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第3章~魔物の口~

33話「血で塗れた者」

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バサバサとコウモリのような黒い翼をはためかせ、黒い霧に身を包んだ男性が硬い地面に転がるように着陸した。
 ゴロゴロとボールのように地面を滑ると、鍛えられた硬い筋肉があるものの、石と比べると柔らかい肌に石の先端が突き刺さる。
 壁にぶつかり、ようやくその動きを止めた頃には男の全身は細かな傷だらけになっていた。まるで乞食を求む浮浪者のようである。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 しかしそんな様子を見せた男性も黒い霧が洗浄するようにまとわり付けば、瞬く間に清潔感のある姿へと戻っていく。
 黒いモヤから覗く金髪と白い肌。この大陸に多く存在する北方人らしい特徴が浮き出ている。ベースはこの地に住んでいた者だろう。

 だがそのエルフのような赤い瞳は、彼が普通の人間ではないということを強く表現していた。
 赤い目は、魔力の総量が高いと変色するのである。

 男は治癒した体に魔力を通し、まだ治りきっていない肉体を無理やり動かした。
 ガタガタと力の入らない体を動かすその姿は、子供が見れば人間ではなく自動人形オートマトンと勘違いするかもしれない。

 だがそれは明らかに生き物の証拠である呼吸をおこなっていた。

「はぁ、はぁ、くそ、いつまでたっても役立たずだ。この体は・・・!」

  男は吐き捨てるかのように言葉を地面に叩きつける。片手をにぎにぎと閉じたり開いたりすれば、肉体は木片を抜いたジェンガのように一瞬崩壊するも、膨大な魔力によって瞬時に再生する。
 肉体に宿る力に対し器が脆すぎるのだ。人間の身体では、バンパイアロードという高位の力を完全に宿すのが難しいのである。

「くそ!くそ!くそぉ!知らない間に何をしていた!?下手な相手に喧嘩を売っていたんだろうどうせ」

 男には数時間の記憶がなかった。吸血鬼としての本能が、獲物を求めて街で暴れたということはボロボロな肉を見ればすぐに察しがつく。
 力に対し器が見合っていないため、時々記憶を失うのが彼の悩みであった。お陰でせっかく集めた魔力を貯める笛を何本か失っている。

「計画を・・なんとしても成功させなきゃいけないのにっ」

 残虐な吸血鬼の感情が理性を失い、獣のように空腹を満たす。それはそれで問題はないが、運悪くAランカー以上の実力者と争ってしまえば、今のように体の再生に無駄なエネルギーを注ぎ込まなければならないのだ。
 なまじ戦闘能力があるせいで加減を知らず暴れてしまう。良いことは再生で通常より多くの魔力を消費するせいで体内の魔力が減少し、理性を取り戻すことができるということだが、そもそも暴走しなければ必要ないのである。

「くっ、今は休まなきゃ・・・」

 翼を影に収納し、よろよろと壁に寄り添うようにして立ち上がる。竹馬に乗っているような感覚で力のない足を動かす。
 その時目の前の道を封鎖するように自分のではない足が進路を妨害した。
 視線を目の前の人物に移すと、そこには人相の悪い中年の男がニヤニヤと嫌らしく笑みを浮かべていた。
 その方には冒険者らしいバックパックがある。
 男は腰に差したブロンズソードを引き抜きながら無精髭の生えた顎を動かす。

「よぉにいちゃん。怪我したくなかったら荷物は全部置いてきな。そしたら命は助けてやるよ」

 その言葉にバンパイアロードは不愉快に表情を歪めた。よく見てみると男のバックパックは街中だというのに膨らんでいる。
 男はリメットで起きたアンデット騒ぎの混乱に乗じて盗みを働いていたのだ。
 今は避難した住人の大半が自宅の鍵をかけ忘れているし、衛兵もアンデットの後始末や民間人の保護に人員を割かれている。
 結果、目の止まらない場所では素行の悪い冒険者が悪質な行動をしているのだ。
 この男もその一人である。

「おぉ?よく見ると良い身なりの服じゃねぇか?それ置いてけよ」

 男が脅すようにブロンズソードで手のひらを叩く。力のない民間人ならそれも効くだろうが、バンパイアロードにはその行為からブロンズソードの切れ味が大してないことを察することが出来た。
 男の実力は見掛け倒しなのだ。もっとも、吸血鬼の始祖である彼にとって大半の冒険者が彼にとって雑魚も同然なのだが。

「・・・」

 バンパイアロードは壁を頼りに力の入らない身体で男の元に向かって歩き出す。その様子に男は機嫌をよくしてニヤニヤと笑みを浮かべる。
 が、次の瞬間には驚愕から表情が凍りつく。バンパイアロードは男の真横に行くと伸ばされた手を密猟者から逃れる山猫のようにすり抜けると、何事もなかったかのように男の後ろを歩いて行った。

 男はバンパイアロードの肩を掴んでその服を剥ごうとしていた。しかし自分の伸ばした手は空を掴みなんの重みも感じない。
 誰も見ていないのに男は羞恥に顔を染め、バンパイアロードの背中に向かって剣を振るった。

「てめぇばかにすんじゃねぇぞ!!」

 バカにするどころか興味すら持たれていないのだが。だが刹那の間で、盗人の男はこの行為を後悔することになるだろう。
 赤いスライム状の液体が竜巻を起こすように地面から生えると、それは軟体動物の触手のように男の腕へと絡みついたのだ。

「な、なんだぁ!?」

 男は慌てて液体から腕を助け出そうと引っ張るが、液体はまるで金剛ダイヤモンドのように固く、強固だ。自分の腕が石になったと錯覚する。腕を液体から引き抜けない。
 その一変した慌てようにバンパイアロードがクスッと笑うと、男はこの液体の出元が目の前の北方人の青年だと察する。何かしらのスキルだろうと。

「手前、これを外せ!」

「・・・」

 子供のように怒鳴り散らすが、バンパイアロードはその声に聞く耳持たず。そのまま興味を失い路地裏へと消えて行く。
 男は舌打ちをしてどうするべきかと赤い液体を睨みつける。男の剣は腕と同じく液体に飲み込まれてしまっている。仕方ないと言わんばかりにもう片方の腕で殴りかかるが、接触するとその腕も取り込まれてしまった。

「なっ!?」

 てっきり男は液体が硬質化していると思っていたのだが、その考えは外れてしまったようだ。
 男は罠にかかったゴミ虫のようにもがき足掻くが、次第にその体が獲物に舌舐めずりする捕食者のような液体に徐々に飲み込まれて行く。
 食虫植物のように、ゆっくりと。しかし確実に。

「おい!やめろ!やめろっつってんだろ!!」

 男は明らかにこの害しか感じられない赤い液体に悲鳴をあげる。生きているのか、それともただの魔法か。液体にはその悲鳴もなんのその。ポジティブな精神の持つものならば、この光景も王子に抱きつく姫に感じられるだろう。液体はそんな感じで男の四肢に絡みつく。
 もっとも、その素材は両方ともとても華やかなものではないが。

「だれか、だれか助けてくれぇぇ!!」

 男は柄にもなく救いを求める悲鳴を喉柄ひねる出す。今では普段鬱陶しい衛兵も騎士もが救世主に見えるだろう。
 だが今彼らは善良な市民を助けることに手一杯で、彼のような小悪党を救う時間も暇もないのである。
 薄暗い路地裏に、やってくるはずもない。どんなに悲鳴をあげても、衛兵が来ないであろう場所でカツアゲをしていたのだから当然だ。

 男が助けを乞う声をあげてる間にも、液体は男の体を包む。そしてそれは次第にその全身を包み、貪った。

「あぁ、かぁちゃん・・・」

 男の悲鳴は誰にも聞かれることはなかった。後には液体も残らず、そこには捨てられたように放置された皮鎧にブロンズソードが置かれた。

 そして何も知らない盗人が、それを嬉々と拾い上げるのだ。
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