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第三章 ぬこたま探偵

4 4月5日 16:40 ──

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 青い空へとつながる屋上への階段。
 ここは天国への階段か、それとも地獄への階段か?
 陰陽館高校の建物は二階建て。全長は十メートル。
 生徒たちは階段よりもっぱら、大型シャトルエレベーターに運んでもらっていた。
 最大の定員・積載量となる三十人の大きな機械の箱。
 しかしながら、屋上への移動手段は階段しかない。
 つまり、屋上に行くには歩くしかないのだ。
 現在、ぬこくんとたまちゃんが歩いているように。
 
「へー、こうやって屋上にあがるのね」
「うん」
 
 たまちゃんとぬこくんが、話をしている。
 転校生の積極的なコミュニケーションに、ぬこくんは戸惑っていた。
 人間には二種類のタイプに分けられることを、陰陽館高校に来て知った。
 それは、陽キャと陰キャである。
 陽キャは、明るくて話しが上手い。
 陰キャは、暗くて話しが下手。
 二人に当てはめると、たまちゃんは完全に陽キャで、ぬこくんは完全に陰キャ。
 これから、うまくやっていけるのだろうか?

「……」

 ぬこたまは、二階の中央にある階段に差しかかった。そこが屋上への道であり、途中に踊り場があるステップ構造となっている。王子は、その踊り場で倒れていたのだが……。
 
──謎の転校生たまちゃん、あなたのその美しい瞳は、どのように推理する?

 お手並み、拝見といこう。
 
「先生?」

 たまちゃんの声に反応した男が顔をあげた。
 すでに現場で調査している人間がいたもよう。
 大村隆平。
 陰陽館高校ゆいいつ人間の教師。スーツを着た、大人の男性。
 彼は片膝をついたまま、近づくたまちゃんを見上げている。
 首を傾けるぬこくんは、口を開いた。

「りゅ先生、なにやってるんすか?」
「ん? いや、神楽校長にちょっと頼まれてね……」

 たまちゃんが、クスッと笑う。
 
「ふぅん、先生も探偵ごっこ?」
「そんな楽しいものじゃない。なぜ王子は転落したのか、その調査をしているんだ」
「へー」
「まったく、つまらないサービス残業だ」
「あのぉ……りゅ先生ってなんで先生になったの?」

 うーん、と口ごもるりゅ先生は、屋上への階段を見上げた。
 窓から射しこむ西陽の光りが、あまりにも眩しくて、瞼を狭める。

「俺は、もともと先生を辞めようとしていたんだ……」
「え?」
「いや、辞めさせられた……と言ったほうが正しいかもな、あはは」
「どういうこと?」
「前の学校で、パワハラにあったんだ。内緒だぞ……」

 へー、りゅ先生も大変だね、とたまちゃんは肩をすくめる。

──完全に他人事じゃん!

 たまちゃんの人格は、基本的にクールなのだろう。
 それにしても、りゅ先生という男、なかなか気に入った。
 なぜなら、不可抗力にも不幸を食らった人間というものは、どうしても卑屈になる。人生を呪い、何もかもが嫌になり、道の途中で立ち止まってしまう。未知なる旅は、不安だから……。
 しかし、りゅ先生はここにいる。
 陰陽館高校に迎えられたのは、偶然か必然か?

「で、何かわかったんですか?」

 ぬこくんの質問に、りゅ先生は首を振った。
 
「いや、特になにも……もう帰ろうと思っていたところだ」
「そうですか」
「おまえたちこそ、何をやってる?」
「えっと……」
「あ、わかった! 転校生のたまちゃんに学校を案内してたな?」
「……まあ、そんなところです」

 ぬこくんは下を向いた。なんて答えたらいいか、わからないのだろう。
 すると、たまちゃんが階段をあがっていく。
 スカートのなかが見えないように、ちゃんと手でお尻を抑えていた。自意識高い女子の習慣だろう。誰も見てないってば。
 
「おや? これはなんだろう?」

 たまちゃんは、階段の途中でしゃがんだ。
 ふいに、指先で床を触れて落ちていたものをひろった。
 
「とろ~としてる……これは?」

 粘ついた液体の入った小袋で、封が切られていた。つまんだ指先に、ぺたぺたーと糸が引いている。どうやら階段の床に、小袋のなかに入っていた粘液性のある液体がまかれていたもよう。たまちゃんは立ち上がり、ふんっと鼻で笑う。
 
「おそらく、王子はこの液体によって足を滑らしたようね」

 それ何? とぬこくんが訊いた。
 
「ぬめぬめしてて、とろとろしてる……」
「なんなの?」
「し、知らないっ! 知らないっ!」

 頬を赤く染めるたまちゃんは、ぶんぶんと首を振ると、ショルダーバッグから小物ポーチを取り出し、そこからピンセットをぬいた。指紋をつけないためだろう。
 それから、ビニールパックも取り出して、そのなかにピンセットでつまんだ小袋を入れて封をした。鑑識にでもまわすつもりか?
 
──この転校生、なかなかいい探偵だ。

 いぶかしむりゅ先生も、腕を伸ばして指先で階段の床に触れ、糸を引く指先を見つめた。
 
「これは~ローションだな……なんでこんなものが階段に?」
 
 ローション? とぬこくんが訊き返した。
 
「潤滑剤のことだ。滑りをよくする効果がある」
「じゃあ、犯人はそのローションをまいて王子を転落させたってこと?」

 ご名答、といってたまちゃんは階段を降りた。
 
「たしか、転落した王子の第一発見者はぬこくんよね?」
「うん、俺が屋上から出たら、王子がここで倒れていた」
「何か不審な点はなかった?」

 そうだな、といってぬこくんは視線を上に向けた。
 
「俺は縄で縛られていたんけど、カッターをくれた人がいたんだ」
「カッター? どんな?」

 これなんだけど、といってぬこくんは、ブレザーの内側からカッターを取り出した。たまちゃんは、例によってビニールパックを開けて、「入れて」とうながす。すみやかにカッターは密閉された。
 
「誰からもらったの?」
「さあ、わからない。突然、カッターが足もとに転がってきたんだ」
「そう……じゃあ、いつもらったの?」
「えっと、みんなが屋上から出ていって数分たってから」
「屋上から出ていった順番は?」
「まず出ていったのは、エリザベス、ゆりりん、バニー、委員長。それからロックとナイト」
「王子は?」
「最後に屋上から出ていった。王子はいつもタブレットを見ているからさ、いつもやることが遅いんだ」
「タブレット?」

 ああ、とりゅ先生が相槌を打った。
 階段の手すりに、気だるそうに長身を寄せている。
 
「王子のタブレットなら職員室で預かっている。委員長がここで拾ったらしい」
「ふぅん、王子は常にタブレットを見ているの?」
「だな、俺は四月からここに赴任して来たんだが、王子は常にタブレットに夢中だった」
「歩きながらでも?」
「ああ、歩きタブレットはやめなさいと注意したんだが無視された。もっとも、見ている画像がエロいから、それも注意したんだけど、まったくいうことを聞かない。王子は、あたおか、だよ」

 なるほど、とたまちゃんはいって階段を降りた。

 あたおか──それは、頭がおかしいの略称である。

 たまちゃんは、クスッと鼻で笑った。
 
「きっと犯人はローションをまいた人物。そして、王子がタブレットを常に見ており足元を疎かにしていることを知っている人物。つまり犯人は、王子のことをよく知る人物ねっ!」
「じゃあ、2Aのクラスの誰かってこと?」
「その可能性が高い。そして……」

 言葉を切るたまちゃんが、ビニールパックに入ったカッターをつまみあげた。

「そのカッターの持ち主が犯人の可能性がもっとも高い」
「誰だろう?」
「それを調査するのが、探偵よっ!」

 たまちゃんは、くるっと反転するとりゅ先生を見つめた。

「ねえ、りゅ先生」
「ん?」
「そこにある監視カメラの映像って見れますか? 犯人が映っているかも」

 右腕を伸ばすたまちゃんは、指先を天井にさしている。
 りゅ先生は、つられて顔をあげた。
 
「ああ、俺もそう思って神楽校長に頼んでみた。だが、セキュリティは教頭先生が管理しているらしいんだ」
「へー、陰陽館高校にはりゅ先生の他にも、人間、の先生がいたんですね」
「教頭先生は担任を持っていないから表に出てこない。主にやってるのはロボットの整備だな。本業はプログラマーだそうだ」
「なんともスマートスクールらしいわね……じゃあ、さっそく教頭先生のところにいきましょ!」

 スキップするたまちゃんを横目に、りゅ先生は後頭部をかいた。

「いや、教頭先生は家でテレワークしている」
「はあ? 学校にいないの?」
「ああ、だから神楽校長は、とりあえず俺に現場を見てこいっていったのさ。それにしても教頭先生は何をしているのか……ぜんぜん連絡が取れない状況だ。テレワの意味ないだろ?」
「あはは、それな! この学校って面白いね」
「まあな、この学校はすべてAIに管理された施設だからな、人間の仕事なんてほとんどない」
「たしかに、この学校に張り巡らされた監視カメラがあるなら、犯罪なんて起きそうにないわね」
「うん、この学校にいじめはないと校長は鼻を高くして断言した。でも……うーん」

 りゅ先生は口ごもった。何かあるのだろうか。
 
「どうしたの?」たまちゃんが訊く。
「俺がここに赴任した理由は、生徒が事故で怪我をしたからなんだ」
「それって、天宮凛のこと?」
「え? 玉木さん、よく知っているね……」

 まぁね、とたまちゃんは髪をかきあげ、
 
「たまちゃんと呼んでください」

 あはは、とりゅ先生は笑った。

「たまちゃんって面白いね」
「あざっす。ねえ、先生って本当になんでこの陰陽館にきたの?」
「内緒だぞ、ここだけの話、陰陽館は行政から目をつけられてるんだ。AI教師だけじゃなく人間の教師も在籍させろって通達がおりている。つまり、俺はとりあえず置いておくだけの“将棋の歩”ってわけさ」

 先生って将棋やるの? とぬこくんは訊いた。
 ああ、今度対戦しよう、とりゅ先生は答え、ニヤリと笑った。男ってなんですぐ対戦しようとするのだろう。狩猟採集社会の名残りのような、動物の本能を感じた。
 やれやれ、とたまちゃんは肩をすくめた。
 
「歩は敵陣に入ると金になるんだけど……りゅ先生も金になるの?」
「何がいいたい? たまちゃん?」
「教頭先生と連絡が取れたら教えてください」
「いや、なんで生徒に教えなきゃ……」
「いいから、教えてよ、ねえ……金になるんでしょ?」

 たまちゃんはりゅ先生に一歩近づいた。
 ドキリとする大人の男性は、教師という立場を忘れそうになっている。
 すると、ぬこくんが、あっ! と思い出したように口を開いた。
 
「天宮さんなら、俺が受け止めたよ」

「「うけとめたぁー?」」

 たまちゃんとりゅ先生は、同時に声を発してハモった。
 きょとん、とするぬこくんは話をつづけた。

「うん、天宮さんが屋上から落ちそうになっていたからさ、急いで下にいって受け止めた」
「いや草、そんな簡単にいうけど……ぬこくん、屋上は十メートルあるんだよ」
「そうだよねぇ、なんかそのときは俺も無我夢中でさ。天宮さんを助けなきゃって思って走って……で、気づいたら天宮さんの下敷きになっていた……でも、どうやら天宮さんは頭を打ったらしくて病院に運ばれた……それきり、天宮さんとは会えてない」

 彼女は退学したぞ、とりゅ先生は重い言葉を放った。
 え、うそっ? 驚いたぬこくんの目から涙がこぼれ落ちた。
 
「まじか……まじか……天宮さん、かわいそうに……」

 ぽろぽろ、と雫が白い床を濡らしている。
 
「ううう、天宮さんはやっぱり大怪我したんだ……俺はなんともないのに、申し訳ない……うう」

 ぬこくん、とたまちゃんは泣いている男子の名前を呼んだ。
 なでなでと、震える彼の背中をさするたまちゃんの姿は神々しい。まるで女神のよう。
 人間は、他人のことで涙を流せる生命体なのだ。
 非常に珍しい。地球上で唯一無二の存在。
 突如おきた脳の突然変異により、同種同士で言葉を話し、思いやりを持てるようになった。
 つまり、この地球に愛が生まれた瞬間と同時に、争いが生まれたともいえるが……。

──わたしは、ぬこくんのことが好きだ。
 
 引きづつき観察していこう。
 死神タナトスの犯罪計画も、なんとかして防ぎたい。
 
──おや?
 
 たまちゃんが虚空を見つめている。鋭い目線で、首を左右に振って何かを探している。まさか……わたしの存在に気づいたのか?

「どうしたの、たまちゃん?」

 ぬこくんの質問に、たまちゃんは首を振った。
 
「ううん、何か虫が飛んでいるような気がして……」
「虫?」
「ええ、微量ながら羽の音が聞こえたような、そんな気がして……まるで、蝶が飛んでいるような……」
 
 ふん、とりゅ先生が鼻で笑った。目で追っているのは、ウィンと動く機械。
 
「虫なんかいたら掃除ロボットが片付けているだろう、ほらっ」

 グイッと顎で示したその先には、廊下を移動する大型の掃除ロボットがいた。
 傍らには小型の床磨きロボットもそろって歩く。
 二つの機械が遠ざかるその姿は、夕日に照らされた親子のような、そんな錯覚があった。
 しかしながら、この探偵さん。
 わたしの存在をかすかに察知するとは……。

──敵にまわしたら、非常に厄介な存在だな。
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