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第三章

46.さみしさに寄り添う

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 授業はすっかり始まってしまっているだろうが、途中からでも合流しよう。
 その間に頭を冷やして、ついでにレグルスのためのベッドももらってこよう。
 とにかく今は適切な距離が必要だ。
 ドアノブに手をかけ────強く肩を引かれた。

「ごめんっ、ごめんタビト! 行かないで……」

 大きな体に抱き込まれている。
 拘束するような太い腕は、わずかに震えていた。
 ひとつ溜め息を吐き出し振り返る。
 立派に育った獅子は、あの頃のように情けなく頼りなく、悲しそうに眉を下げてタビトにすがりついていた。

「……僕はレグルスの重荷になりたくない。枷にも、しがらみにも」
「重荷だなんて思うわけない。これからも思わない」
「でも……」
「オレにはタビトが必要なんだ! 近くにいないなんて耐えられないのに、オレは二年も耐えたんだ。手紙はたまにしか来ない、長期休暇も時期がずれてて会えない。アルシャウは養父の立場でマウントしてくるし、周囲はなにも知らずに群れを作れって言うし、もう限界だったんだよ……!」
「……それは、なんというか、ごめん……」

 レグルスはしょっちゅう手紙を書いて送ってくれたが、タビトはそれほど頻繁に返事を書けなかった。
 授業と宿題を終える頃には疲れ果てて私的な書き物をする気力がないことも多いし、美しい字を書くレグルスの手紙に釣り合う字を書こうと思うと、一日では書き上がらない。
 結局、レグルスからの手紙が四通来る頃に一通返す程度の頻度になってしまった。

 長期休暇のズレは前からわかっていたことだが、レグルスには思いのほかストレスを与えていたらしい。
 アルシャウの元でのほほんと鍛錬と宿題をこなすだけだったタビトの休暇とは違ったようだ。
 そのアルシャウがレグルスを煽っていたとはさすがに知らなかった。
 元々仲がそれほど良くないのに、さらに目の敵になっている養父にはもはや呆れるしかない。

 加えて、群れを持っていることが大きなアイデンティティであるライオンの孤独に周囲が焼いたおせっかいも、重圧としては十分だったのだろう。
 追い詰められていた彼の気持ちも考えず、衝動的に突き放すようなことを言ってしまった。
 レグルスの腕の中で体を反転させ、正面から抱き締める。
 記憶にあるよりずっと分厚くなった体躯でも、レグルスのさみしがりな中身は全然変わっていない。

「ごめん。レグルスがたくさんのつらいことに耐えてるって思い至らなかったのに、ひどいこと言った」
「……うぅん。成績をわざと下げるのが悪いことだってのはオレもわかってるから。でもどうしてもタビトに会いたかったし、成績はまた戻すから」
「すごい自信だ」
「当然だよ。オレはタビトの主なんだから」

 耳同士を擦り合わせる甘えた動作に、同じものを返す。
 気分良さそうにぐるぐる鳴っている喉を舐めてやってハッとした。今タビトたちは人型で、毛づくろいをするには適さない。
 四つ足に戻ろうとしたタビトを引き止め、レグルスは目を細めた。

「二つ足でもできること、しない?」

 そっとベッドに身を横たえ、並んで見つめ合う。
 顔が近づいてきて唇を舐められた。舌でぺろぺろ舐められるというよりは、唇だけで噛みつかれているみたいだ。

「同じようにして……」

 歯を立てないようレグルスの唇に触れる。
 もにゅもにゅとやわく下唇を食んでいたら、レグルスの方は歯を立ててきた。薄い皮膚に固いものが突き立てられる感覚にびくりと震える。

「怖くないよ。痛いこともしない」
「……前にしたみたいなこと、するの?」
「さわりっこのこと覚えてたんだ。そうだよ、タビトはこういうの勉強しなかった?」

 首都学園では毛づくろいを授業で学ぶのだろうか。
 しかしタビトの人型はほとんど毛が生えていないし、舌も毛を梳くのに適した形ではない。
 どういう触れ合いなのかいまいち理解できないまま、レグルスを真似てほんの少し牙を見せる。
 少女のような顔立ちのタビトの口に並ぶ肉食獣のごとき小さな牙を、レグルスはじっとりと舐めあげてきた。
 口の中に舌が入ってくる。
 タビトのものじゃない、弾力のある分厚い肉が口腔を縦横無尽に這い回っている。とても奇妙な感覚。
 同じことをしようとしても、タビトの舌はレグルスの長い舌に絡め取られてしまう。口を開けっ放しで顎が痛い。呼吸が上手くできなくて、酸欠になりそうだ。
 それでも目の前のオスを押しのけるという選択肢はなかった。
 レグルスが与えるものなら、なんでも受け取りたい。

「もっと触りたい……いい?」
「ん……どこを?」
「こことか」

 大きくて節くれだった手が、そっとタビトの裸の腹を撫でた。
 いつの間にシャツをはだけられていたんだろう。
 人型の腹部は無毛で、防御力がないに等しいのに生命維持に重要な箇所だ。真っ先に守るべき場所のひとつで、他の誰かに触らせることはほとんどない。
 そんなところをさらさら撫でられるのは不思議な感覚だった。

「ここ、オレ以外の誰かに触らせた?」
「そんなことあるわけないよ」
「そう。じゃあこっちは?」
「あっ……」

 下穿きの中に入り込んでくる手を咄嗟に止める。
 腹部の中でも下半分は生殖に関する臓器があり、親きょうだいですら気軽に触る場所ではないと、さすがのタビトも知っていた。
 それなのにレグルスが見つめてくるものだから、長く押し留めていられない。
 結局侵入を許してしまった。
 夕焼け色のまなざしがずっとタビトを射抜いている。火傷しそうなほど熱い視線。

「だめだよ、そこ汚いからっ」
「汚くないよ。前もこうして触ったじゃん」
「あ、あ、ぁ、れぐるす……!」

 体が幼かった頃は存在を意識することもなかったそれを、正しい知識で認識したのはいつのことだったか。
 ラナからもらった女性の体にオスの生殖器がついていることを疑問に思ったことがあった。メスもいないのに子を作るための体液が出てしまう朝があることも不思議だった。
 そして当然のように、そこは他者に触らせず、話に出すこともタブーであると認識した。
 かつてレグルスに施された「気持ちのいいこと」が、本来は不適切であることも知った。

「だめ、レグ、もう出ちゃう……っ」
「ん、精通してるんだね。出していいよ」
「だめだってっ、ぁ、あ……」

 ダメなことだとわかっているのに拒絶しきれない。
 レグルスに全身抱き込まれながら、彼の手の中に精を吐き出してしまった。
 はぁはぁと乱れる呼吸で、なんてことをしてしまったんだという思いと、オス同士でどうしてという疑問が胸の中に渦を巻く。
 しかしタビトの苦悩などお構いなしにレグルスは身を乗り出してきた。

「タビト、次はオレの番だよ。さわって?」

 ずらされた下穿きから覗き見たのは、自分と同じ場所についた、自分のものとは比べ物にならないほど大きな肉塊。
 知らずのうちに、ごくりと喉が鳴った。
 どうしてこんなに違うんだろう。まるでオトナのものだ。さわりっこと言うくらいなのだから、お互い触るべきなのだろう。彼がそう望むのなら。
 後悔も疑問も頭から吹き飛んでいた。
 そっと手を伸ばし、そこへ触れる。
 眼をぎらつかせ吐息を荒らげて、欲望をむき出しにしている自身の主へ感じた思いは────未知への興味だったのか、それとも。

「おぉい、変な声が聞こえたがどうした?」

 突然ドアがノックされ、のんびりした男の声がする。
 タビトもレグルスも、誇張ではなく数センチ飛び上がって驚いた。
 世界に二匹だけのような気がしていたから、廊下を掃除していた寮監の登場に心臓が止まりそうなほどびっくりしてしまったのだ。

「す、すみません。うるさかったですか」

 かつてないほど素早く服を着込み、ドアを開けると、心配そうに眉を下げた小柄な老人がいた。
 この時間は管理獣人が寮内を掃除しているのだったと、今さら思い出す。

「うるさかったっていうかなぁ、なんか痛そうな声だったから。ケガでもしたか?」
「い、いえ。なんでもないです、ご心配おかけしました」
「そぉかぁ、なんでもないならいいんだ」

 気のいい老夫のアライグマは、モップの柄を掲げて部屋の奥のレグルスにも挨拶をしていった。
 服の乱れに気づかれなかっただろうか。変なにおいとかは。
 まだ心臓が早鐘のように鳴っている。
 胸を押さえてドアを閉めたタビトを、レグルスは苦笑いで迎えた。
 下腹部の興奮は驚きで萎んでしまったらしい。

「びっくりした。ここは壁が薄いんだな」
「うん、隣室の会話とか結構聞こえるよ。だから、その」
「わかった、ああいうのは慎むよ。……できるだけ」

 結局タビトは、ああいう行為はそもそも不適切だと指摘するタイミングを完全に逃してしまった。
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