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第一部 春

36 はやく来て! ソレイユ!

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 トイレから教室に戻ると、ルナがいじめられていた。 

 メリッサ派の三人、モブABCがルナの机を囲んで、なにやら狂ったように笑っている。
 
 ごめんね、ルナ。
 
 無理にでもあなたをトイレに誘わなかったのは、重大なイベントを発生させるためなの。というのも、ソレイユがもうすぐ助けに来てくれる、はず。

 だから、ホントに、ごめんね、ルナ。

 二人の仲を深めるためには、避けられない道がある。だから耐えるのよ、ルナ・リュミエール。
 
 わたしはロックがちゃんと教室にいないかどうか、首を振って確認した。

 よし、いないわね。

 ロックの席はもぬけの殻だった。おそらく、屋上で昼寝したままなのだろう。二時間目の授業はボイコットか。あとは、ソレイユが購買から戻って来ればいいんだけど……。

 まだかな? 遅いわね……ソレイユ。

 隣にいるベニーは、どうしよう、どうしよう、と言ってあたふたしている。

「わわわ、ベニーはいざこざは面倒だからパズだぞ」

 眉尻を下げつつ、「マ、マ、マリリンなんとかして……」とドモリながらわたしの後ろに隠れる。いや、わたしだって助けたいのはやまやまだけど、シナリオが正常に進むことを優先しないと……。
 
 んもう、なにしてるのよ、ソレイユ! 早く来てっ!
 
 わたしはそわそわして廊下のほうを見た。だが、ソレイユが来る気配はない。その代わり気に障るのは、悪魔のように冷笑するメリッサの忌々しい顔。自分の席に座ったまま、ジトッとした陰気な目で、ルナがいじめられているのを傍観していた。

 むっ、メリッサのやつ、ラスボスでも気取ってるのか、姑息なやつめ。いじめはモブABCにやらせて、自分は高みの見物と洒落こんでいる。くそ、ムカつくわね、あの金髪ドリルの女。
 
 おそらくモブABCたちはメリッサから、ルナをいじめないとあんたらをいじめるわよ、と脅迫されているのだろう。大半のモブは上級貴族のメリッサに逆らえない。スクールカースト制度は差別的なうえに残酷な世界だ。それゆえに、いじめられないように、目立たないように、下層の人間は怯えて暮らす日々。

 そのような因果関係があり、モブABCたちは必死でルナをいじめる。情け容赦なく。こんなふうに……。
 
「リュミエールさんって田舎の村から来たの?」
「は……はい」
「村って文房具ないの? うわっ消しゴムちっさ」
「ねぇ、消しゴム、一個しか持ってないの?」
「はい……それしかないので……取らないでください」
「うえぇぇ、なにこの消しゴム! ダンゴムシみた~い、キモ~い」
「ええ! えんぴつもちっさ、こんなの捨てなよ」
「まだ使えますから……やめてください」
「いいから、捨てなって」
「ダメです、そのえんぴつはおばあちゃんに買ってもらった大切な物なので」

 モブCに取られていたえんぴつを、ルナは熱くなって奪い返した。

 すると、当然のように怒りだすモブABCたちは、ルナの机を穿つように蹴った。金属と床がこすれる奇怪な音が教室じゅうに響く。さらに、

「調子にのるなよ転校生!」

 と口々に吐き捨てられ、びくっと怯えるルナの身体は、ガクブルに震えた。

 あっ、ルナの目から涙がこぼれ落ちる。

 嗚咽を吐き出しそうになって、たまらず唇を噛みしめた。それでも、さらに追い打ちをかけるように、またモブBがえんぴつを取った。ルナの机の上をめちゃくちゃに書き殴る。黒く、黒く。
 
 もう見ていられない!

 わたしとベニーだけじゃなく、教室じゅうの生徒たちは顔をしかめていた。それでも、誰もルナを助けない。いや、助けられやしない。次にいじめられるターゲットが、偽善者ぶって助けた、になるからだ。

 ガッガッガッガ!

 彫刻刀で版画が削られているような音が響く。木材でできたザラついた机の表面とえんぴつがこすれる音だ。

 うっ、なんて耳障りなんだろう。

 それでも、モブBはそんなの関係ない、と言わんばかりの顔をしつつ、乱雑に書きつづけるものだから、えんぴつの先端はついに、バギッ! と折れてしまった。たまらず、ルナは叫び声をあげる。
 
「なにするんですかっ!」

 モブBは悪びれもせず、このえんぴつしょぼーい、なんて唾でも吐くように言いながら、ポイッとえんぴつを投げ捨てた。虚空のなかに放物線を描いたえんぴつは、カランと乾いた音を立てて転がる。それを目で追っていたルナは、すぐに這いつくばって拾う。
 
「ああ! おばあちゃんのえんぴつがぁぁ」

 ルナの震える唇から、嘆きの言葉が漏れた。それに反応したモブAは、

「おばあちゃん、おばあちゃんって、リュミエールさん、両親はどうしたの?」

 とルナの心に、ざくりとナイフで突き刺すように質問した。ルナはえんぴつを両手で握りしめたまま答えた。宝物を抱きしめるみたいに。
 
「あたしには……小さなころから両親がいなくて、おじいちゃんとおばあちゃんに育てられました。だから、あの、その……ごめんさない、もう許してください」

 ルナが謝ることはなにもない。

 それなのに、ルナは脅迫感に襲われ、許してください、許してください、と謝罪してしまう。怒鳴られると人間の脳は萎縮し、逼迫ひっぱくした心理状態になる。やがて、自信がなくなり、下を向くとことが多くなって卑屈、自虐、絶望。いじめはさらにエスカレートしてしまう。

「あーあ、こんなに落書きしてぇ」
「消してあげたら」
「そうね、このキモい消しゴムで……」

 ルナの消しゴムを持ったモブAは、机の上のいたずら書きを消すために腕を動かした。激しく、ひたすら乱暴に。だが、ただでさえ小さな消しゴムだ。バカみたいな力をかけられこすられていくと、みるみるうちに粉々になっていく。

 ああ、もうダメ……。

 涙腺が崩壊したルナの目から、涙がこぼれた。ぽろぽろ、ぽろぽろ、と。潤んだヴァイオレットの双眸が、悲しみに満ちて暗い影を落とす。それでも、ルナは必死に口を手で抑えて悲鳴を上げないよう我慢している。不幸を飛散させないように、周りに迷惑をかけないように、するためだ。

 わたしは、ふと、元凶であるメリッサを見据えた。相変わらず悪魔のような不敵な笑みを浮かべて、じっとルナを見つめていた。
 
 んもう、我慢の限界! ソレイユが来ないなら、わたしがルナを助ける!
 
 わたしは足を踏み出した。そのときだった。
 
「やめないかっ!」

 ソレイユの高らかな声が響いた。

 学園の生徒会長かつ、次期国王であるカリスマ的な君主に睨まれ、生きた心地がしなくなったのだろう。モブABCたちは、蒼白となった顔を下に向けたまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。
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