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第11章 ふたりのルイスと魔王2
気さくなパードレ 1564年 平戸
しおりを挟む〈ルイス・フロイス、ルイス・デ・アルメイダ、コスメ・デ・トーレス、大村純忠、大友義鎮(宗麟)〉
船旅の後の徒歩が続いた結果、ルイス・フロイスは赴任した平戸の地で体調を崩していた。
彼はまだ30歳をいくらか越えたばかり、若く壮健である。体調不良も致命的な大病ではなかったが、しばらく静養に務めることとなった。
彼が体調を崩したのには、この国の宣教が難事に直面していたことも無関係ではないのかもしれない。
豊後から肥前に本拠地を移していた彼らは、提供された横瀬浦(現在の長崎・西浦市)の港を焼き討ちされて、在地の人は足止めされたポルトガル船に起居せざるを得なくなった。その中で豊後でルイス・デ・アルメイダとともに活動に勤しんでいたドゥアルテ・ダ・シルバ修士が病に倒れ、日本における宣教を指導していたコスメ・デ・トーレス司祭も寝付いてしまう。
希望を抱いてこの国にやってきたフロイスは現実ーーこの国の異教徒(仏教徒)の激しい反発の様子ーーを見て大いに恐れ、意気消沈していた。
そこへアルメイダが戻ってきて、ドゥアルテ・ダ・シルバとトーレス司祭の診療・看護にあたる。アルメイダはまたすぐに豊後へ行き、高瀬(玉名・熊本)、口之津(島原・長崎)と移動し続けることになる。
聖堂は焼かれてしまったが、まだ彼らにはこれまでに築いてきた拠点がいくつもあった。移動巡回を続けるのには理由がある。横瀬浦での事件があって、他の土地の信徒にも迫害があったり、動揺があってはならなかった。また、豊後の大友義鎮のようにアルメイダを医師として呼ぶ領主もあった。
イエズス会では宣教師の医療行為を禁じていたので、アルメイダは「人道的にやむを得ない」ということで患者を診ていたと考えられる。
キリスト教が大友氏や大村氏、有馬氏のような領主にすんなり受け入れられたのは、アルメイダが時には医師として領主の要望に応えたことが大きいのだろう。そして、土地を治める者が信徒になればその宗教には保証がついたのも同然となる。
そのように領主に呼ばれて赴くことも珍しくなくなったが、アルメイダにとっての本当の喜びは変わらないーー前回訪れた時に出会った人々との再会、そして新たな人々との出会いーー要するに村や町の人々に会うことだった。
仏教徒の反感は無視しがたいものがある。『イクサ』という戦闘は頻繁に起こり巻き込まれることもある。何より、ひたすら移動し続ける日々は身体には大きな負担だ。それでもアルメイダが活動をたゆまず続けたのは大きな喜びがそこにあるからだった。
フロイスにはまだ、それが理解できてはいない。この国はまだ彼にとって危険で得体の知れない国だった。それゆえ、不安にもなってしまうのである。
アルメイダに次々と指示を出していたトーレス司祭も彼の果たしている役割をよく分かっていた。彼なしでは九州の宣教は成り立たない。だからこそ彼に次々と命じるしかないのだが。
司祭は率直にアルメイダの働きをゴア(インド)に報告していた。それが効いたのだろうか、永禄7年(1564)にゴアからの手紙が届いたのである。
ルイス・デ・アルメイダとルイス・フロイスを京に派遣するようにーーという内容であった。
ゴアがこの国の状況を知っていたとは考えづらいが、この時期の京都は一触即発の状態になっている。改元のなかった件をさきに述べたが、将軍足利義輝と三好長慶らの対立、そして長慶の死によって三好の中で分裂の兆しも見えていた。すでに現地に入っているガスパール・ヴィレラもロレンソ了斎も全体の流れを詳細に把握していなかっただろう。かつて、トーレス司祭とフェルナンデス修士が山口で大寧寺の乱に巻き込まれたことがあったが、それに匹敵する時期であった。
出来事の巡り合わせというのはまことに不思議なものである。この時期にふたりのルイスが揃って京に旅立つ、それはふたりの今後の道を定める旅にもなるのだった。
旅立ちのためふたりが平戸で合流したのは永禄7年の秋深い時分だった。フロイスの健康は回復しており、ふたりはそれを心から喜んだ。
船が出るまでの2週間あまり、アルメイダは久しぶりにひとつところに腰を据えることができた。
立場でいえば、フロイスはぱーどれ(司祭)でアルメイダはいるまん(修士)である。フロイスにアルメイダが付き従う形になる。しかし、このふたりにとって、それは軍隊のような上下関係を意味しなかった。フロイスはリスボンを離れてからこれまでの時を取り戻そうかとするように、アルメイダの話を聞きたがった。確かにアルメイダの話を聞けば、九州における宣教活動はほぼ網羅できるのだ。アルメイダも自身の九州巡回について書き記しているのだが、フロイスの筆達者ぶりにはとても敵わなかった。
「ああ、道が凍りついていたのですか。この国でもそれほど寒いことがあるのですね。確かに冬は結構冷え込むと思いましたが、凍ってしまうとは驚きです。毛皮の上衣を持っていればよかったのでしょうが」
「毛皮など持ってはいないです。本当に寒くて寒くて。里の人が気を使って山道まで迎えに出てくれたのです。皆さんに案内されて、温かい食べ物をいただいたときは、本当に生きていてよかったと思いました」
フロイスはアルメイダの話を所々書き取っている。
「先に日本語を習得したフェルナンデス修士も素晴らしいですが、豊前から薩摩まで、九州をくまなく回ったあなたの宣教活動は、ザビエル師以後の大きな成果としてきちんと残すべきです。私はなにやら、力が沸いてくるような気がします。書くのは誰よりも好きだと言い切れますから。
船に乗ってしまうときちんと書き付けておくことが難しくなりますから、それまでの間にこれまで辿った道をすべて教えてください」
「えっ、すべてですか。覚えているかどうか」とアルメイダは驚く。
「思い出してもらいますよ」とフロイスは笑う。
アルメイダは気さくなぱーどれの口調を聞くと心から安堵する。日本に来たときはガーゴ司祭やシルバ修士しか知っている人がいなかった。もちろん、ともに暮らせば、ともに過ごせば人は知り合っていく。ただ、毎日が知らない人との出会いの連続だったらどうだろう。心を開いて話さなければお互いに打ち解けることは難しいし、毎日がその連続ならばどれほど慣れても疲れてしまうだろう。
もっとも最初の頃、川の中洲に捨てられ流されていく子どもを見た。間引きだった。
流れが激しく、子どもを助けることはできなかった。
「人を救いたい」
アルメイダは強い発起の念を持ってここまで来た。
それでも、人見知りというわけではないが社交的とまではいえない彼にとっては、慣れるまでに相応の修練が必要だっただろう。
リスボンで一緒の船に乗り合わせたフロイスはアルメイダにとって稀有なほど安心できる人だった。お互いの身の上を知っていて、立場が変わっても態度が変わらない。そしてあらゆることに、自分のような人にも大きな興味を抱いてくれる。アルメイダはフロイスを日本に遣わしてくれた神に、心から感謝していた。
平戸に船が来るまでの間、ふたりは飽くことなく会話を重ね、フロイスは話が済んだあとアルメイダの言葉を清書し続けた。
やがて、平戸に船が入る。
瀬戸内海を抜けて京に向かうのだ。
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