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番外編

神の子作り3

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 あの日々は幻だったのではないかと、時折思うことがある。
 不安になって過去を思い返し、当時の旅の品々を見返して、あの方を知っている者に問いかけ、そうしてやっと安心して眠りにつくことができる。
 星のきれいな夜、そう珍しくもない小さな流れ星を見るたび同じ焦燥に駆られることを、僕は自覚していた。



「また眠れないのか、ニル」

 街の中で最も高い石の塔。
 天に届かせ、雲を突くほどに高くしろと命じて作らせたのに、どうしてもこれ以上高層にすることができなかった、出来損ないの世界樹。
 その塔の天辺に作ったバルコニーで星を見ていた僕は、背後から掛けられる聞き慣れた声にゆっくり振り向いた。

「眠らないだけだよ、セディ」

 腰掛けていた手すりから降りると、確かめるように肩や腕に触れられる。
 寝間着のまま長時間外にいたせいか、シルクの夜着はすっかり冷たくなっていた。セディがあからさまに眉を顰める。
 そのまま嫌がらせのように大きな体に抱きついたが、嫌がられることもなく抱きとめられてしまった。

 あの日々から、十年の月日が経っていた。

 それまでの僕の人生は、曖昧で確かな事はなにもなく、明日の保証も身の安全もない不安定なものだった。おまけに教会に奴隷のような扱いをされ、魔力を奪われるためだけの存在として駆り出されたときは間違いなく死ぬんだと思っていた。
 そんな死にかけの僕の前に、あの方は降り立った。
 死ぬ前に、せめて大好きな天上の神───黒い光の主に会いたいと願って、それが叶えられたあの日から、僕の生きる意味は変わった。

 高い魔力適正を生かして、魔法の都市で身を立てることに決めた。
 恋人は度々無茶をしようとする僕のことをずっと見守って、支えてくれた。
 どれほど他人に師事しようと、僕の上に他人が立とうと、僕の主はただひとりだ。それだけを胸に十年間、がむしゃらに生きてきた。
 気づけば僕より上に人が立つことはなくなり、周囲の人間はすべて僕より一段低いところから言葉を述べるようになっていた。

「おまえが体調を崩すと、私が責められる。夜風に当たるならせめて外套を羽織ってくれ」
「はいはい。もう口うるさいなぁ、僕の守護騎士様は」
「私がおまえの騎士だから……煩く言うのではない」
「わかってるよ、そんなこと。心配してくれてありがと」

 真夜中だと言うのに、レンライト王立騎士団の制服をボタンひとつ着崩してすらいない恋人につま先立ちでキスをする。
 僕の身長は十年掛けてもあまり伸びなかった。こればかりは、魔法に精通していてもどうしようもないことらしい。
 セディはまだ難しい顔をしていたが、僕が素直に室内に戻る様子を見てやっとひとつ小さな溜息を吐いた。

 魔法王国レンライト、その首都キュクロディア。
 以前から非常に強力な魔法国家だったこの国は、今では他に並ぶもののない最強の力を持った、それなのに他国へ侵攻することは一切ない完全中立国として、他のすべての国から一目置かれる存在だ。
 そこまでの国力を蓄えることができたのは、僕をはじめ優秀な魔道士が国内に何人もいたことや、王立騎士団の魔法適正の増加による強化、大陸全土を我が物顔で闊歩していた教会の弱体化など様々な要因が囁かれているが……最大の理由は、十年前の「星祭り」だろう。
 神の使いだとされて、崇められていた流星の極大接近を祝う祭。
 それに本物の神が降臨した、あの日だ。
 神の降り立った地に戦争を仕掛ける馬鹿な国は、今のところ無い。

「ここにいると、いつかまたカイ様に会えるんじゃないかって……思ってしまうんだよ」
「……わかってる」

 努めて気丈な声で言ったのに、セディは痛ましそうな表情で僕の体を抱き締めた。
 僕の命を救い、生きる意味を与え、さよならを言う暇もなく去っていった僕の生涯ただひとりの主。
 創造神の腕に抱かれ、僕を安心させるように手を振った、炎に歪んだシルエットが───僕にここまでの地位を追い求めさせ、なんの意味もないというのにこの高い塔を築かせ、毎晩星を見上げさせる。
 すっかり冷えた体を寝台に横たえると、セディはそのまま部屋から出ていこうとした。

「こんな哀れな僕を一人寝させるつもり?」
「……明日も朝早いんだろう、すぐ寝たほうが良い」
「ベッドの中が寒いんだ。誰かが温めてくれないかなぁ」
「それは……最高位魔道士様の命令か?」
「うん」

 セディのおどけた物言いも僕の半笑いの返事もおふざけの延長でしかなかったが、僕の騎士はすぐに戻ってきて、制服の上着を脱いで彼にとっては窮屈なベッドに入ってくれた。
 最上階のバルコニーを眺めるためだけに作らせたこの部屋は、セディには狭い。でも今日はなんとなく、自室まで降りる気が起きなかった。

「セディ、冷えてる。これじゃ暖かくならない」
「……」
「そこは『おまえが暖めてくれ』とか言ってくれないの?」
「……寝ろ」

 どこまでもお堅い恋人は出会った頃からずっと変わらず、僕を子供扱いしてくる。
 僕はもう立派な大人になったのに。
 それでも大きな掌で瞼を覆われると自然と眠りに誘われるのは、まだ若さの残るところがあるということなんだろうか───。



 なにかの気配を感じて、ふっと目が覚めた。
 素早く上体を起こして部屋を見回す。
 五歩もあればぐるりと一周できてしまう室内はいつもと変わりなく、まだ薄暗い空は早朝であることを示していた。
 僕の動きにセディも目を覚まし、にわかに緊張したまま周囲を警戒し始める。

「ニル、何があった」
「……わからない。なにか感じた気がしたんだ」

 下へと通じている階段を覗き込んだが、下階に寝泊まりしている他の魔道士が起きている気配すらない。
 階段から身を離して、バルコニーの方へ近寄る。
 まず遥か彼方の地上を見下ろして、ゆっくりと視線を上げていくと、自分が感じ取ったものの正体が知れた。

「……!」

 朝焼けで鮮やかに色付く雲の隙間から、漂うように黒い煙が細く流れ出ていた。
 煙はやがて光となって空を貫き、また煙の姿に戻ってふわふわと漂う。黒い光は遊ぶようにちかちかと明滅して、やがて消えた。
 他の誰が見えなくとも、僕にだけはそれがなにかすぐにわかる。
 光の消えた場所を凝視していたら、同じ場所からいつか見た黒い炎の塊が、小さな隕石のように地上へ落ちていくのが見えた。

「っ、カイ様!?」
「おいニル!」

 バルコニーの柵を蹴って空中に飛び出す。
 すぐさま風魔法に体を預けて、緩いスピードで落ち続ける黒炎の着地点となる森へ進路を取った。
 背後でセディが僕を呼ぶ声が遠くなっていく。

 最高速度で墜落するように空を駆け、なんとか先に森の中に着地した。
 地面に落ちる前の黒い塊が僕の頭上をゆっくり降りてきている。
 炎を受け止めようとして、一瞬躊躇した。
 これがカイ様由来のものであれば、触れた瞬間に僕の両手が消し飛ぶ可能性は高い。
 そんな僕の逡巡に応えたのか、塊は僕の肩くらいの高さで黒い炎を霧散させた。慌ててそれを両手に捕まえる。

「なんだろう、これ……」

 炎の塊に近づくにつれて、それがカイ様自身ではないことはとっくに気付いていた。
 それにしてもこれは、小さくて得体が知れない。
 半円形の素朴な枝編みの籠に、柔らかい布が敷き詰められ、その中に球が入っていた。ガラスに見えるが、ほのかに発光している。ガラス球の中では濃灰色の煙が渦巻いているように見える。

「ニル……! 頼むから一人で飛び出していかないでくれ」

 風魔法による飛行板を使ってきたのか、息を切らせたセディが僕の横に着地した。セディは魔力量が少ないので、簡単な魔道具を使うのにも疲れてしまう。

「……それは?」
「わからない。カイ様の力の波動を感じて駆けつけたけど、これが落ちてきただけだった」
「手紙がついているな」

 籠の端にねじ込むように差し込まれた茶色い封筒をセディが手に取る。
 目配せしてそれを開けさせると、中には白い紙が入っていた。セディは識字できるはずだが、なぜか紙を上下に回して首を傾げている。

「なんて書いてある?」
「これは……クレインエイル語か? 全く読めん」
「!」

 僕は思わずその紙束を奪い取った。
 天から降り注いだ黒い光、あの日の炎に包まれた神秘的な球、そしてクレインエイル語の手紙。
 これら全てがあの人へと繋がっている。

(カイ様、ご無事でなによりです)

 あの日消えた主人の安否がずっと気になっていた。
 本当なら一目会いたかったけれど、彼が無事ならもうなんでもいいという気持ちだった。そのうえ彼の言葉が綴られたものまで頂けるなんて。
 あれから必死に勉強して、デミシェ語以外の言語も習得した。その中には当然クレインエイル語も含まれていて、発語と閲読くらいなら難なく行える。
 白い紙は二枚あり、一枚目は中央に一文だけ書かれていた。

「『あなたの子です』……!?」
「…………ニル」
「ちっ違う! 不貞はしてない!」

 怒りと不信と不可解さが絶妙に入り混じった表情のセディの視線がとても痛い。
 僕はさまざまな危機を感じつつ、慌てて白い便箋をめくった。二枚目は一枚目が嘘のように、びっしりと文字が書き連ねられていた。

 結論から言えばこの子(生き物なのかどうかも分からない)は、やはり神々の御子で、破壊神直属の遣いとして地上の破壊作業を手伝わせるために作った存在ということがしっかりと書かれていた。
 一枚目の紛らわしい一文はなんだったのかと憤りを隠せない。
 現時点では肉体がないが、そのうち人間っぽい見た目になるはずなので、それまで育てて欲しいとのこと。そのための注意事項がいくつか添えられていた。
 元の世界に帰っても部下使いの荒い上司に苦笑が漏れる。
 なおも疑わしそうな顔のセディに自ら辞書を引いて手紙を読ませ、なんとか誤解は解けた。

「あの方は相変わらずのようだな。突拍子も無いことをされる」
「当然だよ。僕の主だもの」
「そうか……そうだな」

 今は気配すらない、黒い煙が揺らめいていた空を見上げる。
 あの雲を突き抜けたところで、空にカイ様の世界が広がっているわけではないことは、風魔法を習得してからすぐに確かめた。
 高位次元の存在を、低次元のものは認知することすらできない。本来なら僕達など、神々にとっては塵芥より瑣末な存在だ。
 そんな僕達のために、神の御使を作り、それを他でもない僕に託してくれたという喜びがふつふつと沸き起こる。

(『元気で生きていてくれて嬉しい』……か。それはこっちの台詞ですよ、カイ様)

 二度と会えずとも、彼はいつも空から自分たちを見守ってくれている。
 見なれた青に染まり行く空を見つめて、僕は笑顔を浮かべた。



 その後、立派に成長した破壊神の子供が天上界と通信ができる魔法を作り上げて、僕は年一回くらい大好きな上司と会話できるようになったのだが、それはまた別のお話だ。
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