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第11章 ふたりのルイスと魔王2

人は心に打たれる 1565年 堺

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〈ルイス・デ・アルメイダ、ガスパル・ヴィレラ、日比屋了珪、ルイス・フロイス、雪沙〉

 アルメイダが日比屋家で体調を徐々に戻しているときに、急に現れた人物がいた。
 京で宣教活動をしていたガスパル・ヴィレラ司祭である。アルメイダの話をフロイスから耳にして、京だけではなく堺の宣教活動を積極的に展開しようと思ってやってきたのである。
 あるじの日比屋了珪はたいへん喜び、うやうやしく自邸へ招き入れた。

 ヴィレラ司祭が堺にやって来たのにはいくつかの理由が考えられる。
 京は公家や領主とその係累など、いわゆる「位の高い」人々が多い。宣教の許可を得るためには京にいることがたいへん重要なのだが、堺は商人をはじめ「市民」がほとんどだ。宣教の許可を得ている現在では、堺の商人衆に働きかける方がより多くの信徒を獲得できると考えたのである。もっとも、実のところは京の冬が寒いことに参っていたのかもしれないし、ヴィレラ司祭の日本語が一向に上達しなかったこともあるかもしれない。通訳のロレンソ了斎がいればさほど問題にはならないのだが、不在になるとお手上げだった。京に上ったフロイスから、アルメイダが日本語堪能で説教もきちんとできることを聞いて、彼に通訳も担ってもらおうと考えたのである。

 後に堺へ行く選択は間違いでなかったことが分かるのだが。

 以下しばらく、役職を外して述べる。

 ガスパル・ヴィレラはポルトガル出身で年齢はアルメイダと同じだ。リスボンを発ったのは1551年でアルメイダとさほど変わらないのだが、彼の場合ははじめからイエズス会士として派遣されていたのでゴアで修練につとめ司祭になり、1556年に日本にやってきた。始めは平戸で宣教につとめたが、仏教徒・領主の松浦氏の反発を買って京を目指すことになった。1559年に京に上がり宣教活動を開始した。そして大友義鎮(宗麟)らの後ろ楯もあり、1561年、将軍足利義輝に謁見がかなう。結果、無事に宣教の許可を得て四条坊門姥柳町を拠点に活動していたのだ。

 ここでひとつの視点として、フロイスとヴィレラがやや異なる傾向を持っていることを挙げておきたい。両者ともゴアで司祭となった点では同じなのだが、フロイスが旅の船でアルメイダと懇意になったのに比して、ヴィレラはほとんどアルメイダと交誼を持っていない。加えて、アルメイダは修士である。やや乱暴にいえば、アルメイダは商人上がりのポッと出の部下でしかないということだ。アルメイダの仕事を通して見ていたバルタザール・ガーゴやトーレス司祭、経歴を知っているフロイスとはその点が違う。

 もうひとつ付け加えると、6年滞在していて日本語の通訳なしでは活動に支障があるというのにも多少の違和感を覚える。もちろん、言語の習得には個人差があるし、通訳を付けている方がより威厳のある雰囲気を纏えるかもしれない。他にも利点はあるのだろう。しかし、最初期に来日した修士ファン・フェルナンデスにせよ、アルメイダにせよ、日本人と同じぐらい言葉を使えるのは、日々現地の人々と交流してきた積み重ねの成果でもあるのだ。
 そのように、派遣された国の言葉・文化・生活・習慣に馴染みながら活動する方法は「適応主義」と呼ばれるようになる。しかし、この頃は「適応」することを不要だと思う向きもあったということである。

 話を戻そう。
 ヴィレラ司祭は日比屋家に滞在しているアルメイダのもとを訪れ、堺の商人と対面したいので「帯同するように」と告げた。
「アルメイダ修士の体調が悪いため逗留している」というのは過去の話で、もう考慮には入らないようだった。
 そこからはあれよあれよという間に、アルメイダの今後の予定が決められてしまった。堺を回ったあとで京に向かい途中で有力者のもとを訪ねるーーというのが大まかな話だが、全行程でヴィレラ司祭の通訳をすることになる。

「まだ本調子やおまへん。悪いことはいわん。もう少し待ってもろうたら……」

 明日から堺を回り、数日したら京の方に向かうーーというアルメイダに日比屋了珪も小桃も懸念の言葉を隠さなかった。
 ただの風邪や食あたりではない。アルメイダは死人のような顔色、意識朦朧な状態でこの家にやって来たのだ。まだ春には間があるのに外に出ずっぱりになる、さらにそのまま旅に出るなど体調を悪化させるばかりではないか。それは皆が分かっている。日比屋のあるじは説き伏せようとした。だが、アルメイダはさびしそうな目をして、首を横に振るばかりだった。
「本当に皆さんにはお世話になるばかりで、何も恩返しができませんでした。あと数日ということになりましたが、空いた時間で最後までお話させていただけると嬉しいです」
 本人が行くという以上、止めることはできない。

 アルメイダは雪沙にも滞在があと少しになったことを報告しに行った。雪沙の暮らす離れはこじんまりとした造りだが、庭園もよく見渡すことができる。ただ入口が少し窮屈で、背の高くないアルメイダでも屈んで戸口をくぐらなければならなかった。
「そうか……あまり人心を慮ることがないのか、それとも権威を重んじるのか、両方だな。きっとルイスも見てきただろうが、モザンビークのことを覚えているか」
 アルメイダはうなずく。雪沙は続ける。
「人が人を売り買いしている。そんな市場があった。ひとつの象徴だ。あれは古代ギリシアにもローマにもあったという。私も、まったく無縁だったとは言わないが面白くもない『習慣』だった。ただ、それが普通だと思う人間が少なからずいる。実に根の深い問題で、私たちがどうこうできるものではないのだが、時代が前に進むのならば取り払わねばならない考えでもあると思う。ルイス、私の言いたいことが分かるか」
 ルイスは静かにうなずく。
「残念なことだが、これからそれがおまえの前に立ちはだかることがあるだろう。国や、それに類する大きな力だけではない。その中でおまえはもっと開かれた人、目覚めた人を見つけていくべきと思うのだ。場合によっては、聖堂の中にいないことがあるかもしれない。それならば目をはるか遠くに凝らせ。もし何も見えないときは、おまえの側で熱心に話を聞く人が救いになるだろう。おまえならば必ず見つけられるはずだ。いや、もうたくさん出会っているはずだ。
例えば、小桃さまがあれほどおまえの話に心を打たれたのはなぜだ? おまえの力か、いや違う。ひたむきにイエス・キリストの教えを伝えようとする、おまえの心に打たれたのだ。その心の向こうにイエス・キリストを見たのだ」

 ルイスは雪沙の言葉に感動していた。
 知り合ってそれほど時間も経っていない老人の言葉が、自分のこれまでの苦労をすべて洗い流してくれるようにさえ思えたのだ。
 思わずアルメイダは声を上げて泣いてしまいそうになった。それをかろうじて抑え、何とか雪沙に礼を言おうとする。しかし「雪沙さま……」と言ったきり、言葉が続かない。

「今日はゆっくり休むといい。身体は大事に」
 雪沙は微笑んでルイスをねぎらうように言う。

 まだ春までには間があるが、アルメイダの養生の日々はもうすぐ終わりになる。

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