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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル

大寧寺の変 1551年 山口~長門

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〈フランシスコ・ザビエル、ファン・フェルナンデス、ベルナルド(河邊成道)、コスメ・デ・トーレス、ジョアン、内藤興盛(ないとうおきもり)、大内義隆、相良武任(さがらたけとう)、陶隆房(すえたかふさ)〉

 1551年9月末、事態は風雲急を告げていた。

 さきにも言った通り、私とジョアンとベルナルドは豊後府内に向かう船に乗った後で、フェルナンデスとトーレス司祭は山口で宣教活動を行なっていた。その山口で反乱が起こったのだ。

 山口で正式に宣教が認められたので、私たちは城下町に邸宅を与えられていた。そして、その邸宅の一画を聖堂にしつらえて、新たな信徒に洗礼を授け、礼拝を執り行っていた。もちろん、急造のしつらえなのでサン・マルコ聖堂のようなものは望むべくもない。そこで、トーレス司祭はフェルナンデスとともに、朝の日課を終えて人々を招き入れる仕度をしていた。

 そこに信者の一人が駆け込んできて二人に告げる。
「ぱーどれ様、いるまん様(※1)、どえらいこっちゃ!」
「どうしました?」と流暢な日本語でフェルナンデスが尋ねる。
「話しとる暇はありませんで、とにかく急いでわしと来ちょってくんさい!」
 トーレス司祭とフェルナンデスはキョトンとしながら信徒に付いて外に出た。そして、辺りの異様な雰囲気に圧倒された。老若男女を問わず城下の人々があちらこちらに逃げようとしていた。皆、風呂敷に大切な荷物を背負って走っている。そして口々に何が起こっているのか確かめ合うように叫んでいる。

「戦じゃ、戦じゃあっ!」
「どちらから来るっちゃ、皆目わからんぞぉ」
「攻めてくるんはどこの兵か? 毛利か?」
「陶(すえ)様が兵を寄せてくると聞いたっちゃ!」
「陶様は大内のお屋形様の家臣やぞっ!」
「……謀叛(むほん)! 謀叛やけん、館に向かっっちょるぞぉっ」

 そのような声がほうぼうに飛び交っている。トーレス司祭は早歩きをしながら、フェルナンデスに尋ねる。
「Muhon、とはどのような意味ですか?」
「Eso es una rebelión.(反乱です)」とフェルナンデスがスペイン語でつぶやき、青ざめる。

 人々はとにかく大内館から少しでも遠く離れようと急いでいた。そこが主戦場になるに違いないのだから当然だ。海の方に行くもの、国境(くにざかい)まで逃げると言う者、山に逃げていく者がいて、てんでバラバラに動いている。トーレス司祭とフェルナンデスは信徒に付いて山の方に向かっている。少し勾配のあるところまでたどり着くと3人は城下の方を見た。

 彼らは見た。

 先頭に甲冑に身を包んだ武士が馬に乗って進んでいく。騎馬の武士たちに続いて、長い鑓を手にして兜を被った一勢が延々と続いている。100人や200人ではない、1000人を優に超える軍勢が大内館に向かってまっしぐらに進んでいる。
「メキシコやミンダナオで小競り合いほどの戦闘に出くわしたことがありましたが、こんな大きな軍隊を見たのは初めてです」とトーレス司祭はぶるっと身を震わせる。
「私もです……これほどの軍勢で攻められたら、あの館はひとたまりもないでしょう。内藤(興盛)殿は大丈夫なのでしょうか」
 すると、一緒に付いてきた信徒が言う。
「内藤様も陶様と同じ、武断派やったけん、もしかするとあの軍勢に加勢しちょるんかもしれません」
 トーレス司祭は驚いて信徒に尋ねる。
「そこまで内部で激しく対立していたのですか」
 彼はうん、うんとうなずく。そして、「わしらしもじもの者はよう知らんけんが」と言って大まかないきさつを話した。後から聞いた話も加えるとこのようなことになる。

 
 文官(文治)派の家臣、相良武任(さがらたけとう)が主君大内義隆に『申状(もうしじょう)』という、武断派を弾劾する書状を書いた話をしただろう。それ以降、文官派に近い大内義隆はとみに武断派の急先鋒である家臣、陶隆房(すえたかふさ)を明確に冷遇するようになったという。
 家老である内藤興盛が間に入って仲裁を試みたが、義隆は陶の言うことをまったく受け付けなくなった。陶はこれをたいへん恨みに思い、弾劾した当の相良を討とうと思い詰めるにいたった。相良は身の危険を感じて、9月の初め(旧暦で8月初)に山口から逃亡した。
 陶にとっては元凶である相良はいなくなった。しかし、義隆は相良を追い出した陶を脅威に思い、さらに彼を遠ざけるようになる。
 それが1551年(天文20年)9月28日(旧暦で8月28日)のこの反乱の引き金になったのである。
 内藤興盛自身はこの反乱に加わらず、主君の義隆に付いていた。しかし陶の反乱の意向には反対しなかったので、大内家の主力軍勢はほぼ陶に付くことになった。それでも内藤は、陶に対して義隆の隠退を求める、あるいは義隆を討つことになっても、嫡子の義尊(よしたか)は次期当主として立てるよう強く要請していた。大内という名を残さねばならないという、家老としての責任感がまずあっただろう。また、守護という役目を担ってきた大内を滅ぼせば他国が介入する理由を与えることになると危惧もしただろう。
 しかし、陶隆房の怒りは限りなく深かった。
 内藤が求めたような穏和な手段を決して許せないほどに。
 隆房は軍勢を進め大内館に襲いかかった。しかし、そこに大内義隆はいなかった。城下の騒ぎを聞きつけて逃亡したのである。
「お屋形はどこじゃああっ! この意気地無しめがあっ!」
 大内館も山口の城下町もすべて陶の軍勢が制圧した。そして、大内義隆が山中にある大寧寺(たいねいじ、現在の長門市)に逃げたと告げられる。軍勢がすぐさま大寧寺に向かう……。

 ああ、何ということだろう、アントニオ。

 トーレス司祭とフェルナンデスは、その軍勢が大寧寺に向かう途上にいたというのだ。もちろん、彼らは軍勢がやってくる気配に気づいた。しかし、軍勢は馬や駆け足でやってきて、徒歩の彼らがそれより早く逃げられるはずもない。あっという間にお互いの顔が見えるほど近くになってしまった。トーレス司祭は同行する二人に告げた。
「膝まずいて祈るのです。私たちが敵意を持っていないことを示しましょう。あとは神の御心にお任せしましょう」
 そしてトーレス司祭が率先して道の脇に膝まづき、フェルナンデスも信徒も同様にした。
 そこに、馬に乗って先頭を進んでいた甲冑の武士が来た。
「おぬしら、お屋形の細作(さいさく)か」
「いいえ、私たちは神に仕える者です」とフェルナンデスが日本語で言う。
「何を、おぬしら、異装の徒……まさかひそかにお屋形と通じておったのではあるまいな。白状せんと叩き切っちゃる! 白状せい」

 3人はもうひたすら祈るしかなかった。
 すると、背後からもう一人、馬に乗った別の武士が進み出て3人に言った。
「ああ、おぬしらは南蛮人。内藤殿からおぬしらには手を出すなと言われちょる。はよ去れや。それと……」
 3人は顔を上げて彼を見た。その表情は兜の影に隠れてよく見えなかった。
「いつぞやは、お屋形を諌めてくれちょったのう。痛快やったけんが……はよ去れい」
「しかし、陶殿……」
「ええ、行かせるんじゃ」

 そして、騎馬の武士たち、続いて鑓を手にした歩兵の長い列が次々と通りすぎていった。3人は恐ろしさのあまり身動きも取れず、ただ軍勢を見送ることしかできなかった。


 9月30日(旧暦で9月1日)、大寧寺で大内義隆は自害した。しかし、反乱軍の勢いはとどまるところを知らなかった。内藤が生かすようにと要請した大内家の嫡男義尊も殺された。それだけではない。その後軍勢はいくつかに分かれ、野上房忠が筑前国を攻め、逃亡していた相良武任らも殺された。この反乱に加わらなかった家臣も次々と殺害された。


 3人はそれから再び辺りの様子を見ながら城下に戻った。信徒の様子が心配だったからだ。そして内藤殿の従者に見つけられ、その邸宅に保護された。
 内藤殿は初めからトーレス司祭とフェルナンデスを保護するつもりだったようだが、迎えに行ったときすでに信徒の案内で出てしまっていたらしい。城下の人々はほうぼうに逃げて行ったのでしばらくは閑散としていたが、少しずつ人が戻ってきたようだ。
 しばらく経って、内藤殿に再会した2人が陶殿の一言で無事だった話を伝えた。内藤殿は心からほっとしたように微笑んだ。

「あれだけの軍勢に出くわしたら、荒波を渡したじじいでも驚くじゃろう。怖い思いをさせて済まなかった」

 その知らせを私は豊後で受け取った。
 神のご加護だと、長い祈りを捧げたのだよ。
 

※1 パードレ(padre)はポルトガル語で司祭のこと、イルマン(irmão)はポルトガル語で兄弟のこと。イエズス会で司祭を補助する立場の人を言います。修士と同じ意味です。
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