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後天性オメガの不合理な結婚

2.情報収集

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 今後の方針は決まった。
 しかし久我と番を解消するとなったら、オメガである俺の負担は大きい。最悪の場合狂ってしまうというのだから、できればお互いに蟠(わだかま)りなく円満離縁したい。
 そのためにはまず情報収集だ。

「珍しいね、こんなに急に会いたがるなんて」
「悪いな叶斗かなと。忙しかったか?」
「んーん、僕は平気」

 仕事帰りに待ち合わせをしたのは、田淵叶斗。
 男性オメガ、それも俺と同じ後天性で、兄はバースを専門に取り扱う医者だ。親しくなってから初めて知ったが俺と同い年らしい。
 叶斗とは、オメガの集会で出会った。
 初対面ではうさんくさそうだと思った印象がウソのように、今では最も打ち解けて話せる相手だ。同い年であることだし、敬語で接するのもいつしかやめた。

「店は僕が指定させてもらったけど、こういうとこ大丈夫?」

 叶斗が指定してきたのは、飲み屋が多い繁華街のやや奥まった場所だった。行きつけのバーがあるという。
 俺は、逆になぜ叶斗が俺の顔色を窺うのか不思議だった。どんな店に連れていくつもりなのか訝しむ。
 実際に店に入ってみて、やっと理由が分かった。

「ここは、オメガ専用バーなのか?」
「んー、正しくはゲイバーだよ。恋愛の相手に男性を選ぶ人が集まる店。でも必然的にオメガの出入りが多くなってるね」

 叶斗が苦笑してスツールを指差す。背の高いそれに腰掛け店内を見回すと、たしかに客はオメガだけではなさそうだった。
 シックなダークブラウンで統一された店内は、一見すると落ち着いた雰囲気のオーセンティックバーだ。客も騒いだり大声を上げたりする層ではなく、カウンター席で酒を楽しむのが目的に見える。
 ただ違うのは、オメガの比率が高いこと、初対面の客同士が積極的に接することが推奨されていること。
 一般的にどのバースでも、社会人で特定の相手がいない場合はこういう店で目当てを探すものらしい。
 オメガ専用でもゲイ専用でも、どちらにしろ俺にとっては未知の空間だ。照明が抑えられた店内を興味深く観察していたら、叶斗に笑われてしまった。

「この店なら内緒話もしやすいし、僕以外のオメガに話を聞くのもかんたんだからね」

 まだなにも話していないのに、叶斗の指摘は鋭い。

「……なんで俺が悩んでること、わかったんだ?」
「ただの勘だよ。山本さんに悩みがないなら、この店の愉快な仲間たちを紹介するだけでも良いし」

 いたずらっぽく微笑む叶斗は本当に気遣いが上手い。
 穏やかでおおらかな兄の田淵医師とそっくりで、心のうちをなにもかも吐露してしまいそうになる。俺はその衝動をぐっと堪えて、叶斗が注文してくれたカクテルに口をつけた。

「お。美味い……」
「ありがとうございます」

 静かな声が差し込まれて瞬きすると、カウンターの向こう側でバーテンダーが小さく会釈した。反射的に頭を下げて返し、空気のように馴染んでいる店員の存在にやっと気がつく。
 静かに一人飲むときは寄り添い、他の客と喋るのなら気配を殺して背景に徹することができる人だと感じた。彼がマスターなのだろうか。
 叶斗は聞き上手なだけでなく、店選びにも良い目を持っているらしい。
 美味い酒と気心の知れた友人の存在に、肩の力がすとんと抜けた。円錐型のカクテルグラスにもう一度唇をつけると、口当たりの良いさわやかな甘味が舌を潤していく。

「───それで、山本さんは番を解消するつもりなの?」
「んー……向こうからは言ってこないだろうな。だからこそ、いざというときにオメガが一人でも対処できる方法があれば知りたい」

 慎重に言葉を選びながら久我との現状を話し、自分の考えを伝えた。
 案の定、叶斗は難しい顔で黙り込んでしまう。
 聞くともなしに近くに佇んでいたマスターも厳しい表情をしていて、俺は苦笑するしかない。
 オメガにとって最も憎むべき相手は、同意を得ずにオメガを手籠にするアルファと、番ったのちにオメガを捨てるアルファだ。自分たちをモノのように扱う相手にオメガは容赦なく嫌悪を向ける。
 ただ、俺たちの番が合理性に基づいた互いの利益のためのものであるということは、叶斗には教えてあった。
 そのときも今と同じように良い顔はされなかったが、俺の考え自体は「尊重する」と言ってくれた。
 そんな叶斗だからこそ相談をしたいと思ったのだ。

 久我と番を解消すれば、俺の発情期を治めてくれる相手はいない。だからその間は薬を飲み、なんとか症状をやり過ごすしかない。
 発情期間が伸びるだろうから、今の仕事を続けることは難しくなるだろう。それでも事前に配置転換を願い出れば、今回ばかりは拒否されないはずだ。
 それに抑制剤も、昔は粗悪なものしかなかったり、副作用が強すぎたりしたらしいが、近頃はそうした事情も国の介入などで随分マシになったと聞く。叶斗であれば、その辺りのことに詳しいのではないかと思ったのだ。
 久我と番を解消したからといって、むざむざ狂ったりしてやるほど俺は弱気でも健気でもない。
 すでに噛み跡がある以上、新しい番を得ることは難しいだろうからこそ、精一杯できることをやるつもりだ。
 俺が自暴自棄になって言っているのではないと伝わったのだろう、叶斗は大きめの溜息をこれ見よがしに吐き出して、いくつか抑制剤の名前を挙げてきた。

「ふつうの抑制剤は、番が未だいないオメガと、番はいるけど一時的に発情を抑えなければならないオメガのために作られてる。番を失ったオメガに対する抑制剤の分野はまだ弱いんだ」

 すでに存在している「番を失ったオメガ」のための薬は、ほとんどが老年向けだそうだ。
 加齢によって妊娠能力がなくなったオメガが、番に先立たれた精神的苦痛を和らげることがメインとなっている。身体に作用するというよりは精神安定剤に近い。なので現在は不慮の事故などで若くして番を失った、未だ妊娠能力のあるオメガに対する薬の開発が急務だとか。
 今のところ自信を持ってコレと勧められるものはないし、もし開発されたとしてもすぐには保険が効かない可能性があるため、自分から番を放棄することは決して勧めない。叶斗ははっきりそう言った。

「でも、アルファから捨てられるオメガは確実に存在する。考えたくないけど、もし山本さんがそういう立場になったら、僕が手助けするから。兄さんも同じ考えだよ」
「……ありがとな」

 注文した二杯目のカクテルをくっと飲み干す。これも美味い。ゲイバーだという事実を抜きにしてもまた飲みに来たいと思う腕だ。
 心強い友人が味方についてくれるというだけで嬉しくなって、俺は三杯目を頼むことにする。

「ずいぶん調子良く飲んでるね、おにーさん」

 軽やかな声をかけられ振り向くと、隣の椅子に男が座ったところだった。
 細身だが背は低くなく、姿勢の良い体にやや着崩した服を身につけている。カジュアルな装いもだらしなくは見えず、洗練された印象だ。モデルのような男だった。
 ただモデルではないだろうと思わせたのが、ところどころ黒が見え隠れする真緑の髪だ。どちらかというとビジュアル系のバンドマンだろうか。

「やぁカナト」
「ミヤ。久しぶりだね」

 それにどうやら叶斗の知人らしい。それなら拒否する理由はないと、俺は少し体をずらして隣を譲った。

「さっきまで真剣な顔でなんか話してたのに、次の瞬間にはけっこう強い酒頼んでるし。びっくりして話しかけちゃったよ」
「あぁ。真剣な話は終わったからな」
「ふぅん。おにーさんオメガでしょ?」

 いきなり言い当てられ、たじろいでしまった。オメガ扱いされることはまだ慣れていない。
 俺の反応が面白かったのか、ミヤと呼ばれた青年は笑いながら首筋を指差した。

「項。噛み跡あるから分かるよ」
「あ、そ、そうだったな」

 思わず項を手で覆ってしまって、そんなことは意味がないと気がついてすぐに手を下ろしたのだが、叶斗とミヤには俺が慌てる様子をしっかり見られてしまっていた。

「変なの~。この人面白いね、どこで拾ってきたのカナト」
「拾ったんじゃないし、変なちょっかい出さないでよねミヤ。山本さんは真面目なんだから」
「そーだね、真面目そう。ヤマモトさんかぁ、ヤマちゃんって呼んでいい?」
(すごい馴れ馴れしさだ……)

 内心ちょっと引いたものの、そこは持ち前の営業用スマイルで乗り切る。その代わり、俺はこの店でヤマちゃんと呼ばれるようになってしまったのだった。
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