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後天性オメガの不合理な結婚

8.心もつながる

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______


 気怠い空気で満たされたベッドルームに久我と二人。
 これはわりとよくあるシチュエーションだ。発情期明け、俺の意識が目を覚ますとだいたいこんな感じ。いつもと違うのは、場所が互いの家ではなくホテルの一室だということだけだ。

「……久我、暑い」
「えー」
「離れろ」
「もっとくっついてもいいですか?」
「なんでそうなる」

 そしてイエスともノーとも言っていないのに背に回された腕が力を強め、俺はさらに久我の胸に密着することになる。
 俺の照れ隠しなんてなにもかもお見通しと言わんばかりだ。
 たった一年ちょっとの付き合いでそこまでバレてしまうものなのだろうか。それとも肉体言語というものの為せる技か。

「実はね、真嗣さんが不安がってるっていうの、田淵さんから聞いてたんです」
「え? 叶斗?」

 俺は目を丸くした。
 たしかに久我と叶斗に面識はある。オメガだけの集会の帰り、叶斗と久我は俺を介してお互いを知った。
 だが彼らが連絡先を交換した様子はなかった。
 さらにあのあと俺と叶斗はそれなりの頻度で交流していたが、彼から久我について言及されたこともない。

「あの日、真嗣さんを田淵さんから引き剥がしたあと、どのタイミングだったのかわからないんですけど、ポケットに名刺が入ってたんです。田淵さんのプライベート番号が書かれたやつ」

 久我は当初驚いて訝しんで、すぐには連絡しなかったらしいが、結局互いに連絡を取り合うことになったという。
 叶斗は第一印象がチャラ男で、話してみてすぐにそんな人じゃないと思わされたが、実際はチャラ男のほうが本性なのかもしれない。なんだその早技。普段からプライベートナンバーを書き足した名刺を持ち歩いてるってことなんだろうか。

「連絡したら第一声が『あなたのことを誘惑するとかそういうのじゃないんで』って言われて、思わず笑っちゃいましたけど」
「じゃあなんで連絡取り合ってたんだ?」
「自分と同じ後天性オメガの真嗣さんを心配して、ということみたいですよ。正確には、真嗣さんに付き纏っているらしい男の正体を見極めるつもりだったとか」

 さすがというべきか、彼は短い間にそこまで見抜いていたのか。
 オメガは自分の身を守れるのは自分だけという強い警戒心によって、第六感じみた危機回避能力を発揮することがあるというが、異能じみた判断力だ。

「俺と番契約を結んだようなのに、幸せそうにしていた期間はほんの少しで、最近は特に思い悩んでる。番を大切にできないのならいっそ身投げでもしろってめちゃめちゃ怒られました」

 苦笑する久我に、俺は唖然とするしかない。
 穏やかな口調と物腰のオメガらしい男である叶斗が、そんな恐ろしい罵声を浴びせる場面など想像もつかない。
 結局俺が不安に思っていたことの大半は勘違いから来るもので、久我に非はなかった。慌てて謝ったが、久我は首を振る。

「いえ、あなたを不安がらせたのはやっぱり俺の責任です。もっと早く結婚を切り出しておけば真嗣さんがここまで思い詰めることもなかった」

 枕元には細切れになった紙の山がある。田淵医師から渡された同意書はさっき久我の手によって跡形もなく破かれた。
 俺が一人で勝手に暴走したのに、久我は愛想を尽かすことはなく、結婚の約束も白紙にするつもりはないという。

「そもそも、本当に俺でいいのかよ」

 番契約を結ぶ前にもした問い掛けを繰り返す。
 あの時も今も、自分が誰かの特別に選んでもらえるということを信じられないという思いが根強い。

「え、今更なにが不安なんですか? 苗字は無理に変える必要ないですし、家は引っ越しますけど真嗣さんの意見をちゃんと反映させますし、職場には報告しますけど辞めろとは言われないでしょうし……俺の給料が低い点については、将来を期待してくれとしか言えませんが」
「い、いや、そんなことを不安に思ってるわけじゃないが」
「じゃあ問題ないですね。俺は真嗣さんのこと愛しちゃってますから」
「あ、あい……っ」

 思考がフリーズした。
 さっきも久我の口から飛び出した言葉なのに、威力は桁違いだ。
 きっと先程の発言は「俺が久我を」だったのに対し、今回のは「久我が俺を」だからだろう。
 好き、では図りきれない心の有様。久我も俺にそんな感情を、抱いていてくれたのか。ちょっとすぐには信じられないような、俺にとってばかり都合がいい展開の気さえしてくる。

「真嗣さんも結婚を承諾してくれるのなら、俺のこと特別に好きなんですよね」
「え、あ、」
「言ってくれないんですか?」

 たかが言葉だ、ここは役者にでもなったつもりで久我の想いに応えてやればいい。嘘を言うのではないのだし。
 そう思うのに、口を開いても空気がでるだけで、なのに勝手に顔が熱くなってくる。
 言えない、最初の一文字も言えない。
 無理やり体を捻って反対側を向き、久我に背を向けた。顔を見なければ言えるかもと思ったのに、背中に感じる慣れた気配にすら緊張してしまってダメだった。
 いつも客先で説明するときのように、なんでもないように言えばいいだけなのに。
 陸に打ち上げられた魚みたいにぱくぱく口を開閉していたら、焦れた久我に背を包み込まれた。再び密着する形で、薄い皮膚に隔てられた鼓動が直に伝わってくる。俺の心臓の音も聞こえてしまっているのなら、言わなくても気持ちなどダダ漏れだろう。

「かわいい、真嗣さん」
「ひっ!」

 耳殻を食まれ、舌を這わされて悲鳴が漏れる。軽く歯を立てられたり、耳朶を吸われたりすると体が小刻みに跳ねた。
 おかしい、こんなところで感じるわけないのに。

「あぁ、う……」
「もう一回しましょっか」

 横向きだった体を仰向けさせられて、視線が絡む。
 もうできないと首を振ったのに、口づけられて抵抗も叶わなかった。久我にキスされると力が抜けて、俺の頭はポンコツになってしまう。

「先輩が素直じゃないことは分かってます。でも言葉にしてもらわないと不安になることもあるから」
「……ぁ……」
「だから気持ちが同じだって、もう一度確かめたい。……いいですよね?」

 そんなふうに言われたら今度こそ拒めない。
 そろそろと腕を持ち上げ、久我の首に回す。こんなのは了承したと言っているのと同じだ。案の定久我は嬉しそうに笑って、深く気持ちのいいキスを与えてくれた。

「あ、そうだ。愛の告白を待ってあげる代わりに、俺の名前呼んでください」
「……久我の、名前……?」
「え、ちょっと、なんですかその顔は。俺の名前把握してないんですか!?」

 わざとポカンとした顔をしてみせると久我は本気で慌てて、思わず笑ってしまった。
 揶揄われたことが分かってしまったか、口をへの字に曲げて見下ろしてくるこいつがとても、愛おしい。

「冗談だよ……つかさ
「良かった。愛してます真嗣さん。俺の番はあなただけがいればいい」
「んっ、あ、ぁ」

 さっきまで散々繋がっていたそこは、未だ熱を持って柔らかく、久我の指をなんの抵抗もなく飲み込んだ。縁がじんじんとしびれる。
 自分から脚を開いて受け入れると、すぐに太くて硬い久我自身が入ってくる。

「司、つかさ……」
「ふふ、言葉にされなくてもいっぱい気持ちが伝わってきます。真嗣さんの体は雄弁ですね」
「んな、エロオヤジみたいなこと、ぁ、あっ」
「そんな真嗣さんも好きだってことですよ」

 すぐに腰を動かされて、俺は喘ぐだけの獣と化す。発情期でもないのに男を受け入れていることに感じていた違和感も、今は遠い。
 それに、こいつだから。
 他の誰かじゃない、番の久我だからこそ、俺は受け入れられるんだ。
 皮膚から汗がじわじわ浮かんでくる。内壁のどこを擦られても気持ち良くて、久我にしがみついた。触れた肌も汗ばんでいて、見上げた表情は快楽に溶けかけていた。
 俺だけじゃなく、久我も気持ちいいんだ。嬉しい。

「も、イきそ、つかさ、イく───」
「っく、俺もです……っ」
「あぁっ!」

 熱い飛沫で奥を満たされる感覚で、俺も熱を解放した。アルファの射精は長い。しばらくは息を整えながら、心と体を満たしてくれる幸福感を味わう。

「真嗣さん……」
「ん」

 暇を持て余すように唇を啄み合っていると、久我が見つめてきた。いつも見慣れた、少し甘えた表情。

「やっぱり愛の告白、してくれませんか?」
「……なくてもいいって言ったじゃないか」
「見栄張ってかっこいいこと言っちゃいましたけど、やっぱりほら、想いが通じ合った今日くらいは、年上の余裕ってやつを見せてもらいたいなぁって」
「……ふ、馬鹿だなおまえ」
「ひどい!」

 最後まで締まらないやつ。アルファならいつでもかっこよくいてほしいものだ。
 でもそんな久我だからこそ、俺だけのアルファなんだろう。
 首に回した腕にぐっと力を入れて、耳元に口を寄せる。
 他の誰にも聞かせない愛の告白を囁いて、恥ずかしくてそのまま耳を噛んでやった。「いてぇ!」とちょっと飛び跳ねた久我はとても嬉しそうで、この先いつまでもこんな日々が続くという幸運を噛み締める。

 出会いは劇的じゃなくて、番になった理由も色気などなかった。
 ようやく心が繋がって、俺たちは本物の番になれた。
 そしてこれからも、たまにすれ違ったり、喧嘩したりしながら、俺たちの人生は続いていく。すれ違っても喧嘩しても、二つに分かれることだけはない道の上で。


おわり

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