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第ニ章
近い距離
しおりを挟む最近アレストは少し忙しいようだった。
事務室に行ってもよく来客で留守にすることが多くなり、カナトはますますやることがなくなった。
もはや抜け出して訓練したい気分である。だが、ユシルと接する中でアレストの変化も気になるせいか、無理して事務室に通い続けた。
カナトがこの世界で成人を迎える日がもう1週間後に控えている。なのに当の本人はまるで我関せずにメイドたちの騒ぎを遠目に眺めていた。
なぜ自分よりメイドのほうが楽しそうなんだ?そう思わなくはない。
いつものように寝落ちから覚めると、体に毛布がかけられていた。
休憩スペースのテーブルには三種類のクッキーの配置された皿が置かれている。その下に敷くように『少し接客してくる』と簡単に書かれた置き手紙がある。
カナトは目をこすってクッキーを口に入れた。
「あいつ最近ますます忙しいな。仕事の半分はユシルにあげたんじゃないのか?」
不思議に思いながらクッキーの半分を平らげると立ち上がって事務室を出た。
少し出かけたくなった。
アレストの姿を探していると、通り過ぎるメイドから客人を見送りに行っていると聞いた。
玄関に向かうとちょうど帰りなのか、アレストがメイドと一緒に向かってきていた。
「あれ、カナト?どうしてここに?」
「いや、街に出かけたくてさ。それを言いに来た」
「外に出たいのか?」
「ずっと屋敷にいると気がつまりそうなんだよ」
「なるほど。じゃあ僕も一緒に行くよ」
「そこまでしなくていいけどな。俺1人でいい。忙しいだろ」
アレストはカナトの前に来てその手を取った。親指でさすりながら、
「きみは僕の専属使用人だろ?ずっとそばにいてくれないと困るな」
「いや、正直言って俺使用人として役に立ってないだろ。困るって何言ってんだ」
カナトが手を引っ込めようとするが、それを許されなかった。ぐっと握り込まれて口先に持っていかれる。
「きみがいないと何かが欠けた気がして慣れない」
そう言って軽く唇が指に触れる。
カナトは1秒開けて顔を真っ赤にした。
「な、何してんだ!ひ、人前で!」
見ると、メイドが鼻息荒くして目を開ききっていた。あと少しでよだれが垂れそうな顔をしている。
めちゃくちゃ見られているッ!
「バカかお前!」
手を無理やり引っ込めて背後に隠す。指が触れた温かさに体の熱がなかなか収まらない。それなのにアレストは声をあげて笑った。
「ははは!反応可愛いな!」
「誰がっ!」
「怒らないでくれ。外に出たいだろ?買いたいものがあれば言ってくれ。全部買うよ」
「自分の金あるからいらん!」
このまま出かけるつもりらしく、カナトは玄関に向かった。アレストは軽く頭を揺らしてそのあとに続く。
馬車に乗り込んで2人は街に出かけた。
貴族向けの商店が集まる街頭に来ると一気にきらびやかな装いをした人々が増える。
「こ、ここってめちゃくちゃ物高いだろ……」
いくら専属使用人の給料が高くてもここでの物価は遥かにその給料を超える。
「大丈夫、僕がいるだろ?」
「そういう問題か!?」
「ここから歩いて見ないか?好きな店があったなら入って見てもいいよ」
「話聞けよ!」
聞かずにアレストは馬車を降りた。顔を覆ってカナトも仕方なく降りる。
使用人のベストを着ずに来たせいで少し身なりを気にし始めた。
「そのままで充分だよ」
「本当かよ……」
見渡すと、他の貴族の後ろにも使用人がたくさんいる。だが、いずれも使用人としての衣服をきちんと着ていた。
屋敷でならともかく、さすがに外だと気にしてしまう。
「本当だよ。カナトはいつ見てもそのままが一番輝いている」
「お前それ女に言え。俺に言って何になるんだ」
アレストはただ笑顔で何も言わなかった。
いろんな店のガラス窓に店自慢の商品が並び、歩きながら眺めていく。どれも華やかで貴族が好みそうなデザインをしていた。
どれもカナトの心の琴線には触れず、だんだんと好奇心も萎えていく。が、子ども向けのお土産屋で目を惹くものがあった。
そのお店のガラス窓に走って行き、展示されている犬のぬいぐるみを見て考え込む。
アニマルセラピーと言うが、すでに猫5匹とオウム1匹いるし、犬なら番犬がいるし、これ以上増えるとアグラウのジジィが何を言うかわからないし……ぬいぐるみでもよくないか?
その猫たちとオウムは最近やけに静かな気がしなくもないが、ぬいぐるみなら夜誰もいない時に話し相手になるし、何を言っても自分が肯定されていると思えば肯定されるわけだ。もちろんアレストがそんなことをする場面は想像できない。
しかし、いい案だ!そう思ったカナトは目を輝かせて振り返った。
「アレスト、この店に入ろう!」
「いいよ」
カナトは店に入るなり展示の前に来た。幸い犬のぬいぐるみはちゃんと商品で、値札を見つけた。
それをひっくり返して見ると思わず冷たい息を吸い込んだ。
金貨2枚だと!!
この世界には金貨、銀貨、銅貨の貨幣があるが、日本円に当てた場合の金銭感覚がわからないため、カナトは一番高い金貨を1万円に例えていた。ちなみに銀貨は千円、銅貨は百円である。
そのため、このぬいぐるみが2万円の価値だと思うと持つ手が震えそうになる。
専属使用人の給料でも金貨はその中でたった3枚しかない。
カナトがユルユルとぬいぐるみを戻すのを見て、アレストはその隣に立った。戻されたぬいぐるみを持ち上げて見る。
精巧に作られた触り心地のいいものである。淡黄色の毛並みにくりっとした丸い目はなかなか可愛い。
「こういうのが好きなのか?」
「いや、成人の日の贈り物って本物よりぬいぐるみがいいと思って。お前にあげようとしたんだけど、思ったより高くて……手持ちが……」
手持ちが足りなかった。
「ははは!本当に可愛いな。僕が代わりに出すよ」
「お前にあげようとする物だぞ。お前が金出してどうすんだよ」
あとで返して、お金を貸してもらうにしてもなんだが言いにくい。
「もともとはきみの成人の日の贈り物なのに僕のことを考えてくれるなんて」
そこへ「あの!」と年若い娘に声をかけられる。
振り向くと両手を握りしめたそばかすのある娘が目を輝かせながら2人を見つめていた。
「そのぬいぐるみ、お手持ちの分だけでかまいません!」
「何言ってんだ?」
「私はここの店主の娘です!そのぬいぐるみは、こ、この方への贈り物ですよね?」
その目が控えめにアレストを見る。
「そうだけど」
「それでしたら、特別価格としてお手持ちだけで構いません!無料でもいいです!!」
「落ち着け!目がおかしくなっているぞ。というか本当にいいのか?俺、金貨1枚と銀貨10枚しか持ってないぞ」
「構いません!無料でもいいです!!」
「金払うからその顔やめろ!なんか屋敷のメイドたち思い出す!」
娘は包装します!と言ってぬいぐるみを受け取り、カウンターの奥に消えた。カウンターで店主らしき人が顔を覆って頭を揺らしている。おそらく娘の父親だと思われる。
たぶんだけど、娘に甘い父親なんだろうな。
飴玉のように包装されたぬいぐるみを抱えて店を出る。よく見ると若い娘たちだけじゃなく、貴婦人たちまでチラチラと視線を2人に向けていた。
カナトは口を引くつかせながら視線をそらす。
どこまであの本の影響がおよんでいるんだ?
馬車に乗る直前に娘は迷いながらも近づいてもじもじとした。
アレストは好青年らしく「どうかしたのか?」と訊く。それに勇気づけられたのか、娘は口を開いた。
「あの、お二人とも……す、末永くお幸せに!」
「ありがとう!」
娘は顔を赤くして店に駆け戻った。
何ありがとうって受け取ってんだこいつ!
カナトはあり得ない顔でアレストを見た。どう聞いてもさっきの言葉はどこかおかしい。何もない男2人に向けていう言葉じゃない。
だがアレストはまったく違和感がないようでいつも通りだった。馬車に乗って、帰ろうか!と言う。
「あ、ああ……」
本当に何も感じないのか?
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