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第10章 ふたりのルイスと魔王1

日本で最初の病院 1557年~ 豊後

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〈大友義鎮(宗麟)、奈多夫人(なだふじん)、バルタザール・ガーゴ、ルイス・デ・アルメイダ、パウロ・キヨゼン(横倉清善)、トマス内田、ミゲル、ドゥアルテ・ダ・シルヴァ、クララ〉

 永禄三年(1560)、駿河と遠江の太守、今川義元が桶狭間で討ち死にしたという知らせはまたたく間に全国に広がっていった。周防と長門を領する大内氏も先頃、厳島で毛利との戦いに敗れたこともある。旧来の守護大名もいよいよ安穏としていられない様相になってきた。
 豊後の大友義鎮(よししげ)のもとにもその知らせは届いた。大内の跡継ぎにと陶晴賢(すえはるかた)に請われて出していた弟も厳島の合戦ののちに自害している。このとき一番危機感を抱いていると思われる人である。しかし、この人はまだそれほど身に危険が差し迫っているとは考えていない。

 それにはいくつか理由がある。

 まず、貿易によって得た富をかねてから足利将軍家に捧げていたのが大きい。足利義輝には鉄砲や火薬の調合書、のちには多額の金銀を贈った。それを喜んだ将軍は豊前と筑前の守護職、追って九州探題職を義鎮に与えた。
 北九州は大友家が任されたということだ。
 筑前博多の津も手に入ったことで、これまで以上に交易による利益が見込まれる。富を産み出すもとが潤沢であるのがひとつの理由である。

 それに加えて現在は、大内氏が滅んだことにより、周防・長門にも勢力を広げようと算段しているところだった。すでに領有のために渡海する許可も得た。大内を滅ぼした毛利はかなり手強いが、将軍の後ろ楯があれば磐石ーーというのがもうひとつの理由だ。
 他にも肥後の守護である菊池氏を滅ぼしたこと、立花道雪など家臣団が猛者揃いだったこともある。

「お屋形さま、少々お話してもよかでしょうか」
「ああ、よかよ」
 妻が声をかけてきたのに義鎮が応じる。
 妻は真剣な様子だ。また新たな側室を招こうとしているのが知れたかと義鎮は想像する。また、「そこもとほどの女ではない」と弁明をしなければならないだろうかと思う。
 目の前の妻は確かにこの辺りでは評判の美女である。派手さはないが、長い切れ目と髪の美しさには誰もがうっとりするほどである。だからこそ、義鎮も継室としたのだが、その美しさには、誰も知らぬ山奥で秘かに湧く深い泉のような侵しがたい雰囲気がある。もとより彼女は義鎮より歳上なこともあり、新たな側室のことなどとても平然と語れるものではなかった。
 ただ、妻の話は側室についての不満などではなかった。
「お屋形さま、いくら交易の利があると申せど、異国人に多くを与えすぎではなかですか。土地までお与えにられて、皆が何と言うておるか……」
 ああ、その話かと義鎮は合点がいった。そして少々ほっとした。
「そこもとには申したであろう。あの者らはわしらより進んだ医術を使っちゅう。それをただで開陳してくれる。交易で見る品々も然り、それを手に入れ、わがものとしていくのがいかに有益か。それがひいては豊後の繁栄に繋がっちゃろう。わずかの土地を下すなど造作もなかこつよ」
 ここで妻のいう異国人とは、豊後府内で活動しているイエズス会の宣教師たちのことである。かれこれ十年前、今は亡きフランシスコ・ザビエルを長とした一行は薩摩に上陸して肥前・周防・堺・京を経て、宣教師は豊後にやってきた。薩摩では芳しくなかったようだが、周防では大内義隆と対面し宣教の許可を得た。その事実が義鎮には大きく感じられた。彼らを受け入れればポルトガルの交易船が豊後の津に定期的に入ってくる。彼らのもたらす品を売れば豊後に富がもたらされる。そのような実利のことをまず思ったのである。大内義隆も同様に考えたはずだ。乗らない手はなかった。

「それは承知しております。ただ、異国の神を奉るためではなかけんが、この地のいにしえよりの神をおろそかにしとると寺も社も怒っておりますけん、もっとよくお考えになってほしいのです。お屋形さまは南蛮ではなく耶蘇教に肩入れしすぎやと私も思います」
 耶蘇教、とはキリスト教のことである。
「うむ、そうだろうか……確かにあんしらの話は興味深く、よく聞いてはいるが、それで神仏をないがしろにしとるとは……」
「しとらっしゃります」と妻は断言する。

 彼女がそのように宗教の話をするのは至極当然なことだった。名は奈多夫人(なだふじん)としか後世に残っていないがそれは生家の苗字で、彼女は八幡奈多宮の大宮司である奈多鑑基の娘なのである。そこは八幡宮の総本宮である宇佐八幡宮と関わりの深い、由緒のある社である。したがって、彼女の夫がキリスト教に庇護を与えるのは由々しき事態なのである。

 もちろん、義鎮はこの地の宗教のことを知らないわけではない。豊後には天台宗の古刹寺院をはじめ縁のある寺社がずらりと揃っている。
 何より宇佐と奈多の八幡宮は重要だった。源頼朝が鶴岡八幡宮を篤く崇敬した、足利尊氏が篠村八幡宮で挙兵したーーなど故事をいくつも引くことができる。八幡宮といえば武士の守護神なのである。その重要性は義鎮もよく分かっている。
 しかし、その一方で宣教師らの滅私奉公ぶりに影響を受けていたのも事実である。
 彼らが宣教の許可を得て、城下の辻で説教をしているだけならさほどのことではなかっただろう。ただ、豊後に来た人の活動はそれだけにとどまらなかった。
 彼らはまず、身を隠すように住んでいるらい病患者たちの世話に取りかかる。それから病院(病院という呼称はこの頃の日本にはない)、そして信徒による救貧院、孤児院(ミゼリコルディア)を建てたいと申し出てきた。すべて、この土地のために奉仕するものである。フランシスコ・ザビエルの話を聞いて以来、キリスト教を意識するようになったこの宗守にとって、その教えを実践する彼らの活動に打たれたのである。

 これまでどの寺社がそのようなことをしてきただろうか。そのように言いたいところではあるが、義鎮はその言葉をぐっと飲み込んだ。

「そこもとの申すことは分かっておる。ただ、交易をするからには相手の事情をよう承知しておかねばならんけん。それは八幡様や多くの寺社をないがしろにするということではなか。それはそこもとも今一度承知しておいてほしか」
 妻は目を伏せて静かに応じるが、納得はしていないようだ。
「耶蘇教はひとりの神しか認めないと聞いておりますが、それで古来の神仏と同座できますやろうか……お屋形さま、じきに厄介なことになるように私には思えます。くれぐれもこれ以上の深入りはお控え下さいませ」

 義鎮は渋い顔でうなずいた。

 さて、その病院について紹介しておこう。

 豊後府内に日本で初めての病院が築かれたのは弘治三年(1557)のことだった。この年には川中島の合戦が起こっている。この病院にはルイス・デ・アルメイダが医師、同じポルトガル人のドゥアルテ・ダ・シルヴァも医師として就く。内科医には洗礼を受けた日本人パウロ・キヨゼン(横倉巨善)、トマス内田、ミゲル某(なにがし、名字は不明)の漢方医が就いた。
 パウロは大和国出身で京で漢方の学を修めた人で、トマスとミゲルはその弟子である。彼らはもともと山口で洗礼を受けて信徒となったが、パウロとミゲルはアルメイダの志を知って豊後に来た。その後すぐ戦乱で大内氏が倒されたため、現地にいたトーレス司祭とともにトマスもやって来たのである。
 病院にはクララという女性の信徒も看護師として働いている。

 領主の許可を得て開業した病院はたいそうな評判になった。
 何しろ外科手術という技術がこの頃の日本にはない。もちろん今日のように滅菌された空間と完璧な消毒は確保できない。血を抜くことができても輸血することはできず、麻酔薬も阿片の効果が知られてはいたが十分とはとてもいえない状態だったので、手術といっても原初的なものだっただろう。それでも、アルメイダやドゥアルテが学んだポルトガルの医学はイスラム医学も包含しており、当時の最先端だった。
 この病院では喜捨を受けるものの、お金のない人に何かを出させるようなことはしていなかった。
 それならば、どこから運営資金を出していたのだろうか。
 この病院の運営資金は、アルメイダが貿易商をしていた頃に積んでいた金、そしてその後も共同経営者だった商人に依頼して交易品の買い付けをして生じた利益を充てていた。平たくいえばアルメイダの私財である。

 この病院跡は現在も大分市顕得町(けんとくまち)に『デウス堂跡』として残る。

 献身という言葉がある。
 それがどのような行いをさすかといえば、アルメイダのこのような活動もそうなるのかもしれない。ただ、それが常に人に称賛されるというわけにはいかない。奈多夫人が大友義鎮に言った他宗教のこともあるが、それだけではなかった。
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