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第11章 ふたりのルイスと魔王2
心を伝えたい 1565年 堺
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〈ルイス・デ・アルメイダ、日比屋了珪、小桃、雪沙〉
どれぐらい、私は眠っていたのだろうか。
ときどき起こされて白湯や粥、薬を与えられたような記憶が断片のように浮かんでくるのだが、その合間の間断なく鈍い痛みの波に飲み込まれていくので、どうにもはっきりしない。
私はよく夢を見ていた。
それは、リスボンの坂道から見える夕焼けの海のようでもあったし、マラッカの海風吹く港のようにも見えた。あるいは、豊後の河口に広がる朝焼けのようにも……私の記憶の映像は錯綜し、どこがどこなのか直ちに判別できるものではなかった。私は誰かを探している。心からわき上がる激しい感情に突き動かされるように。しかし、探している人は見つからない。
これが夢なのは分かっている。どれほど記憶が錯綜していたとしても、意識がはっきり戻ってくればすべてが明るみに出るのだ。もし生きていればの話だが。
体調を崩して日比屋了珪の屋敷で寝付いているルイス・デ・アルメイダは数日の間、熱と痛みにさいなまれ意識がはっきりしなかった。フロイスが京に向かうときには二言三言話ができるようになっていたが、自力で起き上がる力はなく熱は高いままだった。
日比屋の娘、小桃は使用人と親身にアルメイダの看病にあたった。食事や投薬だけではなく、部屋を暖かくするよう昼夜とも気を配り、手ぬぐいでこまめに病人の汗を拭き、着替えをさせた。かいがいしいというのはこのことであろう。アルメイダはこれまでの生活のためか痩せ細っていて、たとえ女性ふたりのときでも起き上がらせたり、着替えをさせるのはそれほど困難なことではなかった。
その甲斐あって病人の熱は下がる。また痛みの方も薬が効いたのか楽になってきたようだった。
小桃は日に日に回復していくアルメイダを見て喜んだ。そして、アルメイダは横になった状態で彼女に礼を言う。
「本当に、お礼してもし尽くせません。これほど暖かい場所に滞在したことはなかったです。日比屋さまにも早くきちんとごあいさつしなければいけないのに」
「そんなんお気にされたらあきません。早うようなられるんが一番のお礼、父もそう願うてます」
アルメイダの日本語は何の違和感もなく小桃の耳に入ってくる。異国の人がーー多少の九州訛りがあるもののーーこれだけ自然に日本の言葉を話すことにはじめは驚いた。アルメイダの連れのフロイスにしてもそうだが、異国の人の言葉はたどたどしく、たいていは日本人の通訳を連れているものだ。「ばてれんさん」についてそのように認識していたのだが、それがまるっきりひっくり返ったのである。
「アルメイダさまは言葉が達者、目を閉じたら異国の方とはよう思われへん」と言いながら、小桃は片口の茶碗やらが載った盆を脇に置く。アルメイダは小桃が脇に正座するのを見て、お礼をするように何度も頭を軽く揺らしている。小桃がそれを見て手を胸の前で軽く振る。
アルメイダはうなずいて天井に向き直る。
「やはり、じかに話さないと、なかなか心が通じないと思うのです」
小桃は正座して聞いている。
「同宿という信徒が付いてくれることもあります。ただ、その人に通訳を頼むばかりでは心までは伝わりません」
「心、ですか」と小桃は聞く。
アルメイダは小桃の方に頭をかすかに向けてうなずく。
「私は船医から貿易商になりました。ですので、商品の取引についてはよく知っています。相手が欲しいものを私が持っていれば、値を決めて商いをすることができます。例えばマスケット銃などはまだ高く売れます。商いはそれでいい。商品とお金の間に心を入れる必要はありません。強いていえば、確かな商品を扱っているという信用ぐらいでしょう」
「ええ、うちも商人の娘ですよって、おっしゃられることはよう分かります」と小桃は応える。
「ええ、そうでしょう。ですが、私たちの伝えたいことは商品ではないので売り買いはできません。ジェズ(イエス)の教えとその心を世界中に伝えるのが私たちの務めなのですが、特に日本はそれを知ってもらうのに、ふさわしい国だと思っているのです」
「それは、どうしてですの」と小桃は尋ねる。
そこでアルメイダはかつて豊後府内で見た光景を語った。
流れが早く増水した府内川の中洲に小さい子どもが取り残されていた。アルメイダは周囲の人が何もしないことに驚いて助けようと川に飛び込んだ。しかし流れは強く彼も思うように進めない。そして、子どもはアルメイダが中洲にたどり着く前に流されてしまった。
「おっとぉ、おっかぁ……」と泣き叫ぶ声はその後も長くアルメイダの耳に刻み込まれたままだ。
びしょ濡れで岸にたどり着いたアルメイダが駆け寄った人から聞いた言葉もまた、信じられないようなものだった。
「ばてれんさん、ありゃダメだ。間引きったい」
間引き、すなわち親が子を捨て、時に死に至らしめる行為である。アルメイダはそのような言葉を知らなかったし、もちろん見たこともなかった。怒りと悲しみがせめぎあうような状態のまま宿舎に戻り、指導役のバルタザール・ガーゴ司祭に激しい問いを投げかけた。ガーゴ司祭はアルメイダの言葉を受け止めて、「ここであなたはさまざまなものを見るでしょう」と諭す。
その後彼らはハンセン病患者の療養施設・病院・乳児院を建てることを領主の大友義鎮(宗麟)に願い出ることにした。そして、西洋のキリスト教国にも見られる信徒の互助組織『ミゼリコルディア』をつくった。
無事に許可を得て与えられた用地に建物を築く費用の多くはアルメイダが出した。それまでの貿易で得た収入を多く持っていたのである。それらは惜しみなく病院建設のみならず日本のイエズス会運営のため寄付された。
これは日本で初めて建てられた病院で、豊後の宣教師・信徒や漢方医によって運営が進められたが、いろいろな事情により数年で閉鎖を余儀なくされた。
そのいきさつについては、これまでも記してきたところである。
「私たちの国が立派だとは言いませんが、子どもを殺すことは明らかに犯罪です。ただ、そのように並べ立てて日本人が野蛮だということはできません。なぜ親が子どもを殺すのでしょうか。そこには親が子を育てきれない貧しさがあります。そのようなことを理解し、助け合うことの大切さを、誰もが同じように愛され、救われることを知ってほしいのです。それを伝えるのに、異国の言葉でまくしたてるだけではいけません……」
そこまでゆっくり話して、アルメイダはふっと小桃を見た。
彼女ははらはらと涙をこぼしていた。
アルメイダは驚いて、言葉を止めた。
アルメイダに涙顔を見られたことに気づいた小桃は、慌てて小袖の懐から柔らかい紙を取り出して目の周りを軽く拭いた。
「ああ、何や眼病ですやろか……けどうち、分かりましてん」
「どのようなことでしょうか」
「アルメイダさまに言葉を教えた皆さんはきっと、アルメイダさまの心を受け取ってはる。せやからアルメイダさまも皆さんの心を受け取ってお話されてはる。日本の言葉が達者なんはそれゆえなんやわ」
「そうですね」とアルメイダは微笑んだ。
日比屋屋敷の一画で逗留しているもう一人の老いた異国人はーーもう寝付いていなかったがーー小桃の話を聞いて静かに言った。
「彼は……宣教師になるよう運命に導かれたのかもしれないな」
小桃もまったく同感だった。
どれぐらい、私は眠っていたのだろうか。
ときどき起こされて白湯や粥、薬を与えられたような記憶が断片のように浮かんでくるのだが、その合間の間断なく鈍い痛みの波に飲み込まれていくので、どうにもはっきりしない。
私はよく夢を見ていた。
それは、リスボンの坂道から見える夕焼けの海のようでもあったし、マラッカの海風吹く港のようにも見えた。あるいは、豊後の河口に広がる朝焼けのようにも……私の記憶の映像は錯綜し、どこがどこなのか直ちに判別できるものではなかった。私は誰かを探している。心からわき上がる激しい感情に突き動かされるように。しかし、探している人は見つからない。
これが夢なのは分かっている。どれほど記憶が錯綜していたとしても、意識がはっきり戻ってくればすべてが明るみに出るのだ。もし生きていればの話だが。
体調を崩して日比屋了珪の屋敷で寝付いているルイス・デ・アルメイダは数日の間、熱と痛みにさいなまれ意識がはっきりしなかった。フロイスが京に向かうときには二言三言話ができるようになっていたが、自力で起き上がる力はなく熱は高いままだった。
日比屋の娘、小桃は使用人と親身にアルメイダの看病にあたった。食事や投薬だけではなく、部屋を暖かくするよう昼夜とも気を配り、手ぬぐいでこまめに病人の汗を拭き、着替えをさせた。かいがいしいというのはこのことであろう。アルメイダはこれまでの生活のためか痩せ細っていて、たとえ女性ふたりのときでも起き上がらせたり、着替えをさせるのはそれほど困難なことではなかった。
その甲斐あって病人の熱は下がる。また痛みの方も薬が効いたのか楽になってきたようだった。
小桃は日に日に回復していくアルメイダを見て喜んだ。そして、アルメイダは横になった状態で彼女に礼を言う。
「本当に、お礼してもし尽くせません。これほど暖かい場所に滞在したことはなかったです。日比屋さまにも早くきちんとごあいさつしなければいけないのに」
「そんなんお気にされたらあきません。早うようなられるんが一番のお礼、父もそう願うてます」
アルメイダの日本語は何の違和感もなく小桃の耳に入ってくる。異国の人がーー多少の九州訛りがあるもののーーこれだけ自然に日本の言葉を話すことにはじめは驚いた。アルメイダの連れのフロイスにしてもそうだが、異国の人の言葉はたどたどしく、たいていは日本人の通訳を連れているものだ。「ばてれんさん」についてそのように認識していたのだが、それがまるっきりひっくり返ったのである。
「アルメイダさまは言葉が達者、目を閉じたら異国の方とはよう思われへん」と言いながら、小桃は片口の茶碗やらが載った盆を脇に置く。アルメイダは小桃が脇に正座するのを見て、お礼をするように何度も頭を軽く揺らしている。小桃がそれを見て手を胸の前で軽く振る。
アルメイダはうなずいて天井に向き直る。
「やはり、じかに話さないと、なかなか心が通じないと思うのです」
小桃は正座して聞いている。
「同宿という信徒が付いてくれることもあります。ただ、その人に通訳を頼むばかりでは心までは伝わりません」
「心、ですか」と小桃は聞く。
アルメイダは小桃の方に頭をかすかに向けてうなずく。
「私は船医から貿易商になりました。ですので、商品の取引についてはよく知っています。相手が欲しいものを私が持っていれば、値を決めて商いをすることができます。例えばマスケット銃などはまだ高く売れます。商いはそれでいい。商品とお金の間に心を入れる必要はありません。強いていえば、確かな商品を扱っているという信用ぐらいでしょう」
「ええ、うちも商人の娘ですよって、おっしゃられることはよう分かります」と小桃は応える。
「ええ、そうでしょう。ですが、私たちの伝えたいことは商品ではないので売り買いはできません。ジェズ(イエス)の教えとその心を世界中に伝えるのが私たちの務めなのですが、特に日本はそれを知ってもらうのに、ふさわしい国だと思っているのです」
「それは、どうしてですの」と小桃は尋ねる。
そこでアルメイダはかつて豊後府内で見た光景を語った。
流れが早く増水した府内川の中洲に小さい子どもが取り残されていた。アルメイダは周囲の人が何もしないことに驚いて助けようと川に飛び込んだ。しかし流れは強く彼も思うように進めない。そして、子どもはアルメイダが中洲にたどり着く前に流されてしまった。
「おっとぉ、おっかぁ……」と泣き叫ぶ声はその後も長くアルメイダの耳に刻み込まれたままだ。
びしょ濡れで岸にたどり着いたアルメイダが駆け寄った人から聞いた言葉もまた、信じられないようなものだった。
「ばてれんさん、ありゃダメだ。間引きったい」
間引き、すなわち親が子を捨て、時に死に至らしめる行為である。アルメイダはそのような言葉を知らなかったし、もちろん見たこともなかった。怒りと悲しみがせめぎあうような状態のまま宿舎に戻り、指導役のバルタザール・ガーゴ司祭に激しい問いを投げかけた。ガーゴ司祭はアルメイダの言葉を受け止めて、「ここであなたはさまざまなものを見るでしょう」と諭す。
その後彼らはハンセン病患者の療養施設・病院・乳児院を建てることを領主の大友義鎮(宗麟)に願い出ることにした。そして、西洋のキリスト教国にも見られる信徒の互助組織『ミゼリコルディア』をつくった。
無事に許可を得て与えられた用地に建物を築く費用の多くはアルメイダが出した。それまでの貿易で得た収入を多く持っていたのである。それらは惜しみなく病院建設のみならず日本のイエズス会運営のため寄付された。
これは日本で初めて建てられた病院で、豊後の宣教師・信徒や漢方医によって運営が進められたが、いろいろな事情により数年で閉鎖を余儀なくされた。
そのいきさつについては、これまでも記してきたところである。
「私たちの国が立派だとは言いませんが、子どもを殺すことは明らかに犯罪です。ただ、そのように並べ立てて日本人が野蛮だということはできません。なぜ親が子どもを殺すのでしょうか。そこには親が子を育てきれない貧しさがあります。そのようなことを理解し、助け合うことの大切さを、誰もが同じように愛され、救われることを知ってほしいのです。それを伝えるのに、異国の言葉でまくしたてるだけではいけません……」
そこまでゆっくり話して、アルメイダはふっと小桃を見た。
彼女ははらはらと涙をこぼしていた。
アルメイダは驚いて、言葉を止めた。
アルメイダに涙顔を見られたことに気づいた小桃は、慌てて小袖の懐から柔らかい紙を取り出して目の周りを軽く拭いた。
「ああ、何や眼病ですやろか……けどうち、分かりましてん」
「どのようなことでしょうか」
「アルメイダさまに言葉を教えた皆さんはきっと、アルメイダさまの心を受け取ってはる。せやからアルメイダさまも皆さんの心を受け取ってお話されてはる。日本の言葉が達者なんはそれゆえなんやわ」
「そうですね」とアルメイダは微笑んだ。
日比屋屋敷の一画で逗留しているもう一人の老いた異国人はーーもう寝付いていなかったがーー小桃の話を聞いて静かに言った。
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