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第三章
恐怖
しおりを挟む※この話には流血、暴力表現があります。
◇—————————————————————
夕方近くになるとドアが開かれた。枕を殴っていたカナトが顔を上げる。すぐにうつむいた。
「何をやっているんだ?」
「ストレス発散」
「あまり激しいーー」
「わかっている!」
アレストの声を聞くだけで言われたことされたことが頭の中に浮かび、最終的にはキスされそうな場面で止まる。
恥ずかしくなってきたのでカナトはバサリと布団を被った。
「カナト、ひとつ確認してみたいことがあるのだが、いいかな?」
「なんだよ」
アレストはベッドに座ってだるまみたいになったカナトを抱き寄せた。布団の中にいる体が強張るのを感じる。
「お城のパーティーについてなんだけど、あの夜、怪しい人影を見たって本当か?」
「そ、そうだけど……なんだよ」
「その人影はどんな装いだった?」
「……覚えてねぇし」
「きみの証言だと確かフードを被った人たちが裏口にいたんだな?」
「ああ、そうだよ。それで毒とか貴族とか言うから……」
アレストは少し近づいて抱きしめる腕に力をいれた。
「でもな、カナト。よく考えてみて。貴族を毒殺しようとする人たちがわざわざ正門に来るか?」
腕の中にいる人物がさらに強張るのを感じた。
「招待客が出入りする場所の近くでうろつくのは少しおかしい気がするんだ。人目は多いし、バレる可能性が高い」
カナトはバッと布団を払ってアレストから距離を取った。
「何が言いたいんだよ!俺のこと疑っているのか!俺が犯人なら毒入りのワインと知ってわざわざ教えないだろ!」
「……ああ、ごめん。そんなふうに思わせてしまったんだな。きみのことを疑っていたんじゃない」
「じゃあなんだよ!」
肩息荒くしてカナトが悲しそうな顔をした。その顔にアレストは思わず指がぴくりと動く。
「ごめんカナト。本当に疑っているわけじゃない。城で起きたことだし、第二王子にも関わることだから、調査員が色々聞いて来るんだ。だからきみが顔を出さなくてもいいように詳しく知りたいと思ったんだ」
「………本当か?」
「本当だ」
少し落ち着いてきたようにカナトはベッドにぺたんと座った。
「あの夜、暗すぎて俺も覚えてない。た、たぶん人影がいたかな?」
そう言ってチラチラと視線を向ける。アレストはすぐにこれが嘘だとわかった。カナトが本当に人影を見たかどうかはともかく、あの夜に関して何かを隠していることは確かである。
「そっか。それもそうだな」
「あのさ、王子のやつ?結構イラつく顔してたけど、これでお前に難癖つけたりしないよな?」
どうやらフランの態度はカナトにもある程度わかったようである。
「大丈夫。あのボンクラに何かあったとしても上に優秀な兄と下に聡明な弟妹がいる。1人いなくなったところで損害は葬儀費用だけだ」
まさかアレストの口からそんな冷酷な言葉が飛び出してくるとは思わず、カナトがポカンと口を開けた。
「ア、アレスト……お前そんな考え持つなよ!」
そう言ってなぜか肩もみを初めた。
「カナト?何やっているんだ?くすぐったいな、ははは!」
「マッサージ?じゃなくて!昔のお前ならそんなことは絶対言わないだろ!どうしたんだよ!」
カナトはカツラギの言ったことがますます現実味を増してきた気がした。
「昔?……昔の僕はどんな人だったかな」
昔の自分のを本当に忘れたわけではない。しかし、父の注目と愛を欲しかった自分の想いを一瞬で裏切った人に対してアレストはもはや特に思うことはなかった。
何より一番欲しいものがそばにいる。
そして昔の自分が酷く愚かに思えた。なぜか?血縁だけで長年築いたものが壊れる関係にすがりついていた。報われるものだと思った努力ははただ表面的なものをとりつくろうだけだった。自分という人物を作り上げた周りは虚栄の塊でしかなかった。そうと知らずに宝物扱いした自分が愚かに思える。
劣等感を持ちながらなんの繋がりもない弟を大事にしなければいけず、それが自分の周りから全てを奪った人物だとしても受け入れなければいけない。そうしないと今あるものも全て壊れていく。
だがひとつだけ、そんな自分のそばにいてくれる存在がある。見返りも求めず、常に態度を一貫した存在が。見つめられるだけで、その声で話しかけられるだけで満たされていく。
アレストは何か言いたげだが、頭の中で言葉を必死に組み立てている様子のカナトを見た。
「……昔のお前はもっと明るく笑っていて、人々に対して平等で、動物が好きで、分け隔てなく接する人…だった……」
言いながらカナトはどこかぼうとし始めた。
そういえば、いつからアレストの笑顔は昔と違うように感じ始めたんだ?なんで昔のほうが明るく笑っていたと思ったんだ?
演技が上手いことは知っている。しかし、いつもと違う笑顔だとは感じなかった。
笑っても目が冷たい時はこの世界が小説の世界で、ユシルの影響があるからだと思っていた。でもいつからその笑顔に違和感を抱き始めたのかカナトはわからなかった。
今言葉にして初めてアレストの笑顔が昔と違うと思っていたことに気づいた。
「アレスト……お前、なんで」
「なんで?」
どう訊けばいいのかわからず、カナトは不安げな表情になる。
そんな時、耳にじゃらりと鎖の音が入った。
鎖?
カナトは自分の足首を見た。片足だけはめられた足枷。
そうだ。そういえばこれをつけられているのに、なんで今は普通にアレストとしゃべっているんだ?
アレストが昼に来た時は怒っていたはずだ。それが半日も経たないうちに怒りがどこかへいってしまった。
なんで?カナトにもわからない。無邪気とも取れる笑顔で見てくるアレストを見ていると、なんとなく背中がぞわりとする。
急にその顔に恐怖を抱き始めた。この顔がついさっきまで第二王子の生死を茶飯事みたいに話していた人と同じ顔とはどうしても思えない。
そして今までもアレストは笑顔で驚くことを言うことがある。自分に関しても、周りに関しても。
「カナト?どうしたんだ、そんな顔して」
「顔?あ、いや……俺」
カナトは無意識に距離を取ろうとした。それを見てアレストは素早く腕を引いて自分の上に座らせた。鎖の音がジャラジャラと鳴る。
「どうした」
その幾分低められた声にカナトは思わず体を縮めた。
「なんでも、ない……というか近い」
なんとか押し返して離れようとする。
アレストはカナトが恥ずかしさで離れようとしているのではなく、本気で離れようとしていることに気づいた。
青い瞳にあるわずかな温度がどんどん下がっていく。
「うわっ!」
カナトは突然目の前が回ったかと思うとベッドに押し付けられた。
「え……?」
「カナト、急にそんな怖い顔してどうしたんだ?何があったか話してみて」
優しい声音なのになぜか体が震える。
「なんでもないから、離れろよ」
そう言うその声にはいつものような元気さがない。どことなく弱々しさがあった。
アレストはつかんだ手首をきつく握りしめた。自分を避ける視線が何かの琴線に触れた気がした。
「こっちを見て、カナト」
「だから離れろ!」
「僕を見ろ」
その低い声にビクッと体が反応する。有無を言わさない圧力を感じて、カナトが恐るおそると見上げた。だが目が合った瞬間パッとそらしてしまう。
「カナト、なぜ避けようとするんだ?」
「ちがっ……お前こそどうしたんだよ急に!」
「僕はいつも通りだ。それより、なぜ避けようとするのか、話してみて」
「お前が少し怖いんだよ……今までも、なんか変になることあったし…昔なら絶対言わないようなことも言う」
アレストは相槌もせず、ただ黙って聞いていた。
「なんだか、俺の知らない人になったみたいで……慣れなくて、ただ」
ただなんなのか、続きの言葉が出てこなかった。だが、冷静になるきっかけは必要だと思った。
「その………少しだけ距離置かないか?」
アレストが目を見開いた。
「距離?………距離」
つぶやいてからアレストが小さく笑った。
「なんでだろうな……」
「な、何が?」
「変わったのは僕だけか?」
「………?」
「ユシルも変わったはずだ。なのにきみは何度も近づいて、抱きついて、笑いかけて………僕が変わったら距離を取るのか?なんでなんだ……」
アレストは深呼吸してなんとか自分を落ち着かせようとした。
なのに、距離を取ろうとするカナトの言葉が耳障りにも何度も頭の中で反芻する。
離れていく……何も残らなくなる……消えていく……宝にしたもの全てが……奪われる……あの忌々しい存在に……!
アレストはどんどん呼吸が苦しくなっていくのを感じた。のどをかきむしってわずかでも空気を吸い込もうと必死に口を開ける。
ダメだ!苦しい!なぜなんだ!お前まで離れていくのか?自分の意思で……僕のそばから……。
「がっ、はあ!」
カナトは首にとてつもない力が加わったのを感じた。
パーティーから目が覚めた夜に軽くそえられるようなものじゃない。一瞬で呼吸ができないほどの力でのどを絞められた。
「あ"ッ、あえっ……」
相手の名前を呼ぼうとしても言葉なんて発せず、締められたことで顔に血が溜まり、目が充血し始める。
カナトは必死に足をばたつかせたが、アレストの体を退けることはできなかった。生理的に浮かんだ涙で見慣れた顔がにじんでいき、意識が朦朧とし始めた。
カナトは最終の策として思い切り舌を噛んだ。意味があってのことではない。むしろ噛み破った舌の血が止まらずのどに溜め始めた。
吐き出した血がアレストの手を汚し、そのせいかどうかほんの少し力が緩んだ。
その一瞬のすきにカナトは拳を振った。
鈍い音が響き、低いうめきが聞こえる。
急に酸素が入ったことでカナトは激しく咳き込んだ。そのあいだにもなんとかベッドを降りてドアに向かおうとする。
走り出すとジャラジャラと鎖もついてきて、ついに長さが足りずにつまづいてこけてしまった。
起き上がって鎖を引っ張っても切れるはずもなく、アレストが迫ってくるのを感じながらカナトはポロポロと涙を流し始めた。
大きな人影に覆われてふたたび首に強い力を感じた。
その手をつかみながらカナトはなんとかしゃべれなくなる前に口を開く。
「アレスト!!やめろ!!俺ッーーあ"ッ!」
アレストはカナトが暴れるのに構わず、どこか恍惚とした表情で眺めた。
ああ……それでいい………。
「それでいい、最期の瞬間まで僕を見ろ」
カナトは恐怖と混乱の中で息が苦しくなっていくのを感じた。涙がとめどなくあふれて、舌を噛んだことで止まらない血は何度も暴れたせいで吐き出される。
カナトがこのまま本気で死ぬのかと思った時、誰かがアレストに飛びかかった。
「アレスト様!!何をやっているのですか!!」
夕食を届けに来たムソクがアレストを引きはがし、解放を得たカナトは必死に空気を吸い込もうとした。
「ゲホッ!!ゲホッゲホッ!!」
アレストはやっと我に返ったように、しかしどこか茫然とした顔でカナトを見つめた。
いつも見るような元気な姿はなく、涙と血を流しながら怯えた目をする姿は見慣れないものだった。
こちらを見て自分を守るように縮み込みながら震えるのを見て、アレストは試しに呼びかけてみた。
「……カナト」
その瞬間、びくりと驚いたようにカナトが大きく震えた。
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