい、私の存在意義なんてない。
自殺しよう。
そう考えていたけど、ロックの歌声を聴いた瞬間、生まれ変わった。
まだ生きていたい、彼の歌声をもっと聴きたい、そう静かに祈れるようになり、夜、月夜に照らされ眠りに落ち、朝、太陽の光りで目覚めることができた。
ロックが、私の推しになった。
それからというもの、ロックは私の日常になり、私はライブハウスに通うようになった。本来なら中学三年生の私がいくべきところじゃないことはわかっていたけど、もう走り出した足は止まらない。
なるべく大人っぽい格好をして、天パは帽子で隠した。
ロックの歌声が欲しすぎて、中毒症状になっていたのだけど、そんな自覚があるうちは、まだよかった。
ロックが、私を抱くまでは……。
そのきっかけは、SNSだった。
ロックの髪の色はくんすんだピンク色をしており、素敵だと思っていた。何の色なのか気になり、直接ロックに訊こうとした。だけどそれは、とうてい無理な話だった。
というのも、ライブが終わったあと、握手したり、いっしょに写真をとったりする時間があるのだけど、それはいわば戦争。女子力の高い女の子たちがロックを取り囲み、私のような女子力もコミュ力も低い陰キャは、いとも簡単に弾き飛ばされて転んだ。
すると、少なからずいる男性ファンが、「大丈夫?」なんていって優しく手を差し伸べてくれたけど、私は無視して、ライブハウスを去った。
なんだか悔しくなった私は、ロックの過去のSNSを見返していた。すると、美容院でスタイルリングしたあとらしい“映える画像”の投稿を発見した。そこには、『灰桜色のカラーリングしました』とあった。
まねしてみたい! 私はそう思った。
だけど、髪を染めることは校則違反。だからせめて、ネイルだけでも灰桜色に塗ってみた。
幸いなことに、私の実家は石鹸などの化粧品を作る工場を経営しており、そのなかにマニキュアも作っていたので、実験がてらに灰桜色を調合することにした。
なんとか、うまくネイルが塗れたので、ロックのSNSに私の手の画像つきで、『灰桜色に染めました』とメッセージを送ってみた。
返信なんて絶対にこない。
そう思っていたけど、『ありがとう』とそっけないメールが届いた。
それからロックと私は、ネット上だけのやりとりがはじまった。
というのも私は、リアルだとコミュ障だけど、ネット上ならふつうに話せた。いやむしろ、ネット上なら素早く動けるし、ロックに、『好きだよ』とか『可愛いく撮った写真』を送信することで、彼を楽しませることさえできた。すると、びっくりすることが起きた。
『会わないか?』
と、ロックはいうのだ。
『いや、でも……』
と、私は断った。
大人の男性と会うのはまずい。そう思い躊躇した。
だけどロックの年齢は、じつは私といっしょで、十五歳だということを教えてくれた。さらに、春から陰陽館高校にへ入学することがわかり、私はベッドのうえで飛びあがって喜んだ。
ああ、神よ……私も陰陽館高校へ入学する予定だったのだ。
ロックと私は、運命の糸で結ばれている! そう思った。
晴れて四月。桜の降る季節。
群青の制服を着た私に、奇跡が起きた。
ロックと同じクラスになったのだ。
恋をしている。それだけが私の道を照らす。
いうんだ! いうんだ! 告白するんだ!
私は勇気をだして自分の正体を明かした。
するとロックは、人影のない校舎の裏に私を呼びだした。
桜の花びらが舞う春の空気のなか、彼は顔をあげる。陰キャで、髪の毛ボサボサの天パー頭の私のことを、美しい瞳がとらえたその瞬間、ダメだ、という直感が頭のなかをめぐる。
終わった、私の恋は、もう終わり……。
そう覚悟しつつも、勇気を振り絞って、告白だけはしよう。後悔だけはしたくないから。
『好きです』
時がとまった、そんな感覚があった。
舞い散る桜。吹く風が心地よくて、私の身体をかろうじて支えてくれている。だけど、正直いってもう倒れそうで、逃げだしてしまおうか。考えている瞬間、いきなり時が動きだす。
ロックが、私を抱きしめてくれた。
それからのことは、よく覚えていない。
気づいたら、ロックは私の耳もとに顔を近づけ、『好きだよ』とささやく。なんだか頭が、ぽわっと白く染まった私はそのまま、ロックの腕のなかに、身も心も、ゆだねた。
ああ、桜が降る……すき。
女としての花が咲いた私は、入学したばかりの陰陽館高校で、なんてことしちゃってるんだ……と反省したが、ロックの言葉を聞いて、びっくり仰天した。
『陰陽館の創始者は父親だ。だから、俺に任せておけば大丈夫……』
そう説明するのだ。
それからというもの、ロックと私は、隠れるように身体を重ねた。
何度も、何度も、愛し合った。優しく、ときに激しく。
私の身体は、壊れてしまうんじゃないかってくらい叫んだが、終わったあとはいつも、爽快感と充足感に満たされていた。
ああ、ロック! ロック!
私はロックのもの、だからロックは私のもの。
そんな論理が、私の心に、ぐさりとナイフのように突き刺さっていた。
『好きだよ』
だけどそれは、不確かなことを歌っているにすぎなくて、どれだけロックの身体に触れても、抱きしめても、期待と不安しか生まれなかった。
私は、気づいてしまった。
ロックは、どんな女の子にたいしても“平等に愛”を与えていることを……。
そんなはずはない、そんなはずはない!
ロックは、私だけのものだ!
そうやって自分に言い聞かせていたけど、密かにロックを尾行したら、噂通りの真実が目の前に現れて、私の気は触れた。
もう隠しようもない殺意が、心から、ふつふつとあふれだす。
浮気、そんな甘い言葉ではない。ロックは、私のことを裏切ったのだ。私を抱きながらあんなにも、『好きだよ』といってくれたのに、その言葉はすべて、おぼろげな灰桜のように、散った……。
結局私は、憧れていた推しを、愛せば愛すほど、過ちを犯しているようにしか思えなくなってきて、心に穴が空き、暗い闇の底に落ちていく。落ちていく……。
『好きだよ』
という愛の言葉を、ロックがいとも簡単に歌い続けるほど、愛憎の念があふれる。
私だけを愛していないなら、ロックの歌声は、この世からいらない。
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