上 下
344 / 473
第10章 ふたりのルイスと魔王1

八面六臂のアルメイダ 1557年 大分

しおりを挟む

〈ルイス・デ・アルメイダ、ドゥアルテ・ダ・シルヴァ、パウロ・キヨゼン(横倉清善)、トマス内田、ミゲル、クララ〉

 豊後府内に建てられた病院は、望ましくはないのだが連日繁盛している。
「傷の化膿が進んでいます。切開した方がよかです。いっとき痛みを覚えますが、大丈夫、治ります」
 医師に言われた男はぎょっとして目を見開く。

 彼は農作業をしているとき、藪に脚をとられひどく転倒した。膝にケガをしたが擦り傷程度だと水で流した後は十日ほど放っていた。するとみるみるうちに患部がひどく化膿し、どれだけ流しても周辺の皮膚まで膿が広がっていった。そして、城下に医者が治療する場所があるという噂を聞き、この病院にやってきたのだ。

「えっ、セッカイ? 脚を切るっちゅうと。いや、それはできんこつ」と男は怖じ気づく。切り開く、いわゆる手術がどのようなものかも分からないので、自然な反応である。
「何ば肝っ玉の小さかこつ。アルメイさまは腕の確かな外科医やけん、どんと任しんしゃい」
 看護師のクララがにこにこと話しかける。

 彼女は近郷の女性で洗礼を受けている。宣教師が中心になって病院を建てることになったとき、希望して看護師として奉仕することになったのだ。このときの日本に看護師という職業はない。なので、医師の補助をする仕事を一から覚えなければならない。たいへんな激務であったが、にこにこと患者に接していた。

 治療の必要な人が異国人の医師に臆して、そのまま帰ってしまったりしてほしくはない。日本人の自分が繋ぐ役目をしよう。

 「使命」だと考えていたのである。

 アルメイさま、というのはこの病院で唯一外科手術のできる医師で修道士(いるまん)、ルイス・デ・アルメイダのことである。彼はこの病院の院長の役目もしている。外科助手が同じポルトガル人のドゥアルテ・ダ・シルヴァである。そして、内科にはパウロ・キヨゼン(横倉清善)、トマス内田、ミゲルの三人が担った。パウロら三人は日本人の漢方医である。
 それぞれが目の回るような忙しさだった。
 内科漢方医は病院で診察するだけでなく、求めに応じて往診に赴き、薬の調合もしていた。昔からある職業なので人々も違和感がない。こちらの需要はたいへん多かった。
 外科の仕事も、これまでにない治療をするだけに着手するまでの時間がかかる。どのような処置・手術をするのか、西洋とイスラム医学を知らない者にとっては、魔術や呪術と同じだったのだ。だからこそ、クララのように患者を安心させる存在が必要だった。
 それはアルメイダもダ・シルヴァもよく分かっている。なので、二人とも日本語の習得にはたいへんな労力をかけた。教わるのが在地のことばのためそちらに寄ってくるのは道理である。彼らを初めて見る患者は、日本語を流暢に話す異国人にまず面食らうのだった。
「これでよか。あとは十分に養生しんしゃい」

 患者が帰宅した後、クララがアルメイダに言う。
「アルメイ様、お疲れさまでございます。さきほど、うちから握り飯やら届きましたけん、召し上がりゃんせ」
「ああ、いつもありがたかこつ。パウロはいますか」
「しぇんしぇい(先生)はまだ往診に出とらっさるけん、アルメイ様とシルヴァ様で先にどうぞ」

 宣教師である二人は医者以前にイルマン(修士)なので、先生と呼ばれるのを断った。ただ、パウロらはこれまでも漢方医として先生と呼ばれてきたのでそのままだ。

 アルメイダは心配そうな表情になって、木戸をそっと開けて外を見る。
「パウロもトマスもここへ来てから働き詰めです。ここのところひどく疲れた様子やけん、少し仕事を減らした方がよか思っちゅう」
 ダ・シルヴァはポルトガル語で言う。
「Eu acho que ele tem órgãos internos ruins.」
(内蔵を悪くしているのではないでしょうか)
 アルメイダはうなずいて答える。
「やけん、少し往診を控えるように伝えます。私ももう少し、漢方医学を学んでおけば替わりもできっと」
 クララがそれを聞いてすっとんきょうな声を上げる。
「いるまんのお勤めもござりんしゃるのに、漢方医の替わりまでしとったら、アルメイ様まで倒れてしまうとです!」
 アルメイダは苦笑する。


 この病院の建物にはいくつもの役割があった。いや、病院はその一部だともいえる。デウス堂(聖堂)があり、宣教師らの居宅があり、病院と疱瘡患者のための病棟があり、捨てられた子のための乳児院もあった。複合施設である。
 ここは開かれた場所だ。信徒が集まるのはもちろんだが、病院はキリスト教の信徒でなくとも訪れることができる。府内城下と近郷の人々を対象に考えていたが、話はまたたく間に広がり遠方からも人がやってくるようになった。さすがに往診はあまり遠くまでは行かないが、来た人を断るわけにはいかない。そのような事情で、どうにもてんてこ舞いになっていたのだ。

 アルメイダやダ・シルヴァが危惧していた通り、往診に走り回っていたパウロは体調を崩して寝付いてしまう。そしてほどなく息を引き取った。もともと病の気を持っていたかは分からないが、激務による過労がそれを悪化させたのは間違いなかった。そして、パウロの弟子のトマスも倒れてしまう。アルメイダの望むところではなかったが、開院数ヵ月で病院の規模を縮小せざるを得なくなっていた。
 それは乳児院の方がより顕著だった。
 アルメイダがこの地に病院と乳児院が必要だと思うようになったのは、間引きにされる子どもの姿を見て激しい衝撃を受けたからだった。それなので乳児院をどうしても開設したいと願っていた。
 しかし実際に開いてみると周囲の悪い噂が大きな障害になった。心ない人は宣教師が子どもに牛や山羊の乳を与えていると非難した。そのような習慣のない国なので仕方がないが、ひどく非人道的な扱いだと攻撃の的になった(間引きの方が非人道的なのだが)。それに加えて、宣教師の持っていた葡萄酒まで槍玉に上げられる。それが葡萄で作ったものだと分からない人はあろうことか、「ばてれんは子どもの血を飲んでいる」と悪鬼羅刹呼ばわりをするようになった。
 乳児院は間もなく閉鎖を余儀なくされる。

 何もかもが初めてのことばかりだったので、運営していくのは大変な労力が必要だった。習慣の違いも大きい。それでもアルメイダはこの土地に病院が必要だと心から思っていたので、乳児院を止めることになっても病院は継続させたいと心から願っていた。


参考資料 『ルイス・デ・アルメイダ』森本繁(聖母文庫)

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

戦国の華と徒花

三田村優希(または南雲天音)
歴史・時代
武田信玄の命令によって、織田信長の妹であるお市の侍女として潜入した忍びの於小夜(おさよ)。 付き従う内にお市に心酔し、武田家を裏切る形となってしまう。 そんな彼女は人並みに恋をし、同じ武田の忍びである小十郎と夫婦になる。 二人を裏切り者と見做し、刺客が送られてくる。小十郎も柴田勝家の足軽頭となっており、刺客に怯えつつも何とか女児を出産し於奈津(おなつ)と命名する。 しかし頭領であり於小夜の叔父でもある新井庄助の命令で、於奈津は母親から引き離され忍びとしての英才教育を受けるために真田家へと送られてしまう。 悲嘆に暮れる於小夜だが、お市と共に悲運へと呑まれていく。 ※拙作「異郷の残菊」と繋がりがありますが、単独で読んでも問題がございません 【他サイト掲載:NOVEL DAYS】

処理中です...