上 下
4 / 26

04.魂の価値

しおりを挟む
 
 この国で同性愛は蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われている。
 だから異端とされる性志向は隠されて、同性の恋人がいても誰かに話すことはほとんどない。
 無理矢理に異性と交際、結婚する同好の士も珍しくない。
 トビアスのように自分の志向を隠さない人間はとても稀有だ。
 だから俺の相手が同僚だということは誰も知らなかったし、俺も誰かに言うつもりはなかった。
 それを逆手に取られてしまうなんて。

 今考えればあいつはきっと、生粋の同性愛者じゃなかったんだろう。
 いわゆる、男女両方いけるタイプ。
 それなのに俺は、職場という狭い世界に同じ気持ちを分かってくれる相手がいるとのぼせ上がって、身も心も捧げるなんて一人で盛り上がって、警戒することなど考えもしなかった。
 女相手に浮気されていた上に、俺が心血を注いで作った精霊召喚に関する理論を丸ごと横取りされあいつの名前で発表されるまで、俺はなんにも疑っていなかった。
 あいつにとっては良いカモだったし、きっと俺のほうが浮気相手だったんだろう。
 いや、恋人の類にカウントすらされていなかったかもしれない。

 闇の精霊を呼び出して契約し、この星の半分だけでも壊滅させたいという気持ちは、結局のところ私怨だ。
 あいつの名前で世に出た召喚術も、精霊を使役する人間がいなくなれば意味がなくなる。
 焦土と化したこの国や近隣諸国には精霊も寄り付かなくなるだろう。
 そうなればあいつの虚飾の栄誉なんてなんの価値もなくなる。

 ────なんて、生々しく醜い捨てられ男の湿っぽい愚痴をクロに聞かせるつもりはない。
 俺は大幅に事実と心象を削って、簡潔に述べた。
 同僚と恋仲だったこと、その関係につけ込まれて研究成果を奪われたこと。
 しかし言外に滲む俺の憎悪は、昏い感情を好む闇の精霊には筒抜けだったかもしれない。

「人間の中にも悪辣な輩がいるとは知っていたが、おまえの元恋人がそうだったとはな。男を見る目がない」
「うぅっ……改めて他人に言われるとつらい」
「だが、人間の恋情やら性愛というものは判断力を曇らせるという。私は今のおまえの魂の在り方が嫌いではない」
「俺の、魂の在り方?」

 精霊にはそんなものまで見えるか。
 俺はなんとなく両手を広げて胸を開いて見せ、俺の魂がどうなっているのか尋ねた。

「おまえの魂は今、原形が見えないほどに闇で覆われている。憎悪、嫉妬、不満……痛み、疲労、不安といったものもあるな。魂の周囲に漂うものだけで、低級の精霊ならば腹一杯になりそうなほどだ」
「そ、そんなに?」
「そうでなければ私は喚べない」

 偉そうに言い放つクロに呆れかけて、たしかにそうだと納得する。
 彼が精霊として突出した存在であることは間違いない。
 魔術師塔の同僚たちも、すれ違っただけで軒並み気圧されていた。
 俺が何かすれば真っ先に嫌味を言いに来そうな上司ですら、遠巻きに見るだけで近寄ってもこなかった。俺に声をかけたのは友人であるトビアスだけだ。
 そんな強力な闇の気配を好む精霊を引き寄せられるほどの悪感情が渦巻いていたとは……我が事ながら恐ろしい。
 闇精霊の召喚という、魔術師独自の方向に突っ走っていなければ、俺は今頃何かの罪で捕まって投獄されていたことだろう。酔って暴れて器物損壊とか、傷害とか。

「俺、クロを喚べてすごくラッキーだったかもしれない……」
「今頃気づいたか。理解したのなら、もっと私好みに魂を磨き、魔力を貯めろ。魂を捧げるその時までな」
「わ、わかった。でも魂を磨くなんて、どうやって」

 ふん、と鼻を鳴らす気位の高い精霊に、報いたいと思った。
 闇の精霊の好みに合う魂にどうやってなればいいのかは見当もつかないが、このままでいいのだろうか。
 破壊を望む心の声は、今もうるさいくらいがなりたてて俺を苛んでいる。
 クロは「そんなこともわからないのか」と言いたげな視線を一瞬投げかけて、すぐに逸らした。
 精霊には手にとるようにわかるという魂の感覚が人間にはわからないと、この聡明な精霊はすぐに思い当たったに違いない。
 どっちにしろ見下されてるけど。

「無理に魂の質を上げようとしても、魂の感覚を持たない人間には難しいだろうな。おまえの場合は、何もしなくても良いかもしれん」
「何も?」
「私を召喚したのだから、おまえは今後嫌でも私の影響を受ける。知らずのうちに魂は汚染され、堕落する。熟した頃には私の腹の中だ」
「なんか……すごく怖いこと言ってない?」

 クロの視線がはっきりと、俺を見下すそれに変わった。

「何を今更。私を喚び出したこと自体、神をも恐れぬ大罪に決まっているだろう」

 湿気た裏庭を抜け出し帰途につく。
 あのあとクロはどういうわけかさっさと姿を消した。
 人間が目視できない精霊体になって、俺のそばから離れたらしい。
 契約しているとは言っても、俺とクロとの間のものは隷属契約ではないしお互い自由だ。外出なども当然するだろう。

(大罪、か)

 彼の言う通りだ。
 俺はこの世界に不可逆の混沌と破滅をもたらそうとしている、罪人予備軍だ。
 闇の精霊を呼び出したくてほうぼう文献を漁ったときに何度も目にした文言を思い出す。
 神に背き、光溢れる場所を追われ堕落した精霊は、闇を司り人間の魂を喰らう────。
 クロの言い草から、彼が俺の魂を何らかの方法で取り出し、奪うことはできるようだ。
 でも、己の魂を差し出して願いを叶えること自体に後悔はない。

「ぅ、げほっ、ごほ……」

 急に喉元に迫り上がってきた不快感を散らすため、口に手を当ていくつか咳をする。
 背中を丸めて咳き込んでいるうちに、足元がふらついてよろけた。
 すぐ傍にあった壁に手をつくと、壁面に赤い液体がべったり付着してしまう。

(一月、か……間に合うかな)

 鉄臭い匂いが口いっぱいに広がっているのを不快に思いながら、足早にその場を離れた。

(気弱になるな。契約を果たすその日まで、生きるんだ)

 自分の血で汚れた壁から目を逸らすように、急激に重く倦怠感の出てきた体を引きずって家への道を行く。
 胸にあるのはただ、クロと共に願いを叶える未来の自分の輝かしい想像図だけだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

もう一度、貴方に出会えたなら。今度こそ、共に生きてもらえませんか。

天海みつき
BL
 何気なく母が買ってきた、安物のペットボトルの紅茶。何故か湧き上がる嫌悪感に疑問を持ちつつもグラスに注がれる琥珀色の液体を眺め、安っぽい香りに違和感を覚えて、それでも抑えきれない好奇心に負けて口に含んで人工的な甘みを感じた瞬間。大量に流れ込んできた、人ひとり分の短くも壮絶な人生の記憶に押しつぶされて意識を失うなんて、思いもしなかった――。  自作「貴方の事を心から愛していました。ありがとう。」のIFストーリー、もしも二人が生まれ変わったらという設定。平和になった世界で、戸惑う僕と、それでも僕を求める彼の出会いから手を取り合うまでの穏やかなお話。

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

【完結】人形と皇子

かずえ
BL
ずっと戦争状態にあった帝国と皇国の最後の戦いの日、帝国の戦闘人形が一体、重症を負って皇国の皇子に拾われた。 戦うことしか教えられていなかった戦闘人形が、人としての名前を貰い、人として扱われて、皇子と幸せに暮らすお話。   性表現がある話には * マークを付けています。苦手な方は飛ばしてください。 第11回BL小説大賞で奨励賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。

【完結】ざまぁ後の阿呆王子に転生した俺の話〜精霊姫と大地の子

鏑木 うりこ
BL
 ざまぁされた後の阿呆王子になってしまった俺は、閉じ込められた。お荷物な俺は、久しぶりに見えるようになった精霊と遊んでいたのに。  え?精霊姫?俺、男なんだけど?は?!大地の子?!何だそれ!!!  精霊を生む精霊姫とその伴侶の大地の子。いや、お帰り願えますか?!  顔だけ最高な俺、阿呆王子ナルジェルと大地の子の物語ーーー。 ★読んでいただけると助かります★  読んでくださっている方のご指摘がありまして、この作品のタグは下記を追加してはどうだろうか?とご提案をいただきました。作者として、タグをつけるのが苦手なので、取り入れさせてもらおうか思います。目を通していただけると幸いです。 「ハッピーエンド?」「バットエンド?」「胸くそ」「洗脳」「監禁」「強姦」「性奴隷」 「傲慢王子(攻)」「ヤンデレ(攻)」「強姦魔(攻)」「クズ(攻)」 「チョロイン(受)」「アホの子(受)」「不幸(受)」    ただ、作者の力不足で意図しない物もあります。修正をかけて行きたいと思いますが、なかなか進まない状況なので、ご了承いただけると助かります。改稿作業は随時行っていきたいと思っています。タグに騙された方がいらっしゃれば、深くお詫び申し上げます……本当にすいませんでした。 R18が予告なく入ります! 書き上がっているので、毎日定期18時更新致します。 全40話+番外編6話 7万字程です。  番外編がハロウィンモノなのですが、どうしてもネタバレがあるため、公開時期がズレて季節感が無くなってしまいました。  番外編が一つ追加されたので⁺5話です(*'ω'*)増やしちゃった!

【完結】テルの異世界転換紀?!転がり落ちたら世界が変わっていた。

カヨワイさつき
BL
小学生の頃両親が蒸発、その後親戚中をたらいまわしにされ住むところも失った田辺輝(たなべ てる)は毎日切り詰めた生活をしていた。複数のバイトしていたある日、コスプレ?した男と出会った。 異世界ファンタジー、そしてちょっぴりすれ違いの恋愛。 ドワーフ族に助けられ家族として過ごす"テル"。本当の両親は……。 そして、コスプレと思っていた男性は……。

オメガに転化したアルファ騎士は王の寵愛に戸惑う

hina
BL
国王を護るαの護衛騎士ルカは最近続く体調不良に悩まされていた。 それはビッチングによるものだった。 幼い頃から共に育ってきたαの国王イゼフといつからか身体の関係を持っていたが、それが原因とは思ってもみなかった。 国王から寵愛され戸惑うルカの行方は。 ※不定期更新になります。

処理中です...