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◼️番外編 清正の妻、福山の空を見上げる
人の心をつなぐものは
しおりを挟む⚫八十姫の名の由来
鞆の町を勝重とかなが歩いている。
供の者は付いているが、二人とは少し距離を置いている。叔母と気がねなく話をしたいという勝重の意向による。
鞆の津から瀬戸内海を見ると目の前にこじんまりとした、緑の島々が見える。
「こちらの津はまことに静かでよかね。来たときは人が多くおったけん、よう見えんかった。あの島は何というと」
「仙酔島でござます。仙人も酔うほど美しいそうです。手前にある小さな島が弁天島……弁天さまは酔わんのじゃのう」
「弁天さまは酔わせる方やけんね」とかなは笑う。
「渡しをすぐ出せますぞ」と勝重は提案するが、かなは笑って「また今度」とお辞儀をする。
「そういえば……叔母上、ひとつ聞きたいことが」
「なんでしょう」
「八十姫(やそひめ)さまはどのようなことで名付けられたのでしょうや。父は清正公より苦汁に遭わないためと八十にしたと申されたそうじゃが」
かなは目を丸くする。
「ああ、あん人ば兄上にそげん言うとったと?」
「そのようです」と勝重はうなずく。
「もちろん、そいもあるけんが……まぁ、長か話ね」
「さようにおっしゃらず、教えてください。今なら長くとも障りはございません」
勝重はささやかな疑問をどうしても解き明かしてほしいようだ。
「美作どのは素直でよい子やね」とかなが言う。
もう子という歳からはかなり離れているのだが、と勝重は照れて頭を掻く。
かなが説明する名前の由来は確かに少しばかり長かった。
仏教を開いた釈迦牟尼は80歳で入滅した。人間としての一生はそれで区切られたが、釈迦牟尼が悟った真理と智慧、慈悲の心は永遠不滅のものである。
「80というのは命の区切りですが、そいで終わらんもんもあるということです。やけん生きとる間は釈迦牟尼の教えを守り、世の衆生を救うこつば願いひたすら勤める。そげんこつばようわかる子になってほしかと願うて名付けたとよ」
「ああ、やはり深い意味があったんじゃ。そりゃあ父が聞いたらキョトンとされるにちがいない」
「あん人は兄上にごくごく簡便に伝えたんやろう。確かに八十はあん人には遅い子やったけん、たいそう可愛がっとった。さような願いもあったでしょう。そうそう、兄上は確か、京都の大徳寺さんに塔頭(たっちゅう)を建立したと聞きました。あんお寺さんは臨済宗やったね」
「さようです」
「そいも立派。あと、兄上は刈屋にあったゆかりの寺社を宗派問わずみなこちらに分けて持ってきたと聞きようたけん。みな同じようにするのはなかなかできんこつよ。
若か時分は、そげん信仰心が篤いようには間違うても見えんかったけんが」
「父は何より先に民や人が立っとるようです。信仰は人の心の支えですけえな」と勝重はかなにいう。
⚫法宣寺で松を仰ぐ
そこに用人が近づいてきて、昼の食事の支度が整ったという。
「朝獲れの鯛で炊いた飯がございますけえ、いただきましょう」
「あら、お祝い事があるとやろうか」とかなは驚く。
「鞆の津ではよう鯛が上がりますけぇな、まあ毎日いただきはしませんが」と勝重はかなを連れだっていく。
海に近い商家で一行は昼食を取る。
そこの女中がひとりでも持てる程度の小振りの釜を運んでくる。
「さぁ、開けましょう」
釜のふたをパッと開けると、潮の香りと焼いた鯛の香ばしい匂いがパアッと広がる。
「ああ、何といい香りやろう」とかなは目を閉じてそれを楽しむと、釜を覗き込む。
「火傷せんようになさってくんさい。今お取り分けしますけえな」と女中がにこやかに言う。
尾頭付きの鯛が丸ごとドンと乗せられている。それを女中がほぐし、骨をきれいに外していく。尾や頭も外すと、飯茶碗に品よくよそう。
「ほう、手際よう外すもんやね」とかながその様子を見て感心している。
「慣れとるだけにございますよ。お褒めいただいたらぶち恥ずかしい、鯛のごとく赤くなってしまいそうじゃ」と女中は照れている。
「天草でも魚がよう捕れますが……」と言いかけてかなは言葉をしまう。
彼女はもう、肥後の国の人ではないのだ。
勝重はさりげなく、
「さて、これをいただいたら寺参りに行きますぞ」と言って、鯛めしをぱくぱくと食べ始めた。それにつられるようにかなも箸を手に取る。
「ああ、おいしか。こげんしてゆるりといただけるんはありがたかこつ」
食事の後少し休んでから、一行はすぐ側の大覚山法宣寺に向かう。ここが鞆で由緒ある日蓮宗の古刹なのだ。もっとも勝重は由緒を詳しく知らなかったので、寺の住持に説明を受けることになる。
「こちらは正平年間(1358年といわれる、南北朝の時代)に京都妙顕寺二世の大覚大僧正が備前、備後を布教して回られた際に開かれた寺院でございます。大覚大僧正は当時の後光厳天皇のたってのご依頼で雨乞いの祈祷を行い、じき降雨がございました。そのご霊験をもって大僧正の号を賜ったのでございます」
住持の言葉には勝重にとって新たな発見だった。
彼は治世の当事者一人として領内の寺社を回るなどはしているが、それぞれの歴史や由縁についてすべて知っているわけではなかった。福山は新しい城下町だが、鞆の歴史はかなり奥深いもののようだと感じていた。
一方、かなの方はさらに興味津々の様子だった。
「まあ、大覚大僧正さまは妙顕寺からこちらを回られとったんですか。わが夫は本圀寺(ほんこくじ)に帰依しとりましたので、そちらともご縁が濃いのではないでしょうや」
「京でもさまざま変遷がありますからな。清正公は寺院のどこということではなく、日蓮宗の篤き信徒でございますよ、奥方さま」と住持はにこやかに答える。
これはわしも、もう少し学ぶ要がありそうじゃ。
しかし、ここで割り混んで尋ねるんも無粋じゃしのう。
話し込んでいる二人からそっと離れて、勝重は側にある巨大な松の古木を見つめる。
この松は相当年季が入っとるけえ、喋りでもしようたら聞いてみるんじゃが。
とりとめもなくそのようなことを考えていた。
すると、住持が勝重に言う。
「そちらの松は大覚大僧正がお植えになられました。じきに樹齢三百年になろうというもの。枝振りが天蓋のように広がっとりますので、天蓋松と皆呼んどります」
「は、さようか」
しかし、夫の清正公が信仰していたとはいえ叔母上はまことに信心が深い。ほれ、住持が初見の叔母上に熱心に話しかけとる。いつの間にやら叔母上のほうが住持のようじゃ。
わしはもう忘れられとるのう。
なぜそこまで熱心になれるんかのう。これまであまり考えたことがなかったが……。
勝重は苦笑して松の見事な枝振りを眺めていた。
⚫人心をつなぐもの
勝重はかなを福山城まで送り届けたあと、家老の上田玄蕃を呼び出した。彼は何事かと勝重の待つ部屋に慌ててやってくる。
「いかがされました。お呼びいただくなど、滅多にないことですので驚きましたぞ」
「ああ、済まぬ。玄蕃は確か日蓮宗徒じゃったのう。刈屋からこちらに妙政寺を移した折に差配しとったはずじゃ」
「いかにも。拙者は先祖代々日蓮宗徒にございますが、何かございましたか」
「うむ、初代の肥後どの(清正)はたいへん熱心な宗徒じゃったと聞いてはおるが、その辺りをもう少しつまびらかにしてくれんか。でないと何とも叔母上のご相伴役が務まらんような気がしてのう」
「それは結構ですが……若殿はまことに生真面目な性分なのですな」と上田玄蕃は感心しつつ笑う。
「ああ、何とでも申せ」と勝重はフッと笑う。
上田の話は以下のようなことになる。
加藤清正は尾張の鍛冶屋の倅だが、両親は熱心な日蓮宗信徒であった。それは子にもそのまま受け継がれた。豊臣秀吉の小姓になって尾張を離れ、近江長浜に移ってもそれはまったく変わらなかった。朝は勤行を必ずし、近隣の寺院への参詣を欠かさなかった。
戦に出る際の旗指物に「南無妙法蓮華経」という文字を入れていたのは有名な話だが、京都堀川の本圀寺(ほんこくじ)に帰依し、朝鮮出兵の前に自身の頭髪を納め逆修墓(生前墓)を建てたことも人々の語り草になった。寺院の庇護にも熱心で領国の肥後はもちろん、本圀寺には山門を、江戸の池上本門寺には「此経難持坂(しきょうなんじざか)」という96段の堂々たる石段と大堂を寄進した。
(此経難持坂)
「それが叔母上や正応院さま(清正の側室)の信仰に連なっとるんか。水野もそうじゃが、たいていおなごは夫子とは違う宗派に帰依するけえの。こたび本門寺に肥後藩主(忠広)が留め置かれたんも何やら因縁を感じるのう」と勝重がうなずきながら言う。
「若殿、それだけではございません。紀州の八十姫さまもたいそう熱心でございます。紀州では大納言さま(徳川頼宣)のご生母・養珠院さまも本門寺の大壇越(だいだんおつ、多額の寄進・貢献をする熱心な信徒)でございますけえ、紀州の奥は一様に日蓮宗徒といってもよいかと」
「それは知っておるが、養珠院さまと正応院さまは何やらぶつかっとったようじゃ。同じ信徒でさようなことにもなるんか」と勝重は腕を組む。
「お二人がぶつかったということではございませぬ。あれは僧どうしの宗論対決ゆえ。清浄院さま(かな)はさようないさかいは避けとられたと思います。これは……拙者の考えにございますが、清浄院さまは信仰という絆で徳川家と肥後を結んでいらっしゃるように私には思えます。若殿はお分かりになるでしょうが、寄進ばかりが信仰の形ではないのです。みずからがたゆまず勤行し、信仰する姿を見た人が付いてくるというようなものではないでしょうや。こたび、加藤家はお取り潰しになり申したが、信仰は親藩の紀州にまで伸び、確かに根を張っとります」
上田玄蕃の見方は勝重にはなかった。
信仰は家を守るということとも強く結び付いている。
考え込んでいる勝重に上田は付け足すように言う。
「ただし、さようなことはどなたでもできるものではありませぬが」
どなたにでもできるものではない、という言葉は間違いないことが勝重にもすぐに分かるようになる。
それからすぐに、かなは近隣の日蓮宗の寺院に話をしに赴くようになった。自身から行きたいというのではない。寺院の方から来てもらえないかというのである。僧侶らは戦国武将きっての大壇越(だいだんおつ)である清正の話を聞きたがったが、かなの気さくな人柄が奏功してたいそうな人気者になった。
勝重も、供の者を付けたが自身はすべてに随伴する必要もなくなった。かなの方から、「藩のお務めがありましょうから」と言ってきたこともある。また、招いた僧らもかなの送迎を買って出る。
最初に参詣した法宣寺の住持にいたっては、「清正公をお祀りする堂宇を建立したい」と勝重に願い出たほどだった。
⚫かなが決めたこと
「のう、美作(勝重のこと)。おぬしはもう御役御免のようじゃのう」
勝成が登城した勝重に笑みを浮かべながらいう。
「まあ、そのようです」と勝重は素直に認める。
「うむ、かなが朗らかに過ごしとるようで重畳(ちょうじょう)なこと。おぬしがようしてくれたからじゃろう。礼を申すぞ」と勝成は息子にお辞儀をする。
「父上、何をさような……」と勝重は慌てる。
勝成はそこでふっと天井を見上げる。何か思案している様子だ。
「うーむ、おぬしには言うといたほうがええじゃろう。実はな、かなから話があって、じきに京都に移りたいそうじゃ」
「えっ、京とはまた……頼る方がございますか」と勝重は驚いて尋ねる。
「おらん。八十姫から紀州にぜひとも呼びたいという話も来とるんじゃが、京に行くともうすっかり決めとった。八十にはかなから文を書くそうじゃ」と勝成はため息をつく。
「さようですか……福山で暮らしていただいてもよろしいのに」と勝重もつられてため息をつく。
勝重は思いのほか、自分が動揺していることに驚いた。胸に寂しさがこみあげてくる。彼はそれを気取られぬように勝成に尋ねる。
「それで、出立はいつ頃で」
「ああ、京のほうに庵を用意するよう頼んだけえ、整い次第っちゅうことにした。まあ、一月もかからんじゃろう」
勝成は静かな声でそれだけを告げて、座を立った。
勝重は帰りしなに、かなの居室を訪れる。
部屋の襖がほんの少し開いていた。
かなが、「南無妙法蓮華経」と繰り返し唱える声が聞こえる。勝重は今入ると邪魔になるだろうかとそっと中の様子を窺ってみる。
それが止むと、かなは部屋に置かれた清正の木像の方を向いて座す。そして、かなと木像の間には脇差が横たえて置かれている。
「殿、肥後を守りきれんで、ほんなこつ申し訳なか。熊本の開城のとき、私はこの脇差で胸を突いて自害しようち思うとったとよ。
やけんが、不思議やね……脇差を手に取ろうとしたとき、襖を開けて入ってきようた兄上の心配そうな姿の後ろに、殿が立っとるように見えました。
泣きそうな、悲しそうな顔やった。
まだこちらに来るな、と言うとるようやった。
そいを見て、思い直したとたい。
私の御役目はここまで。
これからお呼びがかかるまで
殿のお側で余生を過ごそうと」
勝重は暗い雲間を陽光が破るさまに出くわしたときのように、すべてが解けていくのを感じた。
しばらく身動きを取ることができなかった。
これがかなの本当の心なのだ。
何と大きな、何とたゆまぬ、何と真っ直ぐな心だろうか。
彼女がこれまで肥後のことを思い尽くしてきた、そのすべてがこの言葉に詰まっている。そのように思えたのだ。
勝重は部屋に入らずに、静かにその場を立ち去った。
※本編の『おとく、勝成のもとを去る』の後半には勝成と清正がかなについて話すくだりがあります。よろしければご参照ください。
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