53 / 54
第六章 結
第53話 結3
しおりを挟む
三人は通された部屋に自分たちの作品を並べるよう指示された。船戸様が来る前に三人でそれぞれの作品を眺めて意見交換をする事になったが、悠介はなかなか自分の絵を出すことができずにいた。
「さすが紅秋斎先生、いつもながら構図が目を引きますね」
「鉄宗さんの動物や鳥の柔らかい質感はどうやっても真似できませんな」
二人は何度も顔を合わせてはこんな話をしているようだ。悠介は場違いなところに来てしまったような気まずさを覚えた。
「悠介さんのも見せて貰えませんか」
鉄宗がさりげなく悠介を誘う。この男は痩せていて見た目は神経質そうだが、なかなか細やかな気配りのできる男らしい。
「お二人の前に出すのはちょっと気が引けますが、遺言ということで許していただきましょう」
悠介は恐る恐る、自分の描いた絵を並べた。お内儀には堂々と出しなさいと言われていたし、佐倉にも御隠居様にも悠一郎になったつもりで行って来いと言われていたが、いざとなるとやはり腰が引ける。なんといっても相手は大御所なのだ。
二人は悠介の絵を見ても何も言わなかった。顔色も変えなかった。よほど二人の絵師の目には酷く映ったのだろうか。
何か反応して欲しい、なんでもいいから……そう思っていると、船戸様が入って来た。三人はすぐにひれ伏した。
「良い良い、そんなに畏まる必要はない。面を上げよ」
悠介は二人が面を上げるのを待ってから、ゆっくり上体を起こした。
船戸様は初めて見るが、三十代になったばかりくらいの細身の男だった。
「紅秋斎、鉄宗、よく来てくれた」
船戸様はそこで悠介に視線を移した。
「そなたが悠一郎の代理か」
「はい、悠介と申します」
「普段は何をしておる。まさかずっと絵を描いているわけではなかろう」
「普段は柏原の佐倉様のお屋敷で下男をしております」
船戸様は視線を宙に漂わせ、ちょっと悩んで「ああ」と思い出したように言った。
「柏原の大名主じゃな」
それから彼は「では三人とも弟子はいないのか」だの「手伝いはどうするかの」だの一人でブツブツ言っていたが、「よし、では絵を見ようかの」と言い出した。
そのとき「畏れながら」と鉄宗が割り込んだ。
「なんじゃ、申してみよ」
「畏れながら、私は辞退させていただきたいと」
「儂もそう思うておったところじゃ」
紅秋斎と鉄宗が辞退?
「なぜじゃ」
「ご覧ください、悠介が描いたこの絵。絵筆を握って数カ月、まだまだ粗削りながらも、この唐紙全体を一つの風景としているこの構図が、まるで完成された庭を見ているようです」
更に鉄宗が横から補足する。
「しかも縁起の良い実がたくさん生っている。吉祥の象徴である桃、子宝に恵まれる柘榴、不老不死の実と言われる無花果、富と繁栄を表す南天、長寿の象徴として有名な万年青。私はこの絵を前に自分の絵を出しておくのが恥ずかしくなって参りました」
悠介には構図のことはさっぱりわからない。ただ単に、自分の描きたいものを描きたいところに描いただけなのだ。これは天性の才能なのかもしれない。
二人の絵師の推薦に加え、船戸様本人も気に入ったとあって、あっさり唐紙の絵は悠介のものに決まった。
一番驚いたのは悠介だ。唐紙に絵なんか描いたことない。こうして下絵のように小さな絵ならたくさん描いたが、大きな絵をどうやって描いたらいいのかわからない。その上、手伝ってくれる人もいない。ただ悠一郎に言われたから描いて持って来ただけだ。絵を描いている間、佐倉の家の家事をする人間もいなくなる。
慌てた悠介がオロオロしながらそうやって伝えると、紅秋斎と鉄宗が悠介の手伝いをしながら絵の描き方などを伝授すると約束してくれた。佐倉の家の仕事は船戸様が女中を二人派遣してくれると言った。何から何まで至れり尽くせりである。
こんなありがたい話があるだろうか。もう断る要素がどこにもない。悠介は観念して唐紙の仕事を引き受けた。紅秋斎は家から通えるので、鉄宗と悠介の部屋を船戸様の屋敷に準備して貰えることにもなった。
悠介はこれをどうやって佐倉様や奈津に報告したらいいのか途方に暮れた。
「さすが紅秋斎先生、いつもながら構図が目を引きますね」
「鉄宗さんの動物や鳥の柔らかい質感はどうやっても真似できませんな」
二人は何度も顔を合わせてはこんな話をしているようだ。悠介は場違いなところに来てしまったような気まずさを覚えた。
「悠介さんのも見せて貰えませんか」
鉄宗がさりげなく悠介を誘う。この男は痩せていて見た目は神経質そうだが、なかなか細やかな気配りのできる男らしい。
「お二人の前に出すのはちょっと気が引けますが、遺言ということで許していただきましょう」
悠介は恐る恐る、自分の描いた絵を並べた。お内儀には堂々と出しなさいと言われていたし、佐倉にも御隠居様にも悠一郎になったつもりで行って来いと言われていたが、いざとなるとやはり腰が引ける。なんといっても相手は大御所なのだ。
二人は悠介の絵を見ても何も言わなかった。顔色も変えなかった。よほど二人の絵師の目には酷く映ったのだろうか。
何か反応して欲しい、なんでもいいから……そう思っていると、船戸様が入って来た。三人はすぐにひれ伏した。
「良い良い、そんなに畏まる必要はない。面を上げよ」
悠介は二人が面を上げるのを待ってから、ゆっくり上体を起こした。
船戸様は初めて見るが、三十代になったばかりくらいの細身の男だった。
「紅秋斎、鉄宗、よく来てくれた」
船戸様はそこで悠介に視線を移した。
「そなたが悠一郎の代理か」
「はい、悠介と申します」
「普段は何をしておる。まさかずっと絵を描いているわけではなかろう」
「普段は柏原の佐倉様のお屋敷で下男をしております」
船戸様は視線を宙に漂わせ、ちょっと悩んで「ああ」と思い出したように言った。
「柏原の大名主じゃな」
それから彼は「では三人とも弟子はいないのか」だの「手伝いはどうするかの」だの一人でブツブツ言っていたが、「よし、では絵を見ようかの」と言い出した。
そのとき「畏れながら」と鉄宗が割り込んだ。
「なんじゃ、申してみよ」
「畏れながら、私は辞退させていただきたいと」
「儂もそう思うておったところじゃ」
紅秋斎と鉄宗が辞退?
「なぜじゃ」
「ご覧ください、悠介が描いたこの絵。絵筆を握って数カ月、まだまだ粗削りながらも、この唐紙全体を一つの風景としているこの構図が、まるで完成された庭を見ているようです」
更に鉄宗が横から補足する。
「しかも縁起の良い実がたくさん生っている。吉祥の象徴である桃、子宝に恵まれる柘榴、不老不死の実と言われる無花果、富と繁栄を表す南天、長寿の象徴として有名な万年青。私はこの絵を前に自分の絵を出しておくのが恥ずかしくなって参りました」
悠介には構図のことはさっぱりわからない。ただ単に、自分の描きたいものを描きたいところに描いただけなのだ。これは天性の才能なのかもしれない。
二人の絵師の推薦に加え、船戸様本人も気に入ったとあって、あっさり唐紙の絵は悠介のものに決まった。
一番驚いたのは悠介だ。唐紙に絵なんか描いたことない。こうして下絵のように小さな絵ならたくさん描いたが、大きな絵をどうやって描いたらいいのかわからない。その上、手伝ってくれる人もいない。ただ悠一郎に言われたから描いて持って来ただけだ。絵を描いている間、佐倉の家の家事をする人間もいなくなる。
慌てた悠介がオロオロしながらそうやって伝えると、紅秋斎と鉄宗が悠介の手伝いをしながら絵の描き方などを伝授すると約束してくれた。佐倉の家の仕事は船戸様が女中を二人派遣してくれると言った。何から何まで至れり尽くせりである。
こんなありがたい話があるだろうか。もう断る要素がどこにもない。悠介は観念して唐紙の仕事を引き受けた。紅秋斎は家から通えるので、鉄宗と悠介の部屋を船戸様の屋敷に準備して貰えることにもなった。
悠介はこれをどうやって佐倉様や奈津に報告したらいいのか途方に暮れた。
1
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
空蝉
横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。
二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
検非違使異聞 読星師
魔茶来
歴史・時代
京の「陰陽師の末裔」でありながら「検非違使」である主人公が、江戸時代を舞台にモフモフなネコ式神達と活躍する。
時代は江戸時代中期、六代将軍家宣の死後、後の将軍鍋松は朝廷から諱(イミナ)を与えられ七代将軍家継となり、さらに将軍家継の婚約者となったのは皇女である八十宮吉子内親王であった。
徳川幕府と朝廷が大きく接近した時期、今後の覇権を睨み朝廷から特殊任務を授けて裏検非違使佐官の読星師を江戸に差し向けた。
しかし、話は当初から思わぬ方向に進んで行く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる