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第38話 口入屋6
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柏原に向かって歩きながらしのぶは提灯を見て笑っていた。
「枝鳴屋って枝鳴長屋のことでしょ」
「ちょいと『長』って字を書き忘れたのさ」
「そんなわけないじゃない。確信犯でしょ」
笑ってしまうほどに悠は準備が良かった。競りの開始が暮れ六つということは、帰りは既に薄暗くなっているはずだ。提灯が必要になる。栄吉に持たせた風呂敷の中にはしっかりと提灯を入れておいたのだ。しかもその提灯にはご丁寧に「枝鳴屋」と書いておくという手の込みようである。悠がいつの間にこんなものを用意したのか、栄吉は全く気付かなかった。
「で、悠一郎って誰なの?」
ニヤニヤしながらしのぶが聞いた。
「悠一郎はあたしの父親の名前さ」
「へぇ。蝋燭問屋だったの?」
「いや、思い付きで言っただけさ」
しのぶは楽しそうにフフッと笑った。
「悠さんに親がいたっていうのがなんだか新鮮だね」
「あたしゃなんだと思われてたんだい? 妖怪じゃなんだから」
「あんまり綺麗だから、妖怪かと思っちゃった。初めて見たときは女装してたしね」
「女装なんて言わないどくれ。あれが普段着。今日が特別なのさ」
「ねえ、こっちのおじさんも枝鳴長屋の人?」
栄吉はチラリとしのぶを見たが、黙って頷いただけで何も言わなかった。
「そうさ。あたしのお隣さんで蕎麦屋の栄吉さんだよ。反対隣りがこの前言ってた三郎太の兄さんさ」
「三郎太さん、少しは良くなったの?」
「ああ、兄さんは不死身だからね。死にかけたのも一度や二度じゃないらしいよ」
栄吉はお藤の先輩だ。ということはしのぶの先輩でもある。お藤がしのぶのことを話した時、栄吉は「それじゃあ、しのぶはあの時の赤子か」と言ったはずだ。つまり栄吉はしのぶの赤子の頃のことを知っている。そしてしのぶはそれを知らない。
「栄吉さん、いい目だね。まるで殺し屋みたい」
しのぶの言葉に悠はギョッとした。だが、栄吉は動じない。
「そうかい。あっしも殺し屋になれるかね」
「殺し屋になりそうだけど、でも、おじさんは優しい人だから人は殺せないと思う」
「おめえさんは聡い子だな」
「ねえ」
「なんだ」
「栄吉さん強そうだから言うけどさ、絶対に三郎太さんの仇を取ろうなんて思わないでね。悠さんはそういう感じしないから安心だけど、栄吉さん軽ーく一人や二人捻っちゃいそう」
凄いな、雰囲気でわかるもんなのか、あたしなんか十年も一緒にいて気づかなかったけどね……などと思っても絶対に口にできない悠である。
「あっしはそういうことには無縁の蕎麦屋だ。心配しなさんな」
「鬼火の……あ、凍夜のことはあたしたちに任せて。あたしはそのために買い戻されたはずだから。凍夜は多分船戸様のところへ売られるはず。そこを狙って搔っ攫って来るよ」
「わかった。しのぶに任せたよ。あたしたちのような素人はここまでだ。だが一つ言っておくことがある。もし、船戸様のところに売られた気の毒な少年たちを解放しようという気があるなら、彼らの身元を引き受けることはできる。柏原の名主様が面倒見てくれるから心配はいらない。それは覚えといて欲しいね」
一刻半ほど歩いたところで峠の団子屋が見えてきた。そういえばお藤は迎えに行くと言っていた。団子屋を過ぎて柏原の枝鳴長屋で待てばいいのか。
「あ」
しのぶが小さく声を上げると同時に、暗闇の中に人影が現れた。悠が咄嗟にしのぶを引き寄せる。
「心配すんな。お藤だ。しのぶは足音を立てずにお藤のところへ行け。あっしらはこのまま行く」
「わかった。悠さん、栄吉さんありがとう。じゃあね」
しのぶは本当に足音をさせずにそのまま闇に紛れ込んだ。
「追っ手を警戒したんだろう。こちらが提灯を持ってりゃ追っ手がいたとしても、ここにしのぶが一緒にいると思うだろう」
「あ……なるほどね。じゃあ、あたしらの仕事はこれで終わりか」
「バカ言うんじゃねえ。しのぶを連れてるようなふりをしながら柏原まで行くんだ」
「間違いなくそう言ったんだな?」
「うん。あそこにいたのはあたしと鬼火を含めて十一人。それで競りに出されたのは十人。男の子と女の子それぞれ五人ずつだよ。女の子は全員柏華楼に買われて行った。あたしもあそこで悠さんが買ってくれなかったら柏華楼行きだったね」
茂助は煙管の先を火鉢にコンと軽く叩きつけて灰を落とすと、「鬼火は?」と聞いた。
「鬼火は競りにかけられなかった。明後日潮崎に運ばれるって。船戸様の御側仕えになるらしいよ。口入屋は最初からそれが狙いだったんだ。船戸様のところに綺麗な男の子を紹介すると紹介料ががっぽり貰えるって寸法さ」
お藤が大きく頷いた。
「なるほどねぇ。鬼火は殺し屋にしておくにはもったいないくらいの美形だからね。じゃ、やっぱり船戸様の男色の噂は本当だったんだね」
「明後日か。じゃあ鬼火を取り返しに行くのは明日だな」
お藤は小さく頷いて言った。
「あたしは潮崎に行こう。船戸様のところに囲われている少年たちを助けに行くよ。鬼火の奪還に失敗しても、そこであたしが鬼火を取り返す」
「お藤一人じゃ大変だろう。おいらも行こう」
「よし、それじゃお藤と佐平次は潮崎だ。しのぶと孫六は楢岡でいいな?」
茂助がまとめると、殺し屋たちは黙って頷いた。
「枝鳴屋って枝鳴長屋のことでしょ」
「ちょいと『長』って字を書き忘れたのさ」
「そんなわけないじゃない。確信犯でしょ」
笑ってしまうほどに悠は準備が良かった。競りの開始が暮れ六つということは、帰りは既に薄暗くなっているはずだ。提灯が必要になる。栄吉に持たせた風呂敷の中にはしっかりと提灯を入れておいたのだ。しかもその提灯にはご丁寧に「枝鳴屋」と書いておくという手の込みようである。悠がいつの間にこんなものを用意したのか、栄吉は全く気付かなかった。
「で、悠一郎って誰なの?」
ニヤニヤしながらしのぶが聞いた。
「悠一郎はあたしの父親の名前さ」
「へぇ。蝋燭問屋だったの?」
「いや、思い付きで言っただけさ」
しのぶは楽しそうにフフッと笑った。
「悠さんに親がいたっていうのがなんだか新鮮だね」
「あたしゃなんだと思われてたんだい? 妖怪じゃなんだから」
「あんまり綺麗だから、妖怪かと思っちゃった。初めて見たときは女装してたしね」
「女装なんて言わないどくれ。あれが普段着。今日が特別なのさ」
「ねえ、こっちのおじさんも枝鳴長屋の人?」
栄吉はチラリとしのぶを見たが、黙って頷いただけで何も言わなかった。
「そうさ。あたしのお隣さんで蕎麦屋の栄吉さんだよ。反対隣りがこの前言ってた三郎太の兄さんさ」
「三郎太さん、少しは良くなったの?」
「ああ、兄さんは不死身だからね。死にかけたのも一度や二度じゃないらしいよ」
栄吉はお藤の先輩だ。ということはしのぶの先輩でもある。お藤がしのぶのことを話した時、栄吉は「それじゃあ、しのぶはあの時の赤子か」と言ったはずだ。つまり栄吉はしのぶの赤子の頃のことを知っている。そしてしのぶはそれを知らない。
「栄吉さん、いい目だね。まるで殺し屋みたい」
しのぶの言葉に悠はギョッとした。だが、栄吉は動じない。
「そうかい。あっしも殺し屋になれるかね」
「殺し屋になりそうだけど、でも、おじさんは優しい人だから人は殺せないと思う」
「おめえさんは聡い子だな」
「ねえ」
「なんだ」
「栄吉さん強そうだから言うけどさ、絶対に三郎太さんの仇を取ろうなんて思わないでね。悠さんはそういう感じしないから安心だけど、栄吉さん軽ーく一人や二人捻っちゃいそう」
凄いな、雰囲気でわかるもんなのか、あたしなんか十年も一緒にいて気づかなかったけどね……などと思っても絶対に口にできない悠である。
「あっしはそういうことには無縁の蕎麦屋だ。心配しなさんな」
「鬼火の……あ、凍夜のことはあたしたちに任せて。あたしはそのために買い戻されたはずだから。凍夜は多分船戸様のところへ売られるはず。そこを狙って搔っ攫って来るよ」
「わかった。しのぶに任せたよ。あたしたちのような素人はここまでだ。だが一つ言っておくことがある。もし、船戸様のところに売られた気の毒な少年たちを解放しようという気があるなら、彼らの身元を引き受けることはできる。柏原の名主様が面倒見てくれるから心配はいらない。それは覚えといて欲しいね」
一刻半ほど歩いたところで峠の団子屋が見えてきた。そういえばお藤は迎えに行くと言っていた。団子屋を過ぎて柏原の枝鳴長屋で待てばいいのか。
「あ」
しのぶが小さく声を上げると同時に、暗闇の中に人影が現れた。悠が咄嗟にしのぶを引き寄せる。
「心配すんな。お藤だ。しのぶは足音を立てずにお藤のところへ行け。あっしらはこのまま行く」
「わかった。悠さん、栄吉さんありがとう。じゃあね」
しのぶは本当に足音をさせずにそのまま闇に紛れ込んだ。
「追っ手を警戒したんだろう。こちらが提灯を持ってりゃ追っ手がいたとしても、ここにしのぶが一緒にいると思うだろう」
「あ……なるほどね。じゃあ、あたしらの仕事はこれで終わりか」
「バカ言うんじゃねえ。しのぶを連れてるようなふりをしながら柏原まで行くんだ」
「間違いなくそう言ったんだな?」
「うん。あそこにいたのはあたしと鬼火を含めて十一人。それで競りに出されたのは十人。男の子と女の子それぞれ五人ずつだよ。女の子は全員柏華楼に買われて行った。あたしもあそこで悠さんが買ってくれなかったら柏華楼行きだったね」
茂助は煙管の先を火鉢にコンと軽く叩きつけて灰を落とすと、「鬼火は?」と聞いた。
「鬼火は競りにかけられなかった。明後日潮崎に運ばれるって。船戸様の御側仕えになるらしいよ。口入屋は最初からそれが狙いだったんだ。船戸様のところに綺麗な男の子を紹介すると紹介料ががっぽり貰えるって寸法さ」
お藤が大きく頷いた。
「なるほどねぇ。鬼火は殺し屋にしておくにはもったいないくらいの美形だからね。じゃ、やっぱり船戸様の男色の噂は本当だったんだね」
「明後日か。じゃあ鬼火を取り返しに行くのは明日だな」
お藤は小さく頷いて言った。
「あたしは潮崎に行こう。船戸様のところに囲われている少年たちを助けに行くよ。鬼火の奪還に失敗しても、そこであたしが鬼火を取り返す」
「お藤一人じゃ大変だろう。おいらも行こう」
「よし、それじゃお藤と佐平次は潮崎だ。しのぶと孫六は楢岡でいいな?」
茂助がまとめると、殺し屋たちは黙って頷いた。
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