踊り子は二度逃げる

キザキ ケイ

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神の鉄槌

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「いやいや……」

 今の俺に眉毛があったらそれは下がりきっている状態だと思う。

「いやいやいや」
『嫌々、ではないわ。今すぐ来い、ほれ、すぐ来い。そして王宮を派手にぶち壊すところを見せておくれ』
「あぁ~幻聴じゃなかった……」

 聞き間違いかなと思って、いや思いたくて小さく首を振っていた俺の願いは無残にも打ち砕かれた。
 どこまでも広がる青い空、ところどころに浮かぶ白い雲、谷間に広がる可憐な花畑、小鳥が訪れるようになった小さな泉……あぁ、いいところだなぁここは。

『現実逃避をはじめるなアンフィス! 仕事の放棄はできぬと言ってあったぞ』
「これが現実逃避せずにいられるかー! 姐さん、いや月女神エーベアルテ、気でも違ったんですか?」
『気が違ってなどおらんし、これはこの地に住まうすべての神の総意。お前もこれを聞けばすぐにそう思うことであろう』

 総意? 総意だと? 王宮をぶっ壊すことが?
 自然神をはじめ、この地に住まう神は皆気性が穏やかだ。
 俺なんか騒がしい方で、姐さんみたいに血の気の多い神などごく稀。ほとんどはサミエルのように人畜無害なやつばかりなのだ。
 それが、それらがあろうことか、人間の建築物の破壊を望むって?
 ついに神と人間の全面戦争がはじまっちゃうのか? 大砂漠は戦火に包まれ混沌に飲まれちゃうのか……?
 ぽかんとする俺を無視することに決めたのか、姐さんは話を進めている。

『これは、我ら神殿が王宮に潜り込ませた間諜が報告したものじゃ。ある場所のつい最近の音声が記録されておる。お前にも聞かせてやろう』
「王宮に間諜? 音声の、記録?」
『よく聞け』

 ツッコミが追いつかない。返事もいただけないらしい。
 それにしても、音声を保存したり再生したりなんて。この女神はこの話す石といい、相当変なものをいくつも持っているようだ。

 エーベアルテの声が聞こえなくなった石に耳を澄ますと、小さな物音が流れてきた。少し音量が上がり、さらさらという衣擦れ音だとわかる。
 そのうち、人の話し声のような音が聞こえてきた。
 声は何かに隔てられたように不明瞭で、なんとなく思い浮かべられるのは、これと似た石を懐に入れた人間が王宮の中を歩き誰かと会話している……という情景だ。
 やがて声は聞こえなくなり、静かなところに出た。がさがさとした音がなくなる。もしかすると石を手に持ったのかもしれない。
 こつこつという規則的な音が、やや反響する。
 四方を石で囲まれた神殿の内部のような場所を歩いている音……だろうか?

『殿下、お食事をお持ちしました』

 突然そこそこの音量で聞いたことのない声が響き、少し石から顔を離した。
 デンカ……殿下か。これは王族に仕える従者の音声記録なんだろうか。
 そんなものをなぜ俺に聞かせるのだろう。

『殿下、あぁ、おいたわしい……』

『わたしは、王族などではありません』

 その音を耳が拾った時、竜の巨体がびくんと跳ねた。
 あまり鮮明とはいえない音声、遠い声、掠れた物音が入り込んでいる。
 それなのに────耳に心地よく響く、求めてやまなかった、その声。

『ここから出たいだけなのです、ほかにはなにも……』
『申し訳ありません、殿下。私の力が及ばないばかりに……ですが諦めないでください、いつか必ず』
『そう、ですね……あぁ、あなたに会いたい。アリス』

 体中を巡る力が熱を持って駆け巡るような感覚。
 俺に流れてもいない血が、騒ぎ立てているようだ。全身が燃え上がるような熱さに包まれながらも、瞳からは冷たいものが一粒こぼれた。

 ルー様が、王宮に、いる?

『音声記録はこれだけじゃ。理解できたか? アンフィス』

 理解なんてできるはずもない。
 彼は確かに王族だった、でもそれももう200年ちかく前の話で、二度と、永遠に会えないはずだった。
 エーベアルテの声が遠い。
 つい最近の音声だと、彼女は言わなかったか?
 彼女は俺に聞かせるためにこれを用意したのか?

『彼奴がいるのは、王宮の地下。奴ら、なにやら神をも恐れぬおぞましいものを作り上げていたようでな。あるものが捕らえられている。お前にはそれがなにかわかったじゃろう』

 わからない、なにも理解できない。

『長いこと王宮の地下を調べさせて、なんとか掴めたことは、助け出すためには彼奴を捕らえている装置そのものを破壊せねばならんということじゃった。詳しくは省くが、それを行うのに人間は非力すぎた、力の弱い神でも太刀打ちできんかった』

 捕らえられている?
 彼は王族なのに、王宮に幽閉されているのだろうか。従者と扉越しに会話する場所、そして地下。
 牢に……いるのか?

『かといって我ら自然神が手を下すことも難しかった。彼奴を助け出すために大砂漠が消し炭になる可能性があったし、それ以外にもいろいろと……な。そこにお前が現れた。神のもろもろの制約を受けない浮雲の神』

 俺が神の制約を受けない、というのは何度か言われたことがある。
 それが今これと関係あるのか?

『行け、アンフィス。愛しい者を自らの手で助け出せ。王宮全体が彼奴を閉じ込める檻だ、徹底的に叩き潰せ』

 気がつくと俺は谷底からふわりと飛び上がっていた。
 雲と同じ高さまで飛翔する。
 竜の体になったはいいが、翼で空を飛んだことなどなかった。飛ぼうとも思わなかった。それなのにしっかりと機能している。
 何十年も身を横たえていた谷が小さくなっていく。
 眼下に伏せた皿のような形のエンスラン山と、塵のような大きさのいくつかの集落が見えた。
 首を巡らせて、東をひたと見つめる。
 目指すは───王宮だ。



 決して合理的ではない作りだと自ら評したこともある竜の体だが、風を裂いて雲と同じくらい速く飛ぶことを知った。
 鳥が驚いて左右に避けていく。
 羽ばたきひとつで山を越え、もうひとつ打てば砂漠を越える。
 人間の力で五日かかった道のりは、竜の姿だと半刻もかからなかった。
 高速で飛来する俺の姿は地上の人々に視認されているだろう。見られたところでどうということはないけれど。

 王宮の上空は雲もなく、穏やかな良い気候だった。
 そうか、今は春なのか。
 羽を打ち鳴らして滞空しながら、下へ向けて俺は声を張り上げた。

「王宮に住まう者たちよ、今逃げるのであれば命は取らずに捨て置こう。残るのであればすべて薙ぎ払う! さあ、いますぐ動け!」

 竜の巨体に反響するような声で呼びかけると、一瞬後にたくさんの米粒のような人間が王宮の建物から転がり出てくるのが見えた。
 理性を総動員して、人間たちが逃げるのを見守る。
 体の中では、今すぐなにもかも破壊し尽くしたいと叫ぶ感情が暴れ狂っていた。

 はじめに若者、次に付き添われて老人や女子供、最後にきらびやかな衣装を纏った貴人が従者に付き添われ数人転がり出てきて、人の流れが止まった。

「これより起こることを目に灼きつけろ!」

 すらすらと口から出ていく、まるきり劇中の悪役な台詞に、普段なら照れただろうが今更構っていられない。
 俺はついに奥底から湧き上がってくる破壊衝動に身を委ねた。
 大地に叩きつけるように両翼で風を起こす。
 王宮の外壁や植えられた木々は簡単に掻き消え、まだ王宮の敷地内に隠れていたらしい人間も一緒に吹き飛んだ。
 全身を駆け巡っていた怒りが、臓腑に落ちたような感触があって、それをぶつけるように口から吐き出した。

 80年間身の内に貯めていた蛇神の無念による暴力的な力と、俺がもともと持っている、本来なら定期的に使って発散されるはずだった内なる神の力が溶けあい、すべてを破壊し尽くす猛烈な質量の水流が叩きつけられる。
 風で壊れなかったものは、凄まじい水圧を受け瞬く間に瓦礫と化していった。

 荒れ狂っていた力をあらかた吐き出した俺は、旋回しながら高度を落とし、かつて王宮だった場所を見下ろした。
 瓦礫の下の地面が陥没するほどの圧を受け、建造物は跡形もないが、その下から得体の知れない「何か」が露出している。

(……なんだ?)

 王宮の建物の地下には、黒い金属の箱のようなものがあった。
 大きさは中規模の一軒家ほど。先程の攻撃でもひしゃげていないのを見るに頑丈な物質だ。
 外見からはどういったものなのか全くわからないだろうが、なぜだか俺にはそれがわかった。

 これを破壊するために、月女神は俺を差し向けた。

 再び体内の水を凝縮し、力とともに放出する。さっきよりもっと強く。
 あとから分かったことだが、その黒い金属は熱せられ高温になっていた。さらにそれは単純な組成の金属ではなく様々な物質が化合されたもので、耐久面で劣化し始めていたという。
 そこに超高圧水が容赦なく叩きつけられ、金属が含む熱と化合物の異常な変異が同時に起こり────黒い箱は大爆発を起こした。

「っ!?」

 とっさに翼を前にして顔と腹部を守る。
 上空までは飛来物が少なく、飛んできた金属の破片がいくつか翼に当たったのみだった。
 それよりも俺をぞっとさせたのは、翼に感じる熱だ。

(箱から、熱波が出ている?)

 箱の中身に用があることを一瞬忘れて、箱を覗き込んだ俺の顔に、感じたことのないほどの熱気が浴びせられた。

「熱っ! これ、まさか……!」

 反射で閉じようとする瞼を抉じ開ける。
 箱の中は「普通の家」だった。
 あんな奇妙な金属で地下に埋められていた場所が「普通」のはずがないのに、異質さを取り繕うかのように。
 外壁の爆発によって内部は散らかっているが、中のものはそれほど壊れていないようだ。改めて黒い金属の丈夫さに身震いする。
 しかし、無事だったはずの家財は瞬く間に形を失い消滅していった。
 まるでとてつもない高温に晒され、物質が形を保てなくなったかのように。

 その熱には覚えがあった。
 天上にあり、月へ惜しみない光を与え、雲の眷属を包み込むように照らし、生命を育む熱で地上のすべてを見守る存在。

 ────太陽。

 部屋の真ん中にぽつんと佇む人から発せられる熱は、太陽のそれだった。
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