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第11章 ふたりのルイスと魔王2
道理を聞かぬなら去ってもらう 1563年 美濃
しおりを挟む〈竹中重治(半兵衛)、斎藤龍興、織田信長〉
織田信長が美濃を射程圏に置いてからしばらく時間が経っていた。幾度かの攻防戦があったが、永禄6年(1563)まで、どちらかにとって決定打になる事態には至っていない。
美濃の稲葉山城では織田信長と同様、近江の浅井氏や六角氏との同盟を模索していたが、双方同士でも一触即発となり、動向は定まらなかった。
そのような中で、美濃の支配体制もぐらぐらと揺らいでいるのを家中の誰もが感じている。斎藤家の重臣である美濃・菩提山城主の竹中重治は斎藤家の行く末を憂いていた。彼はまだ数えで二十歳になろうかという若さだが、家中でも発言力を増していた。
美濃の状況を体現しているこのひとりの男を紹介しておこう。
彼の父、竹中重元は守護土岐氏を経て斎藤道三に付いていたが、斎藤道三と義龍(後に自身が出自とした一色氏を名乗る)親子の戦が勃発する。重治の初陣は皮肉なことに、親子が激突した長良川の戦い(弘治2年ー1556年)になる。初陣といえば、ある程度安全な位置に置かれて実戦の経験を得るものであるが、青天の霹靂のごとく子が反旗を翻して勃発した戦いではそのような余裕はなかった。重治はたまたま不在だった父に成り代わって指揮を執り、攻めてくる義龍の手から自城を守備したのだ。戦いは結局息子の義龍が勝利したので、竹中の郎党は改めて義龍に付いた。
義龍はそれから5年後、永禄4年(1561)に病気(といわれる)で世を去った。跡はその子の龍興が継いだがここから美濃の舵取りは怪しいものになっていく。家中で力を持っていたのは「西美濃三人衆」と呼ばれた稲葉一鉄、安藤守就(もりなり)、氏家卜全(うじいえぼくぜん)らの家臣で、斎藤義龍の猛将となって活躍していた。しかし、義龍の跡を継いだ龍興は違う考えを持っていたか、若さゆえの冒険心を持っていたのだと思われる。まだ数えで14歳の彼は遊興を好み、そちらに多くの時間を割くようになった。当然、「それでは困る」と訴える古参の家臣とはまったく反りが合わない。4つ歳上で年齢が近い竹中重治もその例に違わなかった。その代わりに自身に素直に従う者を身近に置き、その間の対立が目に見えてはっきりしてきた。
もっとも、尾張の織田信長が大うつけと呼ばれた少年の頃から一国を統べるまでになった剛勇譚
を知って、戦意を失っても不思議ではなかっただろう。器の違いというものをはなから知ってしまったのである。一概に責める話ではない。
龍興が代を継いだ3日後、隙をついて信長は美濃に攻め込んできた。永禄4年(1561)のことで、森部の戦いと呼ばれている。織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村から長良川を越えて森部村に進み龍興勢と戦闘になった。龍興の美濃勢6000が墨俣の下宿から押し寄せてきたところを、三手に分かれた織田勢が挟み打ちにした。彼らは総勢1万5千ともいわれる上に挟み打ちにされたので、いかんとも対抗しがたかった。
壊滅される前に戦は終結したが、龍興勢の犠牲は320人に上った。その中には日比野清実、長井衛安ら重臣も含まれていた。それから十四条・軽海、小口城合戦、稲葉山城進攻など、比較的小規模な戦闘が続いたが、美濃勢が辛勝する流れになっている。その後信長は美濃攻めに本腰を入れる目的で小牧山城の築城に入るので、小康状態に移る。
竹中重治は森部の頃からひとりでしばしば考えていた。じき目と鼻の先に信長が堅固な城を築き始めたのも不気味なことこの上ない。
彼は天文13年(1544)の生まれなので道三の台頭から永禄までのあらましは親から見聞きして、あるいは実戦に臨んで理解している。その上で信長に対抗できる手はあるはずだと思っていたのである。そもそも、森部の戦いにしても敵が三方から攻めてくるというのを事前に知っていれば、数で圧倒的に劣っていたとしても、もっと地の利を生かすことができたはずだ。少なくとも将たる重臣をあっけなく失うような事態にはならなかっただろう……情勢を考えれば考えるほど、自国の体勢が整っていないアラばかりが見える。
尾張と拮抗する力を持つには、また少ない戦力で勝利を得るためにはどうしたらよいのか。何より、主君の龍興が家中を束ねるように仕向け、一体となって事にあたるにはどうしたらよいかーーそれが一番の大事であるに違いなかった。そのような視点での彼の戦略的提言は次第に家臣団の中で重きを置かれるようになっていく。
戦いはじきにやってくる。
永禄6年(1563)には再び織田信長が攻めてくる。この時には美濃により近い小牧山城からおよそ5700の勢で出陣しており、前回よりも強固に整えられた軍勢といえた(森部の1万50000というのはいささか多い数のように思われる)。池田恒興らが先陣、森可成、柴田勝家、丹羽長秀と続き、もちろん信長が大将である。
目指すは目視できる川向かいの稲葉山城、彼らの通過点になるのが明白な新加納の地に、竹中重治の提言で兵が効率よく配置された。迎撃戦ということになる。このときも美濃勢は3500と信長勢より少なかったが、戦い方によっては有利になると訴えたのである。
龍興勢は牧村半之助、日根野弘就・日根野盛就、長井道利らで構成されていたが、それぞれがあらかじめ持ち場を定められ、臨機応変に動くという戦術が図にはまった。先陣から信長勢は崩され、第二、第三の隊も必死に攻め入るが重役を任されて意気軒昂な日根野隊に圧倒される。信長勢は一気に敗色濃厚となり、退却を余儀なくされた。
この勝利に美濃勢は歓喜した。
もちろん、竹中重治も自身の戦略が功を奏したことにしっかりとした手応えを感じていた。今後の戦いにも勝機を得たような心持ちだった。それは美濃三人衆と呼ばれた重臣たちも同じで、これで改めて斎藤の家中が一体となってことに当たれる。そのような希望が生まれていた。
その中で、士気が上がっていなかった人の筆頭が当主の斎藤龍興だったことは残念だという一言しかない。しかも、龍興の側近である斎藤飛騨守(名は伝わっていない)が竹中重治とことごとく対立した。また、龍興自身年齢を重ねても酒色を好む傾向は改善せず、家臣団との軋轢が大きくなるばかりだった。
川向こうの小牧山城では主君が話をしている。
「まったく、新加納の戦は散々な始末だったでや」と信長が淡々とこぼす。
「お屋方さま、それも長く続くものではないと思われますで、何しろ肝心の城主が家臣団のいうことを聞かず遊び呆けとるそうで」
「ああ、細作(さいさく)からもしょっちゅうそんな話が入るで、じきに何事か起こる」
「しかし、美濃方の竹中なにがしというのはなかなかの策士でございますな。あのような輩がわが勢にいたら頼もしいものですが」
「おぬしもさように思うか」
「は、畏れ多いことを。お許しくださいませ」と信長の家来は後ろに飛び下がって平頭する。
「いや、さように敵の人となりを冷静に見るのは肝要でや。確かに、まだ若く頭の切れる男は欲しい。まあ、美濃がどうなるか見ておけばよい」
信長は立ち上がって、城の窓の方へスタスタと歩いていく。そして、じっと川の向こう側を見据える。稲葉山城の姿がはっきりと認められる。
彼は川向こうの地を手にすることを少しも疑っていないようだった。
その見立て通り、翌年の永禄7年(1564)、美濃に変事が起こった。
もともと竹中重治と対立のあった斎藤飛騨守が殺害される。手を下したのは重治とその岳父である安藤守就の手の者である。もちろん、飛騨守を殺害するだけが目的ではない。美濃を守るために奮闘している家臣団が、道理を尽くして更正を説いても一向に変わらない主君・斎藤龍興を追い落とすことが主である。彼らは稲葉山城を占拠する。いわばクーデタである。龍興は鵜飼山城、さらに祐向山城へと逃走した。この占拠事件はすぐには解決せず、龍興を支持する勢力による攻撃などを経て、半年後には龍興に返還される。
このことで竹中重治はまだ若年だったが城を下り隠棲することになる。
半年も龍興が追放されるという事態は周辺の国すべてが知るところとなっている。国主の支配力が弱体化しているのが公然とさらされた。もっと簡単にいうなら攻めるのに絶好の機会が来たということになる。
信長が待っていた時がやってきた。
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