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第9章 手折られぬひとつの花 カトリーヌ・ド・メディシス
同窓生が語り合う 1535年 トゥールーズ(フランス)
しおりを挟む〈フランソワ・ラブレー、ミシェル〉
フランス王フランソワ1世から仕事を賜る話が出ているフランソワ・ラブレーはどこにいたのだろう。雲隠れした彼はパリの周辺にはいない。さて、どこにいるのだろう。
パリから街道を西のピレネー山脈寄りに南下していくと、トゥールーズという大きな町に行き当たる。スペインとの国境に近い町という方がよりイメージを抱きやすいかもしれない……と言うのは簡単だが、約140リーグ(約680km)も離れている。
現代でさえ、パリのモンパルナス駅から超特急TGVで5時間半かかるのだ。
そのトゥールーズにフランソワ・ラブレーはいた。
かつて彼が修道院に入っていた頃、トゥールーズよりはかなり北になるが、ピレネー寄りのフォントネー・ル・コント村にいた。その影響だろうか。
あるいは、同じく檄文事件で逃亡したジャン・カルヴァンがジュネーヴの方に向かったらしいという話を聞いて逆に行ったのだろうか。
いや、彼はモンペリエ大学の同窓生を頼っていったのだ。フランソワよりかなり年下の同窓生である。
アヴィニョン大学からモンペリエに移ったミシェルだ。
彼はトゥールーズに住んでいた。
少年だった彼も、人生の波をかぶってトゥールーズにたどり着いたのだった。
ミシェルはアヴィニョンで大学の基礎科目は修めていたので、モンペリエには医学の修士を取るために入った。ラブレーも同様だったが、並み外れてギリシア語に通じていたために、逆に学生にピタゴラスの講義を持つほどになってしまった。
ミシェルはそこまで異能ではなかったが、医学を修めるところまではいった。
「いった」というのはきちんと修士を得たのかがはっきりしないからである。その前にミシェルはモンペリエを去ってしまったからである。
ミシェルはたまたま旅行中に、アジャンという町のジュール・セザール・スカリジェという人物と懇意になった。たいへん博識な人物だったスカリジェはミシェルを気に入り、アジャンで医師になることを勧めた。
それに加えて、この町でミシェルはアンリエットという女性と知り合う。二人は恋に落ち、結婚の約束をする。
そのようなことがあって、ミシェルはスカリジェの招きを受け入れてアジャンに移ることに決めたのだ。
ミシェルの人生の新たな1ページがここで開かれたわけだが、それはすぐにしぼんでしまう。1534年に妻と生まれたばかりの子が病気で他界してしまった。アジャンの医師はおのが身の不幸を嘆くばかりだった。
仕事も手につかなくなってしまった彼は、ふと少年の頃好きだった書物にたっぷりと浸りたいと思った。そして悲しい記憶の残るアジャンを去って、トゥールーズに移ることにしたのだ。
この町には大学がある。そこでじっくり腰を据えて、これからの人生について考えようと思っていたのだ。
そこに飛び込んできたのが、モンペリエの同窓生フランソワ・ラブレーだったのである。
静かに妻子の喪に服すミシェルの生活は、とんでもなく賑やかになった。ラブレーは人目を忍んで潜伏生活をするような輩ではなかった。そもそも厳密にいえばパリ方面から逃げてきたのも、自分に嫌疑がかけられることを恐れていたからではない。
面倒はごめんだ。
一言でいえばそういうことだった。
自分の書いた本とカトリック批判の徒(プロテスタント)には確かに通ずる部分もある。ただ、決定的に違うのはラブレーが敬虔なカトリック教徒だったことである。なので、『檄文事件』に自分が巻き込まれるなどとんでもない、とばっちりもいいところだと思っているのだ。
堂々とものを言うには、書くには、
堂々と生きようとしなければならない。
形は逃亡者だが、自分の真実はひとつだ。
ラブレーは考える。
調べれば分かることだ。きっと、自分に対する追及はすぐに止まるだろう。それまで、ほとぼりが冷めるまでちょっと隠れていよう。そうしたら、話の続編を推敲して本をまた出すのだ……。
トゥールーズの町の建物は軒並み赤いレンガで築かれている。
テラコッタと呼ばれるレンガだ。
そのせいだろうか、この赤い大きな町はフランスというより、別の国に来たような感覚に陥る。
ラブレーとミシェルは、呑気なものだが、しばしば外を散策している。青い空に赤い町並み、それを見ているだけで、少し懐かしい気持ちになる。
「そういえば、まだ占星術の勉強はしているのか」とラブレーは尋ねる。
「ええ、妻と子が天に召されてから、本物の書物を見たくて仕方なくなって……勉強していますよ」
「そうか。天体の動きを俺もまだまだ知りたいと思っているのだ。きみはそちらも卓越していたな。ぜひ再び教授してくれたまえよ、ミシェル・ド・ノートルダム」
ミシェルはわずかに照れたように苦笑して、こくりとうなずいた。
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