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第10章 ふたりのルイスと魔王1
海風の下、落ち合う人々 1557年 平戸
しおりを挟む〈コスモ・デ・トーレス司祭、大内義隆、大内義長、陶晴賢、ロレンソ了斎、ファン・フェルナンデス修士〉
小牧に手紙を出した人はまたも戦乱に巻き込まれそうになって九州に逃げていた。文末に場所を書くのは定石でもあるが、「肥前より」と書いたのにはより深い理由があったのである。
コスメ・デ・トーレス司祭はフランシスコ・ザビエルとともに日本にやって来た、いわば宣教師の古参である。
当時の一行が得た大きな成果が3つある。肥前平戸の領主・松浦氏とのつながりを持ったこと、豊後の大友氏、周防・長門の太守大内氏に布教の許可を得たことである。さきの章でもそのいきさつを記した。その3ヶ所はそのまま初期のキリスト教宣教の拠点となっていた。
ただ、大内氏が見舞われた有為転変は山口での宣教活動に大きな影を落としていた。当主の大内義隆が謀反に遇い自害に追い込まれた「大寧寺の変」で、トーレス司祭とファン・フェルナンデス修士は身の危険を感じてわずかな信徒とともに逃げ、辛うじて戦闘に巻き込まれずに済んだのである。
大内義隆自害の後、謀反を起こした陶晴賢は守護支配を維持する目的で豊後の大友氏から養子を出してもらうことにした。家臣の陶がそこに収まるわけにはいかないのである。そして国主大友義鎮の弟・晴英が大内義長として国主になる。
これは大友氏にとっては願ってもないことであった。実質的に大友が周防・長門に勢力を持てるからである。
それでも周防と長門は身内の反乱が起こるなど政情は一向に安定しない。大内氏の力はみるみるうちに衰えていくようだった。
周辺の有力な国人にとっては大内氏を放逐する好機だ。
そのような不安定な情勢の中でも、宣教師たちは辛うじて拠点の南蛮寺(教会のことである)を維持することができた。前の太守が認めていたこともある。新しい国主も大友氏の出でキリスト教に理解があったのも大きいだろう。
何より、内乱で不安にさいなまれる城下の人々に大きな慰めを与えていたのかもしれない。
しかし、それにも限界があった。
安芸国を征した毛利元就と大内・陶勢は天文23年(1554)を迎えると敵対状態になり、天文24年(1555)の厳島合戦に至る。
これは中国地方の覇者を決める分水嶺だった。戦は毛利の勝利に終わり、陶晴賢は倒れた。大友氏から養子に入っていた義長は逃げ延びた。
毛利は周防・長門に侵攻し掃討戦となった。
2年後、長門の勝山城(現在の下関市)で義長も自刃に追い込まれる。
守護大名として栄華を誇った大内氏はここでついに滅びたのである。
厳島合戦で、暴風雨を味方につけた毛利勢の奇襲作戦については今日も話が残っている。ただ、そのとき山口に残っていた人々がどう過ごしていたかというのは明らかではない。その中にはトーレス司祭と信徒の人々もいたのである。
毛利の防長侵攻を前にして、トーレス司祭は大寧寺の変のときを思い出していた。あのときは謀反、いわば内輪の戦いだった。なので陶殿もわれわれを知っていて見過ごしてくれたのだ。しかし、今度は違う。毛利はそのようないきさつを一切知らない。すると山口の南蛮寺も無傷ではいられないだろう。
そうトーレス司祭は判断し、山口からいったん撤退することに決めた。
そして平戸へ、豊後に向かったのだ。
ここで大きな役割を果たしていた日本人がいた。
宣教師に薫陶を受けて洗礼を受けた上で、その手伝いをした人がいる。マラッカで会ったアンジロウ(弥次郎)が最初の人、ローマまで行った薩摩のベルナルド(河邊氏)を二番目の人とするならば、三番目の人と言おうか。もちろん他にも宣教活動の手伝いをする人はいるが、敬虔さや貢献することが特別多いという意味で、やはり三人目はこの人だと思われる。
ロレンソ了斎である。
この人は平戸の出身で、諸国を語り歩いていた琵琶法師である。この人は山口で宣教師の説教を聞いて感じ入り、キリスト教の信徒となった。そして日本語の通訳として宣教師とともに活動することにしたのだ。
琵琶法師というと仏教の思想が根底にある物語を語り演奏する職業である。それが異国の宗教の奉じ手になった。いうほど簡単なことではないだろう。キリスト教は仏教の僧侶に敵とみなされる場合もあったので、相応の非難も受けたはずである。それでもこの人は逃げ出したりすることなく、布教のために働いている。
一方、琵琶法師は長い物語をそらんじて、情感を込めて語ることができる。それが功を奏して、宣教師が日本語に習熟していない部分を十分過ぎるほど補うことができた。
「さて、道行く皆々さまがた、ちょいとお足を止めてお耳をお寄せくださいませ。これから、衆生を救うために一千と五百年も前に現れた神の子デウスのお話を教えてしんぜましょうぞ。おっと、物乞いではございませんで、ご喜捨はお話の後、もしいただけるならということで結構でございます」
フランシスコ・ザビエルが日本で初めて説教をしたときには、使徒信条をアンジロウの訳で音読するばかりだった。もの珍しさが先に立ったのだが、今や琵琶法師の語り口調で流暢に話すのである。もとが移動する旅人なので、口上のように説いて回るのもまったく苦にしない。
そのようなこともあって、了斎は山口でも平戸でもたいそう評判になっていたのだ。これは大きな進歩に違いなかった。
平戸は九州の西側、複雑に入りくんだ半島や岬の先に、ほぼつながるように位置する島である。複雑な大地の隙間を満たすように海が輝いている。
さて、山口を発って平戸に到着したトーレス司祭の一行は久しぶりにファン・フェルナンデス修士に出会い、大いに喜んだ。
ただ、数年しか経っていないのに二人ともお互いの姿を見てずいぶん老け込んだと感じる。けれどそれは口にしない。それだけ異国で生きていくのは厳しい面があると身に沁みてわかるのだ。
もちろん、デウス(イエス)の教えを広める喜びがあるから苦にならない。
ふたりの様子を感じてロレンソの表情もほころぶ。
「さて司祭さま、この辺りは夏から秋にかけて天候が荒れますが、長閑でよいところでございます。いっそこちらに留まられたらいかがですか」
ロレンソの言葉にトーレス司祭はゆっくりとうなずきながら、嬉しそうに答える。
「そうですね、ロレンソの故郷なだけあって、穏やかなよい場所です。実は最初からこの土地をたいそう気に入っているのです。ただ、今は豊後に行かねばなりません。ガーゴ司祭とイルマン(修士)が新しい試みを始めたようですから、その話を聞きにいかないといけません。ここへはまた戻ってきます」
「ああ、ミゼリコルディアと病院、子どもの保護院ですね」とファン・フェルナンデスが言う。
「そう、あなたもイルマンに会いましたか」とトーレス司祭が尋ねる。
フェルナンデスは「はい」とうなずいて続ける。
「イルマン・アルメイダは画期的な、そして愛にもとづいたことを考えられる方です。ミゼリコルディアも病院も子どもの保護施設も、確かにイベリア半島にも、ゴアにもあるでしょう。ただそれは本国の人のためのもので、現地の人のためではありません。もちろん、ちょっとした伝手や金銭があれば現地の人も入ることができます。しかし、イルマンの考えは違います。現地の、日本の、豊後の人々のために造るというのです。それは彼がポルトガル出身の医師で商人だからなのでしょうか。どのような事情によるものでも、そのものの見方を、私は心から称賛します」
トーレス司祭は微笑みながら、もう言うことはないという風にフェルナンデスの肩を叩いた。
※ミゼリコルディア……信徒の互助会・組織
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