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第10章 ふたりのルイスと魔王1
八面六臂のアルメイダ 1557年 大分
しおりを挟む〈ルイス・デ・アルメイダ、ドゥアルテ・ダ・シルヴァ、パウロ・キヨゼン(横倉清善)、トマス内田、ミゲル、クララ〉
豊後府内に建てられた病院は、望ましくはないのだが連日繁盛している。
「傷の化膿が進んでいます。切開した方がよかです。いっとき痛みを覚えますが、大丈夫、治ります」
医師に言われた男はぎょっとして目を見開く。
彼は農作業をしているとき、藪に脚をとられひどく転倒した。膝にケガをしたが擦り傷程度だと水で流した後は十日ほど放っていた。するとみるみるうちに患部がひどく化膿し、どれだけ流しても周辺の皮膚まで膿が広がっていった。そして、城下に医者が治療する場所があるという噂を聞き、この病院にやってきたのだ。
「えっ、セッカイ? 脚を切るっちゅうと。いや、それはできんこつ」と男は怖じ気づく。切り開く、いわゆる手術がどのようなものかも分からないので、自然な反応である。
「何ば肝っ玉の小さかこつ。アルメイさまは腕の確かな外科医やけん、どんと任しんしゃい」
看護師のクララがにこにこと話しかける。
彼女は近郷の女性で洗礼を受けている。宣教師が中心になって病院を建てることになったとき、希望して看護師として奉仕することになったのだ。このときの日本に看護師という職業はない。なので、医師の補助をする仕事を一から覚えなければならない。たいへんな激務であったが、にこにこと患者に接していた。
治療の必要な人が異国人の医師に臆して、そのまま帰ってしまったりしてほしくはない。日本人の自分が繋ぐ役目をしよう。
「使命」だと考えていたのである。
アルメイさま、というのはこの病院で唯一外科手術のできる医師で修道士(いるまん)、ルイス・デ・アルメイダのことである。彼はこの病院の院長の役目もしている。外科助手が同じポルトガル人のドゥアルテ・ダ・シルヴァである。そして、内科にはパウロ・キヨゼン(横倉清善)、トマス内田、ミゲルの三人が担った。パウロら三人は日本人の漢方医である。
それぞれが目の回るような忙しさだった。
内科漢方医は病院で診察するだけでなく、求めに応じて往診に赴き、薬の調合もしていた。昔からある職業なので人々も違和感がない。こちらの需要はたいへん多かった。
外科の仕事も、これまでにない治療をするだけに着手するまでの時間がかかる。どのような処置・手術をするのか、西洋とイスラム医学を知らない者にとっては、魔術や呪術と同じだったのだ。だからこそ、クララのように患者を安心させる存在が必要だった。
それはアルメイダもダ・シルヴァもよく分かっている。なので、二人とも日本語の習得にはたいへんな労力をかけた。教わるのが在地のことばのためそちらに寄ってくるのは道理である。彼らを初めて見る患者は、日本語を流暢に話す異国人にまず面食らうのだった。
「これでよか。あとは十分に養生しんしゃい」
患者が帰宅した後、クララがアルメイダに言う。
「アルメイ様、お疲れさまでございます。さきほど、うちから握り飯やら届きましたけん、召し上がりゃんせ」
「ああ、いつもありがたかこつ。パウロはいますか」
「しぇんしぇい(先生)はまだ往診に出とらっさるけん、アルメイ様とシルヴァ様で先にどうぞ」
宣教師である二人は医者以前にイルマン(修士)なので、先生と呼ばれるのを断った。ただ、パウロらはこれまでも漢方医として先生と呼ばれてきたのでそのままだ。
アルメイダは心配そうな表情になって、木戸をそっと開けて外を見る。
「パウロもトマスもここへ来てから働き詰めです。ここのところひどく疲れた様子やけん、少し仕事を減らした方がよか思っちゅう」
ダ・シルヴァはポルトガル語で言う。
「Eu acho que ele tem órgãos internos ruins.」
(内蔵を悪くしているのではないでしょうか)
アルメイダはうなずいて答える。
「やけん、少し往診を控えるように伝えます。私ももう少し、漢方医学を学んでおけば替わりもできっと」
クララがそれを聞いてすっとんきょうな声を上げる。
「いるまんのお勤めもござりんしゃるのに、漢方医の替わりまでしとったら、アルメイ様まで倒れてしまうとです!」
アルメイダは苦笑する。
この病院の建物にはいくつもの役割があった。いや、病院はその一部だともいえる。デウス堂(聖堂)があり、宣教師らの居宅があり、病院と疱瘡患者のための病棟があり、捨てられた子のための乳児院もあった。複合施設である。
ここは開かれた場所だ。信徒が集まるのはもちろんだが、病院はキリスト教の信徒でなくとも訪れることができる。府内城下と近郷の人々を対象に考えていたが、話はまたたく間に広がり遠方からも人がやってくるようになった。さすがに往診はあまり遠くまでは行かないが、来た人を断るわけにはいかない。そのような事情で、どうにもてんてこ舞いになっていたのだ。
アルメイダやダ・シルヴァが危惧していた通り、往診に走り回っていたパウロは体調を崩して寝付いてしまう。そしてほどなく息を引き取った。もともと病の気を持っていたかは分からないが、激務による過労がそれを悪化させたのは間違いなかった。そして、パウロの弟子のトマスも倒れてしまう。アルメイダの望むところではなかったが、開院数ヵ月で病院の規模を縮小せざるを得なくなっていた。
それは乳児院の方がより顕著だった。
アルメイダがこの地に病院と乳児院が必要だと思うようになったのは、間引きにされる子どもの姿を見て激しい衝撃を受けたからだった。それなので乳児院をどうしても開設したいと願っていた。
しかし実際に開いてみると周囲の悪い噂が大きな障害になった。心ない人は宣教師が子どもに牛や山羊の乳を与えていると非難した。そのような習慣のない国なので仕方がないが、ひどく非人道的な扱いだと攻撃の的になった(間引きの方が非人道的なのだが)。それに加えて、宣教師の持っていた葡萄酒まで槍玉に上げられる。それが葡萄で作ったものだと分からない人はあろうことか、「ばてれんは子どもの血を飲んでいる」と悪鬼羅刹呼ばわりをするようになった。
乳児院は間もなく閉鎖を余儀なくされる。
何もかもが初めてのことばかりだったので、運営していくのは大変な労力が必要だった。習慣の違いも大きい。それでもアルメイダはこの土地に病院が必要だと心から思っていたので、乳児院を止めることになっても病院は継続させたいと心から願っていた。
参考資料 『ルイス・デ・アルメイダ』森本繁(聖母文庫)
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