16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル

答えは人々の中に 1548~9年 コーチン、ゴア

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〈フランシスコ・ザビエル、アンジロウ(弥次郎)、ディエゴ・ペレイラ、ミゲル・ヴァス、コスメ・デ・トーレス、ファン・フェルナンデス、セサル・アスピルクエタ〉

 1548年1月13日、私たちはたいへん困難な航海を終えて、インド南部西岸のコーチン(現在のケララ州にある)に到着した。コーチンを訪れるのは3年ぶりだし、インドの大地を離れてからも2年半以上経っているのだ。
 世界の全容からすればほんの少しの移動でも、驚くほど時間がかかるということだ。



 私たちはまず、聖堂に向かうことにした。ポルトガルにいったん戻ったミゲル・ヴァス司教代理と久しぶりに話をしたいと思ったのだ。海辺を3人で歩いていると、木造の小さな漁船がいくつも停泊している。アンジロウはそれを見て、懐かしそうにつぶやく。
「薩摩ん景色によう似とります。懐かしかぁ。暑い季節は皆裸んごた格好で舟に乗ります」
 セサルは彼の日本語を聞きながら、私の方を向く。
「この言葉は興味深い。今まで聞いてきたどの言葉ともまた違うようだ」
「そうですね。教えてもらおうと思っています」
 セサルが苦笑する。
「そうか……」

 ようやく陸地についたこともあって、私たちは少しほっとしていたのだが、インドの状況は私たちをのんびりさせてくれるようなものではなかった。

 私たちが日本に向かうのはこの1年あまり後のことだが、それまでインドの変化をよく把握して調整することに時間を費やしたといっていいだろう。
 アンジロウはこのあとゴアで修練を積むことになる。

 素晴らしい知らせがあった。
 1547年には聖職者の渡航がなかったのだが、その前年にはポルトガルの港から司祭、助祭が来ていてすでに活動を始めている。そして、この年(1548年)には11人の聖職者がやって来たのだ。私は出来る限り、もとからいる聖職者と新任の人たち双方に会おうと思った。この年にやってきたひとりが私たちと日本に行くことになるファン・フェルナンデスだ。
 かねがね、もっと聖職者を派遣してほしいと、イニゴ(ロヨラ)やシモン(ロドリゲス)、国王ジョアン3世にも要請していたのを、聞き届けてもらえたのだ。

 私が今思い出せるだけ、挙げてみよう。
 1546年、インドにやってきた会員は、フランシスコ・エンリケス司祭、バルタザル・ヌネス司祭、アルフォンソ・チブリアノ司祭、マヌエル・デ・モライスなど。
 1548年には、ガスパル・バルゼオ司祭、バルタザル・ガーゴ司祭、フランシスコ・ゴンサルヴェス、アントニオ・ゴメス司祭、パウロ・ド・ヴァレ、ファン・フェルナンデス、ガスパル・ロドリゲス、ルイス・フロイスなど。
 
 もうひとつ、コーチンでは懇意にしているポルトガル商人で船主であるディエゴ・ペレイラにも会うことができた。これまで長くポルトガルのために貢献したことが認められて、マラッカから中国に渡航する許可が下りた。総督公認の貿易商になったということだ。これから明国(中国)に向かい、交易の手だてを探りたいということだった。私が日本行きを考えているというと、彼は笑顔で賛同してくれた。
「彼ら日本人は、きちんと接すれば無下にしたりはしない。あなたのように開明的な人であれば、神はきっと道を用意してくださるに違いない!何なら賭けてもいい」

 賭けにする必要はないと思うのだが、嬉しい激励だった。

 そして、アンボン島で出会ったスペイン人のコスメ・デ・トーレス司祭はゴアにいるという。喜ばしいことに、彼は自ら決心してアウグスティノ会(修道会)からイエズス会に移ったと聞いた。私たちはもともとゴアに派遣されていたフランシスコ会の聖職者とも懇意にしていたから、修道会の違いで何かの区別をつけたりはしていなかったのだが、心強い仲間が増えたと素直に喜んだよ。
 
 そのように、人との再会、出会いという意味では嬉しいことがいくつもあった。しかし、いい知らせより、そうでない方が多かったのだ。
 私が戻ってすぐに衝撃的な知らせが届いた。
 コーチンの司教代理を務め、ポルトガルにいったん帰任してまたインドに戻ってきたミゲル・ヴァスが亡くなった。
 彼はコーチンからインド西岸北部のディウに向かう途中で倒れ、ほどなく亡くなったという。高齢ではあったが突然の死だったので、何かの思惑によって毒殺されたのではないかという噂が要塞の中ではまことしやかに語られ、他の聖職者にも疑いがかけられていたのだ。
 後でその疑いは晴れた。
 ヴァス司教代理に再会がかなわなかったことは本当に残念だったが、そのような噂が出ることに何か嫌な空気を感じたのだ。

 それから私たちはゴア、バセインに赴いた。
 そこで耳にする政治情勢については変化が目立った。特に、私が歩き回ったインド南部とセイロン(現在のスリランカ)の状態は後退していた。



 インド南部を治める領主のひとり、イニキトリベリン王はポルトガルがヴィジャヤナガル王国と手を結んだために、同盟を反古(ほご)にされていた。同時に、イニキトリベリン王と同盟を組んでいたトラバンコール王国も領地をヴィジャヤナガルに割譲するように圧力をかけられていたのだ。トラバンコールの領地には真珠海岸があるから、どこも喉から手が出るほど欲しいのだ。
 圧力をかけていたのは……ポルトガルだ。
 ヴィジャヤナガル国はヒンドゥー教国家である。この地域がヴィジャヤナガル国のものになったら、(キリスト教の)信徒が迫害されることは火を見るより明らかだ。案の定、トラバンコール王は立腹し、キリスト教徒になること、洗礼を受けることを禁じたのだという。



 また、セイロンの方も憂慮すべき状態から脱していなかった。ブバネカ・バフ王は変わらず強い勢力を持っている。キリスト教に改宗した王子が処刑され、もうひとりの王子はゴアに保護されていたが、先頃亡くなったという。

 政治情勢の変化といえば済んでしまうのかもしれない。私は必死にインド南部を駆け回った日々のことを切なく思い出した。あれだけ奔走したことが、水の泡になってしまったのだ。その後インドに入った宣教者たちが努力してくれたことも知ったが、決して楽観はできなかった。

 私は日本に渡航する準備を始めることにした。バセインでジョアン・デ・カストロ総督と面会し、マラッカから日本に渡航する便宜をはかってもらうことにした。マラッカの長官には直ちに伝令が出された。その面会のとき、カストロ総督は体調を崩しているようだった。もしかしたら、自分の命が長くないことを悟っていたのだろうか。私に、「しばらく留まってほしい」と依頼したのだ。
 それは現実となる。
 6月6日、カストロ総督は天に召された。

 私はゴアに戻った。
 セサルとアンジロウはゴアにいて、アンジロウはコスメ・デ・トーレス司祭に霊操(イエズス会員の修練)の指導を受けていた。ポルトガル語をほぼ習得していることもあって、日本に出発するまでに無事修了できそうだとトーレス司祭が太鼓判を押していた。私はこのとき、イエズス会宣教師の派遣先を決めていたのだが、日本にはトーレス司祭とアンジロウ、インドと中国人の信徒、そしてセサルと私で赴こうと思っていた。少し後で、ソコトラ島に向かってもらうはずだったファン・フェルナンデス修士に白羽の矢を立てることになる。

 私は日本に向かう前に、インドでするべきことをできるだけ決めて、整えておきたいと思っていた。
 少し焦る気持ちがあったのかもしれない。



 1549年の年が明けたある晩のことだった。
 セサルが珍しく、私と二人きりで話がしたいと部屋のドアを叩いて言った。私は彼を招き入れ、久しぶりに向かい合って腰かけた。
 セサルはしばらく黙っていたが、開口一番にこう問いを発した。

「おまえはなぜ、日本に行くのか?」

 突然の問いだった。私はそのような問いがセサルから出ると思っていなかったので、少々面食らった。
「それは……まだ宣教師が至っていない土地ですし、アンジロウを見てわかる通り、礼儀正しく知恵もある。私たちとの対話に応じてくれる国民だと考えたからです」
 セサルは真剣な顔でうなずく。
「それは模範解答だな。ただ、これまでの土地と、日本は違うと私は思う」
「違いますか」と私はおずおずと問う。

「分かっていると思うが、これまでの土地にはすべてポルトガルが国として拠点を築いているか、築いていた。そこではポルトガルの庇護を受けられる。しかし、日本や中国は違う。日本とは貿易関係がはじまったばかりだ。国としての正式な交流がない。おまえは礼儀正しく知恵のある国民だと言ったが、貿易船もまだ南の沿岸しか入っていないと聞いた。それで、宣教師がすぐさま受け入れられるとは考えにくいし、貿易商と常に行動を共にするわけではないだろう」

「あなたは、反対ですか」と私は静かに聞く。

「そのような紋切り型の話はしていない。もっとよく考えるべきだと私は思う。おまえは、もともと持っている信仰に加えて、それだけの見識と課題を得てきたはずだ」

「そうですね、私たちはいろいろな人と、ポルトガル人でも現地の人でも老若男女を問わず、イエス・キリストの話をしてきました。洗礼を受けて信徒になることを多くの人が決心してくれました」

 セサルはふっと微笑む。

「そうだ、それはおまえが出会った出来事のよい側面だ。その土地の人々が理解しやすいように使徒信条や祈りの言葉を翻訳し、土地の人と連れだってほうぼうを回った。それは素晴らしい働きだと私は思う。しかし、そのような、よいことばかりではなかった。そうだろう」

 私は何度もうなずく。私を悩ませた多くの出来事がよみがえってくる。

「はい、ポルトガル人の官吏が私腹を肥やしている事実がわかりました。海外に出てきたポルトガル人の信仰が消えかかっていることも。
 それに、聖職者の考え方も、健康状態もまちまちだということです。信仰の根本は同じだとしても、ささいなことを寛容に受け入れられなくなる。それは、本国から離れているということもあるのかもしれません。
 一方では、土地の支配者がポルトガルに敵対的な態度を取り、キリスト教徒に改宗した信徒を迫害する。ポルトガルとキリスト教は同じもの、敵だとみなしている。そのような例はいくつもありました。モロタイ島のような場所もありました。あと、私たちはあまり出くわしませんでしたが、ヒンズー教やイスラム教の聖職者、あるいはその信徒たちの集団によって激しい攻撃が起こっても不思議ではありませんでした。言葉の壁よりもそちらの方がはるかに問題でした。
 そして、もっとも悲しむべきことは戦争です。人の暮らしや命が脅かされる。地域の紛争にたくさん出くわしましたが、もっとも悲しむべき……」

 私が一気呵成に話すのを、セサルはうなずきながら聞いていた。どうやら、私にすべて言わせたかったらしい。信仰とは一見異なる多くの問題を含めてすべてだ。セサルはそれらの問題をひとつひとつ噛み締めるように聞いていた。

「フランシスコ、それらの問題がインドやマラッカ、モルッカ諸島でいまだに続いていることを踏まえて、日本に新たに宣教することが望ましいだろうか。そこが私たちの考えるべき点だ。
 アンジロウに聞いたところによれば、日本では仏教が盛んに信仰されている。仏教の派閥で争いが起こることも少なくないという。そして、前世紀から断続的に大きな戦乱も起こっているらしい(※1)。そのような状況にあって、ポルトガルの要塞がない国で、聖職者が思うように活動できるか」

「そうですね、それは大きな困難であると私も思います。ただ、困難は私たちにとって大きな恵みだと思っています。これまでもそうでした」と私は答える。

 そう答えて、私は考えた。セサルは私に何を言わせたいのだろうかと。私が日本に行きたいというのを無謀なことだと思っているのだろうか。セサルはこれまで、こんなことを言ったことがなかった。助言はしてくれたが、私の行動に真っ向から疑義を唱えたことはなかった。
 それを思って、私は少し身が固くなる。

「ではもっと、根本的な話を聞く。おまえが日本の宣教活動で成果を出したとしよう。そうするとポルトガルの商人がこぞって日本を訪れるだろう。そして、ポルトガル王が日本を手中にしろと命令したら? 日本はモロタイ島より大きいようだからそう簡単に進む話ではないと思うが、これまでのポルトガルの侵攻を思えば十分に考えられる。
 これまでは、ポルトガルが拠点を置く場所が私たちの活動場所だった。日本や明国(中国)はそうではない。そこに宣教師が真っ先に出ていって道を作ったら、実際の後ろ楯であるポルトガルが次の展開を考えないはずがないだろう。おまえは親友のピエールの手紙を私に見せてくれた。そこにはこう書いてあった。
ーーPuissions-nous travailler beaucoup plus longtemps en tant qu'instrument de paix du Seigneur.ーー
(私たちが主の平和の道具として長く働けますように)
私たちはそれで平和の道具となれるのか」

 私は顔をゆがめた。
 そしてセサルをじっと見つめることしかできなかった。

「私の見解を聞いても無駄だぞ。私は征服者としてイタリア半島を疾走していた人間だ。そう、程度の差こそあれ、ポルトガル王と同じだったのだ。その過去でもっておまえに諭すことはできない。フランシスコ、東洋の聖職者のまとめ役としてではなく、イエズス会の結成に関わった注目される宣教師としてでもなく、自身の良心にのみ耳を傾けて、使途としての役割について考えてくれ」

 そう言うと、セサルは部屋を出ていった。
 私は部屋にひとりきりになった。

 出発まであと4カ月を切っていた。
 セサルに問いを投げかけられたあくる朝、私のもとにファン・フェルナンデスがやって来て、伝えたいことがあると言う。私は手紙を書いていたが、昨晩のセサルの問いが頭から離れず、書く手は止まっていた。
 フェルナンデスに椅子を勧めると、彼は遠慮がちにゆっくり腰かけた。改めて見ると、彼は瞳のきれいな青年だった。

「Posso falar Espanhol?」
(スペイン語で話してもいいですか)

 フェルナンデスの言葉に私は苦笑した。彼はコルドバ出身のスペイン人で、私はナヴァーラ出身の、今はスペイン人なのに。ポルトガル語で聞いてきたのだ。
 それには理由があった。
 私の日本行きに同行する宣教師がスペイン人二人となったことだ。従者のセサルもスペイン人で、他にインド人、日本人、中国人となる予定だがスペイン寄りに見えるのは否定できない。スペイン人がポルトガル語をすぐには使えないという事情を考えてそうしたのだった。

 私もポルトガル語が不自由なく使えるようになるまでには相当な時間を要したのだから。

 とはいえ、他のポルトガル人宣教師がたくさんいる中で、スペイン語で語らうのもあまり望ましくない。そこで、皆、ポルトガル語で話すことにしているのだ。
「Si(はい)」と私はスペイン語で答えた。

「おそらく、ザビエル司祭のことだと思うのですが……」と前置きして、フェルナンデスは話し始めた。
 彼はインドへの航海の途中、モザンビークにしばらく滞在した。私もたどった道なので懐かしい響きだと思ったよ。賑やかな要塞の町を歩いていると、彼は現地の男性に話しかけられた。髪の毛が黒かったので、若い男性のようだった、とフェルナンデスは言う。

「Cerca de seis anos atrás, conheci um padre. Ele disse que Deus está no céu. Eu estava então interessado no cristianismo. Se você encontrar um padre, por favor conte a ele sobre mim.」
(6年ほど前に、私は司祭にお会いました。司祭は、神は天にいるとおっしゃいました。私はそれから、キリスト教に興味を持つようになりました。司祭に会われたら、ぜひ私のことを伝えてください)

 私はそれが誰のことかすぐに分かった。
「その男性は、本当にポルトガル語でそう言ったのですか。ショナ語ではなく?」
「ザビエル司祭、私はショナ語をまったく解せません。でも、司祭はその男性を覚えていらっしゃるのですね」とフェルナンデスはほっとしたように言う。
「ああ、覚えています。私が会ったときは、少年で……」

 私は言葉を続けることができなかった。
 涙がとめどなく溢れてきたのだ。

 何と表現したらいいのだろう。モザンビークの少年のまっすぐな瞳、まっすぐな質問が私の脳裏に鮮やかによみがえった。
 そうだった。
 あの少年のまっすぐな瞳。
 書き文字のないソコトラ島の、狭い狭い小屋に響く、カシズの朗々とした祈りの言葉。「アレルヤ」の声。
 マナバルの海辺で、急造の拙いマラバル語の使徒信条を読み上げたとき、集まってくれた村の人々が真剣に聞いて洗礼を望んでくれたこと。
 出産を迎えた夫婦に呼ばれて共に祈り、無事に生まれた子どもに洗礼を授けたこと。
 「キリスト教徒になった夢を見た」と告げたヒンドゥー教の僧侶の切実な顔。
 夜に鈴を鳴らして歩くと、そこらじゅうから無邪気に出てきてともに祈ってくれる子どもたち。
 私がマレー語で教えた祈りの言葉を歌いながら、働く漁師たち。

 これまで出会った、たくさんの人々の顔がはっきりと浮かんでくる。それが私が心の底から求めている、与えられている「恵み」なのだ。それはずっと、少しも変わっていない。

 フェルナンデスが部屋を出ていった後、私は床にひざまずいて、祈った。その日はすべての予定を延ばしてもらい、ずっと祈り続けた。夜になっても祈り続けた。
 誰にも会うことなく、祈り続けた。



 翌朝、セサルが私の様子を見に来た。
「……考えて、答えが出たか?」
 私は微笑む。
「祈り続けて、答えが出ました」
「そうか」とセサルはうなずく。

「どんな状況であれ、平和のために私たちは働くのです。いさかいの芽が出ていたら、私たちは摘み取ります。良心の呵責に襲われることも、現実を前に妥協を強いられることもあるでしょう。悲嘆に暮れることもあるでしょう。それでも、私たちは愛をもって、尽きることなく、主が与えてくださった愛をもって、人びとと心を合わせながら前に進むのです」

 セサルはうなずいた。
「食事を取ったらどうだ」

 日本に向かうため、マラッカ行きの船に乗るのは1549年4月だ。

 私たちの海の巡礼路はさらに東につながっていく。


《第6章終わり》
 第7章は6月21日(金)からはじめる予定です。

※1 応仁の乱(1467~1477)以来日本で続いている戦乱。いわゆる戦国時代のこと。仏教内の争いとはこの頃の場合、一向一揆(一向宗徒による反乱)を挙げることができる。
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