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第一部 春
67 花屋さん ③
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どんどん、どんどん、扉を叩く音が響く。
「マリエンヌぅぅ、晩飯だぞ~」
父の声だ。「はーい、いまいく」
そんな返事をして、すぐにいく娘は、この世にいるのだろうか? わたしはフェイのだした玉を、ずっと見ていた。っていうか、ガン見。ベッドで寝そべって膝を、バタバタと動かしてしまう、だって気分がいいんだもん。
「はぁぁん……わたしにボールを当てた人ってこんなに美少年だったんだねぇ」
みたいだね、とフェイがうなずく。「少し、ソレイユにも似ているよね、金髪にしたらそっくりじゃん」
「そうなのよぉぉ……ああん、この人ずっとわたしのこと見つめているわね」
「そりゃあ、そうだよ」
「ハア?」わたしはフェイをにらんだ。乙女心に釘を打たないでよねっ。
だってさ、と論じようとするフェイは、そっと玉に触れて少年の顔を拡大させた。
「もしも真理絵が死んでしまったら、この少年は殺人者だもん、気が気じゃないよ」
はっとした。心臓が飛び跳ねちゃって、バックン、バックン!
「げ……わたしが前世に帰んないとこの少年は、お縄に……」
わたしは手錠をかけられた仕草をした。
そうだね……とつぶやいたフェイは玉に触れた。玉は、すっと光りとともに消えた。
わたしが、あっと声が漏れた。もっと見たかったので、思わず叫んだ。
「ちょっと、なんでいきなり消すのぉぉ! もっかい玉だしなさい」
「いや、もうダメ」
「はあ? 玉だしてよぉぉぉ」
「ダメだってば、あんまり見せると、お兄様に怒られちゃう」
「大丈夫だってば、わたしは先生の弱みを握ってるんだからさ、いいから玉だして」
「ええええ」
「玉だしなさいっ!」
どんどん、どんどん、また扉が叩かれる音が響く。
「おーい! マリエンヌ! まだか?」
父の声だ。
「はーい」
チッ、とフェイに向かって舌打ちしたわたしは扉に向かって歩きだした。もちろん、フェイは部屋に置き去りだ。両親が妖精なんて見たら、ぶったまげるだろう。わたしが扉を開けて部屋をでると、目のまえに父がいた。
マリエンヌ……と訊いてきた。「なに?」
「たまって叫んでたけど、たまってなんだ?」
「ああ、学校の宿題で、この惑星の形を描きましょうって言うのがあるので、それで、たまかなあ……って思って、つい言葉にでちゃったみたい」
「そっか、あっはは、びっくりした」
「やっだぁ、お父さん」わたしは父の肩を叩いた。バシンッ!
「ふんっ、じゃあ、晩飯にしよう」
うん、とうなずいたわたしは父の横を歩いた。
紅い絨毯が敷かれた廊下を歩く。長い、めちゃくちゃ長い廊下だ。
それにしても、貴族の豪邸ってやっぱりすごい。絨毯はふかふかな芝生のように踏みこんだ足が吸収されるし、壁にはバロック絵画が等間隔に飾られ整然とした風格。たまに見かけるメイドさんは、ぺこり、とわたしに会釈する徹底した主従関係。
フローレンス家はフルール王国きっての名家だった。
それもそうね、このフルール王国の花という花は、すべてフローレンス家が育てた植物だから。
花の命は短い。
この乙女ゲーの世界は、まだ科学が発展する前の中世ヨーロッパが舞台。新鮮な花を外国から輸入することは難しい時代。よって、花の市場は国産に頼るしかなく、フローレンス家が市場を独占している。フルール王国の金持ちランキングでいえば、メリッサの家が一位で、わたしの家は二位って感じね。
「いただきます」
ディナーは久しぶりにフルコースだった。
メイドさんがわたしのテーブルのまえに料理を持ってきてくれる。
わたしは行儀良く、ちょこんと座っているだけでいい。
純白の円卓、目をあげればダイヤモンドのように輝くシャンデリアの光りに包まれ、キラリ、反射するナイフとフォークが、手もとの端からずらりと並べられている。おお、なんて素敵なフランス料理がはじまる。
食前の果実酒、前菜のサラダにかぼちゃのスープ、主食のパンはもちろん大好きなクロワッサン。メインディッシュは白身魚のソテー、泡のクリームソースをそえて。
パクリ、ううん、美味しいぃぃぃ。
わたしは、さっと手を挙げてからパンを指さす。同じものをください、という世界共通のサインをメイドさんに送る。
こくり、とメイドさんは顔を伏せて暗黙の了解。いそいそとパンを持ってきてくれる。もちろん焼きたて、こんがりもちもちのクロワッサンがやってきた。
パクっ、もぐもぐ……ふぁ、うま~い
「たまには、家の飯もいいだろ?」父がワイングラスを片手に言った。豊潤な香りを放つ白い液体をくゆらせる。
ええ、とパンをもぐもぐ頬張りながら、わたしは同意する。それから、両親との会話はもっぱら学園の花壇のことだった。
「ひまわりを植えたわ。これから夏になるから雑草との戦いね、庭師の人に草刈りしてもらわないと……」
そんな内容をわたしは話した。父は酒に酔ったのか陽気に笑っている。母は、懐かしいわね、とつぶやいた。ん? 急にどうした母よ。お酒も飲んでいないのに、顔が赤いのは気のせいかな。
「お父さんは花壇で私にプロポーズしたのよ」
ええ?
わたしはデザートのアイスをちょうど食べたばかりで、スプーンを口に入れながら驚いた。そんな話は初耳だった。ちょっと話を訊いてみることにする。「なにそれ、お母さん話してよ」
母は語る。
どうやら、父に呼びだされた学生服を着た若かりし母は、健気にベンチに座っていた。すると、突然あらわれた父が横に座ると、ふいに抱き寄せられ……。
あっ♡
これまた突然、キスされたそうだ。そして、好きだと告られたみたい。
え?
これって、わたしとソレイユとのシュチュエーションにそっくり? 頭のなかで、ソレイユとのキスシーンが蘇る。肉薄する綺麗なソレイユの唇、甘く溶けていくキス。まるで、いま口のなかにあるバニラアイスのように。
トゥンク、鼓動が脈打つ。まただ……。
キスシーンを思いだすと、なぜかわからないけど、心臓の鼓動が加速する。
これはいったいなに?
「お父さんったらいきなりキスしてくるから、好きになっちゃった。それまで全然意識してなかったのにね」
「ああ、伝説の花壇でイチャイチャすると、不思議な魔法の力で恋に落ちてしまうからね」
「ズルいわよね~お父さん」
「あっはは、すまん、すまん」
父は後頭部を、ポリポリとかいている。
はあ? キスしてから好きになった……ですって?
順番が逆!
好きだからキスしないと、論理的ではない!
衝撃をうけたわたしは、頭のなかでロジックを組む。
好き→キス、ならわかる。ピンポン。
でも。
キス→好き、はあ? なんでそうなる? ブー。
おかしい、そんなの非論理的でおかしい……キスしたから好きになるなんて、そんな現象が起きてしまったら……わたしは……。
わたしはソレイユのことを好きになるってことぉぉぉ?
ガシャッ!
しまった。スプーンを皿の上に落としてしまった。わたしは動揺を隠しきれない。
「マリエンヌ?」父が眉をひそめた。
「冷たかった? アイス」母が尋ねる。
いえ、ごちそうさま、と言ったわたしは、口もとをナプキンでぬぐって立ち上がった。すたすた歩き、扉へといそぐ。背後から、どうしたのかしら? と母の心配性な声が聞こえてきた。
なんでもないわ、と返したわたしは、指先で目をこすりながら言った。なんだか、眠いわ……おやすみなさい」
おやすみマリエンヌ、とハモった父と母が微笑む。
わたしは扉を開け、部屋に戻る。ふう、一息つきながら廊下を歩く。長くて紅い芝生の上を。食べたばかりの運動にはちょうどいい。わたしは小走りに、足音を加速させた。部屋のまえにたどり着き、扉を開ける。
ガチャリ、扉の鍵を閉め、プライベート空間を確保。やれやれ、一人がこんなに落ち着くなんて、この乙女ゲーの世界は、なんとも心臓に悪い。
ドキドキがとまんない。
考えたくもないのに、ソレイユの唇の感触が、どんなふうだったのか思い出そうとしてしまう。強制的に脳内で蘇るキスシーン。モードは連続再生で繰り返し。きゃあああああ、もうやめて!
「考えるな! 考えるな! 考えるなぁぁぁぁ!」
胸が、痛い。やだ、おっぱいが、張っている。なにこれ? ハッと驚愕した。お腹の底が熱い。ええええ、まさか……これってまさか……わたし、発情してる? いやぁぁん!
「んもう、やだっ」
わたしは、ぽふん、とベッドに横たわった。真綿のようなシーツのなかに潜る。出たくない、このまま寝たい。すると、ブーン、と鳴る羽の音。妖精フェイが飛んでいた。わたしは腕を伸ばして手を広げる。
むぎゅ!
ぐえっ、とフェイがうめいた。わたしはフェイを捕まえるとベッドのなかに入れた。
「ねえ、玉だして」
「は? また?
「いいから、だして」
しょうがないな……フェイが口をへの字に曲げながら、しぶしぶ玉をだす。ベッドのなかは、たちまち幻想的なブルーライトに輝く魔法の世界に包まれた。
「いまの真理絵を見せて」
「あいー」
フェイが玉に触れると、ぱっと白色に明るくなり、ぽわん、と保健室で寝ている真理絵、それと傍で座る少年の姿が映しだされた。
やっぱり……だ。
この少年はソレイユにそっくり。それと、少年はぴくりとも動いていないのは、なぜ? まるで人形みたい。
「ねえ、フェイ、なんでこの少年は動かないの? 寝ているわたしが動かないのはわかるけど」
「それは向こうがこっちの仮想空間とは別次元だからさ」
「どういうこと?」
「時間速が違うのさ」
「えっと……つまり」わたしは顔をあげて壁時計を見つめた。「こっちの時計が一秒たっても、あっちはほとんど動いていないってこと?」
フェイは人差し指を立てて説明した。
「ご名答。こっちが一秒進むと向こうは0・00000000000000001秒くらい進むかな」
「そう……」
ん? 元気ないね真理絵? フェイの問いかけに反対に寝返ってから答えた。「キスすると好きになるらしい……」
フェイはさらに質問してくる。
「ソレイユとのキスは予想以上に心を打ったようだね」
「……もう、やだ」
「真理絵、大丈夫? ちゃんと悪役令嬢になって嫌われないと世界が崩壊して帰れなくなるよ」
そうなんだよね~、わたしは嘆きながらシーツを引き寄せて丸くなる。
「わぁぁぁ」シーツに巻きこまれるフェイはわめいた。
「とりあえず、寝るわ……無駄に考えても仕方ない」
わたしは目を閉じて寝ようとした、すると、フェイが一言つぶやく。
「歯磨きしたほうがいいよ、真理絵」
はいはい、本当にこの乙女ゲームは細かいんだからっ、まったく……と思いながら、わたしはベットから飛び起きた。廊下にでて御手洗いに向かう。
シュコシュコ、と歯磨きをしていると、唇に歯ブラシが当たった。はうんっと身体が反応してしまう。やだ……なんでこんなに敏感なの?
変だ。身体が変だ……。
ガラガラ、ぺっと口のなかをゆすぐ。部屋に戻り、照明を消灯。もう一度ベッドインして眠りつこうとする。だけど……。
「ああん、興奮して寝られない」
わたしは、うーん、と寝返りを打ってから唇に触れた。指先で、そっと。
「また、キスしたいかも……」本音が漏れる。
もしかしたら、キスしてから好きになるという論理は成り立つのかもしれない。はぁ、思わずため息さえ漏れる。わたし……どうなっちゃうのかしら? 不安……。
ブーン、ブーン……。
羽ばたく音が虚空に響いていた。憂慮とともに、夜はふけていく。
「マリエンヌぅぅ、晩飯だぞ~」
父の声だ。「はーい、いまいく」
そんな返事をして、すぐにいく娘は、この世にいるのだろうか? わたしはフェイのだした玉を、ずっと見ていた。っていうか、ガン見。ベッドで寝そべって膝を、バタバタと動かしてしまう、だって気分がいいんだもん。
「はぁぁん……わたしにボールを当てた人ってこんなに美少年だったんだねぇ」
みたいだね、とフェイがうなずく。「少し、ソレイユにも似ているよね、金髪にしたらそっくりじゃん」
「そうなのよぉぉ……ああん、この人ずっとわたしのこと見つめているわね」
「そりゃあ、そうだよ」
「ハア?」わたしはフェイをにらんだ。乙女心に釘を打たないでよねっ。
だってさ、と論じようとするフェイは、そっと玉に触れて少年の顔を拡大させた。
「もしも真理絵が死んでしまったら、この少年は殺人者だもん、気が気じゃないよ」
はっとした。心臓が飛び跳ねちゃって、バックン、バックン!
「げ……わたしが前世に帰んないとこの少年は、お縄に……」
わたしは手錠をかけられた仕草をした。
そうだね……とつぶやいたフェイは玉に触れた。玉は、すっと光りとともに消えた。
わたしが、あっと声が漏れた。もっと見たかったので、思わず叫んだ。
「ちょっと、なんでいきなり消すのぉぉ! もっかい玉だしなさい」
「いや、もうダメ」
「はあ? 玉だしてよぉぉぉ」
「ダメだってば、あんまり見せると、お兄様に怒られちゃう」
「大丈夫だってば、わたしは先生の弱みを握ってるんだからさ、いいから玉だして」
「ええええ」
「玉だしなさいっ!」
どんどん、どんどん、また扉が叩かれる音が響く。
「おーい! マリエンヌ! まだか?」
父の声だ。
「はーい」
チッ、とフェイに向かって舌打ちしたわたしは扉に向かって歩きだした。もちろん、フェイは部屋に置き去りだ。両親が妖精なんて見たら、ぶったまげるだろう。わたしが扉を開けて部屋をでると、目のまえに父がいた。
マリエンヌ……と訊いてきた。「なに?」
「たまって叫んでたけど、たまってなんだ?」
「ああ、学校の宿題で、この惑星の形を描きましょうって言うのがあるので、それで、たまかなあ……って思って、つい言葉にでちゃったみたい」
「そっか、あっはは、びっくりした」
「やっだぁ、お父さん」わたしは父の肩を叩いた。バシンッ!
「ふんっ、じゃあ、晩飯にしよう」
うん、とうなずいたわたしは父の横を歩いた。
紅い絨毯が敷かれた廊下を歩く。長い、めちゃくちゃ長い廊下だ。
それにしても、貴族の豪邸ってやっぱりすごい。絨毯はふかふかな芝生のように踏みこんだ足が吸収されるし、壁にはバロック絵画が等間隔に飾られ整然とした風格。たまに見かけるメイドさんは、ぺこり、とわたしに会釈する徹底した主従関係。
フローレンス家はフルール王国きっての名家だった。
それもそうね、このフルール王国の花という花は、すべてフローレンス家が育てた植物だから。
花の命は短い。
この乙女ゲーの世界は、まだ科学が発展する前の中世ヨーロッパが舞台。新鮮な花を外国から輸入することは難しい時代。よって、花の市場は国産に頼るしかなく、フローレンス家が市場を独占している。フルール王国の金持ちランキングでいえば、メリッサの家が一位で、わたしの家は二位って感じね。
「いただきます」
ディナーは久しぶりにフルコースだった。
メイドさんがわたしのテーブルのまえに料理を持ってきてくれる。
わたしは行儀良く、ちょこんと座っているだけでいい。
純白の円卓、目をあげればダイヤモンドのように輝くシャンデリアの光りに包まれ、キラリ、反射するナイフとフォークが、手もとの端からずらりと並べられている。おお、なんて素敵なフランス料理がはじまる。
食前の果実酒、前菜のサラダにかぼちゃのスープ、主食のパンはもちろん大好きなクロワッサン。メインディッシュは白身魚のソテー、泡のクリームソースをそえて。
パクリ、ううん、美味しいぃぃぃ。
わたしは、さっと手を挙げてからパンを指さす。同じものをください、という世界共通のサインをメイドさんに送る。
こくり、とメイドさんは顔を伏せて暗黙の了解。いそいそとパンを持ってきてくれる。もちろん焼きたて、こんがりもちもちのクロワッサンがやってきた。
パクっ、もぐもぐ……ふぁ、うま~い
「たまには、家の飯もいいだろ?」父がワイングラスを片手に言った。豊潤な香りを放つ白い液体をくゆらせる。
ええ、とパンをもぐもぐ頬張りながら、わたしは同意する。それから、両親との会話はもっぱら学園の花壇のことだった。
「ひまわりを植えたわ。これから夏になるから雑草との戦いね、庭師の人に草刈りしてもらわないと……」
そんな内容をわたしは話した。父は酒に酔ったのか陽気に笑っている。母は、懐かしいわね、とつぶやいた。ん? 急にどうした母よ。お酒も飲んでいないのに、顔が赤いのは気のせいかな。
「お父さんは花壇で私にプロポーズしたのよ」
ええ?
わたしはデザートのアイスをちょうど食べたばかりで、スプーンを口に入れながら驚いた。そんな話は初耳だった。ちょっと話を訊いてみることにする。「なにそれ、お母さん話してよ」
母は語る。
どうやら、父に呼びだされた学生服を着た若かりし母は、健気にベンチに座っていた。すると、突然あらわれた父が横に座ると、ふいに抱き寄せられ……。
あっ♡
これまた突然、キスされたそうだ。そして、好きだと告られたみたい。
え?
これって、わたしとソレイユとのシュチュエーションにそっくり? 頭のなかで、ソレイユとのキスシーンが蘇る。肉薄する綺麗なソレイユの唇、甘く溶けていくキス。まるで、いま口のなかにあるバニラアイスのように。
トゥンク、鼓動が脈打つ。まただ……。
キスシーンを思いだすと、なぜかわからないけど、心臓の鼓動が加速する。
これはいったいなに?
「お父さんったらいきなりキスしてくるから、好きになっちゃった。それまで全然意識してなかったのにね」
「ああ、伝説の花壇でイチャイチャすると、不思議な魔法の力で恋に落ちてしまうからね」
「ズルいわよね~お父さん」
「あっはは、すまん、すまん」
父は後頭部を、ポリポリとかいている。
はあ? キスしてから好きになった……ですって?
順番が逆!
好きだからキスしないと、論理的ではない!
衝撃をうけたわたしは、頭のなかでロジックを組む。
好き→キス、ならわかる。ピンポン。
でも。
キス→好き、はあ? なんでそうなる? ブー。
おかしい、そんなの非論理的でおかしい……キスしたから好きになるなんて、そんな現象が起きてしまったら……わたしは……。
わたしはソレイユのことを好きになるってことぉぉぉ?
ガシャッ!
しまった。スプーンを皿の上に落としてしまった。わたしは動揺を隠しきれない。
「マリエンヌ?」父が眉をひそめた。
「冷たかった? アイス」母が尋ねる。
いえ、ごちそうさま、と言ったわたしは、口もとをナプキンでぬぐって立ち上がった。すたすた歩き、扉へといそぐ。背後から、どうしたのかしら? と母の心配性な声が聞こえてきた。
なんでもないわ、と返したわたしは、指先で目をこすりながら言った。なんだか、眠いわ……おやすみなさい」
おやすみマリエンヌ、とハモった父と母が微笑む。
わたしは扉を開け、部屋に戻る。ふう、一息つきながら廊下を歩く。長くて紅い芝生の上を。食べたばかりの運動にはちょうどいい。わたしは小走りに、足音を加速させた。部屋のまえにたどり着き、扉を開ける。
ガチャリ、扉の鍵を閉め、プライベート空間を確保。やれやれ、一人がこんなに落ち着くなんて、この乙女ゲーの世界は、なんとも心臓に悪い。
ドキドキがとまんない。
考えたくもないのに、ソレイユの唇の感触が、どんなふうだったのか思い出そうとしてしまう。強制的に脳内で蘇るキスシーン。モードは連続再生で繰り返し。きゃあああああ、もうやめて!
「考えるな! 考えるな! 考えるなぁぁぁぁ!」
胸が、痛い。やだ、おっぱいが、張っている。なにこれ? ハッと驚愕した。お腹の底が熱い。ええええ、まさか……これってまさか……わたし、発情してる? いやぁぁん!
「んもう、やだっ」
わたしは、ぽふん、とベッドに横たわった。真綿のようなシーツのなかに潜る。出たくない、このまま寝たい。すると、ブーン、と鳴る羽の音。妖精フェイが飛んでいた。わたしは腕を伸ばして手を広げる。
むぎゅ!
ぐえっ、とフェイがうめいた。わたしはフェイを捕まえるとベッドのなかに入れた。
「ねえ、玉だして」
「は? また?
「いいから、だして」
しょうがないな……フェイが口をへの字に曲げながら、しぶしぶ玉をだす。ベッドのなかは、たちまち幻想的なブルーライトに輝く魔法の世界に包まれた。
「いまの真理絵を見せて」
「あいー」
フェイが玉に触れると、ぱっと白色に明るくなり、ぽわん、と保健室で寝ている真理絵、それと傍で座る少年の姿が映しだされた。
やっぱり……だ。
この少年はソレイユにそっくり。それと、少年はぴくりとも動いていないのは、なぜ? まるで人形みたい。
「ねえ、フェイ、なんでこの少年は動かないの? 寝ているわたしが動かないのはわかるけど」
「それは向こうがこっちの仮想空間とは別次元だからさ」
「どういうこと?」
「時間速が違うのさ」
「えっと……つまり」わたしは顔をあげて壁時計を見つめた。「こっちの時計が一秒たっても、あっちはほとんど動いていないってこと?」
フェイは人差し指を立てて説明した。
「ご名答。こっちが一秒進むと向こうは0・00000000000000001秒くらい進むかな」
「そう……」
ん? 元気ないね真理絵? フェイの問いかけに反対に寝返ってから答えた。「キスすると好きになるらしい……」
フェイはさらに質問してくる。
「ソレイユとのキスは予想以上に心を打ったようだね」
「……もう、やだ」
「真理絵、大丈夫? ちゃんと悪役令嬢になって嫌われないと世界が崩壊して帰れなくなるよ」
そうなんだよね~、わたしは嘆きながらシーツを引き寄せて丸くなる。
「わぁぁぁ」シーツに巻きこまれるフェイはわめいた。
「とりあえず、寝るわ……無駄に考えても仕方ない」
わたしは目を閉じて寝ようとした、すると、フェイが一言つぶやく。
「歯磨きしたほうがいいよ、真理絵」
はいはい、本当にこの乙女ゲームは細かいんだからっ、まったく……と思いながら、わたしはベットから飛び起きた。廊下にでて御手洗いに向かう。
シュコシュコ、と歯磨きをしていると、唇に歯ブラシが当たった。はうんっと身体が反応してしまう。やだ……なんでこんなに敏感なの?
変だ。身体が変だ……。
ガラガラ、ぺっと口のなかをゆすぐ。部屋に戻り、照明を消灯。もう一度ベッドインして眠りつこうとする。だけど……。
「ああん、興奮して寝られない」
わたしは、うーん、と寝返りを打ってから唇に触れた。指先で、そっと。
「また、キスしたいかも……」本音が漏れる。
もしかしたら、キスしてから好きになるという論理は成り立つのかもしれない。はぁ、思わずため息さえ漏れる。わたし……どうなっちゃうのかしら? 不安……。
ブーン、ブーン……。
羽ばたく音が虚空に響いていた。憂慮とともに、夜はふけていく。
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