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旧い友人
しおりを挟む「再会に! かんぱ~い!」
「再会に」
まだ一杯目を飲んでいないのにもう酔っ払いのような様相を呈する俺に、サミエルは苦笑しながら杯を掲げた。
木の杯に満たされた蜂蜜酒を一気に煽ってテーブルに叩きつける。
ぷはーっと息を吐いて笑う俺はさぞオッサンに見えるだろう。見た目は若造だけど。
あの後俺たちはこの酒場に移動した。
サミエルの行きつけだという店の奥、ちょっとした衝立で仕切られたテーブルで酒を飲み交わす。
サミエルは、神になったのだと言った。
俺と別れたあと、サミエルは変わらずエベラ舞踊団で楽士をしていたが、数年して別の楽士と入れ替わるように舞踊団を抜け、一人で旅を始めたという。
流れ続けるうち、彼はあるオアシスの街に根を下ろして暮らし始めた。
その街一帯には特殊な風習があり、儀式に必要な楽士を求めていた。
そしてサミエルが儀式の楽士になると、なぜかその街は良いことに恵まれるようになっていったそうだ。
雲一つなかった空に雨が降ったり、オアシスの植物がより良く育ったり、交易が大成功して街の経済状況が良くなったり、その街だけ流行り病にかかる者がいなかったり、など。
偶然が重なっただけだとサミエルは言ったが、街の人々は彼の存在を儀式と同等に重要視しはじめ、いつしか守り神のように崇められるようになった。
そして気づいたときには髪が伸びなくなり、老いなくなり、食べる必要がなくなって───神になっていたのだと。
「それは『神格化』ってやつだな。人間が神になることは稀にある。神になるほど信仰を集めることが難しいけど、それさえ満たせばさくっとなっちゃうもんらしい」
「そんなものなのか……」
俺が無駄に得意げに解説してやると、サミエルは真剣な表情で頷く。
サミエルが神になって50年ほどだという。
年々容姿が若返ってきて、現在は最盛期の20代半ばで姿が固定されたらしい。要は俺と舞踊団で旅をしていた頃の見た目だ。
「サミエルは、なんで王都にいるんだ?」
「毎年『音楽の休日』はここで演奏してるんだ。自分の実力を試すっていうのもあるけど、他の楽士や楽団の演奏を気兼ねなく見られる貴重な日だからね」
祝祭中の王都は、芸人として切磋琢磨する上で最高の舞台だ。
同時に社交の場でもあるので、根っから楽士のサミエルにとっては重要であるらしい。勉強熱心な彼らしい理由だ。
オアシスの村から何日もかけて王都までやってくるため、その間の護衛をつけるかどうかで毎年村人と揉めることのほうが大変だと、苦笑しながら付け加えられた。
「それにしても、よく俺のことわかったな。顔も背丈も変えてるし、踊り子ですらないし」
「確信があったわけじゃないよ。あれを歌ってもらうまではね」
それまではなんとなく、珍しい楽器を扱う奏者がいると、あの人だかりの隙間から覗き見ているだけだったそうだ。
昔馴染みにじっと見られていたと思うとちょっと恥ずかしい。
「恵みの雨の賛歌」は、あの頃たくさん歌った。その歌声を聴いて俺だと確信したという。
言われてみれば、弦楽器の扱いを教えてくれたのはサミエルだし、やはり師として通じるものがあるのだろう。
だからといって提琴奏者に歌えとリクエストするのはやりすぎだと文句を言ったが、「どうにあしらうのか見たくて」といたずらっぽく言われれば、ついつい許してしまった。
「サミエルは何の神になったんだ?」
「うーん、それが正確にはわからなくて。音に関する祝福を与える力があってね、音楽の神の一角かなとは言われてるんだ」
「もしかして、他の神に会ったことない?」
「……うん」
サミエルは肩を竦めて酒を舐めた。
神になっても酒に弱いのは変わらないらしい。
「そういうことなら、俺と来るか?」
「え?」
「俺が王都に来たのは、『休日』で稼ぐためってのもあるけど、『月神殿』に行くつもりだったんだ」
「月神殿って、月女神と交信できるっていう……」
この世界の神は猛烈にたくさんいるために、ほとんどは生まれた場所で大切にされ、余所の地に移動することはあまりない。
生まれた場所がもっとも居心地が良く、力を発揮する土壌が整っているという点が大きい。
そういう事情から、神は自分の故郷から離れたがらないし、一生そこで暮らすものも少なくない。
人間と見分けがつかない見た目と能力の神が大多数なせいか、神同士が出会わないことも珍しくないし、そんなものだから土着の神の信仰というものはごく一部だけで共有されがちだ。
しかし神の中でも極めてポピュラーで、様々な人が信仰しているもの────例えば天体や、自然現象などを司る神は、神殿があるものがいる。
月女神の「月神殿」は、太陽神殿と対を成す一大信仰対象だ。
各地に月神殿はあるが、王都の神殿は規模が桁違いなため、月女神に拝謁できる可能性が一番高い場所と言われている。
「交信っていうか、会えればふつうに喋れるよ。彼女たちは潜在能力とか見抜くの得意だから、サミエルの見立てもやってくれるはず。自分がどの程度力を振るえるのか、早めに把握しておいたほうがいいんじゃないか」
「そうなんだ……アリスの言う通りだ。お言葉に甘えて同行しようかな」
不意に昔の名前で呼ばれて、思わず照れる。なんで照れるのか自分でもわからないが。
「俺今はフィドって名乗ってるんだけど」
「あぁそっか……フィドね。でも正直、今更呼び名を変えるのは難しいよ。どうせどっちも本名じゃないんでしょ?」
さらっと言われて、驚いてサミエルを見つめた。
あの時から知ってたし、それは僕だけじゃないと思うよと何でもないように言われさらに驚く。
その都度名乗っている名前が本名でないことを誰にも話したことはない。
それなのに舞踊団の他のメンバーも知っていたと言われて、なんだか脱力してしまった。
団員たちが俺のことをよく見ていたと思うべきか、俺がわかりやすいのか……。
「あのあと……みんなは?」
「ふふ、長い話になるよ」
おずおずとサミエルにみんなのことを聞く。
人間の寿命はおよそ50から80年。砂漠という過酷な場所で生きるこの国の民は、もっと短いこともある。当然サミエル以外誰も生きてはいないだろう。
去った場所のその後のことは、できるだけ考えないようにしていた。未練が残ってしまうから。
でも去ったはずの場所からやってきたサミエルから聞く思い出なら、サミエルと分かち合う形なら、聞けるかもしれない。
話し込むあまり食も酒も進まなかった俺達は、宿に引き上げてそこで話そうということになった。
今日王都に着いたばかりのサミエルと俺はまだ宿を取っていなくて、いかにも行きあたりばったりな旅人根性に笑い合う。
酒場が宿屋も併設していたため、空き部屋を確認して二名で宿泊する。
あいにく駆け込み客だったためか、ダブルベッドの部屋しか空いてないと言われ、なにがあいにくなのかよくわからないが即決した俺に、サミエルが妙に照れて床で寝るとか言い出し、それを宥めるほうが大変だった。
旅人はとかく体が資本だ。せっかく宿を取ったのに寝台を利用しないのは意味不明と言わざるを得ない。
「舞踊団時代に男も女も気にせず雑魚寝だったこと何度もあったろ? なにを今更恥ずかしがってんだよ」
「雑魚寝と、ダブルベッドで一緒に寝るのは全然違うよ!」
「なにウブな女みたいなこと言ってんだよ! 宿代は俺が出すから諦めろ!」
「いやだぁ~床で寝かせてくれぇ~」
やけに強情なサミエルを引きずって部屋に入り、荷物を落としてサミエルをベッドに投げ込む。
「待って、せめて水浴び、いや体を拭くだけでも……」
「誤解を招くような言い方をするな! 横で寝るだけだろ、なにが嫌なんだよ」
「だってアリス、ものすっごく寝相が悪いじゃないか! それに気がつくと俺と団長だけ服脱がされて寝てることあるんだよ! あれがアリスの犯行だってことは女の子たちからの証言でわかってるんだからね!」
「……」
そういえば────昔、そんなことを言われた。
俺は寝ぼけると近くで寝ているやつの服を脱がそうとするらしい。
厄介な悪癖だが、一つのベッドで寝たときや雑魚寝のときにしか発動しないというから、女性陣を脱がさないだけマシだろうとか適当にあしらって、あんまり取り合わなかった記憶が甦る。
でも大の男が生娘みたいに服を脱がさないでとお願いしてくるのもなんか気悪いし、どっちにしろこの部屋にベッドはひとつしかないし、どうしようもないだろ?
「じゃあいっそ服脱いでベッド入れば?」
「誤解を招く言い方はどっちだよ! アリスの馬鹿!」
サミエルの放った枕は正確に俺の顔面に直撃した。ちょっと硬いタイプの枕だったのでそれなりに衝撃があった。
でもサミエルのほうはそれで溜飲が下がった……というか諦めがついたようで、今度こそ脱がされないぞとぶつぶつ言いながらベッドに収まった。
俺も枕を戻して空いたスペースに横になる。
「こうしていると、あの頃を思い出すね」
「そうだな……毎日大変だったけど、そのぶん楽しかった」
「僕、アリスとまた会えて本当に嬉しいよ」
「俺もだよ」
横を向くと、少し照れくさそうなサミエルと目があった。
とうに手放し、失ったと思っていた人が、また友人として目の前に現れる。長い生でこれほど恵まれたことはない。
人が神になるということは、今まで寄り添って生きてきた人という種族から完全に切り離され、ただ一人別の道を歩みだすということ。
残酷なことに、神同士ですら道の長さが同じとは限らない。
同族ですら寄り添えない道を、望まず歩き出さなくてはならなくなった彼の苦悩心痛は計り知れない。
人が神になるということの難しさを、俺は考えずにはいられなかった。
だからこうして共に生きることができる今だけは、サミエルの心に寄り添っていられたらいい。
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