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川の普請について話し合う
しおりを挟む五日が経って再び神辺城に藩主はじめ普請奉行、家老や側用人ら主だった役の人間が集まり、会議が開かれた。城地および堀・石垣の普請と山の開削などについて中山と小場がはじめに説明する。水害の影響をほぼ受けていない部分だ。こちらは予定通り進行しているのでさほど時間がかからない。中山は話をまとめつつ述べる際にこう述べた。
「城地とその周りの箇所については以上となるが、これから城下町を築いていくにあたり一言私見を申し上げたい。当初から区割りをしある程度町の形は描いとるが、こたびの水害で村落や寺社も甚大な被害を受けとる状況だで。無論、水普請の進め方にも関わってくるのだが、必要なものを取り入れてどんどん修正していこみゃあ。それを幕府の普請目付役に諮っていくという段取りにできたらと。殿、いかがでしょうや」
勝成は「うむ、治部の話を聞いてからじゃな」といったん受け取って、水奉行に話すよう促す。
神谷はごくりと唾を飲み込んだ。そして顔を上げて、座の一同をぐるりと見回す。手にはこの五日間に自身が歩いて見聞した事柄を書き付けた紙の束を握りしめている。中山が柔軟に対応すると言ってくれたのでいくらか気は楽になったが、それでも自身が話す内容が受け入れてもらえるのか不安になっているのだ。
神谷はいったん目を閉じる。息を整える。
そして、話し始めた。
「皆さま、初めの計画では本庄村で芦田川から水を分流して城背の吉津川を本流にしようと考えておりました。しかし、こたびの水害でそれは危険であると思い知ったのでございます。あの水量が一気に流れ込んだら城地の一部および城下町は水に浸かってしまうでしょう。実際、作業をしていた取水口の普請場は丸ごと飲み込まれてしまいました。それだけではありませぬ。草戸・神嶋の辺り、それと……芦田川と高屋川が合流する地点の片山から中津原村にかけての浸水被害が顕著に見られました。私が見たのは流域の一部に過ぎませぬが、現在の芦田川付け替えの策では事後大雨でさらに広い地域に害が及ぶことが見込まれます。
よって、現在の計画はかなり大幅に見直す必要がございます。
……いったん白紙にさせていただきたいと」
神谷のひとことで座は驚き一気にどよめく。
しかし、勝成も中山も小場も静かにその言葉を聞いている。勝成に至っては目を閉じて座禅を組んでいるようも見える。神谷は三人が落ち着いた態度でいるのを見て心強く感じる。それに力づけられるようにスーッと深呼吸をして、彼は話を続ける。
「白紙にすると申しましても放置する、放棄するということではございません。芦田川から取水し、城下町に上水用水を敷くという根底の部分は変えませぬ。ただ、そのためにはいくつかしなければならぬことがあると存じます。そこが白紙から起こすべきことになります……」
「どのような案か、その書き付けにあるのか。忌憚なく申せられよ」と家老の上田掃部が身を乗り出して先へ促す。
この前神辺城で神谷が懸命に筆を走らせているのを上田は陰でそっと見ていた。今回の水害で神谷の持ち場が困難に見舞われたのを上田もたいそう心配していた。筆頭家老として何か有益な助言ができたらよいのだが、専門性の高い分野のため力になれそうもない。何か、言葉ひとつでもいいから労ってやれたらと思っていたのだが、神谷の集中の度合いは烈しく、声をかけられる雰囲気ではなかった。なのでせめてこの場は他が皆非難しようとも自身が援護するつもりで声を出したのである。それは、神谷も気づいている。そして、皆は敵ではないのだから、自身が考え抜いたことを腹臓なく平明に語ろうと思った。
「まず、芦田川から城下への取水口は当初より城から離れた地点に設けます。
なぜ位置を変えねばならぬかは皆さまもようご存じかと思います。先だって大雨による川の氾濫浸水の害が起こりました。もし、芦田川の水を城下付近に引いたとき、今回のような水害が起こったら一気に水が押し寄せ、城下が深刻な被害に遭いまする。そこで取水箇所を変更することといたしました。その点はご了承いただけるかと存じます。
皆さまに新たにお諮りしたいのは、その前提となる改修などについてでございます。すなわち、芦田川の水量を減らし、かつ水を防ぐ方策でございます。
三日ほど前に見回りをしましたところ、ここ神辺から西に向かって片山や中津原の辺り、ちょうど芦田川と高屋川が合流する地点で川が弓なりに曲がっておるのです。雨で増水した際には、そこで川の水量が著しく増えて溢れ、さらに下流に流れます。皆さまもご存じの通り、下流の西岸は山が続き、東岸は平地で城地も含めて野上村より南は葦原が広がっております。平地に水が溢れると浸水が広がりますが、川と山の間の土地、川の中洲は氾濫が起こり流されるなど甚大な害を被ります。それが今回のような結果を生んでいることをまずお知らせしたいのです。
その上でどう水量を減らすかという私案ですが、まず、高屋川を芦田川から切り離します」
「川を切り離す?」という声が聞こえる。
「さようです。正確に申し上げると、二つの川の合流地点をもう少し下流にする。これは高屋川の流路を変える方が理にかなっております。それで芦田川との合流部の勢いは減らせます。それと同時に、芦田川と高屋川の間に堤を築きます。芦田川には取水口を設けて吉津川へ導きますので、本流の水量はさらに減らすこともできるかと存じます。また、吉津川が増水する場合も考えねばなりません、そちらにも水門や堤を築くようにしたらいかがかと存じます。城下町の縄張りが固まりましたら、同時進行で上水道の普請も進めます。入り用になる石樋や木樋、竹樋の調達については小場さまに改めてご相談したいと存じます。おそらくこれまでより多くの働き手が必要になりますので、そちらは中山さまに調整をお願いしたいと存じます。私が今考えとるのは以上にございます」
一同はしばらく沈黙していた。
神谷の考えはもっともなように思えるが、普請の内容が元より大がかりで多岐に渡っている。それほど多くのことをこの短期間でやりきれるものだろうか、というのが皆に共通する感想だ。
「だいぶ大がかりな普請になるようだが、あと二年ほどでできるだろうか」とさっそく上田掃部が尋ねる。
真っ先にその問いが出てくるのは分かっていた。
「はい、正直に申し上げて、かなり大人数でかかりませんと厳しいと存じます。特に築堤につきましては区間も長くなりますので皆さまのお智恵をお借りしたいと思う所存です」と神谷は答える。その点は彼自身、有効な解答が出せなかった部分でもあるので、つまびらかにして議論してもらいたいと考えていた。
「うむ、築提は城廻りにせねばならぬでええのだが、芦田川に吉津川となると、やはりどこからどこまでにするかというのは考えんといかん」と中山は言う。
「うむ、治部はどこからどこまでを考えとるんじゃ」と勝成が口を開く。
「上手からですと、高屋川と芦田川の現在の合流地点に始まり、分流部も含めて本庄村全域の両川岸が該当します。本庄村以南につきましては、対岸の草戸方面にも必要になりましょう。城回りにつきましては中山さまもご指摘された通り、取水口から吉津川に導く水路回りは城の掘と別に考えねばなりません」
小場は神谷の言葉をじっと聞いていた。腕組みをして目を閉じていたが、ここで口を開いた。
「川を城域に導く前に、その川の勢いをできるだけ弱めた上で堤を築くというのは承知した。だがやはり人の数が問題になる。山の開削と城地普請は見込んだ通りに進んでおるが、その後、城郭と城下町の埋め立て、築造という大事が控えておる。できる限り先に進めておいて水普請の方へ人を回すようにしたいとは思うが、よほど慎重に段取りを詰めていかんと、キリキリ舞いになる」
神谷は神妙にうなずいている。
「当初の見込みとは変わってしまい、恐縮です。何とかうまくやる方法がないかと考えてはおるのですが……」
小場や中山が発言する中で、本庄から鞆に至る道筋を見聞した勝重が新たな口火を切る。
「水流を変えた上で芦田川河口をどうするかというのもあるかと存じますが……草戸・神嶋一帯の被害は相当なものでした。これまでもたびたび水害に見舞われとるのですが、ここはやはり火急に何とかせんといかんと思います。常福寺の五重塔は崩れませんでしたが、裏山で山崩れが起こっとりました。本堂の一部に土砂が流れ込み、今は倒壊に近い状態となっとります。草戸稲荷も倒壊こそしとりませんが、まともに水をくらってしまいました。もちろん、城と城下町の対策は万全にせねばと思うのですが、鞆からの利便を考えますと放っておいてはならぬかと存じます」
神谷はうつむいてしまう。
何から何までせねばと思うと実に途方もない話になるものだ。自身の考えだけでもかなり大がかりになっているが、皆の話を聞いているとなおさら際限がなくなるし、期限や他との兼ね合いが重圧にもなる。
上田がこの話をどうまとめたらよいのか思案していると、勝成がすっくと立ち上がった。
「皆の衆、もう午の刻、腹が減ったろう。奥に頼んで握り飯やら用意させた。暫時中食じゃ。数は十分にあるけえな、慌てずゆっくり召し上がられよ」
上田はハッとして、皆に言う。
「しばらく、しばらく、皆一息ついてくれみゃあ」
一同がざわざわとするのを見計らって使用人らが大量の握り飯を運んでくる。炊いた米穀のいい香りが一帯に漂う。
「腹が減っては戦はできぬからのう」と勝成がつぶやくと、握り飯運びを差配していたお珊が微笑んで言う。
「もののふは食わねど高楊子にはならぬのですなあ」
「そうじゃ、食わねば話にならんけえ」と勝成も微笑んで、握り飯をひとつつまみ、むしゃむしゃと食べ始めた。
それは初めて出会ったときに交わした言葉だった。勝成とお珊とお登久しか知らない、流れに光る水晶のような幸せのかけらだった。
暫時休憩が終了すると、一同は座に戻りしんと静まり返る。
「掃部、わしからも話してええかのう」と勝成が言う。上田は慌てて、「もちろんでございます」と身を引く。
「水普請、川普請の長たる神谷をはじめ、皆の考えを聞いとった。それを踏まえて思うたこともある。ひとつ、わしの考えも聞いてくれみゃあ」
一同は勝成に注目する。
「川の水量を分けることで減らす。増水著しい箇所と重要な区域に堤を設ける。城下に水を引く取水口の箇所は慎重に検討し変える。治部が言うたのはそういうことじゃな」
「はい、さようにございます」と神谷は答える。
「将監(中山)からは、築堤の範囲について話があった。兵左衛門(小場)からは城・城下普請の時期の兼ね合いと人の数がどれほどかかるか案配せんと難しいという話じゃな。そして、美作(勝重)からは草戸や神嶋の復旧と整備が必要だという話だった。いずれも的を射ておる。じゃが、わしはまず、兵左衛門の話をもとに考えを組み立てたいと思うた。他との兼ね合いじゃ」
一同はどのような話が出るのかと身を乗り出して聞いている。
「わしは去年、三年で城と城下町を築こうと皆に申した。将監は目ん玉ひん向いておったがのう。それを変えないというのが前提だとすれば、治部が言った普請をすべてやるのは無理じゃと思う」
あっさり無理と言われたので、神谷はうつむいてしまう。勝成はそれを見て、穏やかな声で神谷に呼びかける。
「治部よう、わしは城と城下普請を三年でしようと申した。むろん城下普請は人が住めるところまでじゃけえ上水道も含む。ただ、川普請は三年でしようとは考えとらん。それはここできちんと言うておく。治部、前に伊達陸奥守(政宗)の話を聞いたときのことを覚えておるか」
「はい、よう覚えとります」と神谷は顔を上げる。
「うむ、わしらと将監以外は皆知らんけえ、この場で話しておくが、仙台藩の領内には大きな川がふたつある。阿武隈川、北上川という。仙台藩ではかねてよりこのふたつの川を付け替え、城下近くまで運河を引き、松島湾に導こうとしとる。都合何里になるんじゃったかのう、とにかくどえらい大事業じゃ。ただ、この仕事には期限は付いとらん。陸奥守は城普請などとはハナから切り離しておられるんじゃ。この普請奉行は川村孫兵衛という者が担っておるが、普請は何度も暗礁に乗り上げた。大地震に続いての大津波、大海嘯、それが二度も起こっとる。しかし川村は決して音を上げなかったし、陸奥守は信頼して任せとった。わしはいたく感じ入ってのう」
「はい、私もたいへん感じ入りました」と神谷がうなずく。
「何をすべきか止めるべきかという案はわしにはない。どれもした方がええことじゃ。ただ、すべてを三年、いや二年半でやりきるのはどう考えても無理がある。今それが明らかにできたのは真に幸いなこっちゃ。もっと普請が進んだときに大水害が起こったら、もう目も当てられんかったじゃろう。わしらは運に恵まれとるんじゃ」
「運に恵まれとるんでしょうか?」と中山が聞き返す。
「然り、もっとよいものにできる」と勝成は断言する。それを聞いた一同は再び力を授かったような心持ちになる。
「それでは、いったいいかがしたら……」と神谷がおずおずと尋ねる。
「まず、城下町を築いた上に上水道を敷くにはどの作業が最低必要か洗い出すんじゃ。今の話で言えば、芦田川と高屋川の合流部を付け替える、取水口と運河を築き吉津川へと導く、変えた部分に沿った堤のみ急ぎ取りかかる。それを第一段とし、城下町の埋め立てまでに済ませる。次に城下町の上水道の敷設が第二段、そこまでで二年半と見込めばよい。続けて他の築堤および付け替えの補強などの普請にあたるのが第三段、以下は……まあ実地であれやこれや出てくるじゃろうのう、それならばまた思案じゃ。さように考えたらいかがかと思うとる」
聞いていた中山将監も小場兵左衛門も、もちろん神谷治部も目を丸くして聞いている。
すべてやろうとするから切羽詰まる。
特に川普請は今後長く取り組むものと考えて、切り分けて考えた方がいいということだ。言われてみれば理に叶っているのだが、案件が多いだけにどれが優先するものなのかを選り分けていくのは難しい。勝成はそれをはっきりと分けたのだ。もちろんすべてを一緒くたに片付けられればよいのだが、それができない以上、やり方を変えなければならない。
皆が勝成の提案を咀嚼する中、勝重が問いを再び投げかける。
「殿、さきほど申し上げた草戸や神嶋の件ですが、それは何段目になるでしょうか」
勝成はふむ、という顔をして答える。
「あくまでもわしの考えじゃが、常福寺の修築は真っ先にすべきじゃと思うとる。築堤については第一段で下流域全てとはいかんじゃろう。神嶋については商人町で普請のための資材を調達してもろうとるんもあるけえ、いったん話し合うようにしたい。それはわしがやろう」
中山将監がはてなという顔をして聞く。
「殿、寺の修築を真っ先にというのは、どうしてなのでしょう。いくら川の普請を分けていくといっても決してのんびりできるものではありませぬ。堤ならばともかく、修築はあとでもよいのではないかと……」
勝成はうなずいてから中山の問いを解く。
「備後には寺社が多くあるが、さきの藩主の領地が広すぎたため安芸に注力し、備後の寺社まで気を配ってはおらんかった。ここ神辺城の麓にある明神社も、地鎮祭を執り行ってくれた明王院、桜山の吉備津神社もずいぶん寂れとる。寄進地を取り上げられたこともあったと聞いたけえな、その間は人々の帰依信仰しか支えがなかったんじゃ。人々が大切にし頼るものを、わしらが粗末にしていかがする。じきにわしらが見捨てられる羽目になるぞ。寺社を篤く保護するのは藩を切り盛りしていくためにも肝要じゃ。
これはわしの考えなれど、藩のものとしたい。以上じゃ」
「ははっ」と一同は平伏する。
その後、いくつか神谷や小場に対して質問があったが、高屋川の流れを変える作業に始まる水普請の詳細と城地普請の細かい調整は普請奉行三人で詰めることにし、一同は散会した。
「殿、お話してもよろしいでしょうか」と神谷が勝成の脇に出る。
「おう、ええぞ」
「殿は先般、高屋に行かれておったと……」
「ああ、行ったのう」と勝成がうなずく。
「高屋川を見に行かれたのでございましょう」
「ああ、そうじゃ」
「それで、何かこう、お気づきになられたり私にお申し付けいただくことがあったのではと……」と神谷は不安げな表情をする。
勝成は神谷の様子を見て、ハハハと笑い出す。
「おう、あったあった。しかし後の話じゃのう。いま命じたら、おぬしが飲み込まれて流されてしまうけえな。後で楽しみにしとれや」
笑って去っていく勝成の背中を見ながら、神谷は自身の重い負担を、結果として主君が少し軽くしてくれたことに感謝するのだった。
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