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第二章
閑話 副都屋敷にて
しおりを挟む36~39話くらいの頃のお話
_____
授業を終えた家庭教師が部屋を辞すためにドアを開けると、すぐ目の前を、屋敷の従者が風のように駆け抜けて面食らった。
「たいへんっ、大変よ!」
「急がなきゃ!」
きゃあきゃあと黄色い声を上げながら走っていくのは一人だけではないようで、廊下へ顔を出し不思議そうについていくものが続出している。
困惑する家庭教師の横から、さっきまで勉強漬けにされていた子どもも廊下へ頭を出した。
副都長官の長子にして、草原王の息子・レグルスだ。
「なにかあったのかな」
「さぁ……みな『急げ』としか言ってませんが」
「じゃあオレも!」
「あっ、レグルス坊っちゃま!」
教師の制止など聞くわけもなく、レグルスは走り出した。
もしなにか大事件が起こっているのなら、屋敷の主ラサラスに代わってレグルスが見届けなければ。……という口実で勉強をサボれそうだ。
従者たちは庭へ向かっている。
外へ出ると、北西の方へ。上級使用人の居住区がある方角。
あっちにはタビトがいるはずだ。レグルスは足を早め先を急ぐ。
そして到着した場所には、人だかりができていた。
しかし皆立ち尽くし動かない。
誰しもが向こうを見つめて、小声で何かをささやきあっている。
「どうしたの?」
「あ、坊っちゃん」
顔見知りの従者に声をかけると、彼は内緒話のような声で応じ、そうっと人垣の前にレグルスの視線を誘導した。
「あ……」
だだっ広い庭は日当たりがよく、丁寧に手入れされた芝生の上で日光浴をするものも珍しくはない。
従者が日光浴の最中。言うなればことはそれだけだった。
問題はそのメンツであった。
「アルシャウ、タビト、それにメイサまで?」
はじめはおそらく、アルシャウが仕事をサボって日光浴をしていただけだったのだろう。
毒々しいまでにはっきりとしたオレンジと黒の縞模様の体躯が、丸くなって眠っている。足や尾が顔の近くまで曲げられ、ネコ科らしい円形フォルムだ。
タビトも眠っていた。問題はその場所。
アルシャウの脇腹の上に、これまたくるりと見事なまん丸で乗っかっている。
さらにタビトの背中から腹にかけての位置に、下二匹と全く同じような円を描いて子ネコのメイサが丸まっていた。
大きさの異なる獣型のネコ科たちが、きれいに三段重なって眠る姿は、従者たちに大好評だったのだ。
「か、かわいい~……!」
「誰か絵心のあるやついないのか?」
「こうしてるとトラってやっぱりネコちゃんなのよねぇ」
「なんでわざわざ乗ってるのかしら……かわいい……」
ネコは眠る仲間の上に乗るものなのである。そうとしか言えないとレグルスは思いつつ、心中は大荒れだった。
かわいい。文句なしにかわいい。でもアルシャウの上にタビトが乗っているのが解せない。いつのまにそんな心を許したのか。タビトとくっついていいのはレグルスだけなのに。メイサはいいけどアルシャウは嫌だ。あとであいつの匂いを舐め取ってやらないと。
ムカムカしつつも、屋敷の者たちが誰もタビトを疎ましげに見ないことに少し安心もしていた。
「いいなぁ。オレも日光浴……」
「坊っちゃんはまだお勉強のお時間ですよね?」
さっきまでタビトたちに釘付けだったはずの従者たちが、今はにっこりと微笑みながらレグルスを取り囲んでいる。
さらに追いかけてきた家庭教師まで加わって、レグルスは静かに連行されていった。
そんな平和なやりとりを、窓の向こうから見ていた人影がふたつ。
大きく取られた執務室の窓からは、広大な庭の一部が見渡せる。その向こうには副都の景色が広がる。
「何をやっているんだ、彼らは……」
そんな窓から庭を見下ろしていたのは、副都長官ラサラスだ。
横に立つ副官も生ぬるい目で人だかりを見ている。
「注意してきましょうか?」
「……いや、いい。どうせあいつが起きたら解散だ」
「そうですね。それにしてもアルシャウはいつまで経ってもサボり癖が抜けない」
「おまえはあいつと同期だったな」
アルシャウと同じ月齢で生まれ、同じ学舎で育った副官は苦笑して頷く。
優秀な同期であるアルシャウだが、幼い頃からとにかく座学を嫌っていたし、不真面目で不良でどうしようもない問題児だった。
それがまさか草原ライオンの王の側近に抜擢されるとは。
幼少から将来を見据えて努力してきた者たちからの嫉妬は猛烈だったが、大きく強い雪原トラに敵うものはおらず、彼は今でも傍若無人のままだ。
「しかしあのアルシャウが、まさか養子を取るとは」
アルシャウの元に子どもが来たと聞いたときは、屋敷が揺れるほど皆驚いた。
これまで頑なにツガイも伴侶も迎えなかったオスが、見知らぬトラの子を養子にしたとなれば、彼を知るものはそりゃあ驚く。
しかもその子どもはとても変わった見た目で、トラなのに縞模様はなく、色すらほとんどない。おまけに人型は奇妙に小柄で、なにもかも特異だ。
だが屋敷の者たちは数日で気付かされた。
あの何者にも阿らない奔放なアルシャウが、養い子をずいぶんと大切にしているということに。
そして、屋敷から出されていた不遇の長子・草原王子息レグルスまでもが、かの子トラに骨抜きにされていると。
「あの子どもは有用だ。アルシャウもそう判断して連れてきたのだろう」
だというのに、副都を治める獅子王はにべもない。
「絶対それだけじゃないって」と思いつつ、副官は黙っていた。
このオスライオンは極めて有能だが、獣心に疎いところがあり、特にアルシャウのこととなるとちっとも理解できずに、小言を呈しては反発されまくっているのだ。
幼い頃から王となるべく品行方正に生きてきた彼に、自由すぎるアルシャウの生態は理解できないのだろう。
だからこそ、側近たちがこの方を支えなくてはならないというのに、あの不良トラときたら。
「どうします、起こしてきますか?」
「…………いや」
念のため尋ねたが、案の定ラサラスは首を振った。
彼は、アルシャウが庭のど真ん中で堂々とサボり日光浴をし始めたところから見ていたのだ。
起こして仕事をさせるつもりがあれば、ネコ科三段重になる前に叱りつけて連れてきていたはず。
この人も妙にアルシャウには甘いんだよなぁ、と心の中でぼやきつつ、副官はもう一度窓から庭を眺めた。
その時、降り注ぐ日光に加えて、腹に乗っている子どもたちがよほど暑かったのだろう、アルシャウがころりと寝返りをうって腹を出した。
当然上に乗っていた子ネコたちは振り落とされ、観衆たちも驚いている。
聞こえないはずのわーきゃーという歓声が耳に届きそうな生き生きとした場面に、副官は思わず笑う。
そして隣に立つ上官を見上げて、固まった。
(わ……ラサラス様、こんな優しい笑い方もするんだ)
目を細め、口元を緩めるラサラスは、穏やかだった。
冷徹と呼ばれる草原王のめずらしい表情を副官が凝視していることに気付いて、笑みはすぐ消えてしまったが、そこには確かに情を感じた。
「そろそろ起きるだろう。アルシャウが戻ったら再開する」
「え? それまでは」
「休憩だ」
のどかな風景に仕事をする気が失せたのは自分だけではなかったらしい。
副官はくすくす笑いながら、書類を片付けてお茶の準備を始めた。
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