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本編

14.顛末

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 女神は帰還した。
 魂の譲渡または貸借の契約は成らず、ただ疲労だけが残った数日間だった。
 そして現在、マオはモノベと共に小会議室にいる。

「女神に何をしたのか、お聞きしても?」
「暗示だ。洗脳のほうが近いか」
「せ……」

 絶句するマオをちらりと見遣ったモノベは、「あぁするしかなかった」と呟き腕をこまぬく。
 ばつの悪そうな顔をしているだけ良しとするしかない。
 実際、女神はてこでも動きそうになかった。
 正攻法が通じないなら邪法を使うしかない。それくらいのことは、長く社会人をやっていればマオとて心当たりがある。
 それにしても今回は邪法の中の邪法だ。
 この世界にないはずの魔術を使った誘導。しかも相手は神。ほぼインシデントだ。本部長や係長に詳細を尋ねられたらどう返せばいいのやら。
 痛み始めたこめかみを押さえるマオに、モノベは平然と手のひらを翳してきた。

「アンタ、自己治癒は苦手なんだな」
「そんなことをしている場合ではありませんよ。……もう痛くないです、ありがとう」
「……はは」

 怒っているのに律儀に礼を言うマオがおかしかったか、モノベは小さく笑った。
 先程マオが譲渡した魔力は全体の4割。一般魔族の感覚で言えば一生分以上の量だ。
 そのほとんどを使った精神感応魔術は、確かに洗脳と呼べる手法だった。

「魔力を込めて口に出した言葉を聞いたものは『真実』であると思い込む。強制力が強い代わりに効果は短い。センテンスが少なければ少ないほど、魔力を多く込めれば込めるほど効きが強いが、今回は格を下げてるとはいえ神相手だし、一時間も持たなかっただろうな」
「……なるほど。後遺症は?」
「支配されてたのと同じくらいの時間、思考が散漫になる。長期間になると廃人になるやつもいるが、今回は短時間だ」
「危険な魔術ですね……人間はどうしてこう恐ろしいものを生み出すのか……」
「弱いからな。搦手でなんとかしようとする」

 モノベが素直に術の詳細を開示したので、マオも女神を出禁処理したことを告げた。
 また、本部長経由で抗議も行った。
 この抗議は「創生神」と名乗る神を生み出している上位存在に向けられているので、効き目は期待できる。
 本来はこの上位存在に女神を回収させるつもりだったが、今回はこちらが自力で対処したことで彼らに貸しを作ることになったはずだ。
 対応の不味さを本部長に責められたら、この点で丸め込むしかないが……。

「なぁ」

 思考の海に沈んでいたマオを、モノベの声が引き上げる。
 思ったよりモノベの金眼が近くにあって、マオはやや仰け反った。

「な、なんですか」
「魔族は粘膜接触の魔力譲渡って、普段からやってたのか」
「は?」

 まさかそれを蒸し返されると思わず、変に裏返った声が出た。

「し、知りませんよそんなこと。親しい魔族同士ならすることもあるのではないですか」
「じゃあ、アンタはしてたのか」
「するわけないでしょう!」
「してなかったのか。一度も?」
「あ、当たり前です! 私のような魔族に触れようとするものなど、あなたくらいしか、」

 なんだかものすごく変なことを告白させられている気がして、マオは口をつぐんだ。
 なぜ責めるような口調でこんなことを言わされているのか。
 マオが他者と接することが少ない生き方をしてきたのは事実だが、それは魔王の性質どうこうではなく、マオ自身のコミュニケーション状況によるものだった。
 当時の自分がいかに求心力のない魔王だったか実感させられるようだ。
 そういえば、少し前にもこんな会話をした気がすると思う。
 あれはそう……マオがキヌガワに魔力を吸ってもらっていると明かしたときだ。

「よし。次から魔力は粘膜接触で渡せ」

 また頭が痛くなりそうなことを、なぜ平然と言えるのだろうかこの男は。

「どうしてそうなるんです?」
「アンタ、三日空けただけでまた顔色が悪くなってた。もう少し吸収量を多くすれば体調管理が楽になるだろう。手で受け取るには限界があるし効率も悪い」
「で、でも……」
「アンタもずっと手握られてるより、もっと短い時間で済ませたいんじゃないか?」

 そこを突かれると反論しにくい。
 今のところ、マオがモノベを昼食時に独占していることに対するやっかみや批難は聞かない。
 しかし耳に入らないだけで、すでに給湯室や女子トイレなどで話題になっている可能性はある。とても聞いていられないようなことを言われているに違いない。マオが。
 そのうえ彼とおもむろに手など握って食事しているところを見られたら。噂されたら。

「いやいや。あなたと、き、キスしているところを見られるほうがまずい」

 一瞬流されそうになったがなんとか持ち直す。

「粘膜接触での譲渡なら一瞬だろ。長くて十数秒だ。会議室のドアにへばりついて覗くようなやつがいるならともかく、見られるわけがない」

 なんでこいつは手繋ぎよりキスのほうに乗り気なんだ。

「私は男ですよ? 一応魔族にも人間と同じような性別があるんですが」
「知ってる」
「男とキ……粘膜接触するの、嫌でしょう?」
「嫌ではない。一回やったら二回も三回も変わらん」
「そもそもの話ですが、モノベさん、あなたが私の過剰魔力を吸う必要はないんです。なにもそんな無理をしなくても」

 そのとき、モノベの金の瞳が初めて細められた。

「俺がしなくなったらアンタ、また本部長に頼むつもりか」
「そうですが」
「それは、許可できない」

 腕を強く引かれ、ぶつかりそうになったマオを、モノベは思いのほかやんわりと抱き止めた。
 咄嗟に目をつぶったので、唇に重ねられた人肌がモノベの唇だったかどうかわからない。しかし確かに魔力が減った。
 目を開けた頃にはモノベは離れていた。それでも適切距離かと問われれば、ものすごく近い。

「二回も三回も同じだったろう?」
「わ……わかりません、最初も、今も、なにがなんだか」
「そうか?」

 どうしてこの男は平然としているんだろう。
 まるで小さなことにこだわるマオのほうが悪いと言わんばかりに、モノベは堂々としている。彼はいつだってそうで、いつだってそうだった・・・
 ────あぁ、頭が痛い。
 しかし今頭痛を示すような動きをすれば、また彼に癒されてしまう。そしてまた魔力を渡さなければならなくなるかもしれない。
 マオは深く瞼を下すことで鈍痛に耐えた。

 いつものように定時を過ぎて退勤し、帰宅したひとりぼっちの部屋。
 夕食を食べる元気はあまりなかったが、仏頂面の男が顔色だなんだとうるさいことを思い出し、調理済みサラダをひとつだけ買ってきた。
 ほんの数口で終わってしまった夕食だったが、何も食べないよりマシだろう。

「あぁそうか、あの女神が使ってた部屋の片付け……」

 女神はマオの二軒隣の部屋に入居していた。
 前の住民が調度品をほとんど残して出ていった部屋で、少し掃除すれば一時滞在くらいはできるからと鍵を渡され、マオが大急ぎで設えた部屋だ。
 いくらなんでも室内設備が揃いすぎて、あの部屋の元住人は退去ではなく夜逃げか、もしくは……と思いながら掃除した数日前を思い出す。
 女神といえば、モノベだ。

「あー……」

 あの男の顔を思い浮かべると憂鬱になる。
 彼は男相手にキスするなどなんともないと言っていたが、マオの意志はどうなのかと問いたかった。
 なんせマオは、今世だけでなく前世でも他者と粘膜接触したことがない。
 魔族は粘膜接触で魔力を受け渡しできるというのも、一般魔族兵時代に周囲がそうして魔力を融通していたというだけで、相手がいないマオには縁遠いものだった。
 そもそもマオは他者に魔力を渡す必要などなかったし、もらう必要はもっとなかった。
 誰に対しても興味が薄く淡白だったから、魔族仲間からはほとんど相手にされず、何かを誘われたことがない。魔王となってもそれは変わらず、結局妻帯しないまま生涯を終えた。
 この世界に突如現れた監視付きの転移者であることから、この世界で出会いを求めることも難しいだろう。
 だからマオに触れたのは、正真正銘モノベだけなのだ。

「……やっぱり手のひらから受け渡しに戻せないか、もう一度打診しよう」

 口に出してみても成功率の低そうな賭けだった。
 敷きっぱなしで埃っぽい布団にくるまり目を閉じる。
 眠りの中にも平穏のないマオは、まんじりもせずただ夜を越えることしかできない。
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