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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル
晩秋の関門海峡 1550年 平戸から下関へ
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、コスメ・デ・トーレス、ファン・フェルナンデス、ベルナルド(河邊成道)、松浦隆信、大内義隆、セサル・アスピルクエタ〉
1550年(天文19)の秋、私たちは平戸(現在の長崎県)にいる。
この頃には強い海風に震えるようになってきていた。
インドやマラッカなど猛烈な暑さの国で暮らしてきた私たちにとって、これはかなり手厳しいものだった。薩摩国で過ごした昨年の冬も寒いものだったが、今回の寒さの方が身に堪えた。もちろん、日本人の同行者にとって、この気候は毎年経験しているので大したことがない。そこで、コスメ・デ・トーレスやファン・フェルナンデス、私やセサルだけがぶるぶると震えているのだった。
「パードレ(Padre、ポルトガル語で司祭のこと)、ここで震えていたらこの先は凍えてしまいます」とベルナルドが苦笑している。
ベルナルドが言うには、平戸や薩摩は日本の中では温暖な地域だそうだ。遠く離れた下野国坂東の大学(足利学校、現在の栃木県)は山を控えた内陸性の気候で冬はたいそう冷え込むらしい。しかし、とベルナルドが付け加える。
「京は下野より西にありますが、山に囲まれ下野より寒さが厳しかち聞きもっそ」
山が寒さを決めるのは、ナヴァーラに生まれ育ったので十分理解できた。ピレネー山脈はイベリア半島の東の壁だったのだから。
思えばあのときはもっと寒かったような気がする。
私の脳裏にふっと、初めてピレネーを越えたときのことが浮かんだ。バルバラ学院に入るためにパリに向かったときのことだ。雪を踏みしめながら、ロンセスバージェスから国境を越える。あれが国境を越えた初めての経験だったのだ。
どれぐらいの時間がたったのだろうか。そしていくつ国境を越えたのだろうか。
そして、私は今、東の涯ての国にいる。
その涯ての国は絶海の孤島ではなく、人がたくさん住んでいて、独自の文化が根付いている。そして人々は慎ましく思慮深い。そうでない人もいるが、それはどこの国でもそうだろう。
そして、戦争もある。
この国に上陸して以降、私たちはまだ戦争というものを目の当たりにしていなかった。しかし、じきにそれにも出くわすことになる。
私たちは京都に向かうのに、あまり時間を空けたくなかった。しかし、冬を間近にして、京都に最も近い堺(現在の大阪)に直接向かう船はもう出ないということだった。今から京都に向かうのであれば、筑前博多まで船で行って、そこから周防(山口)まで歩く。そこからならば堺に出る船があるという。周防国にはもとから向かう計画を立てていたので是非はない。博多から九州大陸の端まで行き、海峡のもっとも狭いところを船で渡り、周防まで徒歩で行くことにしたのだ。
「全員で荷物を持って移動するのは危険だろう」とセサルがつぶやく。
「追い剥ぎや野盗が多くいて、戦闘に出くわすことも考えられますね。たいへん危険です」とベルナルドがポルトガル語で言う。彼も覚えが早い。パウロからポルトガル語を習って、日常使うのに不自由がないほど上達していた。
フェルナンデスとベルナルドで言葉を教えあっている様子は始終見られた。相互がよい影響を与えあったのだろう。フェルナンデスの方は、日本語版の聖書を作るのだと張り切っている。もう少し日本語と、あとは宗教的な伝統に習熟すれば、それは不可能ではないだろう。
いずれにしても、ここで私たちは大きく二手に分かれることを決めた。私とフェルナンデス、ベルナルド、セサルが周防に向かい、後の人は平戸に留まることにしたのだ。トーレス司祭が平戸の、島々が広がる光景に惹かれていたことを分かっていたので、これまでのやり方に習って宣教活動に務めてもらうことにした。以降長く、彼には九州や周防の地域に留まってもらうことになる。もちろんそれに加えて、ポルトガル船とやりとりができる人間を平戸に置いておかねばならないという事情もあった。それが領主松浦隆信公との約束でもあったからだ。
松浦隆信公からはポルトガル船が平戸に入港するように口添えすることを条件に宣教が認められたので、周防に向かう組は博多行きの船が出るまで、残る人々はそのあとも引き続き、平戸での宣教活動に取りかかることになった。松浦隆信公はキリスト教にまったく興味を持つことがなかったが、当面は宣教活動を止められる恐れはなかった。領主が改宗するということは、この国の伝統からするとたいへん難しいことのように思われた。それでも、2ヶ月ほどの間、往来の多い町中で説教を続けて、100人の人に洗礼を授けることができた。
もっとも熱心だったのは、コスメ・デ・トーレスだった。この地は大都市というものからはかけ離れた、島々の一端ではあったが、人々のつながりはより密接であるように思える。その分、知らない者を受け入れるのに時間がかかるが、いちど受け入れてもらえば、まるで家族のように温かく接してくれる。
私はセサルも残った方がいいのではないかと感じていた。どれほど若く見えても、もう75歳の老人なのだ。冬の旅が彼の身体にかなり堪えることは明白だ。それなので彼にはそのように伝えたし、彼も私がそう思うだろうことを十分に承知していた。彼は言った。
「わがままだとは思うが、もう少しだけ、先に行ってみたいと思っている。特に、ミヤコ(京都)というのを一度見てみたい」
私はうなずいた。
セサルがお荷物だというわけではない。
この長い旅路で私自身もまったく疲れていないというわけではなかった。まだ50にもなっていない身でもこうなのだ。リスボンからほぼすべての行程に付き添ってくれているセサルは相当消耗しているのではないかと思われた。できれば、まだ気候が温暖だと言われる九州の地に残ってもらった方がよいかと思ったのだ。
それと同時に、セサルが、「ミヤコ(京都)」に行ってみたいという気持ちも理解できた。そこには日本の王(後奈良天皇)と、将軍(足利義輝)という最高司令官がいるのだ。セサルはかつて、ローマという都で権勢を誇った男なのだ。いくら世を捨てた隠者のようになっていたとしても、政治というもののありようについて見聞したいと願うのは当然のことかもしれない。
私には、それが彼の人生にとって、とても大切なことなのではないかと思えたのだ。
冬の足音が聞こえるようになった頃、私たちは博多に向かう船にようやく乗ることができた。これまでの大所帯と比べて、半減した人数で出発するのだ。私は少しばかり、淋しい気持ちになった。これまで常に真夏の国にいたので、冬の寂しさというのを感じたことがなかったのだ。
山の緑がすべて赤茶けた色に変わっていたからかもしれない。
「少し、寂しい感じだな」とセサルがつぶやく。
「そうですね」とだけ私はつぶやいた。
「どうかこちらのことは気になさらずに。ご無事を祈っております」とトーレス司祭が微笑んだ。それが私たちの心に慰めを与えてくれたように思えたのだ。
平戸から博多に向かう船は数日で博多の津に到着した。
博多は九州でも指折りの大きな港で、これまで見たことがないほど人がたくさんいた。見ていると皆、せかせかと動き回っているように思える。
しかし私たちは領主に目通りすることなく、背負子(しょいこ)に荷物を積んで脇目も振らずに歩き始めた。ここから筑前の海沿いの町、黒崎まで徒歩で向かわなければならないのだ。私たちは口数も少なく、ただ歩いていた。
数日で黒崎に着くことができた。
黒崎から赤間関(下関)には渡し船があったので、私たちはじろじろと往来の人や船主に見られながらも何とか船に乗り込むことができた。
ベルナルドがいてくれたので、宿でも船でも困ることはなかった。フェルナンデスは日本語を解せるようになっていたので、皆フェルナンデスのことを日本語の上手な商人だと思っていたようだ。
そして、私たちは関門海峡という、九州と本州を分ける海峡を見た。
それは思っていたよりもずっと狭く、向こう側を容易に見渡すことができた。
これほど短い船の旅は、これまでになかったのではないだろうか。1日もかからず、私たちはあっけなく、本州に上陸することができたのだ。
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