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第12章 スペードの女王と道化師
書庫の探検隊
しおりを挟むカトリーヌとミシェルはその後も人払いをしたまましばらく話し込んでいたが、もちろんミシェルが未来をすべて解き明かしたわけではない。もしそうなったら、カトリーヌにとって非常に悩ましい事態になっていただろう。未来を断言されるというのは、それ以外の道を断ってしまうということだ。たとえ興味が湧いたとしても、傾向と対策さえあれば十分なのである。その意味では少なくとも、カトリーヌの子が王になると伝えただけでミシェルは役割を果たしたといえる。
王妃は話を変えて天体の話を始める。
「婚礼の年だったと思いますが、メディチのおじである、教皇クレメンス7世のもとにポーランドの聖堂の助祭から手紙と論文が送られてきました。おじがその論文のことを手紙に書いてきたのを覚えています。私は婚礼の行幸がずっと続いていてあまり一人にはなれませんでしたけれど、持参した書物や手紙を読むのが一番の息抜きでした。ええ、この地球が動いているという話だったわね。ちっともそうは感じませんけれど」
ミシェルが、「はい、ニコラウス・コペルニクスですね」と答える。
王妃はそこから質問する。
「天文学、のちの占星術というのはそれこそ、古代ギリシアからあったと思いますが、それはこの大地の回りを太陽や月や何やらが回っているという前提のものでしょう。もしこの大地が動いて太陽の周りを回っているのだとしたら、星の捉え方も変わるのでは? そうすると、これまで占われてきた内容が全く変わるのではないですか」
この女性はたいへんな勉強家だーーとミシェルは感心する。
「カトリック教徒の私がどの説の支持者かということはさておいて、私の思うところとしてお話ししましょう。太陽か地球か、どちらが軸で回っているにしても、特定の時期に、特定の星が、特定の地で観察されるのは確かなことです。大地の回転で、この宮殿の位置が変わるのではないでしょう。月をご覧になってください。一定の周期で満ち欠けをしています。それは古代から変わりません。だとすれば、まだ分かっていないことが多くあるにせよ、天体の観察の結果が変わるのではないということです。時間の定めかたを含めて、これからいろいろなことが分かってくるのだろうと思いますが、それで占星術の基本的な部分が変わることはないでしょう。天体の観測については、すべて太古より人々が連綿と積み重ねてきた結実なのです。私は流れ星などの特殊な星も観察しておりますが、そちらは一定ではありませんので、さらに一考が必要になるかと思います」
ミシェルは王妃に易しく説明した。
カトリーヌはその答えで一応は納得したようだ。
「そう、もう少し詳しいところも伺いたいわね……そういえば、コペルニクスの書物は10年ほど前に取り寄せたのよ。最近は印刷というものがあるから、写本を作らせる手間がかからなくていい。ラテン語を読むのは骨が折れるけれど。ご覧になりたい?」
それは『天体の回転について』という著作で、ミシェルが持っていない本だった。彼は内心から溢れだす喜びを抑えつつ、「ぜひとも眼福に預かりたく、お願いいたします」と即答した。
ミシェルは午後の時間、自由にカトリーヌの書庫を閲覧できることになった。
書庫のドアを開けて中に入ると、人の気配がした。ここには鍵はかかっていないし部屋の番もいない。そもそもこの宮殿に入ること自体がたいへん難しいことなので、中はそれほど警護が厳重なわけではない。なので誰がいてもよいのだが、隠れている様子なので、穏やかではない。
しかしこれは、ミシェルにはとうに自分の書斎で経験済みのことであった。
「ああ、何とすごい書庫だろう。ここを偶然発見した探検家ならば、きっと狂喜乱舞するに違いない!」
ミシェルはやや大仰に感嘆の言葉を発すると、帳面に次々と本の背を写し始めた。すると、おそるおそる長椅子の背の裏から出てくる二つの影があった。
「ムッシュウ・ノストラダムス、ごきげんよう。あなたはどんな本がお好きなのかぜひ知りたいわ」とメアリーが悪びれもせず、真っ直ぐ立っている。その後ろにはエリザベートがちょこんと隠れている。
メアリーの身長はこの時点では明らかにできないが、170cmは優に越えていたと思われる。髪を束ねた天辺まで勘定に入れたならもっとあったかもしれない。王族の身長は推して知るべしで、婚約の釣書以外で公表するようなものではないのだ。
「どれが、などと選り好みしている場合ではないですな。すべてがたいへん貴重なものですし、全部見て回ってからお答えしてもいいでしょうか」
「それでは、1日では済まないわ」とメアリーは口を尖らせる。
「それでは、メアリーさまのご推奨をお聞かせください。スコットランドやイングランドの歴史の本も揃えてありますね」
メアリーはチラリとミシェルの指し示す一画を見る。
「あれは王妃さまが私のために取り寄せて下さったのよ。ケネス1世の話はきちんと読んだけれど、後は……伝説のような、あるいは似たような名前も多いし、まだちんぷんかんぷんと言ったところね。ただ、まだイングランドのヘンリー8世とエドワード6世は出てこないはずよ」
「まだ出てこないでしょうし、メアリーさまがそれをご覧になることもないのではないでしょうか」
「そうね、学びたくもないわ」とメアリーはきっぱり吐き捨てるようにいうと別の書棚にエリザベートを連れていく。
「昨晩も言ったけれど、王妃さまお手持ちの時祷書がとても素敵なのよ。こちらにあるわ」
そこには大判の祈祷書があった。メアリーは重そうにそれを手に取ると、テーブルまで運んでそうっと開いてみる。
「ほら、きのうムッシュウがおっしゃっていた人馬宮がこれよ、エリザベート。人と馬と半分ずつでしょう」
「本当に!弓矢を持っているわ。とても早そうで強そう。メアリーにぴったりね」とエリザベートがはしゃいだ調子で言う。
「この姿は神話のもの、私は弓矢は持たないわ」とメアリーは苦笑する。
「そうですな。メアリーさまが持つのは王冠に、小さな聖堂のついた笏でしょう」とミシェルがポツリと言う。
メアリーがぎょっとする。
「ムッシュウ、あなたはスコットランドに行ったことがあるの?」
「いいえ」とミシェルは答える。
エリザベートが不思議そうな顔をしてメアリーを見る。メアリーはエリザベートに言う。
「小さな聖堂が付いている笏はスコットランド王が持つものなのよ……」
「それでは、ムッシュウはそれを見ずに当ててしまったということ?」
ミシェルはその点は曖昧にぼかした。
「さて、どうでしょうか……それはともかく、この時祷書はたいへん素晴らしいものです。もちろん手描きですし、金彩も実に見事だ。私は小さい頃から時祷書がこの上なく好きでしたが、貴族身分の方以上しか持つことができない、大量に作れないものです。このような最上のものを目にできるなど夢のまた夢でした。ですのでまず、これをじっくり閲覧させていただいてもよろしいですか」
メアリーはふっと微笑んだ。
「ムッシュウがアルマナックを書いている理由がひとつわかった。アルマナックが夢を呼んだというところかしら。ここの蔵書はいくらご覧になられても王妃さまのお許しをいただいているのですから、別に構わないはずよ。でも、夢のような時に、私どもがいてはお邪魔かしら?」
ミシェルは首を軽く振る。
「いいえ、探検隊の邪魔もいたしませんよ。何かありましたらご質問いただければある程度はお答えできるかと。逆にメアリーさまのご存じのことを私にも教えていただけたらなお幸いです」
探検隊は3人になったらしい。
じきに探検隊の人数は増え、本は徐々に征服されていくのだがそれはまだ少し先のことである。カトリーヌは女官やメアリー、エリザベートから書庫の楽しい冒険の話を聞いて心から喜びを感じている。
「学問は、人の学ぶ熱意の度合いによって、大きくその質を変えるものです」とつどつど皆に告げた。
そして、ミシェルが同様の報告をした際に、王妃カトリーヌは脇から箱を出してミシェルの前に置いた。木製だがきれいに塗られている上に、蓋には象嵌細工が施されている。何だろうと箱を見るミシェルの前で、カトリーヌは箱を開けた。そこには何かがエンジのビロードの布でくるまれている。王妃はさらに布をめくった。
そこには色鮮やかに描かれたカードの束があった。ミシェルは目を見張る。
「これは『トリオンフィ』ですね。ミラノやフェラーラにあるという……でも、この紋章は……」
カトリーヌはわが意を得たりとばかりに微笑む。
「そう、これは丸薬の紋様、メディチ家の紋章なのです。そして、枚数を数えてもらえば分かるでしょうけれど、ヴィスコンティ家やデステ家のものより多くて97枚あるのです」
ミシェルは息を飲む。
「97枚ですか!確かヴィスコンティ家のトリオンフィは78枚ですから、21枚多いことになりますな」
カトリーヌは「その通りです」とうなずいてから話を続ける。
「これは私の想像ですけれど、ヴィスコンティ家とスフォルツァ家でこのようなトリオンフィが作られたのを知ったロレンツォ・メディチ(大ロレンツォと呼ばれる)は、フィレンツェでトリオンフィを新たに作らせた。ただ、同じように作るのでは面白くないと考えたのでしょう。象意を整理してさらに多い枚数を作るよう命じたのです。そこには古代ギリシアのタレスやヘラクレイトスが著した中にある四元素の考えなど、古代からの知識も織り込まれました。賭けに使うのが主だったそうですが、いかにも、美と知恵と享楽を愛した大ロレンツォらしい仕掛けです。それだけではなく、このカードはトリオンフィではなく当初は『ミンキアーテ』と呼ばれ、大ロレンツォ亡き後は『ジェルミニ』と名付けられました。これはそのような由来を持つ『ジェルミニ』です」
ミシェルは感心して拝聴している。
いずれも現代では『タロットカード』としてよく知られているものだ。時祷書はたいへん美しい書物だが、誰もがおいそれと作ることができず、見られるものではない。
ミシェルはジェルミニがさらに、貴重なものであると感じたのだった。
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