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第一章

13.人型になりたい

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 居場所をつくるために努力しなければならないのは、どんな場所でも同じ。
 ただ努力するにも、がむしゃらにやったって上手く行かないことくらい子トラにもわかっていた。
 人型になったことがないタビトが人型になるには、人型になれる獣人に話を聞くのが一番だ。

「人型になるコツ……ですか」

 最初に向かったのは、家令のムルジムのところ。
 レグルスは頼まずとも人型に変化するための方法を教えてくれるが、どうしても「気合い」とか「ぎゅ~っとしてぱっ」としか言ってくれないので、こればかりはオトナに頼るしかない。

「さて、私でも役に立てるかどうか。獣人というものは、物心つく前に一度ならず人型を取れるものですから」
「それは、赤ちゃんのころからってこと?」
「そうです。ただ赤子の頃は、毛が生えず手足も首も細い人型は危険です。なのでなるべく獣化したまま過ごさせます。もっとも禁止したとしても、子どもは勝手に獣型と人型をくるくる入れ替えて遊んでしまいますがね」

 ムルジムは白くて長い眉毛に埋もれる目を遠くに向けた。
 もしかしたら、レグルスの小さかった頃を思い出しているのかもしれない。
 老犬の獣人はオトナなだけあって、レグルスよりは具体的な話をしてくれた。

「変化するときは、全身の隅々まで形が変わるということを意識するといいかもしれません」

 獣型と人型は、構造に大きな違いはない。手があって足があって、顔があって胴体があって。
 人間の耳は頬の横についていたけど、獣人の耳は種族によって異なる場所についている。その種族特有の耳の形を維持している者が多く、レグルスもムルジムも獣型のときと同じ耳が頭の上についている。
 また、人間にはないしっぽもそのままだ。
 人間の体の最も大きな特徴は二足歩行……二つ足でしか歩かないことだけど、これはしっぽでバランスをとらないとかなり難しいらしい。だからしっぽも獣型と同じものが腰骨から伸びている。

「体が全部変わるわけではありません。要素はそのままに、後ろ足で立つ感覚です。やってみましょう」
「うん。……んん……はっ!」

 タビトは勢いよく前足を上げて、二足歩行になってみせた。
 だがそれはただ子トラが立ち上がったというだけで、見た目は全然変わっていなかった。
 しっぽと耳だけじゃなく、全部そのまま。

「……私ももう少し具体的に教えられるよう、考えてみます」

 めずらしく挫折の感情を滲ませた苦い顔のムルジムと別れ、次なる目的地は庭だ。
 今日はお庭仕事の日。ついでにフェルカドにも話を聞きたい。

「人型になるコツ……?」

 一仕事終えて休憩中、タビトはフェルカドにも同じ問いをぶつけた。
 彼もまたムルジムと同じように首をひねり、すぐには回答できないようだった。
 しばらく静かな時間が流れたが、彼はおもむろに上半身から作業用の頑丈な上着を脱ぎ捨て、薄手のインナーも取り去り、下履きまで脱いだ。

「言葉で説明できそうにない。見ていろ」

 どうやら実演してくれるらしい。
 タビトはじっとフェルカドの体を観察した。
 服を着ていない人型は毛の量が極端に少ない印象だったけど、フェルカドは全身なかなかに毛が生えていた。でもやっぱり肌の露出は多い。
 こんなところで肌を晒して大丈夫なのだろうか、と心配になる前に、フェルカドの外見はみるみる変わっていった。
 体が大きく膨れ上がり、ざわざわと黒茶の毛が生えていく。
 前足も後足も太くなっていき、顔は全く違う形に変貌していった。

「これが、クマ?」
「そうだ」

 フェルカドの獣姿は、想像を遥かに超える大きさだった。
 立派な樹木のようにどっしりとした体躯。硬い毛に覆われた太い手足には頑丈そうな爪が伸び、肉球は大きく分厚い。人型より立体的になった顔も毛むくじゃらだが、口元から覗く幾本もの牙と、対照的に可愛らしい丸耳はどことなくトラと似たものを感じる。
 こうして見れば、タビトと母の故郷に生息していたクマとは明らかに種類が違うことがわかる。
 彼は木に登るより木を殴り倒すタイプだ。
 人型の時よりややザラついた声がタビトを呼び、形は違うのに同じ印象を与える澄んだ黒い片目がタビトを見つめる。

「人型に戻るぞ」
「あ、うん!」

 身を乗り出して、フェルカドの変化を見逃さないよう目を凝らす。
 大きなクマは一つ頷いて、ゆっくりと毛皮を脱ぎ捨てていった。
 みるみる毛が短くなっていき、柔らかい肌が現れる。
 四肢は縮み、太い爪ばかりだった指は細く長い5本へ。
 顔中覆っていた毛は、頭を半分覆うだけの髪に姿を変え、顔のパーツも全部小さくなっていく。
 太かった胴は、筋肉質ながらも引き締まった細身に。
 所々毛が残っているけど明らかに密度は下がった、オトナの人間が現れた。
 あれだけサイズが変われば、獣型になるときに服が破れてしまうんだろう。彼がいきなり脱ぎ始めた理由をやっと悟った。
 なにせ唯一身につけたままの下肢の下着はただの布切れになってしまっている。
 お腹の下、足の間には多少毛が残っていて、その奥になにやら赤黒いものがぶら下がっていた。
 木の実のように見えるけど体の一部のはずだ。

「フェルカド、これなに?」

 フェルカドの足の付け根のものを指し示すと、彼はいきなりタビトの顔めがけて上着を被せてきた。
 何するんだともがいて布間から頭を出す頃にはフェルカドは服を着てしまっていて、肌はどこもかしこも隠されてしまった。

「ねぇさっきの何なの? フェルカドの体には木の実が生るの?」
「……」
「フェルカド?」
「……おまえにもついてる。詳しいことは、本でも読んで勉強しろ」

 それきりフェルカドは難しい顔をして黙り込んでしまった。
 その後、ものの本で真実を知ったタビトはだいぶ恥ずかしい思いをしたのだけど、フェルカドは蒸し返してからかったりしなかったし、タビトも他人の体を指さして軽率に問いかけたりすることはなくなった。

 ムルジムとレグルスのアドバイスや、実演を見せてくれたフェルカドの手間に報いるため、タビトは一匹でうんうん唸る。
 フェルカドやムルジムの獣型は衝撃的だった。大きさが全然違うのだ。
 あれほど違う姿に変わるのに、本人たちは痛みや苦労を感じていない。どういう仕組みなんだろう。
 以前人間たちのいる場所で見た、風船が膨らむような感覚なのだろうか。もしくはムルジムのアドバイスを参考にするなら、ゴムひものようになにかの力で四肢が伸びる感覚?
 でも風船もゴムひもも、力ずくで伸ばしているのだから、あれらに痛覚があればきっと痛がるだろう。

「うーん……」

 ベッドの上に座って睨みつけているのは、広げた絵本。
 レグルスにお願いして持ってきてもらった絵本には、人型と獣型を切り替える獣人の絵が描かれている。
 この絵本と同じく、ページをめくるかのように切り替えができれば良かったのだが、もちろんそう上手くはいかない。結局タビトは今日まで一度も人型になれていなかった。
 唸りながらトコトコと部屋の中を歩き回って、壁にかけられた銀色の板の前に来た。
 これは鏡といって、ガラスという透明な板の後ろに銀を塗ったものだという。
 人間はこれで見た目を取り繕う必要があるのだと知った。
 人間の衣服というものは難解で複雑な構造だから、あれを着るときに鏡に映すのだろう。

「……アルビノ、か」

 銀の面に右前足を置くと、鏡の中のタビトが左前足をくっつけてきた。
 鏡に映る小さなトラは不気味なほど白い。
 不気味で、めずらしくて、不幸で、かなしい生き物。

「きらいなものに姿を変えることなんてできるのかな……」

 人間は恐ろしい生き物だ。
 細くて弱くて、大勢で群れないと生きられないのに、信じられないほど残酷で、屍肉漁りたちよりずっと狡猾で、吐き気がするほど無邪気だ。
 でもそれだけじゃないことを知っている。
 知ってしまったのに……タビトはそれすら受け入れられずに、なぜだか生き延び、受け入れられ、ここにいる。

「……」

 鏡の中の小さなトラは情けなく耳とヒゲを垂れ、鬱屈した灰色の瞳でこちらを静かに見返すだけだった。
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