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第二章

29.けものたちの声

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「露店街もいいが、商店街にも行ってみるか」

 屋台を次々冷やかしていた二匹は、アルシャウの提案に立ち止まった。
 この町はメインストリート沿いの露店街と、石組みの店が軒を連ねる商店街がある。
 露店の屋台より高価なものや大きいものが売られていて、タビトたち子どもには縁遠い場所かと思っていたのだが。

「商店街に動物の店がある。タビトが世話してるっていうネコに首輪を買っていったらどうだ」
「メイサに……」

 アルシャウがメイサのことを知っていることにまず驚いた。
 メイサは、タビト以外の獣人にはあまり懐かないが、特にアルシャウのことを完全に避けている。
 本猫曰く「おっきくてこわい」とのことで、オトナの大型肉食獣に怯えているのだろうとタビトも無理に引き合わせることはしなかった。
 だが目端の効くアルシャウは、屋敷の庭をうろつく子ネコのことも把握していたようだ。

 タビトは今日、お金を持参していた。
 日々の仕事のお給金をムルジムから受け取ったものだ。
 正直、いくつか渡された金属の薄い板で何が買えるのかまだよくわからないが、それを学んでくるのも町の醍醐味だと聞かされている。
 メイサにおみやげを買うことで、お金の使い方を学べるかもしれない。
 動物の店へ向かうアルシャウの後ろをついていきながら、ポケットの金属片をぎゅっと握りしめた。

「ここだな」

 アルシャウの案内で商店街を進み、いくつもの店を通り過ぎた。
 屋敷に置いてあるような家具がたくさん飾ってあったり、フェルカドが手入れをしているような庭木が鉢植えで売られていたり。木彫りの小さな品々が並べられた小ぶりな店から、大きな石や切り株が置いてある店なのか庭なのかわからない構えのものまで、様々な景色が流れていく。
 連なりの途中でアルシャウが足を止め、気負うことなく入っていく。
 その店は雑貨屋のように見えた。
 軒先に様々な色合いの紐がたくさんぶら下げられている。鈴や木片、鳥の羽などの展示もある。手触りの良さそうなクッションが重ねて置かれて、その横には食器が積み重なっている。
 雑多な品揃えも、動物向けと言われれば納得だ。

「動物用の店ってはじめて来たなぁ。タビト、これネコ用の首輪じゃない?」
「そうみたい。メイサには何色がいいのかなぁ」

 小さな子ネコの好きな色を聞いておけば良かったと思う。
 動物用の首輪は多種多様で、色も太さも長さも様々あり、眺めているだけでも楽しかった。
 一通り見終わったものの、やはりメイサの希望を聞いてから買おうと決める。アルシャウに断りを入れるため、二匹は店内に足を踏み入れた。
 妙に静かだと思ったその瞬間、タビトの足が止まる。

「……ぁ」

 店の中にあったのは、檻だった。
 太い格子がタビトたちと向こう側の生き物とを隔てている。
 格子の隙間から覗く二つの瞳は、濁っていた。

「タビト? どうしたの」

 心配そうなレグルスの声は今のタビトに届かない。
 檻の中にいたのは小さなイヌだった。ネコもいる。それよりもっと大きく育ちそうな生き物も、ネズミやイタチのようなものもいた。
 ただ、どの動物も暗く沈んだ顔をしている。不思議とそう思えた。
 かつての自分のように閉じ込められた生き物を見て、タビトの背に冷たい汗が流れ伝う。
 怒り、悲しみ、飢え、その果てにあった痛みと別れ。
 あのときの感情があふれてきてタビトの手足の自由を奪う。思考すら固まって溶け崩れ、現実の区別がつかなくなりつつある。

<……たすけて……>
「え……」

 そんなタビトの耳に、小さな声が聞こえた。
 怪訝に覗き込むレグルスの向こう、奥まった檻に入っていた、少し大きめのネコ科だった。後から考えればトラだったかもしれないと思う。
 声は、レグルスやアルシャウと話すのとは違う聞こえ方だった。
 それは────メイサと話すときの感覚。

<ここからだして……かえりたいよぅ>
<だせ! だせぇ!>
<おなかがすいたよー……>
<ママ、どこにいるの? ママぁ>

 一つ聞こえるようになってからは、音の洪水だった。
 店の中が静かだと思った印象が不可解なほど、そこは騒々しい場所だった。
 格子の向こうで囚われた生き物たちが口々に声を出している。
 怒り、悲しみ、飢え、不満のなにもかも。
 その間に言葉のない鳴き声が混ざって、渦のようにタビトを襲った。

「あ、ぁ……ぁああ」
「タビト? タビトっ」

 耳をふさいでも聞こえる怨嗟の慟哭。
 湧き上がってきた涙に滲んだ視界に、一匹のネコが映った。
 白くて、痩せていて、哀しい目をしている。

<かあさん>
「────っ!!」

 タビトは走った。
 伸ばされた手を振り切って店を出て、首輪の前を過ぎ、通りの石畳に蹲る。胃からせり上がってくるものを堪えきれなかった。
 苦しげに咳き込む背中にあたたかい手が添えられ、擦られる。
 大きな手が体を起こすのを手伝ってくれて、汚れた道の片付けをしてくれた。

「タビト、今全部吐いてしまえ。坊っちゃん水を」
「うん。タビト、口の中きもちわるいでしょ。お水でがらがらぺっして」

 涙を拭って、荒い息が整う頃にタビトはやっと現状を把握した。
 レグルスとアルシャウが心配そうについていてくれる。
 ゆっくりと背中を擦られるごとに、気分も落ち着いていく。

「ご、ごめんなさい……」
「大丈夫だ、心配するな。しばらくここで休んでいこう」

 通りの端に設置された長椅子に座り込み、息を整える。
 近くの店の従業員だろう、オトナの獣人が差し出してくれた水をレグルス経由で受け取り口をゆすぐ。

「タビト、なにがあったの? あのお店、いやだった?」

 おずおずと尋ねられたレグルスの言葉に、タビトはつっかえながら返事をした。
 店にいた、檻の中の動物たちの叫びが体の中に染み込んでくるように思えて、気分が悪くなってしまったこと。
 檻そのものがタビトの過去を想起させたことも、レグルスはきっと気づいている。
 話し終えてから、アルシャウも聞いていたことに気づいた。
 メイサと────動物と話せることはレグルスにしか教えていない。
 恐る恐る見上げたアルシャウは、好奇や嫌悪ではない感情で眉をしかめていた。

「タビト。おまえ動物の声が聞こえるのか」
「……うん……」
「さっきの店、全部の動物の声がわかったか?」
「……え?」

 それは思わぬ質問だった。レグルスも意図がわからないようだ。
 店内の動物の声のことを思い出す。
 いくつもの意味のある叫び声の合間に、言葉ではない鳴き声も聞こえた。それらに感情は込められていなかったように思う。
 ただ鳴いていただけ。
 タビトが言葉を聞き取れない獣舎の動物たちのように。

「……そうか」

 その答えを聞いてひとつ頷き、アルシャウは動物の店へ戻っていった。
 店の前には心配そうに立ち尽くす獣人の店員がいた。アルシャウは店員と何事か話し、すぐに戻ってきた。

「タビトおまえ、お手柄かもしれないぞ」
「え?」
「あの店には『変化不全型獣人』が複数いる可能性がある」

 初めて聞く言葉にレグルスと揃って首を傾げると、詳しい説明がなされる。
 「変化不全型」。
 それは「人間」でも「獣人」でもなく、厳密には「非変化型動物どうぶつ」でもない生き物。

「獣人が産んだ動物のことだ」

 アルシャウの言葉には苦味が混じっていた。
 獣人は「獣型」と「人型」をどちらも持っていなければ、獣人と認められない。人型になれなかった頃のタビトが獣人と認められなかったように。
 タビトはのちに人型になることができて、獣人だと認識されたが、一方で獣人の子なのにどうしても人型になれない、獣人と話すこともできないものがいる。
 極めて動物に近いが、厳密には動物ではない……それが「変化不全型獣人」。

「変化不全型の扱いは難しい問題ではあるが、動物として売買することは明確に禁じられている。だが人化せず、意思疎通も図れない以上、売買を取り締まることすら難しいのが現状だ」
「じゃあさっきのお店には、ヘンカフゼンの獣人の子どもがいっぱいいたってこと?」
「その可能性が高い」

 アルシャウは長椅子にぐったりと座るタビトの前に膝をついた。
 いつも余裕があって、飄々とした彼には珍しい、真摯な目をしている。

「タビト、店の動物たちは苦しんでいたのか」
「……うん。帰りたいって、いってた。おなかがすいたとか、母さんに……会いたいって」
「そうか。知らなかったとはいえ、あんな場所に連れて行って悪かった」
「えっ、アルシャウのせいじゃないよ」
「それでもだ。俺はおまえたちの保護者としてここへ来たからな。すまなかった……それと、ありがとう」

 大きな手がタビトの髪を耳ごとわしわし撫でる。

「俺の弟は『変化不全型』だった。幸いひどい扱いはされなかったが、俺は最後まで弟と話すことができなかった。兄弟なのに、それらしいことも何も……だからというわけじゃないが、俺は『変化不全型』の保護と地位向上に力を尽くしている。タビト、おまえはもしかしたら、俺たちにとって救世主となるかもしれない」

 アルシャウの声は寂しそうだった。
 獣人と動物とに分かれてしまった兄弟には、きっとタビトには想像できない悲しみがあるのだろう。
 母と離ればなれになったタビトに悲しみがあったように。

「アルシャウ、かなしい?」
「今は平気だ」
「そう」

 ふと、目の前のオレンジ毛に触れてみたくなった。
 頭のてっぺんに手を置いて、さらさらと撫でてみる。
 アルシャウの髪は思いのほか硬かった。レグルスの髪とも、自身の体毛とも違う手触り。
 無心で撫でていたら、ぽかんと見開かれた目が合った。

「……あ、ごめんなさい」
「いや……なるほど、これは坊っちゃんがオチるわけだ」

 小声でなにかつぶやくアルシャウは怒っていないようで、タビトはほっとした。
 繊細な耳には触れないようにしたが、他者の頭に触るのは意外と勇気がいるのだと知る。
 アルシャウから手を離した途端、タビトの手は横合いに奪われた。

「わっ、なにレグルス」
「ん!」

 レグルスは自らの頭にタビトの手を載せた。
 なぜか得意そうな顔で撫でろとねだる。タビトは大人しく手のひらを上下左右に動かして、わがままな主の要望に応えた。
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