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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル
庭から見える有限 1551年 嵐山(京都)
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、ファン・フェルナンデス、ベルナルド(河邊成道)、策彦周良(さくげんしゅうりょう)、日比屋了珪(ひびやりょうけい)、セサル・アスピルクエタ〉
1551年の厳冬、帝(後奈良天皇)にも将軍(足利義輝)にも謁見することができなかった私たちは京都の町をとぼとぼと歩いていた。雪が断続的に降っていて、新しく積もった雪が足の下できしきしと音を立てている。堺の商人、日比屋了珪の家人が、京都での最後の目的地、天龍寺への道行を先導してくれていた。その寺は嵐山という地域にある。御所の辺りからは2レグア(10km)ほどの距離なので、それほど離れてはいない。ここで門前払いになったら、私たちは堺に引き上げることにしている。
天龍寺は禅を尊ぶ宗派である臨済宗(りんざいしゅう)の本寺(本山)だということだ。キリスト教でいえば司教座のある大聖堂というのに近いのだろうか。京都に数多くある寺の中でも格が高く、五山の一と呼ばれている。京都の寺で格上の寺5つのうちの1つという意味である。
天龍寺の少し手前に、美しく大きな木造の橋があった。灰色の空からは白い雪、景色は灰色と白で彩られていたが、その長い橋の部分だけ人の手が加わった繊細な温かさがあるように感じた。日比屋の家人は、橋にさしかかったところで私たちに告げる。
「こちら渡月橋(とげつきょう)、古い橋ですが、この橋と嵯峨嵐山の景色は京でも指折りの美しさでっせ。紅葉の頃でしたらええもんをお見せできましたのになあ。この辺りも寺領で、広大なお寺はんだす」
家人は残念そうに言う。この行程自体がたいへんな徒労だったので、心底同情してくれたようだ。
「月を渡ると書くのか。美しい名前だな」とセサルは感心している。
「木造の橋がこれだけしっかりしているのは、驚きです」とフェルナンデスは別のことに感心していたようだ。
天龍寺にたどり着くと門前に僧がいた。彼に日比屋の家人が来訪の理由を告げて、しばらく私たちは待つ。すると策彦周良その人がみずから私たちの前に現れた。痩せていて目の細い、穏やかな雰囲気の人だ。彼に迎えられて私たちは天龍寺の中に入った。
ふと見ると、寺の門や屏はところどころ壊れているようで、応急処置に竹が組まれている部分がところどころに見られた。ただ、御所に行く途中で出くわした建物のように壊れたまま、崩れたままで放置されているわけではない。全面的な修繕はできないものの、手をかけている様子が伺われた。これも戦乱の影響なのだろうか。
策彦周良殿については説明しておいた方がいいだろう。彼は私より5歳年上で50歳になったところだという。9歳の時の時に出家して禅宗の教えを身につけ、同時に中国の古典(漢籍)を学んでその才能を大いに伸ばしたという。日本の学問は中国の古典を学ぶことが基礎になるので、彼の名はたちまち世間に広まった。18歳からはここ天龍寺に入り、大永2年(1522)に師の等安が世を去って以降、天竜寺の塔頭(たっちゅう、院内寺院のこと)妙智院の住職となった。
板敷きの床に藁で編んだござを敷いた部屋に私たちは通された。私たちが座ると、策彦殿はにこやかに話しかけてきた。すでに堺の日比屋了珪(ひびやりょうけい)から文が届いていて、私たちを待っていてくれたのだという。
日比屋は私たちの簡単な紹介もしてくれたようだった。その上で周防大内家の家老、内藤興盛(おきもり)殿から話を聞いて天龍寺に赴くのだという趣旨も伝えてくれたのだった。私たちが一から説明する必要がなくなったわけで、たいへんありがたいことだった。帝や将軍への拝謁がかなわないことを分かっていて、天龍寺だけはきちんと手配をしようとはからってくれたのだろう。
策彦殿はどちらかといえば物静かだが、たいへん洞察力のある人だった。異教徒だからとわれわれを色眼鏡で見る様子もなく、京都での散々な状況を聞いて心から同情してくれたのである。
「もうお察しいただけたでしょうが、禁裏(御所)も将軍家も今はたいへん厳しい状態になっております。応仁の乱はもう昔のことになりましたが、その荒廃からまだ脱することができぬのです。海を越えて、大変な苦難を越えてここまでおいで下されたのに、礼を失したお迎えしかできず申し訳なく思います」
「いえ、策彦殿にお詫びしていただくようなことではございません」と私はベルナルドを通して彼に伝えた。
「明国にも布教されたいので、かの国の状況をお知りになりたいとのことでしたな。船旅ということについて申せば、私もあなた方もその苦労をよく知っている、いわば朋友です。せめて、その話だけでもお土産としてお持ちください」と策彦は微笑んで話し始めた。
日本では伝統的に、中国との国家交流は禅僧が特使となっているのだ。中国の歴史や言葉について最も熟知しているからだろう。この頃には明国との交流はだいぶ少なくなっていたが、策彦は大内氏の船団で2度派遣された経験を持っている。
最初は天文6年(1537)、明国への勘合貿易船派遣が計画されたとき、彼が副使に任命された。勘合符という将軍の正式な認可状を持った、室町幕府の正式な使節である。出航は翌々年、3隻の船に460人を乗せて肥前の五島列島を出帆した。5月に温州府に到着。許可が出るまで待機し翌年3月北京の皇帝府入城、皇帝への拝謁がかなった(朝貢と言われる)。風待ちがあったとはいえ、帰国までまるまる2年かかったのである。
天文16年(1547)には二度目の遣明船使節の任を命じられ、今度は正使として4隻の船に約630人を乗せて、前回と同じ初夏に五島の奈留島から出発した。6月には大陸の土を踏んだのだが、明国では日本を10年に1度しか公式な貿易を許可しないとして入国を拒否された。そこですごすごと帰るわけにもいかないので、策彦殿率いる遣明団一行は翌年まで待った。翌天文17年(1548)3月、ようやく上陸を許され、4月に北京に入ることができた。再び正使として任務を果たし、天文19年(1550)、山口へ3年ぶりに戻ることができた。つい先だって、その報告を将軍に済ませたばかりだという。内藤殿が、「策彦周良殿に聞け」と言ったのは、まさにその通りだったのだ。この人ほど明国に通暁(つうぎょう)した人は他にいないだろう。
特に先頃戻った二度目の遣明船では苦労が多かったと策彦殿は冒険譚を淡々と語る。途中で倭寇という海賊に襲撃を受け、89人もの犠牲を出したそうだ。私は彼らからすれば異教徒の立場であるが、船で旅をするという点ではまったく変わらない。その苦難をまるでわがことのように感じて、恐怖を覚えたのだよ。
「天候が突然荒れるのは、この辺りの海域ではよくあることです。それはもちろん恐ろしい。しかし、いちばん恐ろしいのは人間です。襲撃されてはひとたまりもありません。私もあの時は死を覚悟しました。ただ、私たちは沿岸の航海が主ですから、その何倍も遠くからおいでになったあなた方はもっと大変だったと存じます。深甚なる敬意を表します」
私は明国で宣教活動が可能だと思うか、策彦殿に聞いてみた。
「ぽるとがるの方ならば承知しておられるでしょうが、明国には海禁策と申す法があります。随分長い間、明国が選んだ国の使節にしか入国を許していません。許されても、国ごとの優劣がつけられており、私どものように待たされたり、上陸できずに戻る場合もあります。ただ、ぽるとがる船は近年とみに沿岸に来航しておりますから、大船団を組んで国の特使として許可を求めるのであれば、北京の都で皇帝に拝謁できる可能性はあると私は思います」
「そうですか……」と私はうなずく。不可能ではないが、大がかりに、時間をかけなければできないとうことは十分に理解できた。このまま日本から数人で明国に向かったとしても、まず上陸することは許されないだろう。一度、ゴアに戻ってポルトガル総督に掛け合う必要があるかもしれない、と私は考えていた。
策彦殿は私の様子を見ながら、話題を変えた。
「さて、皆様、せっかく異教の寺院においでいただいたのですから、一つ私の話でも聞いてもらいましょうかな。禅のみならず、この日本という国の信心についてお話ししましょう。そして、あなた方の教えについてもお話しください」
彼はにっこりと頷いて話を始めたので、私たちは清聴することにした。彼は日本の宗教について語りはじめた。古来の産土(うぶすな)の神、そして神々が繰り広げる戦いの神話、仏教の伝来、中国古来の儒教の影響、亡くなった人を神として敬う祖霊信仰など、さまざまなことがらを平明な口調で語った。
セサルがつぶやいた。
「神話の神がまつられているというのは西洋の神話(ギリシア神話)と同じではないかと話していたのだが」
「そのような見方もできるでしょう。神という存在に人間が抱く像というのは、実のところ、東洋でも西洋でも根源的にはさほどの違いはないと私は考えています。違いを言い出したら、神様に陣地をこまごまと作って、線を引いて回らんといけません。そうですな、この国の宗教の面白いところは、全てをまるまる飲み込んでいるところです。土地と先祖の神、神話の神、仏教、儒教も含めて全てが共存している。仏教も宗派に分かれていますが、永続的に決裂することはありません。時の為政者によって強弱はありますし迫害も受けますが、それで民心が丸ごと変わるということもないのです。
それはこの国が四方を海に囲まれていることと無関係ではないと私は考えています。どこから何がやってきても受け入れる柔らかさが古来よりあるのです。今は、どうですやろな」
私はそれを聞き終えたあと、キリスト教について、使徒信条の中身をひきながら丁寧に説明した。策彦殿もまた、穏やかな表情で私の話を聞いていた。
「あなた方が人々と対話を重ねていけば、きりすとの教えも新しい考え方として、受け入れられる余地はあると思います。これはひとつ、忠告になりますやろか……私どもの歴史や文化を踏まえた形でなされるのがよろしいかと存じます」
この対話はたいへん有意義なものだった。この策彦周良という禅の高僧は、今まで私が見てきた宗教の人々とは違っていた。薩摩で会った忍室にも同じ空気を感じたが、策彦はさらにこだわりのない、静かな哲学者のようだと思ったのだ。私は思わず彼に伝える。
「策彦殿、失礼ながら、あなたはこれまで私が議論をしてきた僧とは異なるように思えます。われわれのことを否定しない。明国に二度行かれるなど、この国の人にしては外に目を開かれているためかと思いますが、なぜそのような心を持てるのですか」
「そうですやろか。まぁ、少し寒くなりますがちょっとこれを見てご覧なさい」
そういうと、策彦殿は紙を貼った扉(障子)を横に滑らせて開いた。
外には一面に美しい庭が広がっている。
私をはじめ一同はそのあまりの見事さに息をのんだ。池があり、小山があり、滝まである。まるで自然の風景をそのまま凝縮したような風景だった。
雪はもう止んで、青空が見えていた。
池は鏡のように木々の枝を映していた。
「止水明鏡(しすいめいきょう)という言葉をご存じですか。この池の景色がその言葉の表すところであり、人の心のありようとして目指すところでもあります。しかし、この愛すべき景色は永遠に同じではありません。季節によっても、風や光ひとつによっても変わります。また、ひとたび天変地異や戦乱が及べば、跡形もなく破壊されてしまいます。実際、この庭園を除いては、本寺も大部分が破壊されたのですが」
「寺院まで打ち壊してしまうとは、ひどいことです」
策彦殿は大きくうなずきつつ、続けた。
「そうです。本来、美しいものや愛おしいものを目にすれば、人はそれを壊したくないと思うのです。しかし、実際はいとも簡単になくなってしまう。だからこそ、今ここにあるものを大切に心にとどめておこうとするのです。あなたがたのおっしゃる天国も大層美しいことと存じますが、私たちは今生きている瞬間の連続に無常を見、また永遠を見ようとするのです」
私はただ黙って聞いていた。策彦殿はやはり哲学者ではないかと思っていた。
そのように数時間の間、われわれの神について、旅について、仏教について本当に多くの話をすることができた。
そして策彦殿は最後にこんな話をした。
「仏教の開祖、釈迦は八十歳で入滅しましたが、その臨終に至る旅の際、弟子に何とつぶやいたと思いますか」
われわれは首をかしげていた。
「阿難(アーナンダ)よ、と弟子に呼び掛けはりました。それから、ご自身が訪ねはった地のことをそれぞれ、楽しい、楽しいと言わはったんです」
「楽しい、ですか」
「そうです。あなたがたの神の御子も迫害されて亡くなったということですが、ご臨終の時に何と申されたのですか」
私はつぶやくように言う。
「エリ・エリ・レマ・サバクタニ
(わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか)
ディプソォー(私は渇いている)
テテレスタイ(終わった)」(※1)
そして、セサルが言葉を継ぐ。
「父よ、私の霊をあなたの手にまかせます」
(※2)
策彦は少し悲しそうな目をした。
「そうですか、苦難があなた方の主の言葉だったのですね。その後復活されたことも。それは釈迦との違いの一つかもしれません。今ある人生の受け止め方といいましょうか」
天龍寺を出たあと、私たちは堺に戻ることにした。途中、私もセサルも何も言わなかった。
ベルナルドとフェルナンデスは堺に着いたら温かい食事が食べられると喜んでいる。
川を小舟でゆっくり下りながら、私は策彦殿に会えたことだけでも京都への旅は無駄ではなかったと思っていた。この国の統治者に拝謁できなかった無念さはあったが、今後の宣教について改めて考えるよいきっかけになったのだ。
ただ、セサルがずっと何かを考え込んでいる様子なのが気になっていた。
※フランシスコ・ザビエルの一行が天龍寺に行ったのは史実ではありません。御所訪問のあと堺に戻っています。
※1 マタイの福音書、ヨハネの福音書(ヘブライ語)。
※2 ルカの福音書
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