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本編

21.末日

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 他人を部屋に上げるなど初めてだ。
 いきなり緊張してきたが、玄関ドアの前に立っている今はもう手遅れである。

「幽霊でも出そうな宿舎だな……」
「今のところ魔物は見かけていません」
「……そうか」

 マオの言葉に安心したとは思えないが、モノベはそれ以上何も言わずマオの家に上がり込む。
 敷きっぱなしの布団を慌てて収納に押し込むと、ワンルームの部屋は多少マシに見えた。
 床の掃除はしてある。衣類やゴミは転がっていない。
 そこら中に本が散らばり積み上げられている現状は無視した。
 それにモノベの関心は部屋の汚さではなく、申し訳程度についているキッチンの方にあるらしい。

「なるほど、部屋とキッチンが分かれていないのか。料理しにくいな」
「そうなんです」
「もっともアンタはキッチンが分かれてても料理しそうにないが」
「……」
「調味料がほとんどない。冷蔵庫も空っぽだな。ゴミ箱に空のケースもない。昨夜は何を食べた?」
「……」

 まるでテレビの中の探偵のごとく名推理を披露され、マオは黙った。形勢が不利すぎる。
 マオの反応でだいたいのことを察したのか、モノベは再び深々と溜め息を吐いて、持ってきたビニール袋を広げる。
 いつの間に買っていたのか、中にはいくつかのお惣菜と缶ビールが入っていた。

「炊飯器がないのは予想外だった。おかずばかりですまないが、ツマミだと思って食え」
「ありがとうございます」

 一人用の小さなテーブルいっぱいに温めた惣菜を並べ、モノベと酒を酌み交わす日が来るなんて思ってもみなかった。
 缶ビールを煽りながら、掃き出し窓の向こうを眺めているモノベが何を考えているかはわからない。
 思ったより小言が少なくて、マオは安堵しながら箸を伸ばした。
 きんぴらごぼうなんて食べるのはいつぶりだろう。とてもおいしい。
 遅いペースながらも食事を進めるマオを、いつしかモノベがじっと見つめていた。

「あの日、なんでアンタは死んだんだ」

 唐突な問いだった。
 マオは一瞬固まって、前世の話だと気づく。

「……すみません、死んだ日のことはあまり覚えていなくて」
「俺と最後に会ったときのことは覚えているか? そのときは元気そうに見えた」
「えぇと……たぶん覚えてないです」

 終わりの日の付近の記憶は曖昧だ。
 おそらく死はマオにとって衝撃的な体験だっただろうから、防衛本能的な作用で忘れてしまったのかもしれない。それももう何年も前のこと。これからもどんどん薄れていく記憶となるだろう。
 モノベはほんの少し悲しそうな顔をした。

「アンタはあの日、自分から俺の手を取った。こんな風に」

 箸を持っていない左手を絡め取られ、マオは困惑する。
 そんなことをした記憶はない。ましてや、マオから彼に触れただなんて。

「それから名前を呼んでくれた」
「えっ、あなたの名前……?」
「……やはり覚えていなかったか。アンタ本当に人の名前覚えないよな」
「う……どうしても覚えられないんです。改善努力はしています」
「まぁ、仕事で困らないならいい。……ゆうと、呼んでくれ。真央まお
「ゆ、ぅ」

 マオの口から押し出されるようにこぼれ落ちた一音は、たしかにユウと形作っていた。
 少しだけ口角の上がった唇がそっと押し当てられる。
 マオは覚えていない、あの日触れられなかったそこに口づけられたことにユウは内心とても感動していたが、なんとか押し隠した。

「真央。俺はこの世界ではフリーだ。前世を思い出してからは誰とも交際していない。一生アンタだけだと誓う」
「ちょ、早まってはいけませんよ」
「早まってない。この思いは前世からの数十年モノだ。逃す気はない」
「えぇ……」
「今後、魔力吸収は全部俺がやる。それ以外でも、誰かが真央に触れるのは嫌だ。真央も俺だけにしてくれないか」
「えぇと、本部長にはもうお願いしないことにしました……」
「そうか。嬉しい。ありがとう真央」

 ユウは本当に嬉しそうにマオを抱きしめた。
 間に衣服があるのに、ユウの体温を熱いくらいに感じる。
 人肌なんて気持ち悪いと思っていたはずなのに、彼の熱にはすっかり慣らされてしまった。いやむしろ、心地よいとまで思えてくる。
 そろそろと腕を上げ、ユウの背に回してみる。
 ぎゅっと抱き締められる強さが増して少し苦しいくらいなのに、嫌悪感はなかった。

(死ぬ前の私も、こんな気持ちだったのかもしれない)

 誰とも繋がりを作ってこなかったマオが、最後に知った彼のことを、少しでも忘れたくなくて自ら手を伸ばしたのだろうか。
 強張った体をゆっくり動かして自分の手を見つめ、ふと何かを思い出した気がして瞬いた。

「あ……そうだ」
「真央? どうした」
「思い出しました。死んだ日のこと」

 急速に現実感が遠くなり、かつて囚われていた神殿の泉に意識が引き戻されていく。
 あの日────マオは勇者に手を伸ばした。
 それはユウ……ユークリッドの目に確かな「欲望」を見つけたからだった。
 魔王として正しく民を導いてこられたかといえば疑問だったが、マオ自身は常に魔王として職務を全うしようと努力してきた。
 だから職責がすっかり身にしみついてしまっていたのだ。
 求められたから、与えた。

「その結果、えぇと、あの日あなたが帰ったあと妊娠していることに気づいて」
「……は?」
「子を奪おうとする神官と戦ったときの消耗が原因で死んで、転移したようですね」
「いや待て、子、って」
「話しませんでしたっけ? 魔族は色々な方法で生殖するんです。私は木なので、『種』や『接ぎ木』のような方法で殖えることができます。ただ単為生殖ではないので、他者の魔力をもらったときだけですね」

 木の魔族は、地に根を張って根から新しい木を生やせばいくらでも殖えることができる。
 だが、それらはあくまでクローンだ。
 多様性のために別の因子や素養を持つものと子を成そうとする場合は、自身の同意、そして相手の魔力を必要とする。
 おそらく神殿はそれを知っていて、勝手に魔力を流してもマオが同意しない限り意味がないため、強硬策を取れずにいた。
 そこで勇者に協力を依頼したのだろう。
 魔王と面識があり、それでいてお人好しな彼に。
 そして最後の日、マオは心からユークリッドを受け入れ、流れ込んでくる魔力を心地よく受け止めて……小さな命が形を成した。成してしまった。

「そのときの『子』は、どうなったんだ」
「さすがに転移には連れてこられなかったみたいですね。戦いで守りきれた自信がありませんし、どのみち母体がなくなってしまったのでそのまま成長できず枯れたと思います」
「……っ」

 ユウはおもむろに目元を覆って、震え出した。
 まるで泣いているかのような……いや、事実彼は涙を流していた。

「モノベさん、悲しいのですか?」
「悲しいに決まってるだろう! 小さな子が、生まれることもできず、人間の勝手に巻き込まれて、……っ、親にも忘れられて……!」
「木は種を振りまいても成長できるのは1パーセントと言われていますから、芽が出なくてもそういうものなのですが」
「アンタはそういう考えなんだろうな……俺はそこまで割り切れない」

 ぐいぐいとシャツの袖で顔を拭うユウにマオは手を伸ばしかけたが、引っ込めた。
 彼を慰める資格がないように思えた。
 少し目元が赤くなったものの、いつも通り目力のある顔に戻ったユウは、缶に残ったビールを勢いよく飲み干した。

「今の話で、真央のことがよりよく理解できた。きっとアンタは恋とか愛とかいう情を、知らないか、持てないんだろう」
「はぁ、そうかもしれません」
「だが俺は諦めない」

 ユウの目には不思議なくらい決意が満ち満ちていた。

「アンタは特別に俺を好きなわけじゃないのに、どうしてあの日、子どもを作る行為を許したんだ」
「モノベさんがそれを求めていたから、ですかね」
「……わかった。今はそれでいい。これからじっくり時間を掛けて俺ナシではいられないようにしていけばいいんだ」

 なんだかすごいことをぶつぶつ呟くユウにマオは引いた。
 なぜか繋がれたままだった手を離そうともがくと、逆にユウは顔を近づけてくる。

「それと、ふたりだけのときは勇と呼べ。今後もずっとだ」
「……はい……」

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