陽キャを滅する 〜ロックの歌声編〜

花野りら

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第三章 ぬこたま探偵

2 4月5日 12:50 ──

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「温水くん、ちょっといいか?」

 ぬこくんは、りゅ先生に声をかけられていた。
 午前の授業がおわったばかりの教室は、わいわいと騒がしい。
 りゅ先生はぬこくんに近づくと、「スマホ」と大きな声でいった。
 
「君ってちゃんと同期してる? 学校のタブレットに」
「してますけど、何か?」
「いや、スクールカウンセラーからのメールに既読がつかないと連絡があったんだが」
「あ、やべっ! メールみてないっす」

 ダメじゃないか、といってりゅ先生は大人っぽく注意する。貴重な存在だ。今どき、子どもにちゃんと怒ってくれる大人は珍しい。
 ぬこくんは、ぺこりと頭をさげるとスマホを取り出して起動させた。メールボックスを開くと、このようなメッセージが受信されていた。
 
『カウンセリングのお知らせ』

 という件名で、『お昼休みに相談室へくるように』とあった。
 
「じゃあ、行ってこいよ」

 りゅ先生はぬこくんの肩を、ぽんと叩くと教室を出ていった。
 スクールカウンセラーとは、教育機関において心理相談業務をする者をいう。
 陰陽館高校の場合、当初はAIが生徒たちの心のケアもしていく予定だった。
 だが行政から通達がおりた。
 スクールカウンセラーは、人間の臨床心理士や精神科医を従事させること、と。
 そこで、神楽校長は月乃城病院にかけあって精神科医を紹介してもらった。とても綺麗な女性だった。
 
“白峯梨沙 愛称──リサ“
 
 スカートスタイルのスーツに白衣を羽織っている女性。
 二十六歳。独身。彼氏の存在は不明。
 月乃城病院の臨床研修医として勤務していたのだが、専門として精神科を選び、今年度から精神科医になった。そして医者のなかで一番若くて美人。ということもあり、スクールカウンセラーとして兼務することが決まったのである。
 ゆるく巻かれた黒髪のヘアスタイル。
 いつも笑顔をたやさない精神科医。
 その見た目は、綺麗なお姉さん。
 身長168センチ、華奢なのに巨乳という美ボディ。
 引き締まったその肢体は、筋トレとヨガのおかげ。
 おへそのでたトレーニングウエアを着たリサを、ジムの防犯カメラがとらえており、オンとオフをうまく使い分けることができる素敵な大人の女性であると、推測できた。
 わたしはネットワークを利用して、あらゆる監視・防犯カメラの映像をのぞくことができる。例えば、こんなふうに陰陽館の相談室も視聴可能であった。
 
「うん、ラベンダーにしよう」

 リサは、手もとのアロマオイルを傾けた。
 ぽちょんと一滴、水のはいった容器に波紋が立つ。
 
「うふふ」

 さんさんと日の当たる部屋に、もくもくとディフューザーが焚かれていた。その部屋は、まるでオシャレカフェのような内装で、ナチュラルで居心地のいい空間が広がっている。窓辺に置かれたパキラ、モンステラ、ポトスなどの緑が、日の光をいっぱいに浴びて元気そうに笑っている。
 陰陽館高校の一階、保健室のとなりにある相談室。
 リサは、椅子に座るとスレンダーな足をくむ。
 相談する生徒を待っているもよう。
 しばらくすると、ウインと静かな音を立てて自動扉が開く。
 ぬこくんが部屋に入ってきた。
 彼はリサを見るなり、ぺこりと頭をさげた。
 
「すいません、メールを見ていませんでした」

 大丈夫です、といったスクールカウンセラーは、にっこりと笑った。
 
「さあ、さっそくカウンセリングをはじめましょう。ここに座って」
「はい」
「うふふ、いい返事ね。温水幸太くん」

 あはは、と微笑を浮かべたぬこくんは、モダンデザインの椅子をひいて座った。
 おや? 顔が赤くなっている。
 ぬこくんも、やはり男の子。
 美しい女性から朗らかな表情をもらい、緊張しているもよう。
 うふふ、と笑うリサは指先をあごに当てた。
 
「カウンセリングはすぐ終わるから安心して、まだお昼食べていないでしょ?」
「はい」
「では、まずは深呼吸をして心を落ちつかせましょう。さあ、目を閉じて……」
「──はい」
「息を吸って……」

 スゥーとぬこくんは、深々と息を吸った。
 はいて、とリサがささやく。
 フゥーとぬこくんは、息を吐き出す。
 
「繰り返して……そうよ、いい? 今日、一日のなかで一番深~い呼吸をして……」

 目を閉じて、呼吸に意識を向けるぬこくん。
 リサは彼を見つめ、にこりと笑った。
 
「さあ、ゆっくり目を開けて」
「……」
「名前を教えてくれる」
「温水幸太です」
「クラスメイトからは、ぬこくんと呼ばれているわね。どう思う?」
「いいと思います。温水のぬ、幸太のこ」
「幸太という名前は両親がつけたの?」
「はい、母親がつけたらしいです。人に幸せを与えるように、と」
「いい名前ね。お母さんは君のことをよくわかっている」
「……あはは」
「じつは、君の資料を見ました。特待生なのね。優秀だわ」
「いやいや、サッカーができるので、そのおかげです」
「素晴らしい。サッカーは紳士のスポーツと聞きます。これで立派に高卒の資格が取れるわね……天国にいるお父様も喜んでいることでしょう」
「……はい」

 ぬこくんは、下を向いて微笑んだ。
 リサは目を細め、両手の指を組んで祈りを捧げた。
 
「交通事故だったとか……」
「はい、俺が中学一年のときに」
「つらかったでしょう。お母様も通院歴が長いですね」
「はい、母は働きすぎて身体をこわしてしまいました」
「お母さんは、君のためにがんばっていたのでしょう。でも、がんばりすぎてしまったのね」
「……はい、なのでこれからは俺が家族をやしなっていきたいです」
「素晴らしい」
「双子の妹がいるんです。まだ小学六年生で小さくて……俺が守ってやらないと」

 ぬこくんは微笑みを浮かべた。
 家族が好きなのね、といったリサは髪をかきあげ右耳にかける。
 
「最後の質問です」
「はい」
「この学校に、虐めはありますか?」
「ないです」
「そう? 君が女子生徒から虐められているという声がありました」
「え? 誰がそんなことを?」
「それは言えません。守秘義務なので」
「……でも、俺は虐められてません」
「わかりました。では、これでカウンセリングは終了です、ありがとうございました」

 ありがとうございました、と返事をしたぬこくんは、ゆっくりと席を立つ。
 踵を返すその横顔は、どこなく悲しみが滲んでいた。
 彼が部屋を出たあと、ウィンと扉が閉まる。
 リサは目を落とし、タブレットを指先で操作をはじめた。
 
【 精神異常 】

 温水幸太のプロファイルデータには、そのように入力された。
 ため息をつくリサの視線は、窓の外できらめく池に向けられる。
 水面に揺れる水蓮に、ひらひらと蝶が舞う。

「ダメね」

 美しい精神科医の口が滑る。
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