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本編

08.同僚との距離

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 創造神がおとなしい。

 今朝は目が覚めても目の前に顔があるということはなかったし、鬱陶しいくらいくっついてくる日課もなかった。
 リビングに行くといつも通り創造神はソファに座っていたが、いわゆる体育座りで小さくなっていた。
 おはようと声をかければ小さく「おはよ」と返ってきたものの、明らかにいつもの元気さはない。
 それどころか悲しげに眉を下げて、吐息のような溜息をいくつもついていて、こっちの調子まで狂ってしまう。

「なぁ、創造神」
「っ!」

 おまけに、俺から声をかけようとすると、創造神は目をそらしたり立ち上がって別室に移動したりと……あからさまに避けられている。
 溜息を吐きたいのはこっちだって同じだ。

 やっぱり原因は、昨日俺が「創造神とは友達じゃない」と言ったことだと思う。
 実際に創造神がどう思っていたかはわからないが、向こうは俺を友達だと思っていたとして、それを本人から否定されたら嫌な気持ちになるだろう。
 でも俺は本当に奴をただの同僚としか思っていなくて、もう一度よく考えてみてもやっぱり同じだった。

 このトシになって思春期の少年のようなことを悩むとは思いもしなかったが……いつまでも目を背けているわけにはいかないだろう。
 仕事仲間と友達の境界線ってどこにあるのか、という命題から。

(いいトシの神が二柱、なんて馬鹿馬鹿しい悩みだ……)

 向こうが俺のことを友達と思っているから、こちらも友達だと思わなきゃいけない、ということはないだろう。嫌いな同僚に粘着されるというパターンもあるし。
 では俺は創造神のことが嫌いかと言えば、そんなことはない。
 ただどちらかと言えば、すべてのモノに対して好きとか嫌いとか考えたことがなかった。
 日常生活を送る上でなにが好きでなにが嫌いかなんて、考えることがほぼないのでこの思考回路自体が新鮮だ。

 例えば、家事は好きだ。
 掃除や洗濯、料理は楽しいし、俺でもなにかを成し遂げることができているという達成感から毎日やっても苦にならない。
 この家も気に入っているし、見渡す限りの雲海も好きだ。
 地上と、そこに暮らす生き物はみんな可愛い我が子のように思っている。子供ができたことがないから想像だけど。
 仕事も好きだ。
 事務員さんも、いつも穏やかな笑顔を向けてくれるので照れくさいこともあるけど好きな人だ。
 一方で、事務員さんのことが好きだから友達か、と言われると───それはどうも違う気がする。
 ただ友達になれるなら、嬉しいとは思う。

 創造神のことはどうだろうか?
 毎日ひっついてきてウザいこともある。でも嫌いなわけじゃない。
 どうも仕事仲間という範囲を逸脱した振る舞いをしてくると思っていたが、向こうが俺を友達だと思っていたのであれば───だいぶ過剰な気はしないでもないが───なるほどと納得できた。
 確かに、初対面から馴れ馴れしかったわけじゃない。いつのまにかあんなセクハラ野郎になっていたが。
 それを受けて、創造神と友達になれる、友達になると考えたらどうだろう。

「……ん?」

 胸に手を当てて感覚を確認する。
 なんだかすごく違和感があって、嫌だと思った。今の変な感じはどこから来たんだろうか……?
 俺、創造神と友達になりたくないのか?

「俺ほんとは創造神のことかなり嫌いだったのか?」

 自分でも知らなかった事実……!
 なんだか自分が、表面上は取り繕っているけど腹の中がドス黒い嫌な奴に思えて狼狽える。
 いやでも、ちょっと待て。
 さっき脳内会議では創造神が嫌いなわけではないって結論出てたよな? 嫌いなわけじゃないけど友達にはなりたくないってどういう気持ち?

(生理的に無理ってやつ?)

 思春期の少年どころか女子みたいなことを考えている自分にムズムズしてしまうけど、要はそういうことなんだろう。
 友達はいいけど恋人には無理、のさらに低い階層の話ってことか。

 こうなると俺のことを避け始めている創造神との関係がこの上なくこじれそうで、俺は再び重い溜息を吐いた。
 「友達にはなれそうもないけど、元気だしてくれ」なんて声を掛けられるほど俺は鬼畜野郎じゃない。向こうが悪からず思ってくれているのを知っていてそんな仕打ち、絶対無理だ。どんな最低野郎だ。
 しかし俺が無理してあいつに合わせるっていうのも、対等な仕事相手への適切な態度ではない気がする。
 どうすればいいものか……。

 考え事をしながらの上の空でも、俺の手元はしっかり動いていて昼食が出来上がっていた。今日は持ち運びの便を考えて握り飯。

「創造神。俺今日事務所行ってくるわ。お前も来るか?」
「……ッ!」

 自室に籠もってしまった創造神へ扉越しに声を掛けると、小さく息を呑む音が聞こえてきた。
 いつも事務所に行くときは同行しているし、かといって今日は気まずい。色々と逡巡しているんだろう。

「……行かない。気をつけて」
「おう」

 予想通り、今日は無理に付いてくることはないようだった。
 たまには別行動で仕事に当たることも必要だろう。
 俺がいない間に創造神が仕事をするかどうかは疑問だが……。

 本当は全休の日に荷物を取りに事務所へ行くつもりだったが、事務所に顔を出す行為自体は問題はないはずだ。
 本来は事務所こそが職場のはずなんだし。誰かさんのせいで自宅勤務を余儀なくされているだけで。
 提出する書類と仕事道具一式を抱えて俺は一人で家を出た。
 いつも纏わりついてくる奴が横にいないだけで、ずいぶんと静かで短い時間の移動だった。




「おはようございま~す」
「おや? おはようございます」
「あの……今日、ここで作業してもいいですか?」
「もちろん。この建物は仕事をするための場所ですから」

 まるですべてお見通しとでもいうように事務員さんが微笑んで、事務所内に導いてくれる。
 あの家で仕事をするのが気まずいと、ひと目で見抜かれてしまったんだろうか。

「すみません、今時期は書類仕事忙しいのに」
「大丈夫ですよ。提出ぶんはもうまとめ作業だけです。ここに来たからには、仕事手伝ってくれるんですよね?」
「それはもちろん」
「では問題ありません」

 いつも案内される応接セットの場所ではなく、いくつかある事務机のほうに席を用意してもらった。
 この事務所にはいつも事務員さん一人しかいないのに、なぜか事務机が4つある。そしてすべてがすぐに使える状態になっていて、埃も積もっていない。有能さが伺い知れる。

「いきなり雑用で申し訳ないのですが、この資料をAからEまで一枚ずつ綴じてこちらの箱にいれてもらえますか? 全部で80部です」
「了解、なんでもやるので遠慮しないで振ってください」
「それは頼もしい」

 ダンボールいっぱいに詰められた書類に向き合う。
 単純作業は好きだ。なにも考えなくていいから。
 ふつうに考えて、二日と置かず事務所に向かった俺の意図を創造神も理解してしまっただろう。
 気まずくて、顔を合わせられないという行動だ。
 たぶんお互いに同じ状態に陥っている。
 これが「決定的な拒絶」と取られるかどうかは、俺の行動に掛かっている……今はそんな状況だろう。最悪このままギスギスするパターンもあり得る。

 事務所に向かう途中、歩きながら改めて考えてみたが、俺が創造神を嫌いだと思う決定的な部分は確かになかった。
 嫌いだったらさすがにキスは拒否する。ハグも嫌だ。
 でも俺にとって創造神は、友達という感覚ではない。
 こちらも喉の奥から湧き上がってくるような、確実な思いだった。
 この合理的じゃない思考回路、いかにも人間っぽいよな……。俺どうしちゃったんだろう。

 今考えても埒が明かなそうだ。
 俺は黙々と書類の端をクリップで止める作業を開始した。

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