ルピナスの花束

キザキ ケイ

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5話

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 本の好みも、食の好みも、嫌いなものも知っている。
 何度もこの腕に抱いて夜を過ごし、その体の隅々まで知っていた。
 しかし、一度も愛を囁いたことはなかった。
 だから彼が消えたとき、彼について何も知らなかったのは、自業自得だと思った。

 ハロルドが図書塔を辞め、実家に戻ったと聞いてから俺は奔走した。
 彼の家について知っていることはほとんどない。
 珍しい家業を代々続けていて、ハロルドは長子だったがそれを継がなかったということ。家督を継いだのは弟であること。北の生まれであること。たったそれだけ。
 家名を元に調べようと思っても、ハロルドの姓───アッカーという名は北部では珍しくもない。せめてどんな家業か聞いておけばよかったと思っても後の祭りだ。自力での特定は困難だった。

 当然、図書塔の司書には真っ先に行き先を聞いた。
 しかし司書たちはハロルドが辞めることも直前に知ったらしく、実家に帰るということ以外になにも知らなかった。
 そして、誰もが口を揃える。
 行き先を知っているとしたら、司書統括であるサリーのみだろうと。

「話すことはありません。お引き取りください」

 小柄なサリー女史が腕組みをして仁王立ちすると、不思議な迫力がある。
 最初は取りつく島もなかった。
 実際のところ、俺の要請は辞した職員の個人情報を暴く行為だ。ハロルドのことを可愛がっていたサリーがそんな軽率なことをするはずがない。
 俺は手を替え品を替え、毎日図書塔に通ってサリーに頼み込んだ。
 途中から手法を変えて、重い書棚の移動や整理を率先して手伝ったり、分厚い本の整頓をかって出たりした。あからさまなご機嫌取りだと見抜かれているのは分かっていたが、彼女に教えてもらわない限りハロルドの行き先は掴めそうもない。

 今日もいそいそと塔へ通う。
 サリー女史が好きだという銘柄の紅茶を差し入れ、茶請けのクッキーを他の司書たちにも配る。
 毎日のように無償で手伝いをする俺を、サリー以外の司書たちは好意的に受け入れてくれていた。硬いジャムの瓶を開けたり、高い棚の荷物を取ったりするのに便利な人材という認識が広がっているようだ。
 窓際の休憩用テーブルでゆったりと紅茶を飲むサリーに、お代わりのポットを届ける。
 俺が横に立ったとき、彼女はちらりとこちらを見上げた。意味深な目に、俺は立ち止まる。

「どうしてあの子を振ったんだい」
「…………え?」

 サリーのつぶやきは小さなものだったが、聞き逃すことはなかった。それでも俺は聞き返した。
 ハロルドと俺が付き合っていたことを彼女が知っていたとは思わなかったということと───彼を俺が振ったと思われている事実が理解できなかったからだ。

「あの子はいい子だったろう。地味で、男だけど、よく尽くす優しい子だよ。あの子を弄ぶつもりで手を出したのかい」
「いや、違っ! 振られたのは俺です!」
「……なんだって?」

 サリー女史の対面の椅子に座り、彼女を見つめる。
 俺は今きっと、情けないほど縋る目をしているに違いない。
 紅茶のカップを置いたサリーはいつものように尊大に腕を組んで、顎を上げた。

「最初から話しな。どういうことなのか」
「ぁ……は、はい」

 妙な迫力に気圧されながら、俺は肩を竦めて言葉を選んだ。
 どう言い繕っても、きっかけとなった俺の告白は非難されるべき行動だった。周囲の司書たちが仕事をしながらも耳をそばだてている気配を感じながら、それでも俺は隠すことなくすべて話した。
 サリーはところどころ眉をひそめたりしていたが最後まで口を挟むことなく聴いてくれた。

「なるほど。確かに一般的に、瞳の色の花束を送ることはプロポーズの一種と言われているね」
「はい……彼も受け取ってくれたんです、だから了承してくれたんだと思って……」
「昔、聞いたことがある。以前は別の国だった北方では、青い花を贈ることに特別な意味があると」
「特別な意味?」
「元は亡くなった者に最後に贈る花が青色だったそうだよ。そこから、恋人に青い花を贈るのは別れの意味という風習が広まったと」
「わ、別れっ!?」

 思わず椅子を蹴って立ち上がってしまった。サリーがうるさそうに顔をしかめ、再び着席するよう顎をしゃくる。俺は慌てて椅子を直して座った。
 サリーはすっかり得心したというように背を椅子に預け、嘆息した。

「あの子も早とちりだねぇ。おおかた色恋に興味がなさすぎて、小さい頃に知った古い風習は覚えていたのに王都のメジャーな告白方法は耳に入らなかったんだろう。その場で殴って真意を問いただせばよかったものを」

 意に沿わないことをしてハロルドが俺を殴り飛ばすところを想像しようとし、逆に彼の手が傷つく場面しか思い浮かべられなかった俺は慌てて弁解する。

「あの時は火事の召集があって、お互いにすぐ別れてしまったんです。俺が言葉を惜しむことがなければ、彼は」
「そう、あんたの軽率さもね。とても騎兵隊の出世頭とは思えない間抜けさだ」

 きつい口調でサリーに言われると、まるで母や祖母に叱られているような気分になり、自分に非がある俺は項垂れるしかなかった。
 ただ、常に一線引いていたサリーの態度が明らかに軟化していることは俺に希望を与えた。
 サリーは紅茶を飲み干すと、事務室の奥にある鍵付きの戸棚に立った。紐閉じの書類をめくって、小さな紙になにやら書き取りをする。

「あの子はここを去るとき、あんたとは『終わってしまったんだ』と言った」
「……それは」
「あんたがあの子を大切にする気があるなら、これを」

 手渡されたメモには、サリーらしい几帳面な字で北部の地名と番地が書かれていた。
 ハロルドの経歴書から実家の住所を写してくれたらしい。
 彼は実家に呼び戻されて退職したという。この場所に行けば、あるいは。
 俺はいてもたってもいられず、サリーとほかの司書たちに大声でお礼を言ってから駆け出した。




 大急ぎで騎兵隊長に面会し、休暇を申請したのだが、当然そうすぐには受理されなかった。
 実家の住所が分かったとしても、ハロルドが今もそこにいるとは限らない。彼に会うためにどのくらい時間が必要かわからず、とりあえず溜まった有給休暇を全て申請したら止められた。

「ルーファス、さすがに一ヶ月まるごと休みをやるわけにはいかない」

 呆れ顔の隊長に書類を突き返され、渋々受け取る。
 気が急いて何も考えずにここへ来てしまったことを反省した。

「そうですよね……」
「なにを焦ってるのか知らんが、大事な用なのか。行き先は?」
「北です。ノーザンランド地方」
「なら、一時的に北方騎士団所属にしてやろうか」
「そんなことができるんですか!」

 王宮の騎士が地方へ行くときは、引退か左遷と相場が決まっている。戻すことが前提の移籍というものは聞いたことがなかった。
 騎兵隊長は豊かな口ひげを動かしてにやりと笑う。

「毎年地方の兵が中央に来るばかりで、俺たちは動かず踏ん反り返ってると陰口を叩かれているからな。お前が行って、王城を守る騎士が一番優秀なんだと見せつけてやれ。北は寒いぞ、気をつけろよ」
「あ、ありがとうございます!」

 どうやら隊長は、北へ派遣する人員を決めかねていただけらしい。さしずめ俺は飛んで火に入る夏の虫といったところか。
 休暇申請を異動命令書に持ち替えた俺は、早速荷造りをするために家路を急いだ。

 ハロルドに謝りたい。あの日をやり直したい。
 いやそれよりも、ただ会いたい。
 別れも告げられず離れたまま自然消滅なんて、許せるはずがない。彼の方は吹っ切れてしまっていたとしても、願わくば、もう一度始めたい。
 彼が気まぐれで付き合いを了承した男は思いのほか執念深いのだ。

 数日後、俺は北へ向かう騎士たちと一緒に幌馬車に乗っていた。
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