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第一章

25.非力な体

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 瞬きしても塩辛い水が出なくなってくると、眠くなってきた。
 レグルスはすでにうとうと微睡んでいる。
 夕焼け色の瞳は隠れて、伏せられた瞼は薄く、時折震える。きれいな金色のまつ毛は根元のほうが少し黒い。眉毛も、さらさらの前髪も同じ色の毛だ。
 獣人や動物の図鑑に、タビトやレグルスのような色の同族は載っていなかった。
 タビトは白すぎて、レグルスは黒っぽすぎる。
 どうやら大昔には黒っぽいライオンがいたらしいけど、今はもう見ることもなくて、レグルスはその昔の獅子の色を継いだのだという。
 だから少しだけ寂しいときがあったと、今は同族が近くにいないから寂しさが紛れると呟いた彼の横顔は、悲しそうだった。

(僕も……こんな色のトラは僕しかいなくて、つらかった)

 視界に映る薄色の髪をつんと引っ張る。
 ラナの色の手がタビトの色の毛を触っているのは、なんだか不思議な気分だった。
 まるでふたりが混ざってしまったよう。
 いや、タビトがラナの容姿をもらって今ここにいるのなら、まさしく混ざったと言えるのかもしれない。
 野生下では目立って仕方ない白い毛は、レグルスの屋敷で恵まれた、恵まれすぎた生活を続けたおかげですっかりツヤと健康を取り戻した。
 タビトの主はタビトの毛を繕うのが日課になっていて、そのおかげでもある。

(そういえば、人型のレグルスの舌はなんだかペッタリしてたなぁ)

 自分でも手を舐めてみて、舌に感じ慣れた突起がない違和感に顔をしかめる。
 油断すると口の中でくっついてしまうんじゃないかと恐れるくらい、表面がツルツルだ。幅も長さも足りない気がして尻尾がそわそわ揺れてしまう。
 口の中を確認してみると、変な形の歯に囲まれていた。
 おまけに牙がちょっとしかない!
 こんな歯で噛みついたって、傷跡一つ残せない。
 獲物を狩れず、肉を食べることも絶望的だ。

「どうしよう……どうしよう……」
「ん……タビト? どうしたの」
「レグルス……ぼく、僕弱くなっちゃったよぉ」
「んん?」

 混乱の余り出た情けない声でレグルスを起こしてしまった。
 でも彼はしどろもどろに不安を吐き出すタビトを、毛のない手でのんびり撫でながら最後まで聞いてくれた。

「あぁそれね、びっくりするよね。人間って器用だけど、すっごくよわいんだよ」
「ど、どうすればいいの?」
「危険を感じたらすぐ獣型になる。できなければ、逃げる」
「そんなぁ」
「それしかないんだよ。でもだいじょぶ、タビトが危険にならないようにオレが守るし」

 えへんと胸を張るレグルスは頼れる獅子だと感じたが、同時に疑問が過った。

「いや、ちょっと待って。僕はレグルスのプライドのメンバーなんだ。僕がメンバーで、レグルスはボスだよね?」
「ぼ、ボスだなんてそんなかっこいい呼び方、照れるからやめろよ」
「そうじゃなくて。ボスのことを守るのはメンバーの役目じゃない?」

 レグルスはハッとして、耳をぴんと立てた。
 なんてことだ。どうして今まで気付かなかったんだろう。
 タビトはレグルスの庇護に甘えるのではなく、レグルスを守る立場だったのだ。

「で、でももしそうだったとしても、タビトには無理だよ! ほら、こんなに小さいし、腕も細いし手も小さいし」
「手……僕今、爪もないんだ……」

 かざした手には小さな爪が付いている。
 先っぽがちょっとだけ尖っているけれど、それだけだ。
 指先に力を込めても爪は伸びず、分厚くも鋭くもない。握ったシーツを切り裂くことすらできない。
 これじゃあレグルスどころか、自分の身を守ることすらおぼつかない。

「どうしよ、どうしようレグルス……」
「あぁ、また涙が出そうだよ。おちついてタビト」
「だって……うぅ」

 じんわりと湿ってきた眦をレグルスが舐め取ってくれる。
 そのまま頬や額、首筋まで舌でなぞられて、タビトは次第にくすぐったくなってきた。
 身を捩ってレグルスの舌から逃れようとすると、大きな手が肩と腕を捕まえる。そのままべろりと舐められて、ありもしない毛が逆立つように感じた。
 思わず涙も引っ込んでいしまう。

「ん、ゃ……レグルス、くすぐったい」
「ちょっとガマンして」
「えぇ、なんで?」
「うん……なんかタビトって、いいにおいがして……」

 それは以前も言われた。てっきり乾いた被毛の匂いとか、草や陽の香りだと思っていた。
 でも今二人は毛がないどころか、毛布の中で何も身にまとわずにいる。
 レグルスは顔ごと舌を移動させて、今はタビトの首の付け根あたりを嗅いでいる。ふんふんと鼻息が当たってこそばゆいし、ぺちゃぺちゃの舌の感触はむずがゆい。
 なんだか体がじんわり熱を持ってきた気がする。
 レグルスがあまりにしつこいからだろうか。

「ね、レグルス、もうやめ……」
「坊っちゃん、タビトは目を覚ましましたか?」

 身悶えながら弱々しく主張したタビトの声に、部屋の外からムルジムの声が重なった。
 ドアを開け入ってきたムルジムが遠慮なく毛布を剥ぐ。
 顔を真っ赤に染めて押し倒され首元を舐められているタビトと、手足を絡めて押さえつけ肌を舐め回すレグルスの姿が、ムルジムの目にどう映ったか理解できたのは、もっと年齢を重ねてからだった。
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