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11.唯一の相手

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 発情期のオメガとアルファがベッドの上にふたり。
 いざ、と思ったところで俺は、ベッドに横たえられ、薄い布団を肩まで掛けられ、寝る準備万端になっていた。

「……ん?」

 不思議に思って、ベッドの端に座って俺の髪を撫でている久我を見上げると、へにゃっとゆるく微笑まれる。

「抑制剤飲むと眠くなるんですって。一眠りしてからにしましょう」
「でも……おまえ、つらいだろ」

 抑制されているとはいえ、俺からはオメガの誘惑フェロモンが出ているはずだ。今も久我の頬は赤い。
 なのにつらそうな様子など微塵も見せず、久我は笑うだけだ。

「俺は大丈夫です。それより、抑制剤が効いているときに番契約を試みると、稀にうまくいかないことがあるらしいので、そっちのほうが怖い。しっかり薬を抜きましょう」
「そ、なのか。じゃあそうする……」

 しっかり根拠を説明されたせいか、穏やかな空気が部屋中に満ちているせいか、瞼がどんどん重くなって瞬きすら億劫になっていく。
 目を閉じる前に久我がなにか呟いていたのを聞き返したかったが、意識が溶けるように眠りに落ちてしまった。

 夢を見ていた気がする。極彩色の夢を。
 目の前が薄ぼんやりとしていて、彩度の低い景色で、やっとさっきまでの光景が夢だと気がついた。
 瞬きをしてもよく見渡せない。どうやら夜のようだ。
 胸の中に溜まっていた空気を吐き出して、吸って、突然体がバネ仕掛けのように跳ね起きた。
 ───アルファの匂いが充満している。自分の部屋じゃない!
 咄嗟に項を手で覆い隠し、ベッドから出た。アルファの匂いが色濃いベッドでぐっすり眠っていたことも今となっては信じられない。
 早く、ここから出なくては。今噛まれたら番にされてしまう。身も心も、疑いようもなくオメガにされてしまう。
 暗がりを手探りで歩き、細く光が漏れているドアを開けようとして、向こう側からそれが開けられた。

「あ、真嗣さん。起きたんですね」

 逆光の中に立っていたのはアルファだった。
 全身の血の気がざぁっと音を立てて下がっていくのが分かる。出口を塞がれた。逃げられない。
 一歩下がると、アルファが一歩室内に入ってきた。狭い部屋だ、三歩も下がればベッドに足が当たる。明確に追い詰められていく恐怖に、項を隠す手に力が入る。
 アルファの手が伸ばされた。肩に触れられる。

「っ……嫌だ! 触るなっ」
「真嗣さん?」
「嫌だ、近寄るな、噛まれたくない、俺はオメガなんかじゃない!」

 大きく一歩下がった拍子に足がもつれ、ベッドに逆戻りしてしまった。アルファがこちらを見下ろしている。怖い。大きい。気配が、存在が、項ごと押しつぶそうとしてくる。

「いやだっ……」
「真嗣さん落ち着いて! 俺です、久我です!」

 不意に周囲が明るくなった。
 驚いて見回すと、ベッドの横に立っている男の姿がくっきりと見える。俺と同じくらいの身長のそいつは、全然怖くも大きくもなくて、見慣れた、ここ最近は見慣れすぎていた人物だった。

「ぁ……くが……」
「すみません、怖かったですよね。ここには怖いアルファはいません。真嗣さんは俺が怖いですか?」
「……こ、怖いわけねーだろ、おまえなんか……」

 伸ばされた手を今度は避けなかった。肩を抱き寄せられ、体を預ける。
 怖くも大きくもないアルファだが、こいつは意外と肩幅があって、背中も広い。俺が少し寄りかかったくらいでは揺らぎもしない。
 さっきまで恐怖しか呼び起こさなかった部屋の匂いが、途端に安心できるものに思えてきた。
 子供をあやすようにぽんぽんと肩を叩かれる。

「俺はあなたが嫌だと思うことは一切しないと誓いました。番契約も、嫌ならしません。本当は発情状態も鎮めてあげたいけど……嫌ならしません」

 俺を抱いたまま久我がゆらゆらと横に揺れる。本格的に子供扱いだ。こうなると、寝起きとはいえ取り乱した自分が恥ずかしかった。
 腕を突っ張って体を離す。俺をじっと見つめる目から視線を逸らさず、挑戦的に睨みつける。

「薬は抜けたろ。ヤるぞ」
「えっ、いや、ちょっと」

 いつもより力が出ないながらも、久我の体をぶん回してベッドに押さえつけた。

「なんだよ、怖気付いたのか」

 俺に見下ろされる形になった久我は、目を丸くしてぱちぱちと瞬きする。それがなんだかかわいい。俺が子供扱いなら、こいつだってそう変わらない。

「前からおまえ、偶然っぽくして俺の体触ってたろ」
「ぅええ!? 気付いてたんですか!」
「当たり前だろ。おまえが思ってるより不自然だったわ」

 お互いの体に触れて、番契約の際に拒否反応が出ないようにする訓練。
 結局俺たちはキスとハグから先に進む暇がなかった。本来なら今日あたり、服を脱いだりしていたかもしれないが、こればかりはどうしようもない。
 久我と抱き合うのは、案外と心地よくて、時には体を預けきっていた。脚の間に座って本を読んだこともあった。
 そういうときは俺が集中していると思っていたのだろう、脇腹や太腿、首筋など人によってはセンシティブな箇所に触れていたのを知っている。

(気付かないわけ、ないだろ)

 衣類で覆われているはずなのに、久我の手が体を滑るとぞわぞわと産毛が逆立った。なのに嫌悪感はない。自分の感覚を追うあまり、本に書かれた文章を読むどころではなくなっていた。
 バレてないと思っていたらしいその触れ合いが、本当に俺のためだったのか、別の意図があったのか───それは分からないし、もはやどうでもいい。

「俺を手に入れたいのなら、満足させてみろ」

 腰の下に自分より強いはずの男を組み敷き、見下ろしながら傲慢に告げる。

「できるか? 後輩くん」

 戸惑い、笑い、慈しむだけだった優しい瞳にギラつく欲望が灯る瞬間を、瞬きもせずに見つめる。
 結局今日この日を迎えても、俺の心はしおらしくておしとやかなオメガになんてなれなかった。体の方も、内側はなんらかの準備が終わっているのかもしれないが、外見はそのままだ。骨っぽくて筋張って、柔らかいところなどほとんどない。
 それでも欲しいというのなら、相応に力を見せてもらわなければ。

 従順な犬が獰猛な狼に変わったその時、俺は見事に引き倒され、位置を逆転させられていた。

「っう……」

 久我は見事な早技で俺のシャツの首元をくつろげ、あろうことか顔を突っ込んだ。鎖骨の上あたりを強めに噛まれて思わず呻く。

「煽らないでください……これでもかなり抑えてるんです」

 片手は俺の肩を押さえ込み、もう片方の手はシャツのボタンをすべて外して怪しく這い回っている。この手際の良さ、学生時代は相当モテていたに違いない。つくづく俺のようなオメガと番うなんてもったいないと思うが、本人が希望しているのだから仕方がない。
 動きにくいながらも、俺を脱がせようとする久我を手伝ってシャツを脱ぐ。
 オメガは発情すると、脳が煮えているのかと思うほどに思考力が下がり、ただアルファの精を受けることだけを望むようになると言われていたが、俺はそこまで熱に溺れていないようだった。
 思考は、正常とは言えないまでもしっかり追えている。久我のことを観察する余裕もある。
 反対に久我の方は初めてのまともなラットで、徐々に理性をなくしていた。

「真嗣さん……真嗣さん……」
「うわっ、ちょ、まだ噛むなよ。今噛んでも意味ないんだろ」

 譫言うわごとのように俺の名前を呼びながら項を甘噛みする今の久我に、どれほど判断能力が残っているだろう。
 本能の方が強くなっているのか、久我の手は確実に俺の下腹部を目指している。
 下着の中に入り込み、最初に触れようとしたのは尻の狭間だった。

「っ、ちょっと待て、脱ぐから」

 慌ててベルトを抜き、スラックスを脱ぎ捨てる。ボクサーパンツの下では俺の雄の証が少し勃ち上がっていた。久我に触れられただけでこうなるのだから、俺の方もだいぶ色々なところが馬鹿になっているようだ。
 邪魔するものがなくなった久我の指先が、躊躇うことなく窄まりに差し込まれた。

「っう、うぁ……」

 下着も脱ぎ去り、未知の場所を侵略される感覚に耐える。
 オメガの男性はそこを使うこと、発情期にはそこが勝手に分泌液で濡れることの知識はあった。だが知っているのと、実際に経験するのとでは天と地ほどの差があることは、できれば知りたくなかった。

「真嗣さん……」

 指が抜かれ、すぐに指より太く熱いものがそこへ押し当てられる。

「待て、っう、あ゛ぁああっ!」

 慌てて発した制止の言葉は届いていなかった。
 未だ狭く、何者にも侵入を許したことのなかった場所が、無情な灼熱の塊によって力ずくで押し開かれる。喉の奥から堪えきれない悲鳴がほとばしった。
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