稲妻

kikazu

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源氏の御曹司

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 源義家という人物は、質実剛健しつじつごうけんなり清廉せいれんな武人という幻想で、広く後世に伝わっている。

 だが、今まさに米俵へ腰を掛け、一心不乱に瓜をかじり付く姿はどうだろう。

 彼の目の前では、この地方でも有数の長者屋敷が炎上し、火柱は天高くまで昇っている。煙の中では老若男女の悲鳴や怒号が飛び交っているが、眉一つ動かさずにまったく興味を示そうとはしない。ただ一言、

――「殺せ」

 と、命じただけで、郎党の欲しいままにさせていた。ただ殺すだけでなく、長者が貯め込んでいた家財を、すべて奪うよう仕向けたのだ。
 義家の脇には若武者二人がはべっていて、一人は顔面を蒼白にして小刻みに震え、もう一人の方は鎧に 血をこびりつかせたまま、まだまだ暴れ足りないとばかり不満顔のようである。

 そのような中、偶然にも義家の仕掛けた虐殺の暴風雨から逃れた女が、幼子を抱きながら慈悲を乞おうと悲壮な表情のまま近づいてくるのに二人は気が付いた。

 無謀とも言えるが、彼女は義家と一度だけだが面識がある。

 女は血まみれで動かなくなった夫の亡骸を見ても、まだ一縷いちるの希望にすがったのだ。

 義家の兵が暴虐の限りを尽くしているここは下野国しもつけのくに

 そして義家は、下野守しもつけのかみだった時期がある。そうした縁で、彼女の夫は蔵をいくつも潰して散財し、惜しみなく源氏を援助してきた経緯があった。女は夫の行為を浪費と断じてなじったが、意外な返答が返ってきたのだ。

 古の魯粛ろしゅくという人物は、兵糧の手配に窮した周瑜しゅうゆに援助を求められると、自分の蔵の半分を差し出して相手を感嘆させたという。

 周瑜はこの時の恩義を忘れられず、魯粛の誠実な人物像に煌めく才能も相まって、自分の後継者に指名したのだった。困難な時こそ人間性は隠し切れないし、我欲を超越した者に接すれば、一生忘れられない記憶や感情を刻み込まれる。

 ――人間とはそういうものに違いなく、愛する我が子の未来を想うのであれば些細な投資に過ぎない。

 そう諭された女が、現在進行形で繰り広げられている義家の蛮行を――誤解から生じた勘違いであり、きちんと説明すれば彼に分かってもらえる。誤解は必ず解けると考えたとしても誰が責められようか。

 人間は情があるからこそ人間なのだ。

 だがこれは源義家という男を見誤った。

 いや、この時代の貴族の本質を甘く見積もった。何かを発する前に若武者の一人が、無言で自分の身体を子供ごと刺し貫いた事実に理解できないまま、瞬時に事切れたのだった。

 義家の頬に女の血しぶきが飛んできても、結果的に彼の表情へさざ波すらたてられない。血を拭う事も、または血の主だった者への嫌悪感なり、憐憫れんびんといった感情を示すこともなく、彼の視線は瓜にのみ注がれている。

 ただ果肉を咀嚼そしゃくし、種を口から飛ばす反復をするだけ。これが当時の貴族というものだろう。だが、一人の若武者だけが鋭く反応した。

 「よ、義親よしちか。何をいたすのだ。相手は丸腰の女子に、年端もいかぬ子供ではないか」

 義親と呼ばれた若武者は、苦々しそうに唾を吐き、

 「ふっ。兄貴面は止めてもらおう。いくら長子と言えど、母親の卑しいお前を同じ源氏とは認めんぞ。黙ってそこで震えていろ腰抜けめ」

 「なっ。もう一度言うてみい、本性が下種の狂人めが」

 同じ年頃の若武者に侮蔑の言葉を投げかけられたのは、源義宗みなもとのよしむねという。彼は義家の長男でありながら、母親の名前も彼が死んだ年すら歴史書に記されていない。
ただし、彼は世間知らずの御曹司ではなく、後三年の役では金沢の柵へ痛撃を加え、敵の一翼を崩す活躍を見せていた。

 能力的には平均以上の男だ。

 彼は刀の柄に手をやって、義親に斬りかかる動作を始めていたが、彼の弟は薄く笑っただけで余裕の表情を浮かべただけである。

 「左衛門少尉。予のやり方が気に入らぬのか」

 刀を抜きかけた義宗は真っ赤に染まった顔を、また蒼白にさせ、

 「――いえ。決してそのようなことは」

 自分の兄の慌てる姿に、義親は口端を持ち上げて軽蔑の色を見せても、肝心の義宗に気づく余裕は無い。

 「お前に一度でも剛の座を座らせたのは軽率であった。予のやり方に不満があるのなら、例え源氏の一員であろうとも、臆の座に必ず座らせる。よいな」

 「ぎ、御意ぎょい

 義宗は力が抜けたように顔がほうけている。

 剛の座、臆の座は源義家が発明した人材操作術で、勇敢な者や功のあった者を剛の座に座らせ褒めたたえる儀式だ。逆に臆の座は臆病な者を座らせて、皆で一斉に笑う。

 臆の座に座らされた者は、次の合戦で華々しく戦死するのを強要され、失った名誉を回復する温情を義家自らかけられるというわけだ。

 だが死んだとしても、名誉が回復されるのは皆無。ある者は戦死して首だけ残ったが、口元に米粒が付いていたのを目ざとく見つけた者が、

 ――こ奴は戦が怖くて、飯も喉を通らなかったらしい。

 更に笑われて、千年後の現代にまで伝わる屈辱を味わう。これは信賞必罰ではなく、義家の胸先三寸で生贄を作りだす私刑。臆の座に座らせるというのは、そういう事だ。

 「さて、義親」

 「はい。何でしょう、父上」

 目の上のたん瘤である長子が恥ずかしめられ、上機嫌の義親であるが、

 「お前はなぜ、武器を持たぬ者しか殺せぬのだ」

 「ぐっ……」

 今度は義宗の口角が緩む番だ。反目している長子と次子は身分的には何も変わらない。嫡子と認められたのは三男の義忠よしただであって、義家の目の前にいる息子たちの一方に肩入れをすることもなければ、愛情を注いだこともないのだ。

 逆に不満だけが募り、眉が寄ったまま。

 「あの女は朝廷の矛である源氏の猛攻を潜り抜けてきた。普通ならあり得ぬ。まずは天のおぼしめしと考えなんだか。女の口から朝廷に利のある言葉が聞ければ傾注すれば良し。ただの命乞いであれば斬れば良い。見てみよ」

 義家は倒れ込む女の頭を足で踏むと、

 「これでは何も聞けぬ。お前は天の声も聞きいれぬ狭量であるのか」

 源義家は息子たちより、特に貴族臭が強い。多分この屋敷の主も――今、己が足蹴にしている女であっても、同じ人間であると教えられたところで理解するのは困難だろう。

 相手を同じ人間と思えなければ、自然と人情が湧き上がる事など決して無いのだ。
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