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第8章 さまよえる小公女 カテリーナ・デ・メディチ
立て直そうとする人 1522年 ローマ
しおりを挟む〈教皇ハドリアヌス6世、神聖ローマ皇帝カール5世、ジュリオ・ディ・メディチ枢機卿、カテリーナ・ディ・メディチ〉
1522年、ローマの教皇庁(バチカン)宮殿で新教皇ハドリアヌス6世はてきぱきと側近らに指示を出していた。
「まだ取り消しが済んでいない芸術品の発注分がある! これもすぐに取り消してくれないか。あと、夕食の席に供される楽団にも再度断りを入れてくれ。この前とは違う楽団が来ると聞いたぞ。まったく、いくつ楽団を雇っているのだ。値段の問題ではない。それが贅沢だと言っているのだ。ここはどこの王宮なのか。神をあるじと抱く場にふさわしい者を入れてくれ」
教皇は、かなりおかんむりだ。
これまで、それらの芸術品や楽団を何の抵抗もなく受け入れていた枢機卿はじめバチカンの人々は眉をひそめている。そして陰でこう言うのだ。
「まったく、ユトレヒト(現在のオランダにある地名)の田舎学者が。芸術を理解できない朴念仁(ぼくねんじん)はバチカンに畑でも作る気なのか」
それを知ってか知らずか、いやそのようなことにはまったく頓着も忖度もせず、ハドリアヌス6世は号令をかけ続けた。側近は裾の長い服をたくしあげて、慌てて走るばかりだ。
この芸術追放の時期に、前教皇レオ10世のお気に入りだったアヴィニョン出身の音楽家、カルペントラスを初め、多くの音楽家が失望してローマを去っていった。
教皇庁の帳簿を見たとき、新教皇は卒倒しそうになったことを思い出す。
彼が枢機卿としてバチカンに足を踏み入れたのは、ほんの5年前のことである。端で見ていてもその金遣いの荒さに唖然としていた。彼はもちろん、歴代の教皇が集めた膨大な芸術品を見たが、それを素晴らしいと思う前に、「これにどれだけ費用をかけたのか」と思うばかりだった。
それから教皇になり財務担当者に詳しく話を聞いたのだが、仰天するなどという生易しいものではなかった。彼は顔面蒼白になった。金庫は底を尽きそうなのに、発注書や未払いの請求がわんさかとあったからだ。
これが、贖宥状の販売益をバチカンが欲しがる理由なのだとすぐさま合点がいったハドリアヌス6世である。
彼は深く長いため息をついた。
◆
「彼はそれほどルターの教会改革問題を知らなかった」と書いている資料もあるが、知らないはずがないだろう、ということが想定できる。
神聖ローマ皇帝の家庭教師だった人である。
外交官はしじゅうバチカンに出入りしている。枢機卿になった1517年当時だったら、ルターが『論題』を発行した年なので知らなかったとしても仕方ないが、教皇になったのは1522年である。すでに聖職者討論や破門などでルターの名がヨーロッパじゅうに知れ渡っていた。
そのような状況で、神聖ローマ帝国の意向を反映して教皇に選出されたという面もあるだろう。イタリア半島の内外を問わず、反メディチ派の枢機卿の票を集めたのも間違いのないところだ。
もうひとつ、ローマに拠点を持ちたいと切実に願うのに十分な理由が神聖ローマ帝国にはあった。
当時の国際情勢である。
フランスと神聖ローマ帝国が前世紀からイタリア半島をめぐって戦争を続けていることはすでにこの話の最初の頃から書いている。1522年のこの頃、スペイン領だったイタリア半島のナポリはそのまま神聖ローマ帝国領となっている。フランスはミラノを手中に収めていたものの、もともとの国主であるスフォルツァ家の奪回の動きもあって、決して磐石なものではない。フランスは虎視眈々とさらなる領土拡大の機会を狙っている。
そこに新たな脅威が迫っていた。
オスマン・トルコである。その帝国は拡大の一途をたどり、地中海沿岸の国々を制圧しようとしていたのだ。このことについては第2章『聖地と帝国』でも触れているので詳しくは書かないが、この年にはスレイマン1世が神聖ローマ帝国の属領ともいえるハンガリーを攻撃していた。
フランスの動きとオスマン・トルコの侵攻は神聖ローマ帝国にとって、憂慮すべきことだった。皇帝カール5世も頭が痛くなったことだろう。バチカンに、キリスト教の聖地に足場を築くことは、神聖ローマ帝国にとってたいへん重要なことだったのである。
◆
さて、ユトレヒト出身の教皇の話に戻ろう。
教皇庁の贅沢を止めさせて財政再建をはかるのも大事だったが、彼のいちばんの関心事は教会の教義の再検討だった。ルターの件が影響していることはいうまでもない。特に、問題の発端となった贖宥状の販売についてはそのありかたを見直すべきだと考えていた。そのために公会議を開催することも視野に入れていた。ルターは国外追放となっていたし、討論会で公会議は有益ではないとすでに結論付けている。ただ、ハドリアヌス6世もあまねく広く議論する場を設けるべきだと考えていた。
しかし、彼の考えは枢機卿団にことごとく否定された。贅沢な慣習を止めさせる過程で、枢機卿団は教皇に「否」と言うようになったのである。
人というものは、当たり前のように持っているものを取り上げられるとき、大きな苦痛を覚えるものだ。俗に言う、「既得権益」というものである。それを失いたくないという心理がこの場で否定として働いたのだ。
ハドリアヌス6世の取り組んでいたのは、無駄なことではなかった。財政を建て直すために節約をするのはよくされていることで、教義を見直すこともこれまでにしばしばあったことだ。しかし、その改革が急なことだったので周囲は不平不満を述べて従おうとしなかった。
それでも教皇は奮闘していた。
1522年になって、神聖ローマ帝国のニュルンブルグで開かれた帝国議会に彼は特使を派遣している。その特使であるキエレガーティ枢機卿は教皇ハドリアヌス6世の見解として、批判が出ているのは教会に問題があると率直に認めた上で、「教会改革を推進する」とのメッセージを伝えた。この時代に教皇庁がこのようなメッセージを出すことは異例である。
翌1523年にはフランスに対抗するため、神聖ローマ帝国や周辺の国で同盟を結成するのにも仲だちの役割を果たしている。
しかし、終わりは突然やってきた。
教皇ハドリアヌス6世は1523年9月14日にこの世を去った。病気だといわれているが、逆風の中で教会改革を成し遂げようと務めたための過労だったのかもしれない。
再び枢機卿団によるコンクラーベがおこなわれる。
ジュリオ・ディ・メディチ枢機卿は久しぶりにローマに向かう。
あどけない女児、カテリーナはもうゆりかごの中にはいない。フィレンツェでメディチ家の女性に囲まれて大事に育てられていることには変わりないが、邸宅内をとことこと縦横無尽に走り回っている。
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