水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

文字の大きさ
上 下
54 / 89
◼️番外編 於大の方 慶長上洛記

お天道さまの当たる道

しおりを挟む
 道は山あいを抜けるように細く走る。

 ここまで海沿いの平地を通ってきたがこの先は山である。
 空は重く、雲が覆いかぶさってきたかのように冬の霧がたちこめる。白くけぶった森を見上げて、久松(松平)康元は不安な顔になる。
 雪は降っていないが、馬の蹄がシャリシャリと音を立てる。ふと、往来の脇を見るとそこには雪が積もっている。

「早よ近江まで抜けんといかんがや」と康元はつぶやく。寒さは厳しい。だるまのように着込んでもからだの芯から冷えてくる。伊勢から近江に抜ける道がこのような気候であることは分かっている。心配なのは母の体調なのだ。
 春だったらよかったのだが。

「母上、難儀ないでしょうや。次の宿(しゅく)ではゆるりとしましょうぞ」と康元は声を掛ける。

「まだ厠(かわや)の要もないでや、行けるところまで行って、宿(しゅく)になったら声をかけてちょうでぇませ。また寝とるで」と駕籠の中から声が聞こえる。

 康元はたびたび母に声をかける。どんなにうるさく思われても控えるわけにはいかない。もちろん、真冬の旅なので母のからだが弱ってしまったらーーと案じる気持ちが一番だ。しかし、それだけではない。

 康元はどこか、今回の母の行動に常ならざるものを感じていた。

 なぜ、春に来てほしいと文が来たにも関わらず、正月の松の内が過ぎてほどない時期に、すぐに出立したのだろうか。母も真冬の旅が厳しいことはよくわかっているはずだ。それほどまでに内府様に会いたかったのだろうか。

 康元は久松家のニ男で、於大が久松家に再嫁して産んだ初めての子である。

 家康と違って、彼はずっと母の側で成長することができた。ただ、それでべたべたに可愛がられたという記憶はない。いや、先妻の産んだ長子信俊とまったく変わらない扱いだった。それは弟が生まれても同じだった。
 他所の家では母子の確執も珍しくない。例えば、織田信長がそうだ。信長は生母の土田御前(どたごぜん)と折り合いが悪かった。しまいには母が弟を贔屓(ひいき)し、信長が弟を討つにいたるのである。於大は、母の偏った愛が家に亀裂を生じさせることをよく分かっていたのだろう。

 霧の山を眺めて、康元は考え続ける。
 
 よく文は書いていたが内府様のことを人前で口にすることはなかったし、しげしげと赴いてゆくこともなかった。
 婚家への遠慮はあっただろうが、それは父の俊勝が亡くなった後も変わらなかった。その辺りはきっちりと線を引いていたのだ。

 それだけに、今回何かを思い立ったように急いで旅立つ母の姿はいつもと違うように思う。

 一行は、於大の希望通り少し無理をしたが、結局鈴鹿峠の手前にある坂下宿(さかしたじゅく)に泊まることにした。ちょうど、伊勢と近江の境目である。さすがに一行には少し疲れが見える。彼らだけではない。これからの鈴鹿峠の難所を前にここで体力やら気力を養っておかなければ……という旅人でごった返していた。

 旅人、と書いたが、この頃「旅行」という概念はない。「移動」である。移動するのは将兵や伝令、商人、得体の知れない者、僧侶、虚無僧など一部の層に限られていた。その性質からすると、道中が安全とはとても言えない。庶民はひとつところを出ることなく生涯を終えるのが普通だった。
 江戸幕府が安定した頃にようやく、広く物見遊山の旅が可能になるのだが、『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』で書かれているような旅ができるのはまだまだ先である。

 それでも、於大の一行は坂下宿で上等の一軒にするりと入ることができた。もちろん、京都方面からの指示である。ただ、70歳を超えた老婆が息子らに助けられて旅をしていたのだから、指示がなくとも手厚くもてなされたと考えるのは難しくない。

 いずれにしても、山あいの道に至って凍えるような寒さに震えている一行にとっては、厚いもてなしでようやく人心地つけたのである。ここにはご丁寧に湯湯婆(ゆたんぽ)が届けられていた。陶磁器に湯を入れて栓をするこの器具は、じかに触れると火傷するが寝床を温かくしてくれる。宿にもそれは用意されているのだが、家康からの届け物は京焼の高級そうな品だった。

「ああ、温い(ぬくい)こと温いこと……」

 於大は食事を早々に切り上げて床に潜り込んだ。彼女はこの旅で夢をたくさん見ている。阿久比(あぐい)の庵(いおり)ではそのようなことはないのに、不思議なことだと思う。

 その夜、また彼女は夢を見ていた。

 彼女は小さな小さな赤子を抱いている。「もみじのような」というが、もみじよりずっと小さくて、愛らしい手。
 可愛い。
 自分だけを頼っている、この小さな手。
 自分だけのたからもの。
「ねえ、お乳をあげてもいいかしら。ほんの少しだけ」
「ようございますよ。まだお乳の先が吸いづらいでしょうから、あきらめずに」と乳母が優しく言う。
 彼女は慣れない様子で寝間着から左の胸を出し、赤子を抱くとその口にあててみる。すでに乳が滲んでいるその先に赤子はしゃぶりつく。小さな口で懸命に吸う動作を繰り返すが、なかなかうまく吸えない。
「まだ、姫様の胸が張っているからですよ。ちょっと失礼を」と乳母が言い、その胸をわっしと掴む。さらしを彼女の胸の下に当てて胸を搾るように揉みほぐす。
「痛っ」と思わず彼女は声を上げる。すると乳が始めぽたぽたと、次第に吹き出すように出てくる。
「ささ、先の方もだいぶ吸いやすくなったかと。もう一度やってごらんなさいませ」
 再び彼女は赤子の口に胸の先を当てる。今度は赤子も上手くできたようで、無心に吸い続ける。
「できた! 飲んでくれました!」と彼女は喜びの声を上げる。
「ようございましたね」と乳母も笑う。
 彼女は乳を飲み続ける赤子の顔を飽きもせず眺めていた。

 かつて赤子だった子が届けた湯湯婆はまだ温かい。彼女は夢で幸せな時間を過ごしていた。


 翌朝早朝一行は出立した。近江に出て、草津目指して進むのだ。康元は雪や雨にさらされることを心配していたが、積雪は仕方ないものの空は問題がないようだった。

 草津まで進んでしまえば長い山あいの道は終わる。琵琶湖を望む風光明媚な光景を間近に見ることもできる。寒いのだけはいかんともしがたいが、これまでの山道よりはいくぶん楽になる。
 何よりも、近江に入れば京都は目の前なのだ。
 そうして一行はしゃにむに道を進む。
 時折康元が母に声をかける。母は寝息をたてていて返事をしないこともあるが、体調には変化がないようだった。土山宿(つちやまじゅく)の辺りで、この行程屈指のきつい勾配の峠をえっさえっさと抜ける。次の水口宿(みなくちじゅく)にたどり着くと日差しが見えてきた。草津まではもう5里(20km)あまりだ。文字通り峠を越えた気分になった康元は思わず、ふぅと伸びをして見せる。

「母上、ここらで一服しましょう。もう峠は越えましたで」と康元が声をかける。
 しかし、応答がない。
 慌てて駕籠の中をちらりと覗くと、母は寝息を立てていた。急に康元は不安になる。
「母上、母上っ」と大きな声で呼びかけ、母親が目を覚ますのを見て、息子は胸を撫で下ろす。
「ああ、もう着いたかね」と於大は目をこすりながらつぶやく。
「いや、まだ水口ですが、京はだいぶ近うなりましたで。とりあえず、中食(ちゅうじき)を取りましょうぞ」
「あい、承知」と彼女はそろりそろりと駕籠から下りる。寒い山中で同じ態勢を取っていたので、すこし脚が痛い様子だ。孫がすっと手を差し出す。それを見ながら、康元がついこぼす。
「母上があのまま目を覚まさなかったらと、心の臓が止まる心地でしたぞ」

「ああ、もういつ冥土へ旅に出ても不思議なことはありゃあせんで」と母は笑って言う。

「滅多なことを申されますな。ずっと母上にはおからだ無事にて、たんと楽しい思いをしてもらわんと」と康元がたしなめる。

「寒い山を抜けて、お天道(てんとう)さまをたんと浴びられる。京に行けば息子が待っとる。かほどの楽が他にありましょうや」

 於大は太陽の光をまぶしそうに見つめている。

 その後の一行の道のりは大した困難もない。
 予定通り草津まで進み宿泊すると、あとは琵琶湖の雄大な景色を眺めて大津に至る。この辺りの宿場間の距離は2~3里(8~12km)なので、そのまま宿場で休まずに京都へ急ぐ人も多い。しかし、康元はここでも休憩をとることにした。母にいくらかでも、旅を楽しんでもらえたらと思ったのだ。こちらでも、たいそう上手い餅菓子が振る舞われ、一行は舌鼓(したつづみ)を打つ。

 旅人の姿を眺めながら、於大はつぶやいている。
「あの子もこの道を何度も行き来しとったんか……難儀なこともあっただろうに」

 大津の宿からは、京都の三条大橋(東海道の終点)に出る本筋と、伏見に向かう道に分岐している。その髭茶屋追分(ひげぢゃやおいわけ)の分かれ道を左に進むと、伏見までは一筋道だ。

 伏見では家康が、母の到着を今か今かと待っている。

(つづく)

※筆者注 於大の方の旅の行程について、2月に伏見に到着したという以外の情報を見つけていませんので、途中の宿泊地などは仮定したものとなります。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

夜に咲く花

増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。 幕末を駆け抜けた新撰組。 その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。 よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。

けもの

夢人
歴史・時代
この時代子供が間引きされるのは当たり前だ。捨てる場所から拾ってくるものもいる。この子らはけものとして育てられる。けものが脱皮して忍者となる。さあけものの人生が始まる。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。

SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。 伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。 そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。 さて、この先の少年の運命やいかに? 剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます! *この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから! *この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。

満州国馬賊討伐飛行隊

ゆみすけ
歴史・時代
 満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。 

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

処理中です...