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第三章

56.挿話 ブルーシア(2)

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 薄暗い半地下の店はいつも空いている。
 通い始めて何度目かに、こんなに客が少なくて平気なのかと店員に聞いたほどだ。
 曖昧な笑みでごまかされたが、内装や店員の余裕のある振る舞いを見る限り大丈夫なのだろう。ロスの係累とやらはよほど良い出資者らしい。
 どこもかしこも赤茶の副都にあって、珍しい純粋な黒レンガで覆われた店内は、いくらランプを灯しても拭いきれない閉塞感があり、ブルーシアはそんなところも気に入っていた。

「いらっしゃいブルー。また学校をサボって来たの?」
「開口一番ご挨拶ね、客に向かって。いつものちょうだい」
「はいはい」

 黒と白のはっきり分かれた髪色の店員が面倒そうにシェイカーを振る。
 三角形のグラスに出てきた水色のカクテルを橙色のランプにかざし、ブルーシアは微笑んだ。
 アナグマだというこの男のカクテルは格別だ。
 ノンアルコールで出してくることだけは重大な欠点だが、モクテルであっても彼の実力は変わらない。

「それで、我らが麗しの姫。今日はどうしたの?」
「どうもしないわ。嫌なことがなければここには来ちゃいけないの?」
「そんなことはないけど。姫は来るたび愚痴るか怒ってるかだし、先に用向きを聞いておこうかと」
「本当に失礼な店員ね……あなたの腕が悪ければ、今ごろ頭からばりばり齧ってるところよ」
「おぉ怖い。さすがライオンの姫君だ」

 家名も身元も伝えたことはないが、この店でブルーシアが高貴なライオンの娘であることは周知の事実だ。
 特徴的な形状の尾を隠さない限り、ライオンであることはすぐに知れてしまう。
 しかしその日はブルーシアに興味深そうな目を向けてくるものがいた。
 流し目をくれてやるが、すぐ逸らされる。
 ちらと見えた横顔はすっきりと涼やかで、姿勢が良い。ブルーシアは声を潜めた。

「ねぇ、あそこの彼は? さっきから見られてる」
「あぁ……最近よく来る彼ね。イノシシ獣人だと言っていたから、姫が気になるけど視線を合わせられないんだろう」
「イノシシ……変わった毛色ね」

 黒や茶色が多いイノシシ獣人には珍しく、男は赤毛だった。
 ブルーシアはカクテルグラスを持ったまま男に近づき、隣の席へ腰掛け身体を近づける。

「ライオンが怖いの?」
「わっ……! あ、いやすまない、レディにこんな態度」
「いいのよ、仕方がないわ。大型肉食に生まれついたもののさだめだもの」

 くすくす笑うと、男はほっと息を吐いて笑い返してきた。
 その笑顔が気に入り、今日は彼と話そうと決める。
 このバーに来ると、学校や家や許嫁のことで悩んで苛々している自分が小さく馬鹿らしく思える。
 それは店員の適当な態度だったり、おいしい飲み物や食事に触れることだったり、あるいは一期一会の様々な獣人と話をすることで、自分の世界が広がる実感があるからだろう。
 ブルーシアにとってこの店で過ごす時間は、今やなくてはならないものとなっていた。

「それで? どうしてわたくしを見てたのかしら」
「気を悪くしたのなら謝る」
「そんなんじゃないわ。でもそうね……一杯奢ってくださる? それで水に流してあげる」
「もちろん。店員さん、彼女に一杯」

 それからは意外なほど話が弾んだ。
 男はスクロファと名乗った。
 明らかな偽名だが、ブルーシアとてここでは「ただのブルー」として通っているのだからお互い様だ。

「何もかもうまくいかないの。学校は退屈で肌に合わないし、家は卒業したらすぐ子を産めってうるさいし、肝心の許嫁は変なオスにうつつを抜かしてるし……」
「オスライオンが他のオスに? なんだか聞かない話だね」
「そうでしょう、信じられないでしょう? それが相手は異種族なのよ。トラで、しかもどこもかしこも真っ白の奇妙なやつなの」
「真っ白?」

 酒も入っていないのにブルーシアの口は止まらなかった。
 幼い時分からレグルスに付きまとう、忌々しい白トラ。
 ある日突然現れて、許嫁のブルーシアを差し置いてレグルスに気に入られた────タビトとかいうオス。
 獣型ではどこもかしこも真っ白で生気が感じられず、なのに人型は色黒で、あまりにちぐはぐだ。
 小さく幼児のような体型なのに、自身より大柄なブルーシアを転がすことができる戦闘能力も不気味だ。メスより華奢なあの肉体に、未来の夫が誑かされていると思うと腸が煮えくり返る。
 許嫁は誰よりも立派なオスライオンになるさだめのもので、そのためには変な異種族に躓いている暇はないのに。
 ────と、私怨の含まれた部分は省いて愚痴った。
 自分でも生産性のない繰り言だと理解していたが、止められなかった。
 スクロファは相槌を打ちながら、時折同情的なコメントをしつつ、ブルーシアの話に最後まで付き合ってくれた。

「苦労しているんだね、ブルー。それにしても聞けば聞くほどめずらしい毛色のトラ獣人だ。ちなみに目の色は?」
「覚えてないわ。あぁでもたしか、目も色がないって」
「ふぅん……そのへんてこなトラ、一度見てみたかったな。でも騎士学校生ってことは寮暮らしなんだろ、見かける機会はなさそうだ」
「見る機会、あるかもしれないわ。兵学生は学外実習といって、副都へ研修に来るの。そのうち守備隊員にくっついて巡回でもするでしょうね」
「あぁなるほど。それはいい」

 ブルーシアは微かに痛み始めたこめかみを揉んだ。
 体調は悪くないはずなのに頭痛がする。薄暗い場所で薄暗い気持ちを吐き出したせいだろうか、それとも。

「なぁブルー。その生意気なトラ、少し懲らしめてやろうか」
「……え?」
「なぁに、ただのいたずらさ。ただのいたずらに引っかかってそいつが大慌てして、実習中にちょっとした恥でもかけば……さぞかし気持ちがいいだろう。そう思わないか?」
「……そうね。あいつにはそれくらいの立場がお似合いだわ」

 スクロファはいつのまにかごく近い場所でブルーシアの顔を覗き込んでいた。
 それに気づいて少し距離を取ったが、頭は痛いままだし、なぜだか彼の寒々しい黒い目が印象に残った。

「せっかくだ、ブルーも手伝ってくれ。俺たちにとってきっと良い見世物になる」

 酒に口をつけたスクロファの表情は伺えなかったが、彼はまったく酔っていない。
 ブルーシアはこの男に自分の話をし過ぎたことを悟ったが、それが悪いことかどうかは判断できなかった。
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