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本編
21.二十四時間戦ってはいけない
しおりを挟む普段雲海の上のごく限られたスペースでしか生活しない俺にとって、自分の筋力や体力と言ったものは、実は未知数だった。
暇に飽かせて創造神と体力測定のようなものをして遊んでいたときは、どの種目でも汗をかき息は上がったが、疲れて動けなくなるということはなかった。
創造神もだいたい同じような様子だったし、お互い見た目年齢が20代前半くらいなので、その年代の成人男性に相応しい程度の筋力は保てているのかなと思った程度だ。
ほぼ概念である俺達は病気を心配することもない。
気をつけるのは外傷だけだ。
なので俺は基本的には丈夫だった。それは地上でも変わりないように思う。
だからなのか、ニルが本当は弱っているのを必死に隠していることに、ギリギリになるまで気付かなかった。
「ニル!!」
前を歩いていたニルが木の根につまずいて倒れた。
それだけならよくあることだ。
すぐ立ち上がると思ったニルは、うずくまったまま動かなくなってしまった。
慌てて抱き上げて仰向けにすると、ニルの頬は真っ赤に染まっていた。苦しそうな息を吐き、触れた皮膚から高い体温がわかる。
「お前、無理してたのか……」
考えてみれば当然だ。
俺を召喚するために四六時中魔力を奪われ続けていた。俺が現れた後はすぐに逃亡の旅に出て、慣れていないだろう道を何時間も歩いた。
身体強化の魔法を使っていると言っていたが、魔法を使うのが疲れないはずがない。
結果、こうして熱を出してしまったのだろう。
一番傍にいた俺が気付いてやらなければいけないことだった。
しっかり者でもまだ子供なんだ。
「くそ、自己嫌悪に浸ってる場合じゃない。どこか医者、いやせめてニルを寝かせてやれる場所は……」
ニルごと荷物を背負って立ち上がった。
魔法を使えない俺に人間二人分以上の重みはキツかったが、そんなことを言っている場合ではなかった。
俺達は再び関所を超えるために森の中を歩いていた途中で、かなり深いところにいた。このまま東に真っ直ぐ進めば街道に出るが、位置的に関所のすぐ前に飛び出すことになるだろう。
身分を証明できない俺達が関所に近づくのは危険だ。
こんな状態のニルが不審者として拘束されたら、治る病も治らなくなってしまう。
「民家に賭けるしかない、か……」
ニルが以前、こういった深い森には木こりが住んでいることがあると言っていた。
水の便が良い川沿いや海沿いに家を建て、木を切って生活している人がいると。
川を見つけて、それに沿って歩けば、木こりの家があるかもしれない。人が住んでいれば治療の可能性も期待できる。小屋だけでも、屋根のある場所で寝かせてやれれば土の上に転がすよりマシだろう。
背中の重みを背負い直し、俺は森の奥へと歩を進めた。
日が暮れ、辺りがどんどん暗くなっていく。
俺の焦りとは裏腹に、民家が見つかることはなかった。
それでも諦めることは出来ず、川沿いのけもの道を転ばないように黙々と歩く。
あれからニルは、夢うつつのような状態で一度目を覚ました。
状況を説明したら案の定自分で歩くと言い出したので、地面に下ろしてやることなくそのまま歩き続けたら、また眠ったようだった。
ニルの症状はいまのところ発熱および発汗だが、重大な病でない保証はない。
人間のことを知らない俺では、ニルになにかしてやることはできないだろう。やはり医者に診せなければ。
とうとう太陽が山の稜線に沈み、夜がやってきた。
そして夜が、俺達に僥倖をもたらしてくれた。
「明かりだ……!」
川の向こう岸、木々の合間に微かに見えた小さな光に向かって、俺は真っ直ぐ向かっていった。
橙色の光を発していたのは、丸太を組み上げた小ぶりのログハウスだった。
扉をノックしたが、返事がない。
明かりがついているのなら家人がいるはずで、人がいれば交渉次第で薬や病人食を分けてもらえるかもしれない。気持ちが逸り、ドアノブをひねるとそれは難なく開いてしまった。
「すみません、誰か───あ……」
家の中に声を掛けて、俺は愕然とした。
俺はこの国の言葉を話せない。
たとえ人がいても、ニルの様子を説明することも、薬を分けてほしいと頼むこともできない。
家の中には誰もいなかった。もうどうにでもなれという気持ちで中に足を踏み入れる。
奥の部屋にあったベッドにニルを寝かせた。
「ごめんな、ニル……」
ずっと気を張って、休まることがなかっただろう小さな体を見下ろして、額に張り付いた髪を除けてやる。
ベッドの横に膝をつく。
川を渡っても、こうして寝かせてやってもニルは目を覚まさなかった。
勝手に保護者のような気持ちになっていたが、俺はニルに守られているだけだった。
その自覚すらなかった。
壊すことしかできない自分が情けない。
この細い体でどれだけの緊張を強いられ、負担を隠して抱えていたのだろう。
背負い袋から体を拭くための布を取り出そうと探っていると、開けたままの扉の向こうでガタンと大きな音がした。
「×××!」
大きな声と共に、部屋に男が飛び込んできた。
背の高い男はきっと家主だろう、俺とベッドの上のニルを見つけて驚いた表情になり、すぐに鋭く睨みつけてくる。全身で警戒しながら、手にフライパンを握っていた。
デミシェ語がわからない俺でも、彼が「誰だ!」的なことを叫んだことは理解できた。
「すみません、連れが病気なんです。一晩だけで良いので、ここに置いていただけませんか」
伝わらないことは分かっていたが、必死に言葉を紡ぐ。
最悪俺は追い出されてもいい、この男が悪党でなければ、見るからに病人のニルを放り出すことはないのではないか。
俺は姑息にもそこまで計算して、体をずらしてベッドの上のニルを見せる。
すると、それまでやや荒い呼吸だったニルが激しく咳き込んだ。
「ニル!」
苦しげに咳をするニルを慌てて覗き込んだところで、できることはなにもない。
断続的に咳込むニルにおろおろしていると、俺の横にすっと人が立った。家主の男だ。
フライパンを持っていない方の手でニルの額に触れ、さっと全身に目を走らせた男は、黙ったまま部屋を出ていった。その様子に敵意はなく、事情を察してもらえたのかもしれない。
家主の男はすぐに戻ってきた。
お盆に乗ったコップ一杯の水と白い布を持っている。
コップの横には煎じ薬の包みが添えられていた。
「××、×××」
男はデミシェ語で話しながら、手振りを加えてくれた。布で汗を拭き、薬と水を飲ませるように指示される。
俺は頷いて一通りニルの体を清拭し、苦しそうな息をするニルをなんとか起こした。
「……あ、カイ様……?」
「ニル、気がついたか。薬飲めるか?」
「は、い。ここは……?」
喉が乾いているのだろう、少し話すだけで咳が出るニルに慌てて水を含ませる。
それまで無言で成り行きを見守っていた家主の男が横に立って、ニルに何事か声を掛けた。デミシェ語だ。
「この方が今晩ベッドを貸してくださるそうです……これは熱冷ましのお薬だと」
「薬まで。ニル、家主さんにお礼言っておいてくれ」
「はい。×××××、×××」
男は黙ったまま頷いていた。
どうやら俺の言葉が通じないことを差し引いても、無口な人間のようだ。
ニルは薬が効いてきたのか、すぐに眠りに落ちた。
心なしか先ほどより呼吸が安定していて安堵する。
男は隣室から簡素な木の椅子を持ってきてくれた。そして何も言わずに部屋を出ていく。
椅子をありがたく借りて腰掛ける。
今日は寝ずにニルに付いているつもりだった。
(俺は、無力だ……)
あの雲の上の職場が、いかに恵まれていたかがよくわかる。
溢れる力を適当に振るうだけで、大した書類仕事もなく、最も重要な作業は創造神に頼る。
自分では一生懸命やっていたつもりだが、所詮短命で替えの効く破壊神の仕事など、「誰にでもできる」の範疇を越えないものだった。
子供だましのような仕事で、それでも自分のことを信頼してくれていた同僚と部下を想う。
不甲斐ない俺のために、倒れるまで尽くしてくれた目の前の子供を見つめる。
(俺にできることは───)
うたた寝も身じろぎもなく、朝が来るまで考えを巡らせた。
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