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04.魂の価値
しおりを挟むこの国で同性愛は蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われている。
だから異端とされる性志向は隠されて、同性の恋人がいても誰かに話すことはほとんどない。
無理矢理に異性と交際、結婚する同好の士も珍しくない。
トビアスのように自分の志向を隠さない人間はとても稀有だ。
だから俺の相手が同僚だということは誰も知らなかったし、俺も誰かに言うつもりはなかった。
それを逆手に取られてしまうなんて。
今考えればあいつはきっと、生粋の同性愛者じゃなかったんだろう。
いわゆる、男女両方いけるタイプ。
それなのに俺は、職場という狭い世界に同じ気持ちを分かってくれる相手がいるとのぼせ上がって、身も心も捧げるなんて一人で盛り上がって、警戒することなど考えもしなかった。
女相手に浮気されていた上に、俺が心血を注いで作った精霊召喚に関する理論を丸ごと横取りされあいつの名前で発表されるまで、俺はなんにも疑っていなかった。
あいつにとっては良いカモだったし、きっと俺のほうが浮気相手だったんだろう。
いや、恋人の類にカウントすらされていなかったかもしれない。
闇の精霊を呼び出して契約し、この星の半分だけでも壊滅させたいという気持ちは、結局のところ私怨だ。
あいつの名前で世に出た召喚術も、精霊を使役する人間がいなくなれば意味がなくなる。
焦土と化したこの国や近隣諸国には精霊も寄り付かなくなるだろう。
そうなればあいつの虚飾の栄誉なんてなんの価値もなくなる。
────なんて、生々しく醜い捨てられ男の湿っぽい愚痴をクロに聞かせるつもりはない。
俺は大幅に事実と心象を削って、簡潔に述べた。
同僚と恋仲だったこと、その関係につけ込まれて研究成果を奪われたこと。
しかし言外に滲む俺の憎悪は、昏い感情を好む闇の精霊には筒抜けだったかもしれない。
「人間の中にも悪辣な輩がいるとは知っていたが、おまえの元恋人がそうだったとはな。男を見る目がない」
「うぅっ……改めて他人に言われるとつらい」
「だが、人間の恋情やら性愛というものは判断力を曇らせるという。私は今のおまえの魂の在り方が嫌いではない」
「俺の、魂の在り方?」
精霊にはそんなものまで見えるか。
俺はなんとなく両手を広げて胸を開いて見せ、俺の魂がどうなっているのか尋ねた。
「おまえの魂は今、原形が見えないほどに闇で覆われている。憎悪、嫉妬、不満……痛み、疲労、不安といったものもあるな。魂の周囲に漂うものだけで、低級の精霊ならば腹一杯になりそうなほどだ」
「そ、そんなに?」
「そうでなければ私は喚べない」
偉そうに言い放つクロに呆れかけて、たしかにそうだと納得する。
彼が精霊として突出した存在であることは間違いない。
魔術師塔の同僚たちも、すれ違っただけで軒並み気圧されていた。
俺が何かすれば真っ先に嫌味を言いに来そうな上司ですら、遠巻きに見るだけで近寄ってもこなかった。俺に声をかけたのは友人であるトビアスだけだ。
そんな強力な闇の気配を好む精霊を引き寄せられるほどの悪感情が渦巻いていたとは……我が事ながら恐ろしい。
闇精霊の召喚という、魔術師独自の方向に突っ走っていなければ、俺は今頃何かの罪で捕まって投獄されていたことだろう。酔って暴れて器物損壊とか、傷害とか。
「俺、クロを喚べてすごくラッキーだったかもしれない……」
「今頃気づいたか。理解したのなら、もっと私好みに魂を磨き、魔力を貯めろ。魂を捧げるその時までな」
「わ、わかった。でも魂を磨くなんて、どうやって」
ふん、と鼻を鳴らす気位の高い精霊に、報いたいと思った。
闇の精霊の好みに合う魂にどうやってなればいいのかは見当もつかないが、このままでいいのだろうか。
破壊を望む心の声は、今もうるさいくらいがなりたてて俺を苛んでいる。
クロは「そんなこともわからないのか」と言いたげな視線を一瞬投げかけて、すぐに逸らした。
精霊には手にとるようにわかるという魂の感覚が人間にはわからないと、この聡明な精霊はすぐに思い当たったに違いない。
どっちにしろ見下されてるけど。
「無理に魂の質を上げようとしても、魂の感覚を持たない人間には難しいだろうな。おまえの場合は、何もしなくても良いかもしれん」
「何も?」
「私を召喚したのだから、おまえは今後嫌でも私の影響を受ける。知らずのうちに魂は汚染され、堕落する。熟した頃には私の腹の中だ」
「なんか……すごく怖いこと言ってない?」
クロの視線がはっきりと、俺を見下すそれに変わった。
「何を今更。私を喚び出したこと自体、神をも恐れぬ大罪に決まっているだろう」
湿気た裏庭を抜け出し帰途につく。
あのあとクロはどういうわけかさっさと姿を消した。
人間が目視できない精霊体になって、俺のそばから離れたらしい。
契約しているとは言っても、俺とクロとの間のものは隷属契約ではないしお互い自由だ。外出なども当然するだろう。
(大罪、か)
彼の言う通りだ。
俺はこの世界に不可逆の混沌と破滅をもたらそうとしている、罪人予備軍だ。
闇の精霊を呼び出したくてほうぼう文献を漁ったときに何度も目にした文言を思い出す。
神に背き、光溢れる場所を追われ堕落した精霊は、闇を司り人間の魂を喰らう────。
クロの言い草から、彼が俺の魂を何らかの方法で取り出し、奪うことはできるようだ。
でも、己の魂を差し出して願いを叶えること自体に後悔はない。
「ぅ、げほっ、ごほ……」
急に喉元に迫り上がってきた不快感を散らすため、口に手を当ていくつか咳をする。
背中を丸めて咳き込んでいるうちに、足元がふらついてよろけた。
すぐ傍にあった壁に手をつくと、壁面に赤い液体がべったり付着してしまう。
(一月、か……間に合うかな)
鉄臭い匂いが口いっぱいに広がっているのを不快に思いながら、足早にその場を離れた。
(気弱になるな。契約を果たすその日まで、生きるんだ)
自分の血で汚れた壁から目を逸らすように、急激に重く倦怠感の出てきた体を引きずって家への道を行く。
胸にあるのはただ、クロと共に願いを叶える未来の自分の輝かしい想像図だけだった。
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